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(……過去か……)
 それに子供時代か、とキースが浮かべた自嘲の笑み。
 「私は、持ってはいなかったのだ」と、今更ながらに、ノアの自室で。
 グランド・マザー直々の任務で、E-1077を処分してから暫く経つ。
 遥か昔に、シロエが「見て来た」フロア001に入った日から。
 彼が「ゆりかご」だと言っていた場所、其処で目にしたサンプルたち。
 「キース」は「生まれたモノ」ではなかった。
 機械に「作り出されたモノ」。
 文字通りに「無から」生まれた生命、三十億もの塩基対を合成されて。
 「ヒト」なら誰もが持つDNA、その名の鎖を紡ぎ出されて。
 マザー・イライザが「作った」人形、「ヒト」であっても「ヒト」でないモノ。
 皮膚の下には、ちゃんと赤い血が流れていても。
 こうして思考している頭脳は、機械ではなくて脳味噌でも。
(…水槽にいた頃の、私の記憶は…)
 強化ガラスの水槽の中の「キース」を眺める、研究者たちだけ。
 あの頃に「キース」の名があったのか、ただの記号で呼ばれていたかは知らない。
 マザー・イライザが「それ」を語る前に、全てを破壊して来たから。
 フロア001のコントロールユニットはもちろん、E-1077の心臓部も。
(名前だったか、記号だったか、そんなことはどうでもいいのだがな…)
 過去を持たないことは確かだ、と零れる溜息。
 とうに夜更けで、側近のマツカも部屋にはいない。
 彼が淹れて行ったコーヒーも冷めて、一人、考え事をするだけ。
 昼間の出来事、それが頭をもたげたから。
 普段だったら気に留めないのに、今夜は何故か引っ掛かる。
 見舞いに出掛けたサムの病院、其処でいつもの笑顔だったサム。
 「赤のおじちゃん!」と嬉しそうに笑んで、「今日の報告」をしてくれて。
 何を食べたか、どれが一番美味しかったか。
 苦手な料理も食べたけれども、「ママのオムレツは美味しいよ!」と。


 「今日のサム」は、父に叱られたらしい。
 勉強しろ、と怖い顔をされて。
 母が作ってくれたオムレツ、それの他にも「これも食べろ」と強いられたりして。
(…今のサムは、私を覚えていないが…)
 「友達だったキース」を忘れて、「赤のおじちゃん」としか呼んではくれない。
 心だけが子供に戻ってしまったサムの世界に、「候補生時代」は残っていないから。
 E-1077も「キース」も、子供時代のサムとは無縁のものだから。
(そうやって、全て忘れてしまっていても…)
 サムは幸せに生きている。
 ノアには「いない」筈の両親、優しくも、また厳しくもあった養父母たちと。
 彼の心を覗いたならば、きっと、「ジョミー・マーキス・シン」もいることだろう。
 「ミュウの長になった」幼馴染ではなくて、「一緒に遊ぶ友達」として。
 かつて「キース」がそうだったように、サムが心を許す者として。
(…心だけなら、赤のおじちゃんの私にも…)
 許してくれてはいるのだろう。
 そうでなければ、サムは懐きはしないから。
 「自分だけの世界」に生きているサム、けれども彼の笑顔は消えない。
 幸せに満ちた子供時代に、心だけが戻っているものだから。
 彼の側には、養父母たちがいるのだから。
(…サムは、いつでも幸せそうで…)
 たまにションボリしている時には、「パパがうるさいんだ」と悲しげな顔。
 勉強せずに遊んでいたから、サッカーボールを取り上げられたとか、そういう思い出。
 子供時代のサムが経験したこと、それがそのまま蘇って。
(…そうやって、しょげている時があっても…)
 じきに元気を取り戻す。
 「赤のおじちゃん」に、あれこれ報告するために。
 病院で食べた筈の料理を、母が作った料理のつもりで披露して。
 オムレツなどは食べていない筈の日も、「ママのオムレツ、美味しかったよ!」と。
 苦手な野菜なども食べたと、「サムは偉いな」と褒めて貰いたくて。


 いつもは「そうか」と笑顔で頷き、しょげていたなら慰めもする。
 ジルベスター星系から戻った頃にも、そのように時を過ごしていた。
 十二年間、会わないままでいた「友達」に会いに出掛けては。
 「昔のサム」は、もういなくても。
 「キースを覚えていないサム」しか、病院で待ってはいてくれなくても。
 E-1077を処分した後も、何度も訪ねた。
 「自分の正体」が何かを知っても、「ヒトではないのだ」と思い知らされても。
 それでも自分は「人間」なのだし、怪我をしたなら血も流れる。
 頭の中を巡る考え、それも「機械のプログラム」ではない。
 何度も自分にそう言い聞かせて、「私はヒトだ」と思って来た。
 たとえ作られたモノであろうと、見た目も中身も「ヒトと同じだ」と。
 けれども、「持っていない」過去。
 今の自分が、何かの事故で「サムと同じ」になってしまったら、いったい何が残るのか。
 強化ガラスで出来た水槽、その中で育って来たのなら。
 成人検査が「全部、奪った」とシロエが怒りを露わにしていた、子供時代が無いのなら。
(…ただ、ぼんやりと虚ろな瞳をしているだけで…)
 たまに頭を掠めてゆくのは、フロア001にいた研究者たちの姿だろうか。
 水槽の向こうで「何か記録をつけていた」者や、水槽を軽く叩いていた者。
 白衣を纏った「彼ら」だけしか、残ってくれはしないのだろうか。
 「失う過去」が無かったら。
 最初から「過去を持たずに育って」、そのまま社会に出て来たのなら。
(……てっきり、忘れてしまったものだと……)
 長い間、そう信じていた。
 シロエが「フロア001」に行くまでは。
 其処で「ゆりかご」を見付けたシロエに、「忘れるな!」と言われるまでは。
(…フロア001に行けば、全て分かると…)
 そう思わされた、その名を聞いた日。
 シロエが保安部隊に連行されて、E-1077から「消えてしまった日」。
 次の日にはもう、誰もシロエの名を覚えてはいなかったから。
 「そんな子、知りませんけれど」と、同期生までが答えたほどに。


 あの忌まわしい出来事のせいで、疑い始めた自分の生まれ。
 「もしかしたら、自分は機械なのでは」と、「ヒトではない」可能性さえも考えて。
(…ある意味、ヒトではなかったのだが…)
 それでも「キース」を調べてみれば、「ヒトだ」と誰もが思うだろう。
 DNAまで解析しても、「そういうDNAを持ったヒトだ」と判断するだけ。
 似たような遺伝子データの持ち主、それが一人もいなくても。
(…SD体制が始まって以来、一度も使われなかった卵子などを使って…)
 人工子宮で育てたならば、「誰も知らないDNAの持ち主」が生まれることも有り得る。
 今から六百年以上もの昔に、凍結されたままの卵子や精子を使って子供を作ったら。
(私のデータを解析しても、ヒトだと答えが出るのだろうが…)
 しかし私は「ヒト」ではない、と自分自身が知っている。
 サムのように「戻ってゆける過去」を持たない、「子供時代」を知らない者。
 シロエが最後まで焦がれ続けた「生まれ故郷」さえ、持ってはいない。
 いくら「キース」のパーソナルデータに、それらが「きちんと」記されていても。
 父の名はフルで、母はヘルマで、出身地は育英都市のトロイナスでも。
(…フルという名の父もいなければ、母のヘルマもいないのだ…)
 その上、トロイナスなど知らない。
 任務でさえも訪れたことがない場所、「キース」が存在しなかった場所。
(……もしも、忘れてしまったのなら……)
 何かが違っていただろうか、と今夜は思わずにいられない。
 「成人検査のショックで忘れる」ことなら、たまにあるのだと聞いている。
 養父母も故郷も存在するのに、「思い出せなくなってしまう」例。
 自分もそうだと信じていたから、平気な顔をしていられた。
 シロエが何と詰って来ようが、「思い出せない」ことに不安を覚える夜があろうが。
(…忘れたのなら、それは仕方のないことで…)
 どうしようもない、と割り切っただけに、余計に「シロエ」が不思議だった。
 何故、あれほどに「過ぎ去った過去」にこだわるのか。
 もう会えはしない養父母たちを懐かしんでは、帰れない故郷にしがみつくのか。
 「忘れてしまえば、此処での暮らしも楽だろうに」と思いもした。
 システムに逆らい続けはしないで、「そういうものだ」と納得したなら楽なのに、とまで。


