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(……シロエ……)
 どんな思いで持って行ったのだ、とキースは本のページを捲る。
 首都惑星ノアの夜は更け、周りには誰もいなかった。
 ジルベスター・セブンを殲滅した後、二階級特進の栄誉に与り、住まいも変わった。
 上級大佐に相応しいもので、側近に据えたマツカのための部屋もある。
 家具の類も好きに選べて、居心地の良い場所になったけれども…。
(…皮肉なことだな…)
 まさか自分が無から作られた者だったとは、と虚しい気持ちがしないでもない。
 どれほど立派な部屋に住もうと、「キース・アニアン」は其処には「似合わない」者。
 ヒトの姿でヒトと同じに、否、ヒト以上に、感情も充分、持ち合わせている筈だけれども…。
(…私は所詮、作られた者で…)
 人間のように暮らせる資格を持たない者だ、という気がする。
 実験室のケースや檻が似合いで、其処から出て来て任務をこなして、また戻ってゆく。
 そういう日々こそ「相応しい」モノ、快適な部屋など「要らない」生き物。
 ある意味、ミュウにも劣るのでは、と思えるほどに。
(……もっとも、私自身にさえも……)
 その真実は、まるで知らされていなかった。
 シロエは事実を知ったけれども、その罰を受けて死んだと言っていいだろう。
 「フロア001」という言葉だけを告げて、シロエは逝った。
 Eー1077から非武装の船で逃げ出し、追って来たキースに撃墜されて。
 彼が死んだ後、キースはフロア001を目指した。
 なのに、何故だか邪魔が入って、結局、辿り着けないままで卒業して…。
(順調な日々を送っていたのに、今頃になって…)
 シロエが記録していた映像、それがキースの手許に届いた。
 遠い昔に、シロエが大切に持っていた本に隠されて。
 ピーターパンの本の裏表紙、その「見返し」の紙の下にシロエは「それ」を仕込んだ。
 「セキ・レイ・シロエ」と自分の名前が書いてある箇所、其処を剥がして、元に戻して。
(…こんな所に隠しておいても…)
 何の役にも立たないだろう、とキースは心の中でシロエに問い掛ける。
 「お前だけの秘密になってしまって、私には届かないだろうが」と、「違うのか?」と。
 実際、シロエは「その本と一緒に」キースの部屋まで来たのだけれども、その時も…。
(フロア001、と言っていたくせに、この本のことは…)
 何も語らず、大切に胸に抱き締めていた。
 失っていた意識を取り戻した後、一番に本の在り処を探して、見付け出して。
 「その本」に自分が隠したモノのことなど、きっと忘れていたのだろう。
 覚えていたなら、あの時、キースに「これだ」と渡して、見るように仕向けただろうから。


 けれど、シロエは「そうしなかった」。
 代わりに大切な本と一緒に、練習艇で宇宙へ飛び去って行った。
 逃亡した者を待っているのは、撃墜されるか、連れ戻されるかの二つしか無い。
 シロエには「戻る」気などは無かったろうから、死ぬしかないと知っていて逃げた。
 追って来る者が誰であろうと、船ごと砕かれ、爆死する最期を承知の上で。
(…撃墜されたら、こんな紙の本が…)
 無事に残るわけがないではないか、と誰が考えても答えは出て来る。
 本も、映像を記録したチップも、微塵に砕けて残りはしない。
 もちろんシロエも、「冷静だったら」、そのくらいのことは分かったろう。
 どれほど大事にしていた本でも、一緒には持って行かないで…。
(何らかの形で、私の所へ届くようにと…)
 仕掛けをしてから、一人で飛び立って行ったと思う。
 ピーターパンの本に「さようなら」と別れを告げて、涙を堪えて、ただ一人きりで。
 「頼んだよ」と、「キースに必ず、これを届けて」と、フロア001の映像を託して。
(…それなのに、何故…)
 そうしないで持って行ったのだ、とキースはページをパラパラと捲る。
 もっとも、そうして眺めてみても、シロエの声は聞こえて来ない。
 シロエ自身の書き込みも無くて、あるのは「本の中身」だけ。
 幼い子供でも簡単に読める、ピーターパンの物語。
(…シロエは、きっと幼い頃から…)
 この本を読んでいたのだろうな、と表紙が焼け焦げた本を捲ってゆく。
 スウェナから「これ」を受け取った時は、心の底から驚かされた。
 「何故、この本が」と、「あの爆発の中で、どうやって?」と。
 スウェナは「あなた宛のメッセージが発見されたわ」と、この本を寄越したのだけれども…。
(…ああ言ったのは、私の関心を引くためだけで…)
 本当に「メッセージがあった」ことなど、スウェナは全く知らないだろう。
 知っていたなら、抜け目なくチップを回収した後、本だけを渡して来ただろうから。
(なにしろ、ジャーナリストだからな…)
 その上、とんでもないメッセージだったのだし、と「知られなかった」ことに感謝する。
 もしもスウェナが気付いていたら、彼女の命は無かっただろう。
 「何処にでもある」マザー・システム、それは「其処まで甘くはない」。
 ただの火遊びなら見逃していても、「機密事項を知ったスウェナ」を生かしておくなど…。
(絶対に無いし、そうなっていたら、私は、また…)
 友を失っていただろうな、と背筋が冷えた。
 サムに続いて、スウェナまでをも失くす所だった、と。
 シロエが「巧みに」隠さなかったら、あるいはスウェナが詳細に本を調べていたら。


