(……この花って……)
なんて名前だっけ、とシロエが眺めた花。
E-1077の中庭、其処の花壇に咲いているもの。
白い花やら、青い花やら、今が盛りと咲いているけれど…。
(えっと…?)
この白い花が…、と頭に一つ浮かべば、他の花たちの名前も出て来た。
「ぼくは知ってる」と、「エネルゲイアでも、よく見た花だ」と。
そう気付いたら、懐かしい。
側のベンチに腰を下ろして、花たちの姿に暫し見惚れる。
まるで故郷に帰ったよう。
花の姿は、何処で見たって変わらない。
宇宙に浮かんだステーションだろうが、故郷のエネルゲイアだろうが。
(……懐かしいな……)
此処でこうして座っていたなら、心だけが故郷へ飛んでゆくよう。
幼かった頃に見ていた花壇へ、遠く離れた雲海の星、アルテメシアへと。
故郷でもきっと、この花が咲いているだろう。
もしかしたら、母が「この瞬間に」眺めているかもしれない。
家から外へ出掛けたついでに、何処かの花壇の側で足を止めて。
あるいは父も見ているだろうか、父が勤める研究所にも、中庭などがあるのなら。
(…パパやママだって…)
見ているのかも、と思うと余計に懐かしくなる。
「ぼくの故郷にも咲いてた花だ」と、「今だって、きっと咲いてるんだよ」と。
この中庭には、他の候補生たちも来るけれど…。
(花なんて、誰も見ていなくて…)
ベンチに座っての会話に夢中か、賑やかに笑いさざめいているか。
此処から「故郷」に思いを馳せる生徒は、いないのだろう。
誰もが「過去を捨てて来た」から。
成人検査で捨ててしまって、それを後悔することさえも無いのだから。
けれど、自分は「忘れはしない」。
機械がいくら消し去ろうとも、こうして「消えない」記憶だってある。
故郷で目にした花の名前を、自分は忘れていなかった。
「なんて名前だっけ?」と眺めていたら、次々と頭に浮かんだ名前。
白い花の名も、青い花の名も、他の花のも。
「エネルゲイアでも見ていた花だ」と、「忘れ去ってはいなかった」記憶。
両親の顔さえおぼろになっても、花の名前は忘れなかった。
つまりは機械が「消さなかった」もの。
故郷で同じ学校に通った者たち、彼らの顔や名前を「忘れていない」ことと同じに。
(…花の名前なんかを、覚えていたって…)
さほど役には立たないだろうに、記憶は消されていなかった。
E-1077に入ったからには、いずれはメンバーズになるのだろうに。
軍人などには「花の名前」は要らないだろうに。
(学校で一緒だった奴らは…)
いずれ何処かで出会った時に、「友」として再会できるようにと、「残された」記憶。
彼らの顔も、名前も少しも忘れてはいない。
そんなものより、「両親」を覚えていたかったのに。
自分を育ててくれた養父母、彼らを「忘れたくなかった」のに。
(…でも、パパとママは……)
機械からすれば「不要な」記憶で、「大人になるなら」要らないもの。
覚えていたって戻れない故郷、「覚えているだけ無駄」ということ。
だったら、「花」はどうなのだろう?
E-1077で暮らす候補生たちが、ろくに見てさえいない花たち。
彼らにはただの「中庭の彩り」、無ければ「殺風景」だというだけ。
どんな花でも気にはしないし、木だって、きっと同じこと。
「中庭にあればいい」だけのことで、故郷のことなど考えはしない。
それが「正しい生き方」だったら、花の名だって、多分、「要らない」。
何であろうと花は花だし、「花だ」と分かれば充分だろうに。
なのに「忘れていなかった」花。
どの花の名も思い出したから、懐かしく見ていたのだけれど。
故郷に帰ったような気さえもしたのだけれども、何故、「花」なのか。
花の名前を覚えているより、両親を覚えていたかったのに。
「パパの顔だ」と、「ママの顔だ」と、鮮やかに思い出したいのに。
(…どうして、こんな花なんか…)
ぼくは覚えているんだろう、と逆の方へと向く思考。
「これが機械のやり口なんだ」と、負の方向へ。
故郷を懐かしむ気持ちの代わりに、「こんな花たちの名前なんか」と。
だから、乱暴に立ち上がったベンチ。
足早に後にした中庭。
「あんな花なんか、見ていたくない」と、自分の世界に逃れるために。
ただ一人きりでいられる世界へ、誰も入っては来ない個室へ。
逃げ込むように其処に入って、閉ざした扉。
ベッドに腰掛け、広げたピーターパンの本。
これだけが唯一の「故郷との絆」、両親がくれた宝物。
成人検査の日にも家から「持って出掛けて」、このステーションまで共に来られた。
この本に纏わる全ての記憶は、憎い機械にだって「消せない」。
(絶対に、忘れてやるもんか…)
ぼくの本だ、と本のページを覗き込む。
その向こうには、幼い頃から憧れていたネバーランドが広がるから。
ピーターパンと飛んでゆこうと思った、夢の世界が。
(…パパとママを忘れさせられても……)
ぼくは忘れていないんだから、と見詰めるページ。
これを「見ていた」自分の姿も忘れてはいない。
故郷の家で椅子に座って、ある時は床に寝そべって。
ピーターパンの本を何度も読んでは、「いつか行くんだ」と夢見た世界。
夜空を駆けてネバーランドへ、ネバーランドよりも素敵な地球へ。
(…何もかも、忘れていないんだから…)
ぼくは覚えているんだから、と宝物の本を抱き締めてみる。
「此処にあるよね」と、「いつまでも、ぼくと一緒なんだ」と。
くだらない花の名前などより、この本の方がずっと大切。
両親がくれた「大好きな本」で、ステーションにまで持って来たほど。
この本のことを、自分は忘れはしない。
忌まわしいテラズ・ナンバー・ファイブも、この記憶を消せはしなかった。
「ぼくの勝ちだ」と、嬉しくなる。
消し去る記憶と、残す記憶と、それを機械が振り分けた時も…。
(…ぼくが、この本を持っていたから…)
記憶を消さずに、残すしか無かったのだろう。
厄介なことにならないように。
「この本は、何?」と、「セキ・レイ・シロエ」が「悩まない」ように。
お蔭で「消されずに」残った記憶。
花たちの名前も、きっと「その手の」記憶。
軍人は花に縁が無くても、いつか悩むかもしれないから。
「この花の名前は何だった?」と、花壇の側に立ち尽くして。
(…忘れてしまった、と其処で気付かれたなら…)
機械には都合が悪いだろう。
「いいように記憶を書き換える」のだと、皆に知られてしまったら。
それで「残った」のが「花の名前」で、「シロエの場合」は「本の記憶」も残った。
とても大切な本だったのだと、今も忘れはしないままで。
こうして本を抱き締める日やら、ページをめくってみる日やら。
(…ぼくは、機械に…)
勝てたのだろう、と誇らしい。
ピーターパンの本に纏わる記憶を、機械は「消せなかった」から。
それを「持っていた」セキ・レイ・シロエに、「勝ちを譲る」しか無かったから。
機械が勝手に奪い去る記憶、その中に「本」を入れられないで。
花の名前を「忘れていない」のと全く同じに、「忘れないままで」いられた本。
幼かった日に両親がくれた、大切な宝物の本。
これからも、けして忘れはしない。
何処までもピーターパンの本と一緒で、「両親の記憶」とも一緒。
この本を「ぼくに」くれた記憶は、絶対に消えはしないんだから、と思ったけれど。
「忘れないんだ」と考えたけれど、ピーターパンの本を貰った、その日。
(…いつだったっけ?)