 けれど、今なら「分かる」気がする。
 今では「子供時代」を生きているサム、彼は幸せそうだから。
 傍から見たならサムの心は壊れていようと、彼の笑顔は本物だから。
(ああいった風に、笑えるのならば…)
 成人検査が「消してしまう」過去は、きっとシロエが叫んだように、大切なもの。
 「ヒト」が生きてゆく上で欠かせないもの、「無くてはならないもの」なのだろう。
 成人検査で「奪われた」後も、「その人間」を根幹から構成し続けて。
 「何もかも失くしてしまったサム」にも、「その時代だけ」が残ったように。
(…その過去さえも、持たない私は…)
 いったい何者なのだろうか、と「水槽の記憶」にゾクリとする。
  それが「キースを構成する」なら、「ヒトとは言えない」だろうから。
 サムのように「全てを失くした」時には、「空っぽのキース」が残るのだろう。
 「ママのオムレツは美味しいよ!」と、「過去に生きる」ことは出来なくて。
 ただ、ぼんやりと宙を見詰めて、研究者たちの幻だけが、時折掠めてゆくだけのことで…。

 

           持っていない過去・了

※キースには「過去の記憶が無い」わけですけど、それはプラスなのかマイナスなのか。
 もしもサムのような目に遭った時は、何一つ残らないだけに。…有り得ない話ですけどね。









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 青い地球を抱く神秘の女神。その身に地球を宿した少女。
 ブルーが何処からか船に連れて来た、幼く愛らしい顔立ちのフィシス。
 彼女はたちまち、シャングリラの皆の心を捉えた。誰もが魅せられ、触れたがった少女。
 小さな白い手、それを取るだけで流れ込んで来る地球の映像。青い水の星、宇宙に浮かんだ一粒の真珠。フィシスの母の記憶だという、美しい地球。
 その上、占いの名手でもあった。盲いた瞳を感じさせずに繰ってゆくカード、未来を告げるタロットカード。誰も彼女のようには出来ない、予知の力など持ってはいない。
 青い地球と、未来を読み取る力と。
 ブルーが「女神」と呼び始めずとも、フィシスは女神と呼ばれただろう。彼女は特別なのだから。神に祝福された存在、彼女自身が神そのものにも見えるのだから。
 ブルーがフィシスに「ぼくの女神」と呼び掛ける姿を、何人の仲間が目にしたことか。
 ミュウの長であり、比類なきサイオンを持つブルー。そのソルジャーが「ぼくの女神」と愛し、慈しみ、それは大切に扱うフィシス。
 けれども、ブルーは皆がフィシスの手に触れることを、けして咎めはしなかった。
 女神は誰にも等しく女神であるべきだから、と。
 フィシスが抱いている地球は神の恵み、誰もが恵みを受けられてこそ、と。



 皆が女神と認めるフィシスに、ブルーが与えた新しい衣装。
 シャングリラに来た時に纏っていた白、それとは違ったデザインと色の。
 他の子供たちが着ている制服とも、まるで違った。淡いピンクの丈の長いドレス、ふうわりと腕を包み込む袖。蝶の羽にも似た形の袖、フィシスの動きに合わせて揺れる。
 それから、細く金色に輝く鎖で頸に下げられた、ミュウの証の赤い石。誰の服にも付いている石。
 「どうして服に付いていないの?」と首を傾げて尋ねたフィシスに、ブルーは優しく、こう答えた。
 いつか素敵な大人になったら、この石を使って君に似合う首飾りを作ってあげる、と。
 その日が来るまではペンダントでいいと、こうして下げておくのがいいよ、と。
 大きくなったら、面差しも変わるものだから。
 幼い間に決めてしまうより、時を待ったら、より素晴らしく映える飾りが作れるだろうと。



 ブルーが大切に慈しむ少女。それは愛らしい、ミュウの生き神。
 フィシスをシャングリラに迎え入れて間もなく、船の仲間たちは、そう遠くない未来を思い描き始めた。誰からともなく、ごくごく自然に生まれて膨らんだ未来への希望。
 彼女が美しい大人の女性に成長したなら、素敵なことが起こるだろうと。きっと起こるに違いないから、もっと早く時が流れないものかと。
 それは閉ざされたシャングリラに住むミュウたちにとっては、別世界から来た夢のよう。船の外にはあるだろう世界、フィシスが運んだ新しい風。本でしか見たことが無かったもの。
 まるでお伽話の世界の出来事、一日も早くこの目で見たいと誰もが夢見る。
 夢は煌めき輝きを増して、自分もそれに携わりたいと願う者たちが一人、また一人と増えてゆく。
 そうして最初に夢を形にと、この手で紡ごうと思い立ったのはシャングリラの女性たちだった。
 今から紡いでも、けして早すぎはしないだろうと。
 充分な時がまだあるのだから、細かく細かく紡げるだろうと。



 女神を迎えたシャングリラ。
 雲の海の中で時は静かに、けれど確かに流れていって。
 穏やかな日々の中、頸から下げた赤い石をキラキラと揺らして、幼いフィシスはブルーと戯れ、無邪気に駆ける。開かぬ瞳を苦にもしないで、はしゃいで、靴も脱いでしまって。
 まだまだ小さく、ほんの子供な女神を捕えたブルーの腕。
 男性にしては華奢なブルーでも、ヒョイと持ち上げてしまえる羽根のように軽いフィシスの身体。
「捕まえた、フィシス」
 今日の鬼ごっこはこれでおしまい、とブルーはフィシスを高く抱き上げ、それからストンと床に下ろした。フィシスには此処が相応しいから、とブルーが選んだ天体の間。そこの床へと、磨き上げられた大理石の床へ。



 フィシスの弾んだ息が落ち着くのを待って、ブルーは穏やかな声音で問うた。小さな女神の前に屈んで、その顔を覗き込みながら。
「覚えているかい? ぼくが君を初めて捕まえた日から、明日で一年になるんだよ」
 君を捕まえて、みんなに君を紹介して。…あの日からもう、一年も経ってしまったなんてね。
「…そうだったわ。この船に来てから一年なのね…」
 とても早かったわ、ブルーに会ったのは昨日みたいな気がしているのに。
 …だけど、私は此処に来るまでのことを覚えてないから、長かったのかもしれないけれど…。
 だって、私には比べるものが何も無いんだもの。
 私の時間は一年前に始まったばかりで、その前は思い出せないんだもの…。
「大丈夫。…これから比べていけばいい。最初の一年、次の一年。この船で過ごした時の長さを」
 ぼくと一緒に長い時間を生きてくれるね、ぼくのフィシス。…ぼくの大切な、可愛らしい女神。
 どうか、ぼくにも女神の恵みを…、とブルーが取った小さな白い手。その甲に恭しく落とされた口付け、本物の女神にするかのように。
 フィシスは頬をほんのりと染めて、それは愛らしく頷いた。
「もちろんよ。ブルーと一緒に生きるのでしょ? このシャングリラで、ブルーと、ずっと」
 私はそのためにいるんだもの、と迷いもせずに返したフィシスを、ブルーは胸に抱き込んだ。こみ上げてくる愛しさと共に、幼いフィシスへの想いと共に。


 一年が満ちた、次の日のこと。
 いつものようにブルーを迎えて、お茶の時間を過ごしていたフィシス。まだ自分では淹れられないから、アルフレートが用意した紅茶を前にして。
 其処へ客の来訪をアルフレートが告げに来た。「お通ししてもよろしいでしょうか」と。
「お客様? …エラ様かしら、それともブラウ様?」
「いえ、それが…。フィシス様はさほど御存知ない方々かと」
 アルフレートが伝えた三人分の女性の名前。
 シャングリラで暮らす仲間たちの名は、ブルーから繰り返し聞かされているから、フィシスにも覚えはあるのだけれど。その顔までは思い浮かばない、流石に数が多すぎるから。
「…私に何の御用かしら…?」
 何処でお会いした方だったかしら、と不思議がるフィシスにブルーが微笑む。
「会ってあげれば直ぐに分かるよ。…アルフレート、通してあげたまえ」
「はい、ソルジャー」
 忠実な従者が案内して来た三人の女性は、些か緊張した面持ちで。
 暫く流れた沈黙の後に、真ん中の一人が思い切ったように口を開くと、差し出した包み。
「フィシス様、これを受け取って下さいますか? シャングリラの女性たちから、フィシス様への贈り物です」
 此処へいらしてから一年が経った記念にどうぞ、と手渡そうとする女性たちだけれど、フィシスにとっては思わぬ出来事。どうすれば、と途惑っていたら、ブルーが出した助け舟。
「遠慮しないで受け取るといいよ。シャングリラのみんなも喜ぶからね」
「…そうなの? 私、贈り物を貰えるようなことは一つもしていないのに…」
 いつもブルーと遊んでばかりよ、と困りながらも、フィシスは包みを受け取った。