 幸いなことに、最悪の事態は免れた。
 シロエが「命懸けで暴いた」キースの秘密は、無事にキースの許に届いて…。
(私を愕然とさせてくれたが、シロエ、お前は…)
 犬死にになる所だったのだぞ、と時の彼方で散ったシロエに呼び掛ける。
 「分かっているのか?」と、「何故、この本を持って行ったのだ」と。
 とはいえ、答えは返って来なくて、シロエが「この本を持って行った」理由は、きっと…。
(…大切な本と、幼い頃の記憶の欠片を大事に抱えて…)
 宇宙へ飛び出して行ったというだけ、行きたかった場所を目指した結果だったろう。
 其処が何処かは、ピーターパンの本が教えてくれる。
 「ネバーランドを目指したのだ」と、焼け焦げた本の中身がキースに語り掛けて来る。
(…二つ目の角を右に曲がって、後は朝まで、ずっと真っ直ぐ…)
 本の中には、そう書かれていた。
 そうやって真っ直ぐ進んで行ったら、ネバーランドに行けるのだ、と。
 其処は子供のためにある場所、如何にもシロエが「行きたい」と願いそうな場所。
 あれほどシステムを憎んでいたなら、ネバーランドは、まさしく夢を叶えるための…。
(理想の国で、其処へ行こうと…)
 それだけを思っていたのだろうな、とシロエの心が見えてくるよう。
 「キースの秘密」など、もはや「あの時のシロエ」にとっては「些細なこと」。
 現実にはもう目を向けもしないで、ただ夢だけを追って、目指して、シロエは散った。
 宇宙へ飛び出し、ネバーランドを追い掛けた末に。
 ありもしない「朝」へ、「二つ目の角」へと向かって飛んで飛び続けて、撃墜されて。
(…それが真相だったのだろうな…)
 シロエは「どうでも良かった」のだ、と砕け散った船を思い出す。
 キースの秘密を暴くことより、自分の夢と想いの方が、シロエにとっては重要だった。
 何にも代え難い宝物の本と、懐かしい故郷と両親の思い出。
 どれ一つとして欠けてはならず、それらを大切に抱き締めたままでシロエは「飛んだ」。
 真っ直ぐに、ネバーランドへと。
 シロエの夢が叶う国へと、「キースの秘密」などはもう、忘れ去って。


(…それなのに、何がどうなったのか…)
 ピーターパンの本は、「消えずに」残った。
 恐らく、シロエのサイオンが守ったのだろう。
 爆発の中でも微塵に砕けてしまわないよう、シールドを張って。
 「何よりも大事な宝物」だから、シロエ自らの肉体よりも「優先して」。
(…もっとサイオンの扱いに長けていたなら、シロエ自身も…)
 シールドの中で生きていたのだろうな、と思うけれども、そうはならずにシロエは逝った。
 生きていたなら、モビー・ディックに発見される道もあったのに。
 「近くまで来ていた」と聞かされたから、「そうなってくれていたならば」と思うのに。
(…残ったものは、この本だけか…)
 ならば、返してやらなければな、と焼け焦げた本の表紙を撫でた。
 「この本をシロエに返してやろう」と、「シロエが持っているべきだ」と。
 有難いことに、そのための好機がやって来る。
 今日、グランド・マザーから「Eー1077を処分して来なさい」との命令を受けた。
 「キースが出生の秘密を知った」と気付いたからか、あるいは予定の行動なのか。
(…なんとも分かりかねるのだがな…)
 シロエが記録していた映像、それは本来、「此処に残っている筈がない」。
 ピーターパンの本と一緒に宇宙に飛び散り、キースの手許に届きはしない。
(私が映像を目にしたことは、知っているかもしれないが…)
 それが無くても「時期が来た」というだけなのかもな、と自嘲の笑みが唇に浮かぶ。
 「どうせ行ったら分かることだ」と、「フロア001も見られるだろう」と。
 グランド・マザーは「時が来るまで」、秘密にしておく気でいたかもしれない。
 「真実を早く知りすぎた」キースが自滅しないよう、「この歳になるまで」。
(だとしたらシロエは、私を壊せる切り札を手にしていたというのに…)
 私に渡すこともしないで、大切に持って行ったのか、と少し可笑しい。
 「シロエ、お前は失敗したぞ」と、「持って行かずに、渡すべきだったな」と。
 そうしていたなら「キース」は絶望の淵に叩き落とされ、自殺していたか、狂っていたか…。
(いずれにせよ、無事には済んでいなくて、此処に生きてもいないだろうが…)
 何事もなく生き延びた上に、シロエが「一緒に行きたかった本」まで残ってしまった。
 色々と勘定が狂ったけれども、その帳尻を合わせるためにも、シロエに本を返してやろう。
 Eー1077を処分しに出掛ける時には、この本も必ず持ってゆく。
 そして廃校になって、廃墟と化しただろうステーションの中で…。
(…あの頃のシロエの部屋を探して、其処の机に…)
 ピーターパンの本を置いてから、Eー1077を惑星に落とし、木っ端微塵に破壊する。
 それが一番いいと思うし、本はシロエが持っているべき。
 自分自身の肉体よりも、本を守って逝ったくらいに、大切にしていた宝物なのだから…。



             遺された本・了


※アニテラのキースは、シロエが撮影した映像で「自分の生まれ」を知ったのですが。
 肝心の秘密を仕込んだ本ごとシロエは逃げて、撃墜されて終わり。変だよね、というお話。









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(また、何か…)
 大切なものを失くしたんだ、とシロエは一人、唇を噛んだ。
 Eー1077は既に夜更けで、候補生たちは皆、自分の個室に戻っている。
 シロエもその中に含まれるけれど、こんな時間に起きている者は少ないだろう。
 宇宙ステーションとはいえ、昼間と夜の区別はある。
 夜は居住区の照明も暗くなる上、食堂なども閉まってしまう。
 活動には不向きな環境だけに、大抵の者は眠りに就いて、明日に向けての備えをする。
 講義もあれば、宇宙空間での実習がある者もいるから。
(…ぼくも、しっかり眠らないと…)
 明日の授業に響きそうだ、と分かってはいても、とても眠れる気がしない。
 その結果として成績が落ちれば、またしても…。
(今日と同じで、マザー・イライザにコールされて…)
 忌まわしい部屋で深く眠らされ、心を探られ、「不要な因子」を抹消される。
 目が覚めた時は、心がスッキリしているけれども、それは「何か」を失ったから。
 イライザが「不要」と判断したモノ、それは本当は「大切な」もの。
(マザー・イライザと、この世界には要らないモノでも…)
 ぼくにとっては大事な宝物なんだ、と知っているだけに、コールは避けたい。
 コールされる度、少しずつ「失くしてゆく」宝物は、どれも幼い頃の記憶で、もう戻らない。
 どんなに努力を重ねてみても、二度と思い出すことは出来ない。
 懐かしい母の姿だったら、マザー・イライザが「真似ている」のに。
 恐らく声まで同じだろうに、確証が持てなくなってしまった。
 初めてコールを受けた時には、「ママなの?」と驚き、感動さえも覚えたのに。
 「この部屋に来たら、ママに似た人に会えるんだ」と騙され、手懐けられそうになった。
 もっとも、じきに、そのからくりに気付かされたから、懐きはしないで…。
(イライザに逆らう道を選んで、今も走っているけれど…)
 果たして「それ」が正しいかどうか、疑問に思わないでもない。
 マザー・イライザの意向に背けば、コールされ、「何か」を消されて失う。
 失った記憶は戻ることなく、シロエの中から欠け落ちてゆく。
(…このまま、どんどんコールされ続けて暮らしていたら…)
 いずれは何も無くなるのでは、と不意に不安がこみ上げて来る。
 「逆らい続けるシロエ」を意のままにするべく、マザー・イライザが本気を出したなら…。
(ぼくの記憶をすっかり消して、偽の記憶と入れ替えて…)
 「従順なシロエ」を作り出すことが、もしかしたら出来るかもしれない。
 なんと言っても、マザー・イライザは「、教育ステーション」を支配する機械なのだから。