確か誕生日のプレゼント、と思い出そうとして、其処で途切れていた記憶。
本当に「誕生日」だったのか。
誕生日だったら何歳だったか、それが自然に浮かんでは来ない。
バースデーケーキも、その上にきっと灯っていただろう蝋燭の数も。
(……それは、要らない記憶だから……)
消されたんだ、と溢れた涙。
「機械は、それも消してしまった」と、「ぼくは覚えていやしない」と。
大切な本を「いつ貰った」のか、「いつから持っていた」ものなのか。
花の名前は思い出せたけれど、ピーターパンの本に纏わる記憶は「思い出せない」。
それを貰った、とても大切な日の欠片でさえも。
(…ぼくは、やっぱり……)
機械に負けてしまったんだ、と唇を噛んで復讐を誓う。
花の名前を思い出すより、他のことを思い出したいのに。
「思い出したいこと」が沢山あるのに、機械が「消してしまった」から。
(……いつか、機械を止めてやる……)
マザー・システムなんか壊してやる、と抱き締めるピーターパンの本。
この本を持って、ただ一人きりで機械と戦い、いつの日か、勝ちを収めるのみ。
でないと、記憶は戻らないから。
機械の時代が終わらない限り、「大切な記憶」を取り戻すことは出来ないのだから…。
失われた記憶・了
※シロエが持ってる、ピーターパンの本。あれって、いつから持ってるんだ、と思っただけ。
両親の顔も覚えていないんだったら、貰った日のことも忘れていそうなんですけど…。
「アニアン大佐、おはようございます」
朝のコーヒーをお持ちしました、とキースの部屋に入ったマツカ。…首都惑星、ノアで。
とうに起きていたキースの机にカップを置くと、壁の方をチラと横目で眺めて…。
(…今日もやっぱり…)
此処にいるんだ、と目だけで「そちらに」挨拶をした。「おはようございます」と。
応えてニコリと微笑む少年。声は聞こえて来ないけれども、「おはようございます」と、きっと言いたいのだろう。そういう顔をしているから。
(…うーん……)
誰なんだろう、とマツカには今も分からない。この少年が誰なのか。
黒い髪に紫の瞳の少年。気が強そうにも見えるかと思えば、幼い子供のようにも見える。
(第一、此処に子供なんかは…)
けして入っては来られない。国家騎士団が入る建物、一般人は立ち入り禁止だから。
けれど「少年」は「此処に」いるわけで、コソコソ隠れてもいない。キースが何処かへ移動する時は、この少年も「ついて来る」。デスクワークだろうが、任務だろうが。
(…おまけに、誰にも見えていなくて…)
誰一人として気が付かないし…、と尽きない疑問。この少年の正体は、と。
「…マツカ?」
まだ何か他に用があるのか、というキースの声に、マツカは慌てて敬礼した。
「い、いえ…! 失礼しました!」
「用がある時は、こちらから呼ぶ。…下がっていい」
今日も朝から忙しいのでな、とキースに叩き出された部屋。
去り際に後ろを振り向いてみたら、少年は「ご愁傷様」というような表情だった。肩を竦めて、軽く両手を広げたりして。
そんな具合に、「キースの部屋に残った」少年。
側近のマツカが叩き出されても、キースに放り出されはしないで。
(…きっと、今頃は…)
仕事中のキースを横から覗き込んでいるか、床に座って本でも読んでいるのだろう。今日までに何度も目にした光景。
(興味津々といった感じで…)
キースの手元を見詰める姿や、本を広げて「自分の世界に」夢中の姿。
あの少年は、キースにも「見えていない」のだと思う。見えていたなら、自分と同じにキースに放り出されるから。「出て行け!」と書類でも投げ付けられて。あるいは銃を向けられて。
(でも、書類とか…)
それに銃とかが効くんだろうか、とマツカは首を傾げる。なにしろ「見えない」少年だから。
誰に訊いても、キースの側には「マツカしかいない」。いつ訊いてみても。
(…誰かいます、と言った途端に…)
「侵入者か!」と何度も騒ぎになった。少年の姿は見事にスルーで、他の所を捜し回って。
キースの副官のセルジュもそうなら、パスカルも、他の部下たちも。
そうやって捜し回ってみたって、「誰も見付からない」ことが重なり、「このヘタレ野郎!」とセルジュに怒鳴られた。
(…ぼくが、ビクビクしているから…)
いもしない「敵」が「いるように思えて」しまうのだ、と食らった説教。「しっかりしろ!」と叱り飛ばされ、「軍人らしく、もっと度胸を持たないか!」などと。
(……そう言われても……)
あの少年は、確かに「いる」。
今日も向けられた、明るい笑顔。「おはようございます」と親しみをこめて。
部屋から叩き出された時には、同情してくれていた少年。「仕方ないですよ」という風な顔で、けれど「マツカに」向けていたポーズ。「お手上げですよね」と。
(…キースのことを、よく知っていて…)
なおかつ、平気で側にいられる少年。
いくら「見えない」少年とはいえ、普通は「キースの」側なんかには、誰も近付いたりしない。冷徹無比な破壊兵器と異名を取るほど、皆に恐れられているのだから。
けれど、少年は「キースを」怖がらない。
その仕事ぶりを眺めていたり、「ぼくには関係ない」とばかりに、寛いで本を読んでいたりと。
(……キースという人を、よく知っているから……)
ああいう風に、キースの側にいられるのだろう。他所へは行かずに、朝も早くから。
夜にマツカが下がる時にも、少年の姿は「其処にある」。キースの代わりに「お疲れ様」という笑みを湛えて、見送ってくれて。
(…生きた人間ではない…筈なんだし…)
あの少年が生きているなら、他の者にも見えるだろう。ならば、少年はとっくの昔に…。
(……死んでいる…わけで……)
マツカが見ているものは「幽霊」。
SD体制の時代になっても、幽霊という概念くらいはある。「出た」と噂になることも。
(…幽霊というのは…)
この際だから、とマツカは調べてみることにした。今日のキースは、デスクワークの予定だけ。急に呼ばれはしないだろうから、調べ物には丁度いい。
(…えーっと…?)