 幼く小さなフィシスの手にも重さを感じさせない包み。まるで箱だけであるかのように。
 何なのだろう、と思うよりも前に、さっきの女性がおずおずとフィシスを見詰めて言った。
「…あの…。開けてみて頂けますか? フィシス様のお気に召すといいのですけれど…」
 お願いします、と願う彼女と、フィシスを見守るブルーの笑み。それは優しく、フィシスを促す。せっかくの贈り物なのだから、と。
「ほら、フィシス。開けてごらん」
 みんなを待たせちゃいけないよ。もう、それは君の物なんだから。
「……何かしら?」
 開かない瞳は包みを透して中を見ることも出来るのだけれど、それはいけないことだから。包んでくれた女性たちの気持ちを無にしてしまうと知っているから、そっと解いたリボン。くるんである紙も丁寧に剥がし、箱を開けてみて驚いた。
 幾重にも折り重なって畳まれた、真っ白な薄い、薄い生地。重さが無いのは糸だったから。生地の向こうが透けて見えるレース、それはさながら糸の宝石。
 繊細に編まれ、織り上げられた細工。蜘蛛の糸のように細い糸を編み、可憐な花の模様と枝葉を幾つも幾つも浮かび上がらせた…。



 どれほどの手間がかかったのだろうか、これだけの糸を編み上げるには。
 模様を織り込み、これほどに美しく、幅も長さもありそうなレースを作り上げるには。
 幼いフィシスには想像もつかない、その作業。糸を編んで生地に仕上げる仕事。どうして自分がそれを貰えるのか、理由も分からず、糸の細工を手にしていたら。
「この船の女性たちが力を合わせて作りました。レースを編むのは初めてでしたが、ライブラリーで資料を集めて、道具を揃えて、模様を決めて」
 何人もが何度も交替しながら編み上げました、と語った女性たちの顔に浮かんだ誇らしさ。一大事業をやり遂げたのだ、と満足そうな彼女たち。
 そして、彼女たちはこう付け加えた。
「フィシス様はまだ幼くていらっしゃいますから、今からドレスを御用意することは出来ません。ですから、皆でベールにしようと…」
 いつかソルジャーと御結婚なさる時にお使い下さい、このベールを。
「……結婚? 私が、ブルーと…?」
 そうだったの? と盲いた瞳で見上げたフィシスに、ブルーの笑みが向けられた。
「らしいね、フィシス。…ぼくと結婚してくれるかい?」
 君が大きくなったなら。この真っ白なベールを被るのに、相応しい女性になったなら。
「…そ、それは…。……喜んで……」
 だって私はブルーのものよ、と頬を真っ赤に染めたフィシスに、ブルーは、それは嬉しそうに。
「ありがとう、フィシス。…ぼくの女神」
 ぼくも楽しみに待っているから、と染まった頬に贈られた口付け。これは約束、と。
 他ならぬソルジャーの求婚とあって、女性たちから上がった歓声。彼女たちはベールに織り込まれた模様の意味を説明してから、天体の間を辞して帰って行った。
 糸で織られた花の模様はギンバイカ。美と愛の女神に捧げられた花、愛と不死と純潔の象徴の花。
 遠い昔から結婚式の花飾りや花嫁のブーケに使われた花だと、幸せな結婚を願って編んだ、と。



 フィシスがブルーの花嫁になる日をシャングリラ中の者が夢見て、待ち望んだ。婚礼の良き日が訪れるのを。
 一年近くも交替で絶えず作業を続けて、糸の宝石を編み上げた女性たちも。フィシスの愛らしさと地球に魅了された男性たちも、フィシスとさほど年の変わらない子供たちも。
 ミュウの長として皆を導き続けて来たソルジャーと、地球をその身に抱いた女神の結婚式。
 それはシャングリラ始まって以来の慶事なのだし、盛大な祝いの日となるだろう。
 紫のマントを着けたブルーがフィシスのベールをそっと持ち上げ、誓いの口付けを贈るだろう日。
 お伽話の王子と姫君さながらの婚礼、どんな画家にも描けないくらいに美しいカップルが誕生する日。きっと宇宙の何処を探しても、この二人よりも気高いカップルは誰にも見付け出せない。
 ブルーは皆の誇りだったし、フィシスは女神。
 今は幼くとも、その面差しには美の蕾が既に宿っていたから。育つにつれて花開くことは、誰の目にも容易に見て取れたから。
 ソルジャーの伴侶となるのに相応しい女神、似合いのフィシス。いつかブルーと釣り合う背丈に、年頃に成長したならば。
 フィシスが花嫁のベールを被る日、婚礼のためのドレスを纏ってブルーの許へと歩んでゆく日。
 シャングリラには祝福の声が溢れて、祝いの花飾りが船を彩るだろう。
 他にも色々、出来る限りの祝賀の行事。ライブラリーの資料でしか誰も見たことなどない、遠く遥かな昔の地球の王族の婚礼、ロイヤル・ウェディングと呼ばれた婚礼。
 国を挙げての結婚式をシャングリラの中で再現しよう、と意気込む者も多かった。この船の中で出来ることは、と書き抜いているような者たちも。
 皆がその日を夢見た婚礼、ベールの用意はとうに整い、被るだけになっていたのだけれど…。



「…出番が無いままでしたわね…」
 せっかく頂きましたのに、とフィシスがホウとついた溜息。その白い手に糸の宝石。
 もう何回目になるのだろうか、ブルーと二人でこの記念日を迎えるのは。ミュウの箱舟に初めて来た日を、シャングリラに迎え入れられた日を。
 あの日から長い歳月が流れ、淡いピンク色だった幼い日のドレスはもう過去のもの。今のフィシスが身に纏う色は、ブルーのマントと対をなすような紫がかった桃色になった。デザインもそれに似合いのものに。気品溢れる女性らしいものに、その美を引き立たせるものに。
 頸に下げていたペンダントの石も、今は華やかな細工の首飾りの中。細い首筋に輝く金色、その中に赤い色の石。ブルーの瞳を思わせる石、この船の皆が付けている石。
 ブルーの隣に並んで立つには、対となるには相応しい女神に成長を遂げたフィシスだけれど。それは美しく育ったけれども、あの遠い日に交わされた約束は今も果たされないまま。
 フィシスの華奢な白い手の中、花嫁のベールはあるというのに。
 細い細い糸で編まれたレースは、糸の宝石は、花嫁を飾る日を待っているのに。



 ブルーはフィシスに惜しみなく口付けを贈るけれども、抱き締めることもよくあるけれど。
 贈られるキスは頬に、額に、白い手の甲に。
 それが全てで、数え切れないほどに贈られた口付け、その中に一つも無かった口付け。唇へのキスは未だに贈られないまま、恋人同士のキスは無いまま。
 結婚式の日、カップルが交わす誓いのキスにも似た口付けは。唇を重ね合わせるキスは。
 そうなった理由は、仲違いではなくて、自然のなりゆき。
 結婚の約束を交わしたあの日は、二人とも気付いていなかっただけ。
 お伽話の王子と姫君のように、その日だけを夢に描いていたから。互いに惹かれ合う対であるなら、いつか結婚するものなのだと、心の底から信じていたから。
 だからブルーはフィシスに誓って、フィシスもそれに応えたけれど。その日が来るのを二人とも夢に見たのだけれど。
 こうして釣り合う姿になって初めて、お互い、ようやく気が付いたこと。
 ブルーには身体ごと、肉体ごと誰かの愛を求める感情が無くて、欲しいものは内側の魂だけ。魂を、心を宿しているから、その身の持ち主を愛するだけ。身体は魂の器だから。
 フィシスの方でもそれは同じで、ただ心だけが欲しかったから。愛してやまない心を宿したブルーが側にいてくれれば良かったから。
 それ以上を望みはしなかった。ブルーも、対となるべきフィシスも。
 互いの心が常に通い合い、深く結ばれていればそれで充分。口付けなどを交わさなくても、手と手を絡めることが出来れば、充分に心は満たされたから。
 互いが互いのためにいるのだと、心はいつでも繋がっていると、二人が共に抱いた想い。
 結婚式などもう要らなかった、誓いのキスを交わすことさえ。
 もう充分に幸せなのだし、互いの身体を重ねたいとは微塵も思いはしなかったから…。



 遠い昔に、幼かったフィシスがシャングリラに迎え入れられた記念日。
 いつかはその日に華燭の典をと、ソルジャーとミュウの女神の結婚式を、とシャングリラの皆が待っていたのに。ソルジャーの伴侶になって欲しいと誰もが望んでいたというのに、果たせなかった不甲斐ない女神。
 今年もその日が巡って来たのに、ベールの出番は来ないまま。花嫁を飾るベールの出番は。
 結婚式など要らない二人だったのだ、と皆は分かってくれているけれど、今では誰も結婚式をと口にすることも無かったけれど。
 それと知れる前に、皆が婚礼を夢見ていた日に貰ってしまった、心がこもった贈り物。
 花嫁になる日に使って欲しいと、ドレスを作るにはまだ早いから、と。
 気が遠くなるほどの時間と手間とをかけて、編み上げられた繊細な糸の宝石。シャングリラ中の女性たちが集い、交替で編んだというレース。
 幸せな結婚を祈るギンバイカ、美と愛の女神に捧げられた花。それを織り込み、思いをこめて編まれたベールをどうしたらいいというのだろう。
 いつまで待とうと、どれほどの時が流れ去ろうと、フィシスがベールを被る日は来ない。
 結婚式の日が来ない以上は、花嫁のベールの出番も来ない。
 このまま大切に仕舞い込まれて、たまにこうして手に取られるだけ。
 年に一度だけ、記念日が巡ってくる度に。
 結婚式はこの日にしようと、シャングリラの皆が夢を描いていた日。
 遥かな昔にブルーと結婚の約束を交わしたあの日。
 同じ日付が巡ってくる度、記念日の度に、溜息をつくしかないベール。
 こうなると思っていなかった頃は、心が躍ったものなのに。
 いつになったら被れるだろうと、ブルーの花嫁になれるだろうと。早く結婚式の日が来てくれないかと、何年待てばいいのだろうと。