 シロエが育った育英都市には、テラズ・ナンバー3がいた。
 成人検査を担当していて、大人の社会に旅立つ子供の記憶を消すのが仕事だけれど…。
(所詮は、末端のコンピューターで…)
 教育ステーションにいるコンピューターより、その地位は低い。
 それでも「あれだけの」力があって、子供の記憶を「塗り替えてしまう」。
 このステーションに集められている候補生たち、彼らの中の一人も疑問を持ってはいない。
 成人検査の前と後とで、「自分の記憶が異なる」ことに気付きもしないと言えるだろう。
(気が付いたのは、ぼくくらいで…)
 つまりは社会の仕組みを見抜いて、「システムを疑い、憎み始める」者だっていない。
 だから「シロエ」はターゲットにされ、頻繁にコールを受けることになる。
 「不要な因子」を探し出しては、消し去り、疑問を抱かないようにしてゆくために。
(…テラズ・ナンバー3でさえも、あんな力があるんだから…)
 それよりも上位の「マザー・イライザ」には、どれほどの力があるものなのか。
 考えたことも無かったけれども、「シロエの記憶を、すっかり丸ごと」入れ替えるのも…。
(マザー・イライザには、うんと簡単なことなのかも…?)
 ほんの一瞬、それだけあれば充分な時間かもしれない。
 「シロエ」をコールし、深く眠らせ、記憶を消すための出力を少し上げたなら…。
(ぼくの中から、何もかもが消えて…)
 あの憎らしい「キース」さながら、故郷も養父母の記憶も失くした「シロエ」が出来る。
 何一つ覚えていることは無くて、社会で役立つ知識だけを持った「優秀な」者が。
(でも、それだけでは不自然だから…)
 シロエを知っている周りの者が変だと思わないよう、偽の記憶を植えるのだろう。
 「マザー・イライザにとっては」都合が良くて、この社会にも馴染める「偽りの過去」を。
 故郷の記憶も、両親のことも、何もかもを全て「上書き」して。
(…ぼくが持って来た、ピーターパンの本だって…)
 どういう具合にされてしまうか、まるで見当もつかないけれども、恐ろしい。
 「偶然、紛れ込んでしまった荷物」と認識するのか、あるいは記憶の処理と同時に…。
(誰かを寄越して、ぼくの部屋から持ち出させて…)
 そんな本など「何処にも無かった」事実が作られ、偽の記憶を持った自分も気にしない。
 部屋から本が消えたことなど、記憶を書き換えられたシロエは「知らない」から。
 ピーターパンの本を「持って来た」のを忘れてしまって、最初から「持っていない」から。
(…マザー・イライザが本気になったら、そのくらいは…)
 本当に「簡単」かもしれない。
 今は「本気になっていない」だけで、いつか、本気を出して来たなら。


(…そんなことって…)
 あるんだろうか、と思うけれども、けして無いとは言い切れない。
 ついでに言うなら、「シロエ」が優秀であればあるほど、可能性が上がりそうではある。
 秀でた人材を持つのだったら、システムに反抗的な者より、従順な者がいいに決まっている。
 機械はそれを好みそうだし、そうすることが可能だとしたら、やりかねない。
 あるいは、マザー・イライザが「それ」を思い付きはしなくても…。
(…メンバーズ・エリートを選び出すのは、マザー・イライザかもしれないけれど…)
 Eー1077を卒業した後、そのメンバーズを使役する者は「他にいる」。
 地球に在ると聞く巨大コンピューター、グランド・マザーがシステムの要で、主でもある。
 「メンバーズを使う」立場だったら、将来的に選ばれそうな者にも興味を持っているだろう。
 彼ら、彼女らを「どういう具合に」教育すべきか、具体的に指示をするかもしれない。
 「もっと、こういう教育を」だとか、「この人間には、この分野の講義を多くしろ」とか。
(…ぼくのデータも、グランド・マザーが見ているとしたら…)
 このシステムに「反抗的である」欠点について、どういった風に捉えているか。
 それも個性の内だと見るか、矯正すべき欠陥と見なしているか。
(…卒業までには、この欠陥をきちんと処理しておけ、とグランド・マザーが…)
 マザー・イライザに言って来たなら、文字通りに「終わり」かもしれない。
 いつものようにコールを受けて、あの忌々しい部屋に入った「シロエ」が出て来た時には…。
(まるで全く違う中身で、システムに従順になっていて…)
 ピーターパンの本のことも忘れて、ネバーランドに焦がれたことさえ「覚えてはいない」。
 記憶を書き換えられた「シロエ」は、「ピーターパンの本」を、こう思うだろう。
 「子供の頃に、確かパパに貰って、持っていたよね」と。
 「うんと大事にしていた本で、何度も何度も読んでいたっけ」と懐かしく思い出しもして。
 「あの本に出てたネバーランドに、行こうと思って頑張ったんだよ」と笑んだりもする。
 「子供らしい夢っていうヤツだよね」と、「空を飛べると思い込んでさ」と可笑しそうに。
(…そう、本当なら、今頃のぼくは…)
 そうなっている筈だったんだ、と背筋がゾクリと冷たくなった。
 テラズ・ナンバー3が記憶を処理した時には、「そうしたつもり」だったろう。
 ところが「シロエ」は、そうはならずに、ピーターパンの本を後生大事に抱え込んだまま…。
(ステーションまで来てしまっていて、今もシステムに反抗的で…)
 事あるごとにコールされては、少しずつ記憶を「消されている」。
 システムに逆らう理由の因子を、マザー・イライザに取り除かれて。
 「これは不要だ」と機械が過去の記憶を選り分け、「シロエ」の中から抹消して。