端末の前に座って、データベースから引き出した情報。「幽霊」について。
一口に「幽霊」と言ってみたって、色々な種類があるらしい。それに「姿を現す」理由の方も。
(この世に未練が残ってしまって、死んだ場所から動けないのが…)
地縛霊というブツ。あの少年は「自由に動ける」のだから、地縛霊ではないだろう。その反対の「浮遊霊」の方で、何処にでもフラリと現れるヤツ。
(…こっちらしいけど…)
そう思いながら「姿を現す理由」を読んで、マツカの顔が青ざめた。
(……誰かを恨んでいた時は……)
幽霊は、その人間に「取り憑く」もの。何処へ行こうと、何処へ逃げようと、逃がしはしない。追って追い続けて、いつか恨みを晴らすまで…。
(子々孫々まで祟り続けて、一族郎党、皆殺しだとか…)
そんな例まであったという。
SD体制の今は、血の繋がった親子などはいないし、其処まで祟りはしないとしても…。
(……あの少年は、まさかキースを……)
取り殺そうとしているのだろうか、とゾクリと冷えたマツカの背筋。
恨む相手は「キース」だけだし、無関係な「マツカ」の方には、とても愛想がいいだけで…。
(…ぼくがいない時は、キースを取り殺す機会を狙って…)
鬼のような形相なのかもしれない。それは冷たい表情になって、紫の瞳を凍らせて。
ただ、幽霊は「強いエネルギーを持った人間」には「弱い」という。生きた人間の方が、死んだ人間よりも「エネルギー」を多めに持っているもの。
(だから、意志の強い人間だったら…)
幽霊などに負けはしなくて、逆に跳ね返してしまうほど。…キースも、そっちのタイプの筈。
それなら「安心」なのだろうか、とホッと息をつき、其処で気付いた。
あの少年がキースに「憑いて」いるのなら、何故「キース」なのか。「冷徹無比な破壊兵器」の異名を取るのがキースだけれども、それはあくまで「軍人として」。
(反乱の鎮圧とか、そういった任務で人を殺しても…)
子供まで殺しはしないだろう。…ジルベスター・セブンにいた「ミュウ」の場合は、女子供でも殺したのかもしれないけれど。
(……ミュウなのかな……?)
ジルベスターで殺された恨みを晴らしに来たのだろうか、と考えてみれば辻褄が合う。ミュウの少年なら、「同じミュウ」のマツカに愛想がいいのも当たり前。「お仲間」なのだし、挨拶だってしてくれる筈。「おはようございます」と笑んで。
(…でも…)
そっちだと時期が合わないな、とマツカは首を捻った。
ジルベスターから戻って来た時、あの少年は「いなかった」。船の中でも見てはいないし、このノアに帰還した後も「一度も出会ってはいない」。
初めて姿を見掛けたのは…、と記憶を手繰らなくても分かる。「あの時だ」と。
キースが「レクイエムを捧げに行く」と言って出掛けた、廃校のE-1077を処分した時。
あそこから帰って来る船の中で、キースの後ろを歩くのを見た。子供のような人影が。
(…船に子供はいなかったから…)
気のせいなのだと考えたけれど、それから間もなく「あの少年」が住み付いた。首都惑星ノアの「キースの」部屋に、キースが出掛けてゆく先々に。
そういうことなら、あの少年は「E-1077から」来たのだろう。
E-1077はキースが処分したから、地縛霊が行き場を失ったろうか…?
(地縛霊は、誰かが浄化するまで…)
その場所を離れられないという。あの少年が「E-1077の地縛霊」なら、E-1077さえ消えてしまえば、もう「其処にいる」理由は無くなる。つまりは自由。
(…キースが、彼を自由にしたから…)
恩を感じて、キースに「ついて来た」かもしれない。何か恩返しでもしたくなって。
それなら、あの少年がキースを恐れないのも…。
(ぼくと同じで、キースの人柄を知っているからで…)
幽霊だけに「命の恩人」とは言えないけれども、似たようなもの。
キースに「自由を貰った」わけだし、「悪い人ではない」のだと分かる。それでキースの人柄に惚れて、ああやって「側にいる」のだろう。いつか「恩返し」をするために。
(E-1077…)
何かデータは…、と探してみたら、其処の制服の資料が出て来た。候補生たちが纏う制服。
(…あの子の服だ…)
入学したばかりの候補生の服。それが「あの少年」がいつも着ている服だった。
やはりE-1077から来た地縛霊だ、とマツカは納得したのだけれど。
「え…?」
今、なんて…、とマツカは目を丸くした。それから数日経った後に。
たまたま食堂で出会った、セルジュとパスカル。「一緒に食おう」と手招きされて、二人がいるテーブルに着く羽目になった。…あまり有難くはないのだけれど。
何故かと言ったら、大抵は「ヘタレ野郎」なマツカへの説教、それが話題になるものだから。
それは嫌だし、と思ったはずみに思い出したのが「あの少年」。E-1077から来た地縛霊。
キースはE-1077の出身だから、そっちに話を振ることにした。
「よく知らないので教えて下さい」と、E-1077時代のキースの逸話を知りたい、と。
もちろん、セルジュやパスカルたちに「否」などは無い。彼らはキースを尊敬しているだけに、話したいことなら「山のように」ある。
「機械の申し子」と呼ばれたくらいの成績だとか、入学直後の宇宙船の事故とか、次から次へと聞かせてくれて、締めが「卒業間際の」事件。
「Mのキャリアがいたと言ったろ。…そいつを処分したんだよ」
「卒業間際だった、大佐が一人で追い掛けてな。保安部隊の奴らも倒れていたそうだから」
逃亡したMのキャリアの船を撃墜したのだ、とセルジュとパスカルは「キース」の武勲を称えているけれど…。
「そのキャリアというのは、どんな人だったんです…?」
「国家機密だぞ。Mのキャリアとしか分からん」
名前も年も全く知らない、と二人は口を揃えた。分かっているのは「キースの手柄」だけだと。
(…それじゃ、あの子は…)
その「Mのキャリア」だったのでは…、とマツカが「怖い考え」に陥ったのは言うまでもない。
やはり「キースのことを」恨んで、E-1077から「憑いて来た」のかと。
「おい、どうした?」
また気分でも悪いのか、とセルジュとパスカルにどやしつけられ、話はおしまい。
マツカは一人、キースの所へ「ご用はありませんか?」と戻って行ったのだけれど、その部屋にいた「あの少年」。いつものように床に座って、本を広げて。
(……キースが処分した、Mの少年……)
気を付けねば、とマツカは気を引き締めた。ミュウの自分には愛想が良くても、キースには害になるかもしれない。この少年が、「Mのキャリア」で合っていたなら。
マツカは警戒しまくったけれど、時は流れて、キースが国家騎士団総司令の任に就いた後。
(…あっちに、何が…?)