 結婚式の日を夢見た少女は、もういない。
 それは叶わないと知った女神がいるだけ、花嫁になる日は来ない女神が。
 皆の心がこもったベールを、糸の宝石を無駄にしてしまった、どうしようもなく不甲斐ない女神。
 こんな筈ではなかったのに。この贈り物は晴れの日を迎える筈だったのに。
 どうしてこうなってしまったろうか、と溜息を零して眺めるしかない糸の宝石。
 細い細い糸を傷つけないよう、爪で引っかけてしまわないよう、そっと指先で撫でるだけ。
 今年もこの日が巡って来た、とレースに触れていたフィシスの白い手の上、そっと優しく重ねられた手。いつもはめているソルジャーの手袋、それを外したブルーの右手。
 ハッと驚いて顔を上げれば、ブルーの左手にも手袋は無くて。



「……出番ならいつか、あると思うよ」
 耳に届いたブルーの言葉。それが意味する所は一つ。
 花嫁のベールの出番があるのは結婚式だけ、婚礼の日だけ。ブルーはそれを望むのだろうか、いつか出番があると言うなら。
 その日は来ないと思っていたのに、結婚など自分は望まないのに。
 思わぬ言葉に固くなった身体、息をすることを忘れた唇。初めてブルーを怖いと思った、この人は何を望むのかと。いったい自分をどうしたいのかと、心だけでは足りないのかと。
 けれど、ブルーは「そうじゃない」と穏やかな笑みを浮かべた。そうじゃないよ、と。
「君とぼくとで使うんじゃない。…まだ分からないけれど、遠い未来に」
 きっと出番はあるだろうから、とブルーも糸の宝石を撫でる。手袋をはめていない手で。
「…ブルー…?」
 何を、と不安がフィシスの心を掠めてゆく。遠い未来という言葉。
 ブルーの命は長くはない。遠い未来までゆけるほどには。
 まだ当分は大丈夫だろうと、生きていられるとブルー自身が口にしているし、タロットカードもそうだと告げてはいるけれど…。
 けれど、その日は遠くはない。何十年も残ってはいないだろう寿命、いつか尽きるだろう命。
 分かりもしない遠い未来を生きてその目で見られるほどには、ブルーの時間は残されていない。
 そんな未来を口にされても、恐ろしくて身体が竦み上がるだけ。
 愛おしい人が、対になる人が、ブルーがいないだろう未来。
 自分は生きてゆけるのだろうか、ブルーがいなくなった世界で。
 たった一人で置いてゆかれて、それでも生きてゆけるのだろうか…。



「…心配しないで。ぼくのフィシス」
 まだまだ先のことなのだから、とブルーは首を左右に振った。ずっと先だよ、と。
 そう簡単に死にはしないし、まだまだ君と生きてゆくから、と。
「でも、ブルー…」
「ぼくの寿命は長くはない。遠い未来まで行けはしないと分かるけれども、まだ死なないよ」
 まだまだ君の側にいたいからね、と微笑んだブルー。まだ死ねない、と。
「そうは思っても、いつかは時が来るだろうから…。このベールの出番が来そうな時には、ぼくはこの世にいないだろう。でもね、フィシス…」
 ぼくの思いは生き続ける。それを忘れないで、ぼくの女神。
 君の中にも、これから先の若い世代にも、ぼくの思いはずっと継がれてゆくだろうから。
 このベールにこめられた思いのように、とブルーの指先が糸の宝石の上を辿った。
 細い細い糸を編んで織られたギンバイカの花。幸せな結婚を祈る模様を。
 ギンバイカが幾つも咲いているねと、これを被る花嫁はきっと幸せになれるのだろうと。



「ぼくたちはこれを使わなかったけれど…。結婚式を挙げはしなかったけれど…」
 次のソルジャーは、誰か素敵な人と恋をして結婚するかもしれないだろう?
 それとも、そのまた次のソルジャーが結婚式を挙げるのかな?
 そういう時には、このベールが役に立つんだよ。長く受け継がれて来たベールとしてね。
 君のベールの出番が来るんだ、きっといつかは。
「…次のソルジャー…。それに、その次のソルジャーだなんて…。その頃には今よりもずっと古いベールになっていますわ、そんな古いものを使うのですか?」
 新しい方がいいでしょうに、とフィシスは首を傾げてしまった。
 結婚式は華やかで晴れやかなもの。何もかも新しくするのが似合いだろうに、花嫁を飾るためのベールに古いベールを使うだなんて、と。
「ライブラリーで調べたんだよ、ベールのことを。…花嫁のベールはどういうものかを」
 この贈り物を、君はずいぶん気にしているから…。無駄にしてしまったと自分を責めているから、他に何か使い道が無いだろうかと思ってね。
 ベールのままで置いておく代わりに、結婚式が済んだら他の何かに仕立てるだとか。
 そうしたら、見付かったんだよ、フィシス。
 ベールはベールのままでいいんだ、このままの形で残しておけば。それが正しい使い方だよ。
 遠い遠い昔、ずっと昔に、人間が地球で暮らしていた頃。
 ヨーロッパと呼ばれた場所があってね、其処では結婚式のベールは受け継いでゆくものだった。親から子供へ、子供から孫へ。
 前の花嫁と同じベールを被ったんだよ、遠い昔の花嫁たちは。



 糸で編まれたものだったから、何百年もは流石に使えなかっただろうけれど、とブルーは語る。
 それでもベールが傷まない限り、大切に継がれていったのだろうと。
「ぼくたちの世界ではピンと来ないけれど、母親から子供へ、そのまた子供へ…。そうやって継いでゆくのがベールで、古いベールには祈りがこもっていたんだよ」
 母親や、もっと前の人やら、幸せな結婚をした花嫁たち。その人たちのように幸せに、と。
 今の世界は血の繋がった家族はいないし、次のソルジャーでかまわないだろう。君のベールを被る花嫁を迎える人は。…そのまた次のソルジャーでもね。
 それにね、古い物を使うことにも意味があったよ、結婚式では。
 同じヨーロッパにあった言葉で、サムシング・フォーというのがね。
「…サムシング……フォー?」
「そのままの意味なら、何かを四つ。…花嫁が幸せになるための言い伝えだよ」
 おまじないと言った方がいいのかな?
 結婚式には、新しい物を一つ、古い物を一つ。借りた物を一つと、青い物を一つ。そういう何かを着けた花嫁は幸せになれるらしいよ、それがサムシング・フォーなんだ。
 受け継がれてきたベールを被れば、古い物を一つ、身に着けたことになるだろう?
 君のベールは二重の意味で、いい贈り物になるんだよ。
 幸せを願って受け継がれてゆくベールな上に、サムシング・フォーの古い物を一つ。花嫁が幸せになれますように、と祈るおまじないが二重になっているんだから。



 だから、このベールは大切に残しておくのがいいよ、とブルーの指がなぞるギンバイカの模様。
 いつか使える時が来るまで、これを被る花嫁が現れるまで。
「…ぼくはこの目で見られないけれど、君が被せてあげるといい。その幸せな花嫁にね」
 そして、ぼくからの言葉を伝えて欲しい。
 次のソルジャー……。なんという名前か分からないけれど、その人といつまでも幸せに、と。
 ソルジャー・ブルーがそう言っていたと、伝えるようにと言われたから、と。
 そうしてくれれば、このベールはきちんと継がれるんだよ、次の世代へ。…ぼくの思いも。
 このベールは無駄になりはしないから、君は心配しなくてもいい。
 いつか素敵な贈り物になるのに決まっているから、大切に取っておきさえすれば。
「ええ、ブルー…。私のために調べて下さったのですね、このベールのこと…」
 そんな風に使える物だったなんて、夢にも思いませんでした。
 すっかり無駄になってしまったと、これを見る度に申し訳なく思うばかりで…。
 けれど、心が軽くなりましたわ、いつか役立つ日が来るのなら。
 このまま仕舞っておくのではなくて、被せてあげられる人が現れるのなら…。