 そう、「今はまだ」、度々、コールされるだけ。
 反抗的な行動をすれば、あの部屋に呼ばれて「眠らされて」、何か「消される」だけ。
 自分でも直ぐには思い出せない、とても小さな子供時代の記憶を、巧みに抜き取られて。
 いったいどれを消去したのか、シロエ自身にも「気付かせない」ような形で。
(何日も経ってから、「消された記憶は、コレだったんだ」って…)
 気付いて悔しく思う程度で、今はまだ済んでいるのだけれども、これから先は分からない。
 このまま逆らい続けていたなら、ある日突然、地獄の底へ落ちるのだろうか。
 マザー・イライザからのコールを受けて、「またか」と出掛けて、それでおしまい。
(いつもの部屋から出て来た時には、今、此処にいる「ぼく」はいなくて…)
 システムに何の疑問も抱かず、従順に生きる「シロエ」が代わりに、この人生を歩んでゆく。
 大切に持って来たピーターパンの本が、「思い出の一つ」に過ぎない「シロエ」になって。
 反抗的だったことなど忘れて、故郷のことも、両親のことも、思い出になって。
(……もしかしたら、いつか、そうなるのかも……)
 まさか、と身体が震え出すけれど、その日が「来ない」とは言えない。
 逆らい続けて生きていたなら、「違うシロエ」に作り替えられてしまう日が訪れて。
(…でも、従順になったふりをしたって…)
 機械は全てお見通しだから、きっと無駄だ、という気がする。
 ならば「このまま」生きてやろうか、そうやって生きて、行きつく先は地獄でも。
 自分でも「全く気付かないまま」、違う自分にされてしまう日が来るのだとしても…。



          逆らい続けたら・了


※シロエの記憶を「すっかり書き換えてしまう」ことは、機械には可能なことなのかも。
 アニテラのSD体制は緩めですけど、もしも機械が本気を出したら、有り得る恐ろしい未来。







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(……サム……)
 やはり治せはしないのか、とキースは深い溜息をついた。
 Eー1077で共に過ごした旧友、サムの心は戻っては来ない。
 今日の昼間に、病院で医師から説明を受けた。
 壊れてしまったサムの精神、それを元に戻すことは不可能なのだ、と。
(私にはもう、どうすることも…)
 出来はしなくて、手は残されてはいなかった。
 新しい主治医を手配した時、「あるいは」と期待していたのに。
 淡い希望を心に抱いて、これ以上は無い最高の医師に、サムを診察させたのに。
(…この日のために、私は出世をして来たのだ、と…)
 心の何処かで思っていたほど、その医師は「腕がいい」との評判だった。
 並みの者では治療を受けるどころか、診察さえもしては貰えないのが、サムの新しい主治医。
 サムが入っている病院にしても、本来ならば「サムが入れる」病院ではない。
(…ジルベスター、セブンに赴く前に…)
 キースは、サムの現状を知った。
 いや、知らされたと言うべきだろうか。
 ジルベスター・セブンの近くを航行していて、事故に遭い、精神が崩壊した、と。
(驚いてサムの居場所を調べて、それから…)
 今、サムがいる病院へと、急いで転院させた。
 元々、サムを診ていた所は、一般市民が行く病院で、医師の能力もさほど高くはない。
 それでは治せないのも仕方なかろう、と考えて手を打つことにした。
 メンバーズ・エリートの地位と特権を、初めて「自分のために」使って。
(エリートのための病院だったら、治せるだろう、と…)
 思ったけれども、診察した医師は「無理だ」と匙を投げてしまった。
 だから、卒業して以来、初のサムとの再会、それは全く意味が無かった。
 サムは「キース」を、「まるで覚えていなかった」から。
 警戒と怯えの入り混じった目で、サムは、かつての「友人」を見た。
 「おじちゃん、誰?」と、距離を取ったままで。
 子供に戻ってしまったサムには、キースは「知らないおじちゃん」だった。
 そうなったサムを、長い年月、見守り続けて、此処まで来た。
 国家騎士団総司令の座に昇り詰めて、最高の医師を手配出来るようになる所まで。
 もうこの上には、パルテノンの元老くらいしか「地位の高い」者たちはいない。
 その人数はごく僅かだから、今のキースなら、彼らを診察する医師の治療を受けられる。
(だからこそ、私を診させる代わりに…)
 サムの治療を任せてみたのに、結果は前と変わらなかった。
 懐かしい友の心は治らず、もう永遠に「かつてのサム」は戻っては来ない。


 けして会うことが出来ない「友達」。
 何度、病院まで会いに行っても、其処にいるのは「子供時代を生きている」サム。
 そういうサムにも慣れたけれども、やはり「昔のサム」に会いたい。
 Eー1077で一緒に過ごした、あの頃のサムに戻って欲しい。
(…そのためだけに、上を目指したわけではないが…)
 もちろん他にも目的はあるし、任務よりも「サムの治療」を優先したりもしない。
 公私混同してしまうほど、「キース」は無能ではないのだけれど…。
(それでも、サムのこととなったら…)
 普段は殺している筈の自我が、俄然、頭をもたげて来る。
 「今の私に出来る最高のことを、サムのためにしてやりたい」と。
 病院も病室も、サムを診る医師も、「キースの地位」に相応しいものでなくてはならない。
 一般市民と「サム」を同列に扱わせておきはしないし、見舞いの折には確認もする。
 サムが充分な治療を受けているか、環境や看護師なども行き届いたものになっているのか。
(そうやって今日まで走り続けて、ようやく本当に最高の医師を…)
 サムの主治医に出来たというのに、サムは「治りはしない」という。
 あまりにも残酷すぎる告知で、心が崩れ落ちそうだった。
 覚悟していた言葉とはいえ、受け止めるまでに時間がかかった。
 「本当に、サムは治らないのか!」と、医師の前で声を荒らげもして。
 出来る手は全て尽くしたのかと、検査結果を説明する医師に詰め寄って。
(…私らしくもない行動だが…)
 ああしないではいられなかった。
 「サムは戻る」と信じたかったし、希望を失いたくはなかった。
 もっとも「キース」の怜悧な頭脳は、現実を見据えていたのだけれど。
 医師が示したデータを眺めて、「無理だ」と、客観的に捉えて。
 とはいえ、それとこれとは別の話で、今も納得してなどはいない。
 「もう戻らない」サムを諦める日など、けして来ないし、来る筈もない。
 奇跡を信じるわけではなくても、諦めはせずに、ずっと待ち続けることだろう。
 いつの日か、「サム」が戻るのを。
 昔のサムと同じ目をして、「キース!」と呼んでくれる時が来るのを。