例の「誰にも見えない」少年、その子が何度も指差す方向。キースが外に出掛けた時に。
もしや、とマツカが澄ました「サイオンの耳」と、凝らした「瞳」。
『いけません、キース…!』
そっちに行っては、とキースを思念で引き止め、「暗殺です」とそのまま続けた。思念の声で。
キースは頷き、セルジュに命じた。「あの方向を調べて来い!」と。
たちまち捕まった狙撃手と、解除された時限爆弾と。
暗殺計画は未遂に終わって、文字通り「命を拾った」キース。手柄はセルジュたちのものでも、陰の功労者はマツカ。…その陰には、例の「見えない少年」。
(…あの子は、キースを恨んでいるんじゃなくて…)
逆に命を助けたのか、とマツカは驚いたわけで、そうなると、やはり…。
(E-1077にいた、地縛霊なだけで…)
キースに恩返ししたいんだろうな、と結論付けたマツカ。
それ以降は「少年」と無敵のタッグで、何度もキースの命を救った。少年が知らせて、マツカがキースやセルジュたちに「変です」と知らせたりして。
最強のタッグはキースを守り続けたけれども、旗艦ゼウスを襲ったミュウには敵わなかった。
オレンジ色の髪と瞳のトォニィ、彼はあまりに強すぎたから。
そうしてマツカは、少年と同じ世界の住人になって…。
「…セキ・レイ・シロエ…?」
そういう名前だったんですか、と知らされた例の少年の名前。
ついでに少年は、思った通りに「キースが処分した」Mのキャリアでもあったのだけれど。
「ちょっとした、恩返しなんですよ。…本を返して貰いましたから」
「…本?」
「この本です。ぼくの大切な宝物の本で、失くしてしまって、ずっと悲しくて…」
それをキース先輩が、ちゃんと返しに来てくれたので…、と少年が手にするピーターパンの本。
そういえば、いつも読んでいたな、とマツカはようやく合点がいった。
この少年が読んでいた本は、いつでも同じだったから。いつ見掛けても、ピーターパンで。
「…その本を、キースが…?」
「ええ。E-1077の、ぼくの部屋まで届けに来てくれたんです」
だから御礼に頑張りました、とシロエは微笑む。「死んでいたって、出来ることを」と。
「そうだったんですか…。ぼくもキースの役に立てるといいんですけど…」
「役に立ったじゃないですか。キース先輩を生き返らせたでしょう?」
あれだけでも本当に凄いですよ、とシロエが褒める。「ぼくには出来ませんでした」と。
こうして二人は「死後の世界」で再びタッグを組んだけれども、残念なことに「見える人間」が誰もいなかったせいで、活躍の機会は二度と無かった。
キースの部下たちは、悉く「霊感ゼロ」だったから。
後に地球までやって来たミュウも、もれなく「霊感ゼロ」の集団だったから…。
少年は守護霊・了
※いったい何処から降って来たのか、自分でもサッパリ分からないネタ。いや、本当に。
「マツカで書こう」とも、「シロエで書こう」とも思っていなかった筈なのに…。何故だ。
(……サム……)
相変わらず、今も「子供」なのだな、とキースが零す溜息。
マツカを下がらせ、夜更けの部屋に一人きりで。
昼間はサムの見舞いに出掛けた。
マツカとスタージョン中尉だけを連れて、久しぶりに。
(…国家騎士団総司令様か…)
この厄介な肩書きさえ無かったら、と思わないでもない。
昔馴染みの友の見舞いに行くだけのことに、どれほど制約が増えたろう。
任務やデスクワークはともかく、「キース・アニアン」の身を守るための「それ」。
「見舞いに行こう」と思い立っても、その日の内には、けして行けない。
サムが入院している病院、其処までに通ってゆく道順。
(…それをパスカルたちが調べて…)
狙撃手や爆弾、そういったものが入れないよう、念には念を入れてのチェック。
更には当日、「いきなりルートを変更する」。
もちろん「用心」のためのルートで、そちらも「とうに調査済み」。
万一、狙撃手や爆弾などが「本来のルート」に潜んでいても…。
(まさか道順を変えるとは、思わないからな…)
一向に来ない「キース・アニアン」、それを狙って待ち伏せるだけ無駄。
其処までしないと、「見舞いにさえも行けない」のが「自分」。
国家騎士団総司令の命を狙う輩は、何処にでもいるものだから。
ノアばかりでなく、他の惑星や基地に出向いても。
(…ただの上級大佐なら…)
もう少し楽に動けたものを、と思ってはみても、詮無いこと。
この先はもっと、「動きにくく」なってゆくのだろう。
ミュウとの戦いが続いているのに、「愚かしい人類」が後を絶たないから。
「キース・アニアン」を失ったならば何が起こるか、気付いてもいない者たちが。
彼らの力で、「侵略者」を防げはしないのに。
ミュウの版図は今も拡大し続けるだけで、「防ぐ手立て」は見付からないのに。
もちろん、「手をこまねいて」見ているだけではない。
打てる手は打つし、サイオンに対抗して動ける兵士も「開発中」。
(APDスーツか…)
アンチ・サイオン・デバイススーツ。
それを着たなら、「ただの兵士」でも、「対サイオンの訓練を受けた」者と同じに動ける。
全軍きってのゴロツキだろうが、「ろくに使えない」兵士だろうが。
頼みの綱は、もはや「その程度」。
後は「戦略次第」というのが、「ミュウとの戦い」。
けれど、「分かっていない」者たち。
「キース・アニアン」が「力をつけてゆく」のを嫌って、暗殺を試みる輩。
そうして「キース」を殺したならば、自分の首を絞めるのに。
ミュウがノアまで攻めて来た時、彼らは「殺される」だろうに。
降伏を伝えた者たちにさえも、容赦しないのが「ジョミー・マーキス・シン」。
武装していない救命艇をも、端から爆破してゆくほどに。
そんな「ジョミー」が現れたならば、「愚かな人類ども」は殺されて終わり。
そうとも思わず、彼らは今も「画策している」ことだろう。
「邪魔なキース」をどうやって消すか、ノアで、あるいは他の惑星や基地などで。
(…厄介なことだ…)
あの連中のせいで、サムの見舞いにも出掛けられない、と腹立たしい。
以前だったら、気軽に出掛けられたのに。
ジルベスターに向かった頃なら、それこそ自分一人ででも。
部下の一人も連れさえしないで、自分で車を運転して。
「元気だったか?」と、サムの所へ。
「赤のおじちゃん!」としか呼んで貰えなくても。
サムの心は子供に戻って、「キース」を覚えていなくても。
それでもサムは「ただ一人の友」。
サムに会うだけで、「昔に戻れた」気がするのに。
そのサムにさえも、今の自分は「思い立っても」会いに行けないのか、と。