 良かった、とフィシスがついた安堵の吐息。
 遠い日に贈られた糸の宝石、繊細な糸を編んだベールは次の世代に受け継がれるのだ、と。
 ブルーの隣で被る筈だった、花嫁のベール。被らないままになってしまったベール。
 その使い方を、それは素晴らしい使い道を調べて来てくれたブルー。いつも自分を気遣ってくれる、温かく心優しいブルー。
 結婚式は挙げないままだったけれど、花嫁になりはしなかったけれど。
 花嫁になるより、伴侶になるより、ずっとブルーに近い所で長い年月を過ごして来た。
 そう思うから、手袋をしていないブルーの手を取り、そっと握った。
 この人の側にずっといたいと、いつまでも共に生きてゆきたいと。
「ブルー…。あなたが仰るのなら、このベールは大切に取っておきますわ、これからも」
 あなたの思いを、あなたと過ごした幸せな日々を、遠い未来の花嫁たちに届けましょう。ベールを被せてあげる時には、あなたからの言葉を必ず添えて。
 でも、ブルー…。今はまだ、あなたの言葉は誰にも伝えはしませんわよ?
 伝える相手がいないのですから、とフィシスは胸を過った不安を消そうとブルーの手を強く握り締めた。華奢なその手で、離すまいとして。
 いつかは逝ってしまうだろう人、自分を置いてゆくのだろう人。
 その日はまだまだ来ないのだからと、今は二人でいるのだからと。



「あまり意地悪を仰らないで。…まだ見えもしない未来のことなど」
 伝えてくれだなんて、そんな日はまだ来ませんわ。ずっと遠くで、まだまだ先で…。
 なのに今からそう仰られると、考えただけで恐ろしくなってしまいます。
 あなたがいらっしゃらないだなんて、私が一人で残されるなんて…。
 それを思うと、あなたと一緒に逝ってしまいたくなりますもの。この世界に私一人だなんて…。
「いけないよ、フィシス。ぼくと一緒に来てはいけない、君はミュウの女神なのだから」
 それに…。君が語ってくれなかったら、ぼくはすっかり忘れ去られてしまいそうだ。年寄りのことなど、若者はすぐに忘れるものだよ、彼らには未来があるのだから。
 生きてくれると約束して、とブルーはフィシスの白い手を強く握り返した。君は生きて、と。
「ぼくの思いを、ぼくが生きた証を伝えて欲しい。…遠い未来に、この花嫁のベールと一緒に」
 …シャングリラの皆はソルジャーとしてのぼくしか、きっと覚えていないだろうから…。そうでないぼくを。ぼくの思いを。君を愛して、君と共に生きたぼくの記憶を…。
 花嫁に被せてあげる時に。
 ぼくの言葉を伝えてくれる時に、ぼくがどんなに幸せに生きていたのかを。
 君と一緒に生きていた日々は、とても幸せなものだったと…。



 このベールはそれを託すためには、きっと何よりも相応しいから、とブルーが撫でる糸の宝石。
 幸せな結婚を祈るギンバイカの模様の、繊細なレースの花嫁のベール。
「そうですわね…。あなたと結婚式を挙げるために、と頂いたベールですものね」
 結婚式を挙げるつもりでした、と必ず伝えておきますわ。
 挙げる必要が無いと思ったから、式は挙げずにいましたけれど、と。
「すまない、フィシス。…結婚しようと約束したのに、破ってしまって」
 ウェディングドレスを作らせることも、着せてあげることも出来ないままで…。
 きっと君には似合うだろうに、とブルーが持ち上げた糸の宝石。手袋をはめてはいない両手で、そうっと広げてフィシスの頭へ。金色の髪が輝く上へとそれを被せた、そう、まるで花嫁のベールのように。
「…ブルー…?」
 何を、とフィシスは途惑ったけれど、ブルーが「似合うよ」と浮かべた微笑み。
「結婚式は出来なかったけど…。一度も使っていないベールを次の世代に譲るというのも、変な話だと思わないかい?」
 …綺麗だよ、フィシス。思った通りにとても素敵だ……。
 それだけで君は花嫁に見える、とブルーが顔を綻ばせたフィシスの立ち姿。床まで届いた髪を覆ってまだ余りある糸の宝石。遠い日に編まれた花嫁のベール。
 ブルーはフィシスをうっとりと眺め、やがて両腕で強く抱き寄せた。ギンバイカの模様を織り出した純白の花嫁のベールごと。使われることがついに無かった、糸の宝石ごと。
 そうしてそのまま溶け合ったように、二人は長いこと動かなかった。
 命の通った彫像のように、言葉を交わすことさえせずに。
 ただ心だけを通い合わせて、互いの想いを通い合わせて、抱き合ったままで…。



 ミュウの長と、地球をその身に抱く女神の心触れ合わせるだけの恋。
 魂だけがあれば充分だった恋、身体は要らなかった恋。
 お伽話の王子と姫君、それほどに似合いの対なのに。互いが互いのためにいるのに。
 これ以上の愛は、恋は無いだろうに、結婚式すらも挙げなかった二人。
 側にいられればそれだけでいいと、その上に何を望むのかと。
 誰よりも深く愛し続けて、恋をし続けた二人の想いを、真実の愛を知るのは糸の宝石だけ。
 たった一度だけフィシスを飾った、ブルーが被せた糸の宝石。
 遠い未来まできっと受け継いでゆかれるのだろう、ギンバイカの模様の花嫁のベール。
 それに秘められた二人の想いに気付く花嫁を迎える者は、次のソルジャーか、そのまた次か。



 フィシスがベールを被せる花嫁、結婚式を挙げる花嫁。
 その時にはもう、ブルーは遠くへ逝ってしまっているのだけれど。
 フィシスを残してゆくのだけれども、その日まではまだ遠いのだから。
 まだまだ二人の恋は続くから、遠い未来へと祝福を贈る。
 遥かな未来に生きる花嫁に、その晴れの日に。
 ソルジャー・ブルーと、彼のためにだけ生きるフィシスから思いをこめて。
 ……どうか、いつまでも幸せに。
 幸いに満ちた道であるよう、幸せに生きてゆけるよう。
 自分たちのためにと贈られたベールを受け継いでゆく、まだ見ぬミュウの花嫁たちよ。
 彼女たちが愛する伴侶と生きる未来が幸多きものであるように。
 フィシスが贈られた糸の宝石、それを次へと、またその次へと幸せに受け継いでゆけるよう。
 自分たちが今、こうして幸せであるように。
 ミュウの長と地球を抱く女神が、幸せに満ちているように……。




         糸の宝石・了

※元々は「ブルフィシ好き」だったんです、というお話。ROM専だった時代のこと。
 今じゃ立派にハレブルな人で、誰も分かってくれないと思う…。







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(……パパ、ママ……)
 もう顔さえも、はっきり思い出せやしない、とシロエが噛んだ唇。
 一日の講義が終わった後で、E-1077の個室で。
 エリートを育てる最高学府と、名高い此処。
 目覚めの日を控えた子供たちの憧れ、其処に自分は来られたけれど…。
(…その代わりに…)
 何もかも忘れて、失くしてしまった。
 育ててくれた両親も家も、懐かしい故郷の風や光も。
 成人検査で奪われた記憶。
 「捨てなさい」と、過去の記憶を消し去った機械。
 子供時代は消えてしまって、残ったものはピーターパンの本だけだった。
 たった一つだけ、故郷と「自分」を繋いでくれる宝物。
 残念なことに、「いつ貰ったか」は、どうしても思い出せないけれど。
 両親が贈ってくれた日のことは、何も覚えていないけれども。
(…それと同じで…)
 宝物の本をくれた両親、その二人の顔も、おぼろなもの。
 「こんな風だった」と記憶はあっても、正確には思い出せなくて。
(…まるで焼け焦げた写真みたいに…)
 あちこちが欠けた「両親の顔」。
 「パパの姿は、こんなのだった」と、大きな身体を覚えてはいても。
 キッチンに立つ母の姿を思い出せても、その顔までは出て来ない。
 どれほどに努力してみても。
 なんとかヒントを掴み取ろうと、懸命に記憶の糸を手繰っても。
(……マザー・イライザは、ママに似ていて……)
 最初は「ママなの?」と思ったほどだし、参考になるのは「それ」くらい。
 憎らしい機械の化身とはいえ、貴重な「マザー・イライザ」の姿。
 「あれがママだ」と、描きとめる日もあるほどだから。
 さほど上手いとは言えない腕でも、似顔絵を描いてみたりするから。
 「忘れてしまった」母の姿を描きたくて。
 これが母だと思える似姿、それを自分で描けたなら、と。