(…そう、いつまでも…)
 私はサムの帰りを待とう、と改めて自分の心に誓った。
 この先、サムの状態が更に悪化しようと、サムを諦めたりはしないで、ただ待ち続ける。
 サムがこの世に生きている限り、望みは消えはしないのだから。
(何十年でも、待って、待ち続けて…)
 治せる時が来るのを待つさ、と思ったけれども、自分にもサムにも寿命がある。
 それが尽きたら、どうすることも出来ないだろう。
 そして「人間」の寿命は短い。
 これが宿敵のミュウだったならば、寿命は人類の三倍なのに。
 キースが、サムが「待てる」時間よりも、長い年月を生きてゆくことが出来るのに。
(…三倍もあれば、新しい治療法が出来る可能性は大きいな…)
 そういう意味でも忌々しくなる化け物どもだ、と舌打ちをして、ハタと気付いた。
 「ミュウだった友」も、いたのだった、と。
 もっとも、「友」と呼んでいいかは、難しい部分があるのだけれど。
(…セキ・レイ・シロエ…)
 Eー1077を卒業する間際、この手で、彼が乗った練習艇を落とした。
 ミュウだったシロエは宇宙へ逃れて、「停船しろ」との呼び掛けに応じなかったから。
(しかし、あの時…)
 シロエが船を停めていたなら、どうなったろう。
 あの時、シロエの心が「とうに常軌を逸していた」ことは知っている。
 彼は子供の心に戻りつつあって、子供時代の夢の残像を追い続けたまま「飛んでいた」。
 そのまま飛んでゆけば「撃墜される」ことも知らずに、自分の夢が導くままに。
 子供時代から追っていた夢、その夢が叶う場所を目指して、ただ懸命に。
(…あの状態のシロエを、連れ帰ることが出来たなら…)
 恐らくシロエは「殺されはせずに」、飼っておかれたことだろう。
 既に心が壊れているなら、システムに反抗的であった過去など、問題ではない。
 「子供に戻ってしまったシロエ」は、SD体制にとっては何の脅威でもない「ただのミュウ」。
 しかも、かつては「キース」と肩を並べるほどに「優秀だった」者でもある。
 格好の研究材料となって、あれこれ調べられ、殺されることなく生きていたろう。
(きっと、そうだな…)
 Eー1077は、「キース」を完成させた時点で用済み、シロエの件にかこつけて…。
(廃校にしてしまうのだろうが、その原因だとされる「シロエ」は…)
 密かにノアへと移送されて来て、「今も生きていた」に違いない。
 サムのように成長したりはしないで、あの頃と変わらない姿のままで。
 いつまでも「少年の姿」を保って、子供時代の夢に浸り続けて。


 もしもシロエが「生きていた」なら、どうしただろう。
 恐らく、Eー1077を卒業してから数年間は、それを知る機会は無かったと思う。
 メンバーズとはいえ「キース」の地位はまだまだ低いし、機密に触れるチャンスは無い。
 けれど、ジルベスター・セブンに行った後なら…。
(私は、ミュウどもと対峙する、最前線に立っていたわけで…)
 そうなれば当然、「シロエ」のことも耳にしないではいられない。
 かつて自分が競った相手が、今も「生かされている」のだ、と。
 研究対象としてだとはいえ、他の実験体とは違って、命も保証されていることを。
(それを聞き付けたら、私はどうする…?)
 会いに行かないわけがないな、と答えは直ぐに弾き出された。
 「シロエ」が今も生きているなら、急いで会いに出掛けるだろう。
 そして病院にも似た研究所で、子供に戻ってしまった「シロエ」と再会する。
 きっとシロエは、サムと似た目で「キース」を眺めて、怯えながらも…。
(おじちゃん、誰、と…)
 問い掛けて来て、菫色の瞳を瞬かせる。
 「ぼくを迎えに来てくれたの?」と、遠い日に追った夢の続きを、まだ追いながら。
 ネバーランドか、あるいは地球か、其処へ「連れて行ってくれる人」なのか、と。
(…そんなシロエを目にしたならば…)
 もう放ってはおけないだろうな、と容易に想像がついてしまった。
 研究者たちが何と言おうと、頻繁に「シロエ」に会いにゆく自分が目に浮かぶ。
 サムの見舞いに通ってゆくのも、シロエの様子を見に出掛けるのも、どちらも同じ。
 「かつての友」に「会いに出掛けてゆく」ための時間で、行った先に「友」はいなくても…。
(私を覚えていてくれなくても、私にとっては大切な友で…)
 少しでも時間を分かち合いたいから、シロエの許にも通うのだろう。
 サムのように治療はしてやれなくても、研究者たちを放り出しておいて、話をしに。
 子供に戻ったシロエが語る昔話に相槌を打って、シロエの興味を引く話もして。
(…今の私なら、研究材料にされているシロエだろうと…)
 差し入れに菓子を持って行っても、誰も文句を言いなどはしない。
 シロエが「ママが作るお菓子は美味しいよ」と、菓子の名前を語ったならば…。
(その菓子を部下に買って来させて、土産に提げて出掛けて行って…)
 一緒に食べるのも悪くないな、と思うものだから、シロエにも会いに行きたかった。
 サムのように「壊れてしまっていても」、今も生きていてくれたなら。
 あの時、宇宙に散りはしないで、少年の姿のままで夢に浸って、今も「いる」なら…。



            生きていたなら・了


※シロエがサムのようになって生きている可能性、アニテラだったらあるんですよね。
 原作と違って正気じゃなかった、撃墜された時のシロエ。もしも生きていたら、というお話。






拍手[1回]