サムの病院を見舞う時には、いつも何処かで期待している。
「昔のサム」に会えはしないかと、「キース!」と呼んで貰えないかと。
けれども、今日も自分は「赤のおじちゃん」。
昔馴染みの「サム」は戻って来なかった。
笑顔は昔と変わらなくても、サムは「子供」で、「キース」を知らない。
(…難しいとは、承知なのだが…)
病院の医師も、そう告げたから。
サムの心は壊れてしまって、「元通りに戻す」方法は無い。
恐らく、「サムを壊した」ミュウにも、それは出来ないだろう、とも。
(…サムは、すっかり壊れてしまって…)
どうして、そんなことが出来る、と「ミュウ」という生き物が、ただ憎い。
ミュウの長の「ジョミー・マーキス・シン」も。
サムとは幼馴染だったと聞くのに、彼はそのサムを「壊してしまった」。
降伏して来た救命艇さえ、爆破するのと「まるで同じに」。
(……サム……)
ジルベスターにさえ行かなかったら、と何度、思ったことだろう。
サムと、チーフパイロットとが乗っていた船。
その船が「他所を」飛んでいたなら、サムは壊れなかったのに、と。
ジルベスター・セブンに近付かなければ、サムは「壊されはしなかった」。
ミュウと出会わず、他の所を飛んでいたなら。
「ジョミー・マーキス・シン」が「いない」航路を、選んで飛んでいたならば。
(…どうして、あそこを飛んだのだ…)
よりにもよって、何故、と思って、不意に背筋がゾクリと冷えた。
「サム・ヒューストン」が乗っていた船。
それが向かった、「ジョミー・マーキス・シン」が「いる」ジルベスター・セブン。
ただ「通り過ぎる」だけにしたって、あまりに「出来過ぎて」いないかと。
偶然にしては、揃いすぎている幾つものピース。
サムとジョミーと、それに「キース」と。
(……私は、マザー・イライザが……)
無から作り上げた生命体。
三十億もの塩基対を合成して繋ぎ、DNAという鎖を紡いで。
E-1077でサムやスウェナと過ごした頃には、「知らなかった」真実。
シロエが「それ」を知った後にも、それに「近付けずに」卒業して行ったステーション。
けれども、今は「知っている」。
自分が何かも、何のために「作り出された」生命なのかも。
それを知った日、マザー・イライザは何と言っていたろう…?
(…サムも、シロエも…)
彼らとの出会いも、シロエの船を「撃ち落とした」ことも、全て「計画」。
マザー・イライザの計算通りに、全ては進められたという。
「キース・アニアン」を、「理想の子」として育てるために。
何もかもが全て「決められた」ことで、自分は「プログラム通りに」生きただけ。
自分では、何も知らないままで。
「生まれ」のことさえ、少しも「変だ」と思いはしないで。
(…マザー・イライザが、それをやったなら……)
サムを、シロエを「糧」に「キース」を育てたならば。
E-1077ごと処分されたような、マザー・イライザでも「出来た」のならば…。
(……グランド・マザー……)
人類の聖地、地球の地の底にある巨大コンピューター。
今の宇宙を統べている「それ」、マザー・システムの頂点に立つ機械。
グランド・マザーには、きっと容易いことだろう。
「サムを乗せた船」を、「ジルベスター・セブンに向かわせる」ことは。
其処で「ジョミー・マーキス・シン」に出会わせ、「壊させる」ように仕向けることも。
(…そうしておけば……)
「キース・アニアン」は、「必ず」任務を受けるだろう。
昔馴染みの友の仇を取りに、ジルベスター・セブンに向かう「任務」を。
他の者たちには、けして「譲りもせずに」。
まさか、と凍り付く心。
「私のせいか」と、「そのせいで、サムは壊されたのか」と。
サムを乗せた船が、あの忌まわしい星へ向かったのは、「キース・アニアン」のせいなのかと。
(…グランド・マザーなら、充分、出来る…)
そのように「航路設定しておく」ことも、「航路設定させる」ことも。
サムが乗った船を直接操り、「ジルベスター・セブンに向かう」航路を組み込むことも。
(…ジルベスター・セブンには、ジョミー・マーキス・シンがいて…)
彼とサムとが出会った時には、どうなるのかも「グランド・マザー」だったなら…。
(…何もかも、計算ずくだったのか……?)
最初から仕組まれたことだったろうか、サムが「壊れてしまった」ことは。
「キース・アニアン」をミュウの拠点に向かわせ、彼らを「殲滅させる」ために。
ジョミー・マーキス・シンを、ミュウどもを「根こそぎ滅ぼす」ために。
(…そして、私は……)
グランド・マザーの計算通りに、メギドを持ち出しただろうか?
ジルベスター・セブンごと「ミュウを」滅ぼし、焼き尽くすために。
(……まさか、其処まで……)
計算されたことだったのか、と恐ろしいけれど、きっと「答え」は聞けないだろう。
この戦いが済むまでは。
宇宙からミュウを滅ぼし尽くして、グランド・マザーの称賛を得られるまでは。
(…もっとも、それで…)
褒められ、真実を告げられるよりは、「知らない」方がマシだけれども。
もしも「自分が」、サムを巻き込んだ「事故」の引き金になっていたのなら。
ただ一人きりの「友」が壊れた、原因が「自分」だったなら…。
出来過ぎた偶然・了
※原作だと「偶然」だったサムの事故。アニテラだと、絡んでいるのがグランド・マザー。
それならキースも気付いたかも、と思ったんですけど…。キースには酷な真実だよね、と。
(真面目に色々、限界だってば…)
もう疲れたよ、とジョミーはベッドに倒れ込んだ。
ソルジャー候補として、日々、追い回される猛特訓。サイオンも座学も、容赦しないで。
半殺しと言ってもいいほどの毎日、部屋に戻れるのも夜遅い時間。シャワーを浴びたら、もはや気力は残っていない。体力だって。
(明日の朝には、死んでいるかも…)
本気で死にそう、と手放した意識。パジャマを着込んで、ベッドに潜った所あたりで。
後はグーグー、夢も見ないで深く眠って、目を覚ましたら次の日の朝で…。
(……まだ生きてる……)
おまけに回復しちゃってるし、と泣きたいキモチ。
此処で高熱を発していたなら、流石に今日は休みだろうに。いくら相手が鬼の長老でも、病人となれば話は全く違うだろうから。
(無駄に元気な身体が憎いよ…)
コレのお蔭でスカウトされたようなものだし、と募る悲しさ。現ソルジャーのブルーみたいに、虚弱で今にも死にそうだったら、ソルジャー候補ではなかった筈。
(…ホントに限界…)
起きたくない、とベッドに転がっていたら、「キューッ!」と小さな声がした。
(キューって…?)