 そうして忘れまいとするのに、日ごとに薄れてゆく記憶。
 このステーションに来て間もない頃より、「欠けた部分」は大きくなった。
 E-1077に着いて直ぐなら、両親の顔は「ただ、ぼやけていた」だけだったのに。
 全体に靄がかかったかのように、定かではなかったというだけのこと。
 それが今では、焼け焦げた写真を見るかのよう。
 「パパの顔は…」と思い浮かべても、欠けた部分が幾つもあって。
 大好きだった母の顔さえ、幾つもの穴が開いていて。
(…パパとママだと、どっちが、ぼくに似てたんだろう…?)
 何の気なしに思ったこと。
 SD体制が敷かれた時代は、両親の血など、子供は継いではいないけれども。
 人工子宮から生まれた子供を、機械が養子縁組するだけ。
 養父母の資質や、子供の資質を考慮して。
 「この子は、此処だ」と送り届けたり、養父母の注文を聞いたりもして。
(…次の子供は、女の子がいいとか…)
 最初は男の子を育てたいとか、そういった希望も通るらしい。
 機械が許可を出した場合は、注文通りの子供が届く。
 目の色も髪も、肌の色までも、養父母が「欲しい」と思った通りの子が。
(…養父母になる人が、希望したなら…)
 絵に描いたような「親子」も出来る。
 遠い昔は、「息子は母親の顔立ちを継いで、娘は父親に似る」とも言われた。
 その時代を再現したかのように、母親そっくりの「息子」とか。
 父親と面差しの似た「娘」だとか、そういう例もあるだろう。
 養父母に連れられた子が歩いていたなら、「まあ、そっくり!」と皆が褒めるとか。
 「お父さんの顔に似てるわね」だとか、「お母さんに、なんて似てるのかしら」だとか。
 機械が子供を「配る」時代に、血縁などは有り得ないのに。
 本当の意味での「母親似の息子」や、「父親似の娘」は、いはしないのに。
 けれど、「両親」が揃っているなら、やはり「どちらか」には似るのだろう。
 「母親に似た息子」ではなくて、「父親そっくりの息子」でも。
 「父の面差しに似た娘」はいなくて、「母親に顔立ちが似た娘」でも。


 自分の場合は、いったい、どちらだったのか。
 「セキ・レイ・シロエ」は、母親似だったか、はたまた父に似ていたのか。
(…パパは、身体が大きかったから…)
 小柄な自分は、母親の方に似ていたろうか。
 「男の子は、母親に似る」という昔の言葉通りに、母の面差しを持っていたろうか。
 母の血を継いだわけではなくても、傍から見たなら「似ていた」とか。
 輪郭が母親そっくりだとか、目鼻立ちが似ているだとか。
(…パパの鼻とは似ていないよね…)
 まるで焼け焦げた写真みたいに、あちこちが欠けた記憶でも分かる。
 父の鼻は「自分と似てはいない」と。
 それよりは母の方なのだろうと、「ママの鼻の方が、ぼくに似てる」と照らし合わせて。
(…輪郭は、パパが太ってなければ…)
 あるいは父に似たのだろうか。
 父が太ってしまう前なら、「シロエのような」輪郭を持っていたかもしれない。
 髪の色だって、あんな風に白くなる前だったならば、黒かったろうか。
 母の髪の色は「黒」ではない。
 「黒い色の髪」を持った子供を、両親が希望したのなら…。
(…若かった頃のパパは、黒髪…)
 その可能性は充分にある。
 優しかった父なら、「自分に似た子」が欲しいと注文しそうだから。
 母にしたって、父の意見に大いに賛成しそうだから。
(鼻の形はママに似ていて、髪の色がパパで…)
 輪郭は、どちらか、よく分からない。
 あの父が「若くて痩せていた頃」の写真なんかは、知らないから。
 もしも見たことがあるにしたって、記憶は機械に消されたから。
(…肌の色は、パパもママも、おんなじ…)
 自分と同じ肌の色だし、其処は「本物の親子」のよう。
 これで目鼻立ちが「そっくり」だったら、「シロエ」は実の子にだって見える。
 「母親に似た息子」でなくても、「父親に似た息子」でも。


(…ぼくは、どっちに似てたんだろう…)
 今では記憶も定かではない、故郷で暮らしていた頃は。
 両親と何処かへ出掛けた時には、他の人の目には、どう映ったろうか。
 「ただの養子だ」と見られただけか、「親に似ている」と思われたのか。
 父親にしても、母親にしても、まるで血縁があるかのように。
(…そうだったなら…)
 きっと「自分の姿」の中に、両親のヒントもあるのだろう。
 鏡に向かって眺めていたなら、「これがママだ」と思える部分が見付かるとか。
 「パパそっくりだ」と懐かしくなる何か、それが自分の顔にあるとか。
(…口元なんかは…)
 表情によって変わるものだし、分かりやすいのは瞳だろうか。
 とても優しく微笑む時も、驚きで丸く見開かれた時も、瞳そのものは変わらない。
 「目の大きさ」は変わって見えても、「瞳の色」は。
 持って生まれた「目の色」だけは、どう頑張っても変えられはしない。
 色のついたレンズを、上から被せない限り。
 青い瞳でも黒く見せるとか、そういったカラーコンタクトレンズ。
(…養父母コースに行くような人は…)
 子供の前では、そんなレンズを嵌めて暮らしはしないだろう。
 父親はもちろん、「化粧をする」母親の方にしたって。
(……ぼくの目の色は……)
 パパとママと、どっちに似ていたのかな、と考える。
 血こそ繋がっていないけれども、「母親譲り」の瞳だったか。
 それとも父にそっくりだったか、どうなのだろう、と。
(…ぼくの瞳は、菫色で…)
 どちらかと言えば、個性的な色の部類に入る。
 ありふれた瞳の色ではないから、両親の瞳が菫色なら…。
(それだけで、立派に親に似ていて…)
 きっと自慢の息子だったよ、と考えた所で気が付いた。
 父の瞳も、母の瞳も、「色さえ、分からない」ことに。
 機械が奪ってしまった記憶は、両親の目元を「完全に消している」ことに。


(……そんなことって……)
 酷い、と改めて受けた衝撃。
 瞳の色が分からないこともショックだけれども、その目元。
 「人の顔立ち」は、目元に特徴が出るものなのに。
 写真で身元がバレないように細工するなら、目元を「消しておく」ものなのに。
(…パパやママの目の色も、分からないのなら…)
 目元を思い出せないのならば、どう頑張っても、顔立ちは「思い出せない」のだろう。
 「こんな風かも」と思いはしたって、決め手に欠けて。
 輪郭や鼻や髪の色なら、赤の他人でも「似る」ものだから。
 「似たような顔だ」と思える顔なら、この世に幾つもあるのだから。
(……テラズ・ナンバー・ファイブ……)
 あいつは其処まで計算してた…、とギリッと噛み締める奥歯。
 両親の「目元」を、真っ先に消して。
 まるで焼け焦げた写真みたいな両親の記憶、二人とも「目元」が見えないから。
(…ぼくの目の色は、パパに似てたか、ママに似てたか…)
 どちらにも似ていなかったのか。
 分からないのも悔しいけれども、「目元が分からない」のが辛い。
 目元を隠した写真だったら、赤の他人でも、父や母のように「見える」だろうから。
 機械は其処まで計算した上で、「シロエの記憶」を奪ったから…。

 

         両親の面差し・了

※シロエが思い出すことが出来ない、両親の顔。そういえば目元が欠けていたっけ、と。
 「目元を隠す」のは身バレ防止の定番なだけに、ソレだったかな、というお話。









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(……今のは……)
 ミュウか、とブルーが見開いた瞳。
 右の瞳は砕けてしまって、視界は半分だったけれども。
 禍々しく青い光が満ちた、メギドの制御室。
 母なる地球の青とは違った、人に破滅をもたらす光。
 いったい人類は何を思って、こんな兵器を作ったのか。
 元は惑星改造用にと作られたものを、破壊兵器に転用してまで。
 これを沈めに、此処まで来た。
 させまいと現れた「地球の男」を、道連れにする筈だった。
 この身に残ったサイオンを全て、かき集めて。
 自ら制御を外してしまって、暴走させるサイオン・バーストで。
 けれど、叶わなかった「それ」。
 地球の男は、目の前で消えた。
 「キース!」と、彼の名を叫んだ青年と共に。
 どう考えても「ミュウの力」で、瞬間移動で何処かへと飛んで。
(……何故、ミュウが……)
 人類の船に乗っているのか、キースを救いに駆け付けたのか。
 そういえば、シャングリラで耳にしたろうか。
 「思念波を持つ者が、人類の船でナスカに来た」と。
 「地球の男を救って逃げた」と、メギドの劫火が襲うよりも前に。
(…ならば、噂は…)
 噂ではなくて、「本当にあった」ことなのだろう。
 「地球の男」は「ミュウ」を連れていて、ミュウの力で命拾いをしたのだろう。
(……もし、そうならば……)
 ずっと遥かな先でいいから、「地球の男」の「考え方」が変わればいい。
 「人類とミュウは兄弟なのだ」と、「分かり合える」と。
 彼が考えを変えてくれたら、手を取り合える日も来るだろう。
 「地球の男」は、「ただのヒト」ではないのだから。
 フィシスと同じに無から作られ、人類を導く指導者になる存在だから。