(ネバーランドよりも、素敵な地球ね…)
 でも本当にそうなのかな、とシロエは机の前で考え込む。
 一日の授業と予習復習、全てを終わらせた後の、夜の個室で。
 遠い昔に、父から聞いた「地球」という言葉と父の声とが、今でも耳に残っている。
 「ネバーランドよりも素敵な場所さ」と、父は笑顔で話してくれた。
 選ばれた人しか行けないけれども、「シロエなら行けるかもしれないな」とも。
 そう聞かされた時から地球に憧れ始めて、選ばれるために努力を重ねた。
 成績は常にトップだったし、運動だって頑張った。
(…結果としては、エリートコースに来られたけれど…)
 引き換えに失ったものは多くて、記憶さえも機械に奪い去られた。
 父の声はハッキリ覚えていたって、その顔を思い出すことは出来ない。
 「笑顔だった」ことが分かるというだけ、どんな顔立ちで笑っていたのか見えては来ない。
(誰も教えてくれなかったよ…)
 成長して大人の社会に行くには、「過去を捨てねばならない」なんて。
 知っていたなら、もっと時間を大切にしたことだろう。
 勉強のために注ぎこむ代わりに、両親と一緒に過ごす時間を「もっと長く」と。
 食事が済んだら「直ぐに勉強を始める」などは、今にして思えば、愚の骨頂でしかない。
 勉強なんかをやっていないで、父や母と話をするべきだった。
 母が後片付けをしているのならば、それを手伝い、片付けの後は両親の側で…。
(コーヒーは苦くて好きじゃなくても、ホットミルクとか…)
 それともココアか、ジュースでもいい。
 子供の舌に合う飲み物を貰って、ゆっくり、のんびりすれば良かった。
 そうしていたなら、機械に記憶を奪われた後も、「残った記憶」が多かったろうに。
 両親の顔はぼやけていたって、三人で囲んだテーブルは忘れていない、とか。
(…失敗したよね…)
 もう取り返しはつかない過ち。
 幼かった日に戻れはしないし、幼い自分に真実を告げることも叶わない。
 仕方なく「地球」を目指しているのだけれども、其処は本当に「素敵」だろうか。
(…あの時、パパは知ってたのかな…?)
 地球という場所に、「子供たちの姿は無い」ことを。
 選ばれたエリートだけが暮らす世界で、一般市民がいるかどうかも分からない。
(地球の社会の、優秀な構成員として…)
 一般市民という役割を担う、普通人のコースのエリートならば、いる可能性もゼロではない。
 けれど「子供」は確実に「いない」。
 大人の社会と子供の社会は、明確に分かれているのだから。


 子供が暮らせる場所と言ったら、今の世界では育英惑星だけしか無い。
 一般人向けのコースで選ばれ、養父母としての教育を受けた大人が派遣される星。
(それ以外の星には、子供なんかはいやしない、って…)
 Eー1077に来てから学んだ。
 だから当然、首都惑星のノアにも「子供は一人もいない」のだ、とも。
(…首都惑星でも、子供は一人もいないなら…)
 人類の聖地という名で呼ばれる「地球」には、なおのこと「子供はいない」だろう。
 地球は育英惑星ではなく、首都惑星よりも格が上になる「最高の場所」と言えるのだから。
(そういう意味では、ネバーランドよりも素敵なのかもね…)
 宇宙の中で最高だったら、地球を超える場所は何処にも無い。
 「地球よりもいい場所は何処ですか?」と誰に訊いても、ただ笑われるだけだろう。
 「そんな場所、ありやしませんよ」と。
 「最高に素敵な場所と言ったら、地球の他に何処があるんです?」などと尋ね返されて。
(…それは分かっているんだけれど…)
 子供が一人もいない場所など、本当に「素敵」と言えるだろうか。
 その上、地球が「素敵」かどうかは、かなり怪しいという気もする。
 本当に素敵な場所だと言うなら、どうして「首都惑星にしない」のか。
(人類は地球を駄目にする生き物だから、と言うにしたって…)
 選び抜かれたエリートだけで「地球の社会」を構成するなら、何の問題も起こらない。
 彼らは愚かなことなど「しない」し、機械の指示に素直に従い、環境の維持に努めるだろう。
(維持するどころか、良くするための努力を重ねて…)
 美しかったと聞く地球の姿を、完璧に取り戻すために働き続ける。
 今はエリートしか行けない場所でも、いつかは一般市民でも…。
(住むのは無理でも、ちょっと旅行に出掛けるくらいは許されるほどに…)
 地球の環境を整え直して、「人類の聖地」が皆に門戸を開く時代を築けると思う。
 現に「そのための整備」が続けられ、今も続行中だと習った。
 成果は順調に上がっているから、それを無にしてしまわないよう、「近付くな」とも。
(…でも、本当にそうなのかな…?)
 実は騙されているんじゃあ…、と疑いたくなる日だってある。
 機械は「嘘をつく」ものだから。
 平気で人を騙し続けて、偽りの世界を作り上げもする。
 現に自分は「騙されていた」。
 大人になるには「記憶を奪われ、忘れる」ことが必須と知らずに、懸命に勉強し続けて。


 本当の地球がどんな場所かは、行ってみるまで分からない。
 「行ける資格」を手に入れたって、まだ「騙されている」かもしれない。
 地球に行けるほどのエリートだったら、その使い道は幾らでもある。
 「地球」という餌で釣り、優秀な人材を大勢育てて、地球の土を踏ませる代わりに…。
(全く違う場所に派遣して、色々な任務を任せるだとか…)
 如何にもありそう、と顎に手を当て、大きく頷く。
 そうやって「上手く騙す」ためなら、機械はいくらでも嘘をつくことだろう。
 本当の地球は、美しい星ではなかったとしても「美しい」と。
 今も人間が住めない場所でも、「選ばれた人たちが暮らしています」と、虚言を吐いて。
(…もし、そうだったら…?)
 地球の「本当の姿」がそうだとしたなら、ネバーランドよりも素敵な場所とは言えない。
 子供たちの姿が無いだけではなく、選ばれた優秀な人間でさえも「住めない」のなら。
(…そんな星でも、素敵だなんて…)
 絶対に認められはしないし、子供の姿が無いというのも、充分にマイナスの要素ではある。
 果たして「自分」は、本当に「地球に行きたい」のか。
 地球に在るという巨大コンピューター、グランド・マザーは「停止させたい」けれども…。
(…ネバーランドか、地球か、どちらかを選べと言われたら…)
 自分はどちらを選ぶだろうか、と胸の奥がズシリと重たくなった。
 もしも天使が此処に現れ、「選びなさい」と告げて来たなら、どうするだろう。
 選んだ結果が、どう転ぶのかは、天使は教えてくれなどはしない。
 神の使いで来るのが天使で、「シロエの答え」を神に伝えに行くのも天使。
(…地球を選ぶべきか、ネバーランドを選ぶべきなのか…)
 決めるのはあくまで自分自身で、神は結果を「与える」だけ。
 「地球に行きたい」と答えたならば、「機械を止めるために行く」のを評価されて…。
(御褒美に、ネバーランドに繋がる扉を…)
 神が開いてくれるかもしれない。
 「少しくらいなら、息抜きをしてもいいでしょう」と。
 あるいは「任務が重くて疲れた時には、此処から飛んで行きなさい」だとか。
 逆に「ネバーランドがいい」と答えたのなら、そちらはそちらで…。
(子供の心を忘れていない、って評価してくれて…)
 ネバーランドへの扉が開くかもしれないけれども、選べる道は一つだけ。
 選んだ答えが「神の意に沿わなかった」場合は、地獄に落とされるかもしれない。
 「地球」と答えたら、「子供の心を大事にしていない」と評されて。
 「ネバーランド」と答えた瞬間、「自分の使命を投げ出すのか」と神が怒って。