誰、とキョロキョロ見回す間も、「キューッ! キューッ!」で、切羽詰まった気配が漂う。
(えーっと…?)
これはどうやら普通じゃない、と起き上がって声のする方を探してみたら…。
「あっ、お前…!」
何してるんだよ、とポカンと開いた口。
なんと部屋の壁に、「ナキネズミが生えていた」ものだから。青い毛皮を纏ったお尻と後ろ足、フサフサの尻尾。そいつが壁に「刺さっていた」。もうズッポリと。
何事なのか、と頭の中は一瞬、真っ白。
状況と事態が把握出来たら、けたたましく笑い出すしかなかった。「馬鹿だな、お前」と。
「お前さあ…。ちゃんと考えて入ったわけ?」
ぼくがいないとおしまいだよ、とベッドから下りて、壁際に椅子を運んで行った。それを踏み台代わりに使って、壁に刺さったナキネズミを両手でガシッと掴んで…。
(エイッ! ってね…!)
抜けた、と通気口から引っこ抜いた。悲鳴を上げていたナキネズミの、哀れな身体を。
「キューッ!」
一声叫んで、走り去って行ったナキネズミ。御礼も言わずに、まっしぐらに部屋の外の通路へ。
きっと一晩中詰まっていたのか、あるいは昨夜、部屋に戻った時にはもう…。
(刺さってたかもね?)
疲れ果てていたから気付きもしないで、シャワーを浴びて寝たかもしれない。
ナキネズミの方では、「ヘルプミー!」と絶叫していても。「誰か助けて」と、「もう死ぬ」と壁に刺さって喚いていても。
(それなら逃げても仕方ないかあ…)
お腹も減っているのだろうし、逃げて行くのも無理はない。「ありがとう」とも言わないで。
恩知らずだとは思うけれども、ナキネズミにとっては「悲惨な一夜」だったのだから。
(でも、あいつ…)
馬鹿じゃなかろうか、と椅子から下りて見上げた通気口。
自分の身体が通るのかどうか、それも考えずに入った結果が、さっきのアレ。
(何処へ行く気だったのかは、知らないけどさ…)
不精しないで通路から行けば良かったのに、とナキネズミの馬鹿さ加減に呆れる。誰にも秘密で移動するなら、通気口でもいいけれど…。
(普通は通路を使うよね?)
ホントに馬鹿だ、と思った所で閃いた。「そうだ、ソレだ!」と。
ナキネズミが刺さった通気口には、本来、蓋がついていた。それを器用に外して入って、自分で刺さったナキネズミ。後ろ足とお尻と、尻尾を残して。
(あの蓋は元に戻したけれど…)
他にも蓋ってヤツはあるよね、とジョミーは部屋を眺め回した。
一見、普通の部屋に見えるし、窓の外には庭だってある。けれども、此処はシャングリラという巨大な宇宙船の中。
(通気口があるってだけじゃなくって…)
もっと他にも、色々な「穴」が部屋にある筈。ごく平凡な家よりも、ずっと沢山の穴が。
(エネルギー系統のメンテナンス用とか、ケーブル用のヤツだとか…)
ダテに習っていないんだから、と日頃の「座学」を思い返すジョミー。
機関長のゼルが、ガンガンと叩き込んでくれた船の構造。右から左へ聞き流したけれど、幾らか残っていた知識。「船の中には、通路が一杯」と。
(メンテナンス用だと、人が通るから…)
自分も通れるに違いない。通路を見付けて入り込んだら、その先は…。
(シャングリラ中を、縦横無尽に…)
駆け巡っている通路なわけで、其処に逃げれば、そう簡単には「見付からない」。この部屋なら何処に隠れても無駄で、他の倉庫や公園などでも即バレだけれど。
(メンテナンス用の通路なんかは…)
係の者しか通らないから、係さえ上手くやり過ごしたなら、一日中だって…。
(安全地帯で、訓練も座学も無しの天国…!)
そうと決まれば善は急げ、と部屋中の壁を叩いて回った。「この辺かな?」と。床も同じに足で踏んでは、怪しそうな箇所を手でコンコンと。
頑張って端から端まで探して、やっと見付けた目的の通路。床板を一ヵ所外した先に。
(よーし…!)
行くぞ、と小さなライトを手にして、中に入った。床板はそうっと元に戻して、中から閉じて。
(…真っ暗だけどさ…)
この先はぼくの天国なんだ、とジョミーはライトを頼りに進む。早く部屋からトンズラしないとヤバイから。「床板を上げて逃亡した」とバレたら、追手がかかりそうだから。
(そうなる前に、うんと遠くへ…)
とにかく逃げろ、と狭い通路をひたすら先へ。幸い、誰にも出会っていない。
(かなり来たけど、此処、何処だろう?)
確かめたいのは山々だけれど、サイオンを使って調べようとすれば…。
(そのサイオンでバレちゃいそう…)
誰が使ったサイオンなのかを、エラ女史あたりに感知されて。「ジョミーは其処です!」と。
それは困るし、ただ闇雲に進むだけ。来た方向も、とうに謎だけれども…。
(訓練は無しで、丸一日もゆっくり出来たら…)
体力も気力もゲージは満杯、そうなれば「外に」出ればいい。適当な場所で蓋を外して、通路の外へ。公園だろうが、厨房だろうが、もう見付かっても平気だから。
(まさか夜中に、「これから訓練の時間です」とは言わないもんね?)