 そんな日がいつか、来てくれればいい。
 自分は見届けられないけれども、人類とミュウが手を取り合う日が。
 もう「シャングリラ」という「箱舟」は要らず、踏みしめられる地面を得られる時が。
(……ジョミー……。みんなを頼む!)
 この身が此処で滅ぶ代わりに、メギドの炎は「持って逝く」から。
 「ソルジャー・ブルー」はいなくなっても、皆の命を遠い未来へ繋いで欲しい。
 ナスカで生まれた子たちはもちろん、前から船にいた者たちの命をも。
 青い地球まで無事に辿り着き、白い箱舟から降りられるよう。
 赤いナスカは砕けたけれども、地球で命を紡げるよう。
(……この目で、地球を見られなくても……)
 充分だった、という気がする。
 ミュウの未来を生きる子たちを、七人も見られたのだから。
 「地球の男」を救ったミュウには、「未来への希望」を貰ったから。
 それ以上のことを望むというのは、きっと贅沢に過ぎるのだろう。
 一番最初のミュウとして生まれ、実験動物として扱われた日々。
 生き地獄だった檻で生き延び、皆と宇宙へ旅立った。
 「ソルジャー・ブルー」と仲間たちから慕われ、三世紀以上もの歳月を生きた。
 焦がれ続けた青い地球には、行けなくても。
 肉眼で夢の星を見るのは、叶わなくても。
(……充分だ……)
 この人生に悔いなどは無い。
 ミュウの未来が、先へと続いてくれるなら。
 いつの日か、白い「ミュウの箱舟」が、役目を終えてくれるのならば。


 未来への夢と希望とを抱いて、終わった命。
 メギドが滅びる青い閃光、それと一緒に「消え去った」全て。
 気付けば、秋が訪れていた。
 「秋だ」と感じて、目覚めた意識。
 色づいた木々と、とても穏やかな公園と。
 頭上には青い空が広がり、木々の向こうには街並みも見える。
(……地球……?)
 此処は地球だ、と直ぐに分かった。
 どれほどの時が流れたのかは、まるで全く分からないけれど。
 それに「自分」が、「何故、目覚めたか」も。
 どうやら「自分」は「ヒト」の身ではなく、地面に根付いた「木」のようだから。
 他にも並んだ木々と同じに、色づいた葉たち。
 公園を彩る木たちに交じって、「今の自分」も植わっていた。
(…地球に来たのか…)
 ヒトでなくても「来られた」のか、と幸せな思いが満ちてゆく。
 青い地球まで来られたのなら、もう本当に満足だから。
 たとえ名も無い木であろうとも、自分は「地球にいる」のだから。


 そうして眺めた下の地面に、置かれたベンチ。
 其処に座った少年の顔に、ただ驚いた。
 「地球の男」が少年だったら、こういう顔になるのだろう。
 その少年は、静かに本を読んでいるけれど。
「何処、蹴ってんだよ!」
 そう声がして、飛んで来たボール。
 サッカーボールは少年の手から、読んでいた本を叩き落とした。
「ごめん! …本当にごめん…」
 駆けて来て本を拾った少年、彼の顔立ちは、あの「ジョミー」にしか見えなくて…。
(……ジョミー……?)
 それにキースが此処にいるのか、と見詰める間に、二人の瞳から溢れた涙。
 二人とも、思い出したのだろうか。
 かつて「ジョミー」と「キース」だった二人が生まれ変わって、この公園で出会ったろうか。
「…不思議だね。ぼくたち、遠い昔に友達だったのかもしれないな」
「敵同士だったのかも?」
「…でも、こうやって会うことが出来た」
 キースに似た少年が差し伸べた手を、ジョミーのような子は取らなかったのだけれど。
 サッカー仲間の子から呼ばれて、そちらへと走り出したのだけど。
「おーい! 君も一緒にやろうぜ!」
 ジョミーに似た子が、誘った「キースのような」少年。
「あ、ああ…!」
 誘われた少年は、本をベンチに置くなり、ただ真っ直ぐに駆け出した。
 たった今、出来たばかりの「友達」、その子とボールを蹴りにゆくために。
 本を読むより、その方がいい、と。


(……あの二人は、地球で……)
 もう一度、巡り会えたのだろう。
 人類とミュウとが和解した先の遠い未来か、ほんの一世紀ほど先の未来かで。
(…それならばいい…)
 ぼくが望んだ「未来」は訪れたのだから、と「キース」が置いた本を見下ろす。
(……ピーターパン……?)
 この本にも、意味があるのだろうか。
 此処でこうして立っていたなら、「ピーターパンの本」を知る子が来るのだろうか。
(……ぼくには、心当たりが無いが……)
 キースの側には、そういう「誰か」がいたかもしれない。
 もしかしたら、メギドで「キースを救った」ミュウの青年だっただろうか。
 それとも他にも誰かいたのか、其処までは分からないけれど…。
(…ぼくは此処から、見守ることしか出来なくても…)
 せっかく地球まで来られたのだから、皆が「出会う」のを見られたらいい。
 ベンチには座り切れないくらいに、「キース」や「ジョミー」の友が大勢、増えるのを。
 その顔の中に、「見知った誰か」が加わるのを。
(今は秋だから、冬になったら…)
 公園に集う人間たちの数は減っても、来年の春には「友達」が増えていたらいい。
 ピーターパンの本を好む子だとか、「自分」にも分かる顔の子だとか。
 「あれは、あの子だ」と気付く誰かが、加わったらいい。
 自分は「その輪」に入れなくても、「ジョミーたち」の上に心地よい陰を作ってやろう。
 暑い夏でも、強すぎる日差しを避けられるように。
 「この木の下が、一番いいね」と、皆の気に入りの場所になるよう。
 誰も気付いてくれなくても。
 「ブルーだ」と分かって貰えなくても、ちゃんと「自分」は此処で見ている。
 ミュウの箱舟が要らない世界で、「憩いの場」を作れる一本の木に姿を変えて。
 焦がれ続けた青い星の上で、夢に見ていた「ヒトの未来」が紡がれるのを…。

 

          青い星の上で・了

※あの17話の日から、ついに10周年という。早かったような、長かったような。
 転生キースとジョミーを扱ったのは初です、10周年の記念創作なら、コレだろう、と!









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「ちょいと、ハーレイ」
 マジなのかい、と若きブラウが呼び止めた相手は、若きハーレイ。
 まだアルタミラを脱出してから、それほど時が流れてはいない。船の行先も決まっていなくて、暗い宇宙を放浪の日々。船の名前だけは「シャングリラ」と改名したのだけれど。
 「理想郷」の名を持つ、元は人類のものだった船。その船の中で、最近、囁き交わされる噂。
「…何なんだ、ブラウ? 急にマジかと訊かれても…」
「アンタ、あの噂を知らないのかい? 火元はアンタだと思ったんだけどね」
 ブルーと仲良くしてるじゃないか、とハーレイを見上げるオッドアイの瞳。ハーレイは、ようやくピンと来た。ブルーに関する噂だったら、アレだろう、と。
「…ブルーの年か? 我々よりも遥かに年上だという話だったら、本当だぞ」
「ちょ、ちょっと…! 簡単に言わないでくれるかい? ブルーと言ったら…」
 この船で一番のチビじゃないか、とのブラウの指摘は間違っていない。アルタミラ脱出の時に、皆が目を瞠った最強のサイオン。ただ一人きりのタイプ・ブルーが「ブルー」。
 けれど、ブルーは「チビ」だった。成人検査を受けた時から、まるで成長していなくて。
 ハーレイでさえも、暫くの間は知らなかった。「年下なのだ」と思い込んだまま、親身になって世話をしていたほど。「小さいんだから、しっかり食べろ」と言い聞かせもして。
 ところが、ある日、その言い回しが、こうなった。「子供なんだから、しっかり食べろ」と、意識しないで、同じ意味のつもりで。
 するとブルーは、キョトンとして…。
(…子供じゃないよ、と答えたモンだから…)
 ハーレイの方も負けてはいなくて、「子供だろうが」とブルーを睨み付けた。「目覚めの日」の十四歳を迎えた子供は、大人の世界の入口に立つ。養父母の家を離れて、教育ステーションへと旅立って。其処で四年間、教育を受けて、ようやっと…。
(大人社会の仲間入りだし、その辺の所を、キッチリ言い聞かせないと、と…)
 ハーレイは、ブルーにこう言った。「目覚めの日を迎えた程度じゃ駄目だ」と、その後の教育期間を挙げて、「お前は、まだまだヒヨコなんだぞ」と厳しい顔で。
 なのに、ブルーは「子供じゃないから」と繰り返した上で、こう訊き返した。「ハーレイは、今は何歳なのさ?」と、小生意気に。
(でもって、俺が答えたら…)
 勝ち誇るかのように、「ぼくの勝ちだ」と笑ったブルー。「ぼくは君より、ずっと年上」と、自分が生まれた年号を「SD何年」とサラリと告げて。