 どちらが「正しい答え」なのかは、神と天使しか知らないこと。
 けれど「選べ」と言われたからには、シロエに出来るのは「選ぶ」ことだけ。
 選んで答えを返すのだけれど、その時に、嘘をついたなら…。
(それはそれで、「正直に選ばなかった」と…)
 地獄の底へと突き落とされて、ネバーランドへの扉は開かないだろう。
 ならば、自分は、どう答えるのか。
 嘘を言わずに「正直に」選んで、神が下した裁きと結果を受け入れるなら…。
(……地球なんかより……)
 ネバーランドを選ぶんだから、とシロエは拳を固く握り締める。
 父から「地球」と聞くよりも前から、ネバーランドに焦がれていた。
 今も行きたくてたまらない場所で、選べるのなら「地球」など、どうでもいい。
 「子供が子供でいられる世界」を作れなくても、機械に奪われた記憶が戻らなくても…。
(…正直に選んで、逃げていいなら…)
 パパとママが好きだったことを忘れない内に、それを選ぶよ、と心から思う。
 選んで答えを告げた途端に、神の怒りに触れようとも。
 ネバーランドへの扉が開く代わりに、永劫の煉獄に落ちてゆこうとも。
(…だって、今のぼくは、どうしても…)
 両親がいた家と、その思い出と、ネバーランドへの憧れを忘れられないから。
 それを隠して「地球に行きたい」と嘘をつくことは出来ないから。
 正直に選んでそうなるのならば、その選択に後悔は無い。
 「嘘をつく」のは、機械の得意技だから。
 機械を憎み続ける以上は、神に向かって嘘をつくなど、自分の誇りが許さないから…。



            もしも選ぶなら・了


※ネバーランドと地球。シロエは本当はどちらに行きたかったのかな、と考えたわけで。
 キースに撃墜される直前、朦朧としながらも夢見た先は、地球という名のネバーランド…?







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(やはり、マツカが淹れるコーヒーは美味いな)
 私にはこれが一番合う、とキースはコーヒーのカップを傾けた。
 一日の終わりに、自室でゆったりと味わう一杯、それが習慣になって久しい。
 いつからそうして過ごしているのか、自分でも思い出せないほどに。
(マツカを側近に据える前には、これといって決まった部下もいなくて…)
 コーヒーを運んで来る者はいても、誰だったのかは覚えていない。
 ついでに「美味い」と思っていたか否かも、今となっては謎と言ってもいいだろう。
(私は昔からコーヒーが好きで、何か選んで飲むのなら…)
 コーヒーだったというだけのことで、それ以上でも以下でも無かった。
 ミュウの「マツカ」を側近にして、飲み物を彼に任せるようになるまでは。
(…そうには違いないのだが…)
 マツカが淹れるコーヒーが「最初から」美味だったのかは、記憶に無い。
 ソレイドで初めて出会った時に、マツカが淹れて来たコーヒーは…。
(ひと騒動あった後に、詫びながら持って来たからな…)
 心がそちらに向いていたせいで、コーヒーは、ただ「飲んだ」というだけ。
 喉の渇きを癒して終わりで、そういう時には何を飲もうと、誰でも満足するだろう。
 一息ついて、ホッと身体と心を緩めて、ソファなどに深く腰掛けて。
 「これでゴタゴタは一段落だ」と、次にすべきことを考えながら。
(あの時のコーヒーが、とびきり美味かったとしても…)
 多分、そうだと気付きはしないし、たとえ美味くても、それで側近に選びはしない。
 いくらコーヒー党だと言っても、人選を左右するほどではない。
(だが、実際には、実に美味くて…)
 今では他の者が淹れても、「これは違う」と苛立ってしまう時もある。
 「同じコーヒーで、こうも違うか」と、「どうして上手く淹れられないのだ」と、心の中で。
(流石に、口には出さないのだが…)
 部下たちも気配で察しているのか、マツカには不名誉な渾名があった。
 「コーヒーを淹れることしか出来ない、能無し野郎」と、あからさまに陰口を叩かれている。
(本当の所は、誰よりも役に立つのだが…)
 明かすわけにはいかないからな、と放っているから、マツカは「コーヒー係」でしかない。
 もっとも、マツカの階級からしても、それ以上の仕事は出来ないけれど。


 マツカを側近に据えた時には、キースは既に「上級大佐」に昇進していた。
 その後、国家騎士団元帥を経て、今は元老の地位にいる。
 最高機関のパルテノン、即ち元老院が職場なのだし、マツカに務まる役職など無い。
 もう本当に「コーヒー係」で、今日も何杯か淹れていたけれど…。
(…此処へ来てから、つくづく思うことだが…)
 人間の好みというのは色々あるな、と呆れながらも感心させられる。
 軍人だった頃は、何処へ行っても、コーヒーが出るのが常だった。
 たまに「何を飲みますか」と訊かれはしても、選択肢はコーヒーと紅茶くらいで。
 ところが、パルテノンでは違う。
 実に様々な飲み物があって、元老たちは休憩時間に自室で飲んでいるようだ。
 だから彼らを訪ねて行ったら、当然、それを飲むことになる。
 紅茶は理解の範疇だけども、ハーブティーやら、冷えたレモネードやらは口に合わない。
 それでも「飲むしかない」けれど。
 相手が「どうぞ」と勧めるからには、「頂きます」と飲むのが礼儀で、断れはしない。
(同じコーヒーでも、とんでもないのが出るからな…)
 これは本当にコーヒーなのか、と目を剥いてしまった経験もあった。
 ホイップクリームがたっぷり入った、とんでもなく甘い「ケーキのような」コーヒー。
(おまけに、次に訪ねて行ったら…)
 覚悟して飲んだ「ホイップクリーム入り」の中に、別の味わいが隠されていた。
 オレンジか何かの柑橘類で、クリームの上には、色とりどりのトッピングまで。
(なんと言ったか、遥か昔の女帝の名前で…)
 御自慢のコーヒーだったらしいけれども、キースにとっては「コーヒー」の味ではなかった。
 甘くて怪しい菓子でしかなくて、あの時は自室に戻るなり…。
(コーヒーを、と…)
 マツカに命じて口直しをして、ようやく人心地ついたほど。
 何故、同じコーヒーがああも変わるか、それを好んで飲む者がいるのか理解出来ない。
 とはいえ、個性も好みも「人の数だけ」あるものだから、その点は仕方ないだろう。
 ただ、パルテノンに来てから、その実感を深くした。
 軍人出身の元老は「キース」だけだし、そのせいもあるのかもしれない。
 他のコースで育った者だと、コーヒーと紅茶の他にも多様な選択肢があって…。
(あれこれ選んで飲んでいる内に、ああいった風に…)
 独自の道を突っ走るようになるのかもな、と可笑しくなった。
 軍人ばかりの世界だったら、飲み物といえども質実剛健、コーヒーか紅茶かくらいなのに。