叱られるのだって明日なんだよ、とガッツポーズで、更に前進。
時にはコロンと寝転んだりして、気力と体力をしっかり身体に蓄えながら。「訓練が無い日」を心ゆくまで満喫しながら、前へ、前へと。
そうして進んで、出くわしたのが分岐点。どっちに進んでも行けそうだけれど…。
(こっちの通路は、ちょっと狭くて…)
冒険心をくすぐられる。
楽々と身体が通る場所より、スリリングな道を行きたいもの。同じ通路を進むなら。
(やっぱり人間、楽しまなくちゃ…)
こっち、と決めて狭い通路に入り込んだ。ナキネズミのことは綺麗に忘れて、どうしてこういう場所にいるかも忘れ果てて。
座学を「右から左へ」聞き流すのが常のジョミーは、思い切りスルーしたのだけれど。
このシャングリラで暮らすミュウの殆ども、まるで知らないことだったけれど。
ソルジャー・ブルーの私室とも言える、広い青の間。
其処は「神秘の世界」で「空間」、仕掛けの方も半端なかった。やたらとデッカイ貯水槽やら、妙に薄暗い照明やら。
その実態は半ば「演出」、総仕上げとばかりに、舞台裏までが…。
(……ジョミーが来たか……)
しかも墓穴を掘る方向で、とソルジャー・ブルーがベッドの上でほくそ笑む。
「来るがいい」と天蓋の遥か上の方を思念で眺めて、「ナキネズミのように刺さるがいい」と。
青の間の周りを走る通路には、何本も混ぜてあるのがダミー。
熟練の仲間は「ダミーか」と瞬時に見抜くけれども、そうでなければ気付かない。少しだけ狭い通路なのだと思う程度で、それを進んで行ったなら…。
「うわあっ!?」
ジョミーの足元の床が、いきなり外れた。
下に向かって放り出されたと思ったけれども、止まった落下。身体が半分落ちた所で。
「なんだよ、これ!?」
慌てて上がろうと足をバタバタ、なのに少しも這い上がれない。床はツルツル、掴むことさえも出来ないから。サイオンを使って上がりたくても、それすらも上手くいかないから。
「だ、誰か…!!!」
助けて、と声を上げた所で、下から聞こえたブルーの声。「其処にいたまえ」と。
「えっ、ブルー!?」
じゃあ、此処は…、と青ざめたけれど、生憎と何も見えない有様。穴は自分の身体が刺さって、もうそれだけで一杯だから。隙間から下を覗けはしなくて、サイオンの目も使えないから。
「…君が逃げたのは知っていた。ゼルたちが探しているけどね…」
此処に来るとは、とブルーはクスクス笑っている。「ゼルの講義を聞かなかっただろう?」と。
「ぜ、ゼルって…。この穴、何なんですか!?」
叫んだジョミーに、「忍び返しと聞いたけれどね?」と呑気な声が返った。
「詳しい仕組みは、ぼくも知らない。ただ、忍び込もうとした人間は…」
今の君のように刺さるらしい、とソルジャー・ブルーは可笑しそう。
「初めて見たよ」と、「後でゼルたちにも教えてやろう」と。
「ちょ、ブルー…!」
ぼくって、どう見えているんですか、と怒鳴りながらも、ジョミーにはもう分かっていた。朝に目にした「アレ」と同じで、「とても情けない格好」だと。
今の自分は壁の代わりに天井に刺さって、後ろ足とか尻尾の代わりに…。
(…マントも上着もめくれてしまって、腰から下だけ…)
そういう間抜けな格好なんだ、と後悔したって、もう遅い。忍び返しにかかった後では。
かくして「青の間の天井に刺さった」ジョミーは、ゼルたちどころか…。
「へええ…。あれが未来のソルジャーねえ…」
「情けねえよな、あんなので地球に行けるのかよ?」
見物に来た仲間がワイワイガヤガヤ、子供たちだって上を見上げて…。
「ねえねえ、クマのプーさんみたい!」
「ソルジャー、後でジョミーのお尻を飾って遊んでもいい?」
天井だから花瓶は難しいけど、とキャイキャイはしゃがれ、それは恥ずかしい状況で…。
(…なんで、こういうことになるのさ…!)
誰か助けて、と泣けど叫べど、自業自得の集大成。
ナキネズミまでが下でキューキュー言うから、穴に刺さったジョミーは呻くしかない。
「お前、助けてくれないのか?」と。
「朝に助けてやったのに」だとか、「なんで、お前も見てるんだよ!」と。
座学をスルーしなかったならば、穴には落ちなかったのに。
真面目に訓練に出掛けていたなら、こんな所で晒されてなんかいないのに。
けれど人生、結果が全てで、ジョミーには「プーさん」という渾名がついた。もちろん、由来は「クマのプーさん」。
「ソルジャー・プー!」とまで呼ばれる毎日、「プーさん」で済めば、まだマシな方。
ソルジャー候補と呼ばれる代わりに、「ソルジャー・プー!」になるのだから。
「これで立派にソルジャーだよな」と、「名前だけなら、もうソルジャーだぜ」と…。
刺さった少年・了
※ナキネズミが壁に刺さったネタ元は、「欄間に刺さった猫」なツイート。でも、その先は…。
やっぱり自分が考えたわけで、ジョミーには「マジでスマン」としか。ソルジャー・プー。
(ぼくの本…)
これだけしか残っていないけれど、とシロエが抱き締める大切な本。
E-1077の中の個室で、一人きりの夜に。
たった一冊、故郷から持って来られた宝物。
両親に貰った、ピーターパンの本。
成人検査を受けた後にも、この本だけは残ってくれた。
子供時代の記憶を奪われ、両親の顔すら、おぼろにぼやけてしまっても。
懐かしい故郷のエネルゲイアの、風も光も、空気も霞んでしまっても。
(この本だけは、此処にあるから…)
きっといつかは帰ってみせる、と誓う故郷の両親の家。
今は住所さえ忘れてしまって、もう書くことも出来ないけれど。
エネルゲイアの映像も、地図も、少しもピンと来ないのだけれど。
(…いつか必ず、思い出してやる…)
機械が記憶を奪ったのなら、その機械から取り戻して。
「ぼくの記憶を返せ」と、機械に命令して。
(…パパとママの家に帰れる日まで…)
この本は、けして手放さない。
何があっても守り続けて、何処へ行こうと、この本と一緒。
メンバーズとして船に乗り込む時が来たって、戦地へ赴く日が来たって。
(何処へでも、持って行くんだから…)
絶対に離してたまるもんか、と本を膝の上に置いて広げる。
其処に書いてある、自分の名前。
「セキ・レイ・シロエ」と、自分の字で。
これが「自分の持ち物」の証。
この本は誰にも渡しはしないし、いつまでも「セキ・レイ・シロエ」の本。
誰にも書き換えさせない、その名。
本の持ち主は自分一人だけで、何処までゆこうと「セキ・レイ・シロエ」。
いつか命尽きる時が来たなら、その時は「失くす」かもしれないけれど。
ぼくの本だ、と見詰める「セキ・レイ・シロエ」の文字。
命ある限り、この本は自分だけのもの。
こうして名前も書いてあるから、誰も「寄越せ」と奪えはしない。
それをしたなら、責められるだけ。
此処でなら、マザー・イライザに。
E-1077を離れた後なら、グランド・マザーや、マザー・システムに。
(人の物を盗ったら泥棒だしね?)