 そうした環境で生きて来たせいで、今も昔も「コーヒー党」だと自認している。
 中でもマツカが淹れるコーヒーが一番、部下たちがつけた不名誉な渾名は伊達ではない。
(そういう意味でも、いい部下を持ったな)
 この一杯が美味いんだ、と絶妙な苦味を味わう間に、ハタと気付いた。
 「どうして、コーヒー党なのだ?」と。
 いつから「キース」はコーヒー党で、コーヒーを好んで飲んでいるのか。
(……ステーションでは……)
 一切、指導されてはいないし、強制されたわけでもない。
 食堂に行けば「選べた」わけで、そういえば、今でも忘れられない「シロエ」は…。
(シナモンミルクに、マヌカ多め…)
 そのように注文している所を、何度か見掛けた。
 あれが「シロエ」の好みだったわけで、彼が生きて出世していたら…。
(普段は周囲の者に合わせて、コーヒーか紅茶だったとしても…)
 パルテノン入りを果たした後まで、大人しく「そのまま」でいたとは、とても思えない。
 ここぞとばかりに自分の好みで、自室では常にシナモンミルクで、客人にまでも…。
(如何ですか、と出しかねないぞ)
 ケーキのようなコーヒーが出て来る世界だからな、と肩を竦めた。
 あれに比べれば、シナモンミルクはマシな方だと言えるだろう。
 シロエは「それ」を好んだわけで、そうなると「軍人だから」といって…。
(必ずしもコーヒー党ではなくて、他にも色々…)
 好みがあって、普段はプライベートな空間だけで「それ」を楽しんでいるかもしれない。
 ソレイドで会ったグレイブにしても、セルジュやパスカルといった部下たちにしても。
(…では、私は…?)
 どうしてコーヒー党なのだ、と「Eー1077から後」だけしかない記憶を手繰る。
 誰にコーヒーを勧められて飲んで、いつからコーヒーが気に入りなのか、と。
 けれど、全く「思い出せない」。
 むしろ恐ろしい、「一番最初に」飲んだコーヒー。
 あのステーションで出会ったサムと、初対面の日に、二人で食堂に出掛けて行って…。
(コーヒーを、と…)
 迷うことなく注文をして、しかも「ホット」で「ブラック」と言った。
 「水槽から出て来たばかりのキース」は、コーヒーを飲んだことが無いのに。
 ホットとアイスで違う味わい、砂糖を入れるか、入れていないかの違いも、一度も…。
(自分の舌では、まるで全く…)
 知らなかった、と断言出来る。
 水槽の中で育ったからには、コーヒーも紅茶も、ミルクも口にはしていないから。


(…だったら、あれは…)
 マザー・イライザが教えた知識か、と愕然とした。
 「何か飲むのなら、コーヒーがいい」と思ったことも、ホットでブラックが好みなのも。
 それ以外には「考えられない」し、他の可能性は一つも無い。
(…そうだとすると、私の思考は、飲み物の好みに至るまで…)
 機械が仕組んで組み立てたもので、それを「知らずに」実行しているだけかもしれない。
 自分では「自分の意思」のつもりで、日々を、人生を生きているのだけれど…。
(…サムもスウェナも、シロエも、マザー・イライザに選び出されて、私の前に…)
 現れたのだし、サムを「好ましく思って」親しくしたのも、機械が仕向けた行動だろうか。
 シロエとは衝突を繰り返した末に、この手で殺す結果になったけれども…。
(…あれも機械の計算の内で、私がそれに従った以上は…)
 今も「シロエ」を忘れられないのも、シロエの面影が重なった「マツカ」を助けたことも…。
(何もかも、機械の手のひらの上で…)
 起きていることで、「キース」は「踊らされている」のだろうか。
 機械は全てを承知していて、「マツカ」が「ミュウである」ことも把握していて…。
(キースの役に立っているから、と…)
 見逃している可能性もある。
 それだけで済めばいいのだけれども、あるいは「マツカ」との出会い自体が…。
(機械に仕組まれたことだった……のか…?)
 まさか、と即座に否定しかけて、「そうかもしれない」と背筋が冷えた。
 マツカは「成人検査をパスした」ミュウで、それは偶然ではないかもしれない。
 かつて「シロエ」がそうだったように、マツカも機械に選び出されて、検査をパスして…。
(ソレイドで私と遭遇するよう、仕組まれて…)
 出会った私を殺そうとしたのも、そんなマツカを助命したのも…、と指先が震える。
 「何もかも機械の計算なのか」と、「私は機械に操られているだけなのか?」と。
 そうだとしたなら、この人生は「キース」のものではない。
 シロエが嘲笑った通りに「操り人形」、自由になれる時があるとしたなら…。
(…ミュウどもが来て、グランド・マザーと、マザー・システムを…)
 破壊した後しか有り得ない。
 もっとも、その時、「キース」が生きているかどうかは、読めないけれども…。
(…早く来い、ジョミー・マーキス・シン…!)
 私の意思が本当に私のものか知りたいからな、と心から思う。
 たとえ破滅が待っていようと、行きつく先が惨い死に様であろうとも。
 その時が来れば「分かる」から。
 機械の手のひらの上で生きていたのか、自分の意思で生きて歩いた人生なのかが…。



             決められた好み・了


※キースはどうしてコーヒー党なんだ、と思った所から出来たお話。水槽育ちの筈なのに。
 ホットとブラックは、原作から。作中の怪しげなのは「マリア・テレジア」、実在します。








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