そういう時にはマザー・システムも役に立つよ、とクックッと笑う。
「泥棒」は明らかに「規則違反」で、罰せられるもの。
だから、この本を奪う者はいない。
奪った途端に「泥棒」になって、評価が下がるだけなのだから。
(…渡すもんか…)
この本は「ぼくの本」なんだから、と指で持ち主の名前をなぞる。
「セキ・レイ・シロエ」と、一文字、一文字、自分の筆跡を追うように。
それを辿って、指で書こうとするかのように。
(…セキ・レイ……)
シロエ、と続けようとして、ふと止まった指。
「シロエ」は自分の名前だけれども、今、書いた「レイ」。
これも同じに「シロエ」の名前。
「セキ」の後には「レイ」と続いて、最後に「シロエ」。
(……セキ・レイ・シロエ……)
何度も自分でそう名乗った。
そして誇らしげに、こう続けもした。
「シロエと呼んで下さい」などと。
お蔭で誰もが「シロエ」と呼ぶ。
教官たちなら、「セキ・レイ・シロエ」と名簿を読みもするのだけれど。
(…ぼくはシロエで…)
セキ・レイ・シロエ、と心の中で繰り返す。
本に書いた文字を目で追ってみても、やはり「セキ・レイ・シロエ」とある。
けれども、止まってしまった指。
「セキ・レイ」までをなぞって、其処の所で。
続けて「シロエ」と辿る代わりに、まるで縫い留められたかのように。
(……ぼくの名前は……)
「セキ」なら両親の名前と同じ。
父は「ミスター・セキ」でもあったし、「セキ」がファミリーネームになる。
養父母とはいえ、子供時代の自分は「セキ」という家の子。
今でも「セキ・レイ・シロエ」を名乗って、「セキ」の名を継いでいるけれど…。
(…シロエは、シロエで…)
ファーストネームで、何も思わず口にしていた。
名を問われたなら「セキ・レイ・シロエ」と、「シロエと呼んで下さい」と。
だから自分でも「シロエ」のつもり。
自分の名前は「シロエ」なのだと、ずっと信じていたのだけれど。
(……セキ・レイ……)
「レイ」も「ぼく」だ、と今頃になって気が付いた。
それはいわゆるミドルネームで、「セキ・レイ・シロエ」の名前の一部。
「セキ・シロエ」ではなくて、「セキ・レイ・シロエ」。
自分の名前はそれで全部で、「レイ」が無ければ、まるで別人。
「セキ・シロエ」なんかは知らないから。
自分はあくまで「セキ・レイ・シロエ」で、「他の名前」ではないのだから。
どうして今日まで、不思議に思わなかったのだろう。
「レイ」も自分の名前なのだと、考えさえもしなかったろう…?
(…それも忘れた…?)
まさか、と背中がゾクリと冷える。
あの忌まわしい成人検査で、「忘れなさい」と命じた機械。
記憶の全てを捨てるようにと強いた、憎らしいテラズ・ナンバー・ファイブ。
あれが自分から「奪った」だろうか、「レイ」の名前を…?
どうして「セキ・レイ・シロエ」なのかを、「レイ」の名は何処から来たのかを。
それならば、分からないでもない。
むしろピタリと合う符号。
機械が「忘れさせた」なら。…記憶を「奪い去った」のならば。
(…パパの名前にも、ママの名前にも……)
「レイ」という名は入ってはいない。
そのことは今もハッキリしている。
顔さえおぼろになった今でも、「セキ・レイ・シロエ」のパーソナルデータは健在。
E-1077のデータベースにアクセスしたなら、即座に弾き出されるそれ。
其処には、養父母の名前も書かれているのだから。
(…パパもママも、「レイ」じゃないのなら…)
きっと「レイ」には意味がある筈。
ミドルネームを持っている者は、そう沢山はいない時代。
(パパか、それともママだったのか…)
あるいは二人で、そう決めたのか。
とにかく「子供にミドルネームをつけよう」と、父と母とは考えた。
そうして生まれた「セキ・レイ・シロエ」という名前。
「セキ・シロエ」にはならないで。
「レイ」を加えて、「セキ・レイ・シロエ」と。
(…「レイ」の名前に、意味があったんだ…)
きっとそうだ、と今なら分かる。
自分は「何も覚えていなくて」、両親の名前に「レイ」の名は無い。
父か母かが選んだ名前で、何らかの意味がこもっていた筈。
「セキ・シロエ」よりも響きがいいから、と「レイ」を加えてくれたのか。
それとも「レイ」という名の知り合いでもいて、その人の名に因んだものか。
(…知り合いじゃなくて、パパの尊敬する人だとか…?)
遠く遥かな昔の学者か、あるいは偉人や、英雄などや。
そうした名前を貰っただろうか、「セキ」の名を持つ息子のために…?
(ママが選んだ名前ってことも…)
有り得るのだから、「レイ」というのは、母が好んだ画家や作家の名前とか。
母の友人に「レイ」の名を持つ、親しい誰かがいただとか。
(……パパかママかは、分からないけど……)
二人で決めたかもしれないけれども、「レイ」は「選んで貰った」名前。
「この名がいい」と、わざわざミドルネームにして。
本当だったら「セキ・シロエ」だけで充分なのに、「レイ」を加えて。
(…だから、忘れた……)
ぼくは覚えていないんだ、と「レイ」の名前の部分をなぞる。
この名に何の意味があったかと、それを名付けたのは父か母か、と。
(…何回も聞いて、「また聞かせて」って…)
幼い自分は両親にせがんだのだろうか。
「どうして、ぼくはシロエの他にも名前があるの?」と、「レイって誰?」と。
その度に答えを聞かされたろうか、「それはね…」と母に、懐かしい父に。
何度も何度も繰り返し聞いて、きっと心に刻んだ名前。
「ぼくの名前はセキ・レイ・シロエ」と、「レイの名前は、パパたちが…」と大切に。
宝物のように思っただろうに、「それ」を忘れた。
「レイ」の名前は何処から来たのか、誰が名付けてくれたのかを。
酷い、と涙が零れ落ちる。
「名前を忘れてしまうだなんて」と、「パパたちがくれた名前なのに」と。
名前は残っているのだけれども、意味を忘れたら、記号にすぎない。
「セキ・レイ・シロエ」と名乗ってみたって、「レイ」の名前は謎のまま。
「セキ」ならば、ファミリーネームなのに。
「シロエ」の方ならファーストネームで、誰にでもあるものなのに。
(……ミドルネームは、持っている人が少なくて……)
大抵は、それに意味があるもの。
母の姓だったり、両親の名前の一部をそのまま使っていたりと。
(…だけど、ぼくのは……)
両親の名前と繋がらないから、ただ、悲しい。
それを贈ってくれた両親、その「思い」ごと忘れたから。
「レイ」の名に何の意味があったか、どうしても思い出せないから。
(……セキ・レイ・シロエ……)
レイって誰なの、と顔もおぼろな両親に問う。
「どうして、ぼくの名前はレイなの」と。
涙が頬を伝うけれども、それに答えは返らない。
「セキ・レイ・シロエ」の「レイ」が何かは、何処から名付けられたのかは…。
奪われた名前・了
※セキ・レイ・シロエの名前って、ある意味、色々、反則。「セキ」が姓だったり、と。
ミドルネームも、ジョミーしか持っていないんですよねえ…。なので捏造。