 ブルーに限らず、この船の面子は「誕生日」などは覚えていない。成人検査と、その後に続いた過酷な人体実験の数々。それにすっかり記憶を奪われ、全部忘れ去って。
 それでも「覚えている」のが年齢、実験の副産物とも言えた。
 実験の度に、研究者たちが確認していたものだから。「被験者は、今は何歳のミュウか」と、生まれた年の年号と共に。
(…俺の場合も、そうだったわけで…)
 生まれた年の年号だけは「覚えていた」。今、何歳になるのかも。
 「チビのブルー」が答えた年号、それと「自分の生まれ年」とは、恐ろしいくらいに差があった。SD体制が始まるよりも前の時代だったら、「親子」どころか「孫と子」でも、充分、通りそうなほどに。
(本当なのか、と驚いたんだが、ブルーは「嘘じゃないよ」と言ったし…)
 会話していた場所は食堂。
 他にも仲間が食事していて、会話を耳にした者もいた。「お前、年上だったのか!?」と、ものの見事に引っくり返った「ハーレイの声」も。
 お蔭で噂が船に広まり、こうしてブラウが訊きに来た。「マジなのかい?」と、「信じられない」といった表情で。
「こんな所で、嘘をついても仕方ないだろう。…事実は事実だ」
「じゃ、じゃあ…。ブルーは不老不死ってことかい?」
 その年で、あんな姿だったら…、とブラウは愕然としたのだけれども、「不老不死」ではなかったブルー。
 皆が「シャングリラ」と名付けた船で旅をする内に、ブルーも育ち始めたから。
 明らかに「チビ」だった背が少しずつ伸びて、顔立ちの方も大人びて来て。
(よしよし、ちゃんと育っているな)
 ハーレイは大いに満足だった。「しっかり食べろ」と何度も言った甲斐があった、と「チビだったブルー」の成長ぶりに。
(…きっと、アルタミラにいた頃は…)
 栄養不足だったんだな、とも考えた。
 「ただ一人きりのタイプ・ブルー」は、他に「被験者がいない」だけあって、全ての実験を一人で背負うしかなかった筈。それでは、いくら栄養を与えられたって…。
(全部、防御に回してしまって…)
 成長のためのエネルギーには、回せなかったことだろう。まずは「生き延びる」ことが大切、成長してゆくことよりも。
 今は「シャングリラ」で暮らしているから、ブルーが摂った栄養分は、「育つ」方へと向けられたのに違いない。骨や筋肉をせっせと作って、立派に成長できるようにと。


 ハーレイの読みは当たっていたけれど、そうやって成長し始めたブルー。
 やがて、それは美しく気高い姿を手にしたものの、またまた「止まってしまった」成長。今度はブルーが「自分の意志で」止めていた。皆に「ソルジャー」と呼ばれる立場になったから。
(…ぼくが、みんなを守らないと…)
 シャングリラは沈むかもしれない。人類軍の船に見付かったりしたら、攻撃されて。
 名前こそ「シャングリラ」と変わったけれども、船そのものは「コンスティテューション号」だった頃のまま。改造するような余裕も無ければ、武装してさえいない船。
(…多分、今くらいが力の頂点だろうから…)
 これ以上、年を取っては駄目だ、とブルーは自分の年齢を「止めた」。
 ミュウは「精神の生き物」なのだし、そうすることは実に容易い。ただし、本人に「その気」が無ければ、人類と同じに老けてゆく。文字通り、馬齢を重ねるように。
 船の仲間は、誰一人として「其処に」気付いていなかったから…。
「…ちょいと、ハーレイ」
 ずっと昔と「まるで同じに」、ブラウが「呼び止めた」キャプテン・ハーレイ。
 今では、船の改造も済んで、皆の制服だってある。雲海の星、アルテメシアに潜んで、ミュウの子供の救出も始めているのだけれど…。
「なんだ、ブラウ? 航路設定なら、もう打ち合わせ済みだと思うが」
 昼の間に…、とハーレイが見詰める「ブラウ航海長」。船内は夜間シフトに入って、通路を歩く者も少ない。ハーレイもブラウも、ブリッジから引き揚げてゆく途中だった。
「…アンタ、ブルーをどう思う? そのぅ…。言いにくいんだけれどね…」
 ブラウが言葉を濁すものだから、ハーレイが眉間に寄せた皺。それは不快そうに。
「どう思う、だと? 俺がソルジャーに、恋愛感情を持つと思うのか!?」
 見損なったぞ、とハーレイは怒鳴ったけれども、ブラウは「そうじゃなくて…」と、慌てて両手を左右に振った。「違う、違う」と、懸命に。
「ずっと昔に訊いただろ? ブルーは不老不死じゃないのか、って…」
「そういえば…。それがどうかしたか?」
「今のブルーだよ、そのまんまじゃないか! 一人だけ若い姿のままで…」
 アンタも私も老けてるのにさ、とブラウが指差す自分の顔。「他の仲間も年を取った」と、特にゼルなどは「生え際がヤバい」くらいの姿になりつつある、と。
「……う、うぬう……。そうかもしれん……」
 確かにブルーだけが若いな、とハーレイも頷かざるを得なかった。今度は「栄養不足」などでは説明できない、ブルーの「若さ」。
「ほらね、アンタも変だと思っているんだろう。…理由を言わない所を見ると」
「いや、思い当たる節が全く無くて…。それに、気付いていなかった」
「呑気なもんだね、男ってのは。いいから、ブルーに訊きに行って来て欲しいんだけどね」
 若さの秘訣というヤツを…、とブラウはズズイと詰め寄った。「アンタだったら、聞き出せるだろう」と、「女心が分かるんならね!」などと。
 早い話が、ブラウは「女性」。一番の友達のエラも「女性」で、女性だからこそ気になる容色。今よりも老けずにいられるのならば、どんなことでもしたいもの。
 ゆえに、「不老不死」っぽく、若さを保つブルーの「秘密」を…。


(この俺に、訊きに行けってか…!?)
 なんでまた…、と思いはしても、ハーレイだって「気になる」生え際。ゼルと違って、まだ目に見えてはいないけれども、最近、増えて来た「抜け毛」。
(…オールバックで、生え際がイってしまったら…)
 どう誤魔化せばいいというのか、見当もつかない話ではある。第一、威厳たっぷりのキャプテンの制服、それに似合いのヘアスタイルをするとなったら…。
(…バーコードなどは論外なのだし、いっそスキンヘッドにした方が…)
 まだマシというものだろうか、と考えたことは、一度や二度で済んだりはしない。その「生え際の危機」を防げるのならば、ブルーに頭を下げてでも…。
(若さの秘訣を聞き出すのが、だ…)
 何かと「お得」というものだろう、とハーレイは足を青の間に向けた。思い立ったが吉日と言うし、訊くなら早い方がいい。こうする間にも、刻一刻と…。
(生え際の危機が進行中で、ブラウやエラは肌のハリだの、ツヤだのが…)
 衰えてゆくというのだからな、とハーレイが急いだ、青の間への通路。「失礼します」とドアをくぐって、緩やかなスロープを上がってゆくと…。
「どうしたんだい、こんな時間に?」
 何か急ぎの用だろうか、とブルーが赤い瞳を瞬かせた。まだ寝る時間ではなかったらしくて、ソルジャーの衣装を身に着けたままで。
「急ぎには違いないのですが…。船のことではなく、こう、つまらないことでして…」
「…それにしては、えらく真剣そうだけど?」
「は、はい…! 私にとっては生え際の危機で、ブラウとエラは肌の危機らしく…」
 実はこういうことでして…、とハーレイは「くだらない」質問をしながら、冷汗ダラダラ。なにしろ相手は「ソルジャー」だけに、「若さの秘訣」を訊いていいやら、悪いやら。
(…我々には、とても真似られないような方法だったら…)
 きっとブルーも「言いづらい」。
 タイプ・ブルーの「最強のサイオン」、それを使わないと「無理だ」というような、あまりにも惨いオチだったなら。
 けれど、ブルーは「もしかして、知らなかったのかい?」と目を真ん丸にして…。
「ただ「考える」だけだよ、ハーレイ。今の姿が、自分に一番ピッタリだとね」
 それだけで年を止められる筈だ、と返った答え。「どうして、誰もやらないのだろうと、ぼくは不思議に思っていたのに…」というオマケつきで。


(…考えるだけ…)
 ただ、それだけで良かったのか、とビックリ仰天のキャプテン・ハーレイ。
 もう早速にブラウの部屋に走って、「こうらしいぞ!」と報告した。ブラウは、その場でエラに連絡、「こうらしいよ!」と伝えた方法。
 ハーレイとブラウとエラの三人、彼らの「年」は「其処で止まった」。
 船の仲間にも「こうだ」と説いて回ってみたのに、信じなかった者の方が多くて…。
(…ソルジャーは、あまりにも年をお召しだから…)
 夜ごと、行灯の油を舐めているのだ、という噂が船を駆け巡った。遥かな昔の地球の島国、日本という場所にいた「猫又」。年老いた猫が化ける妖怪。
(…猫が行灯の油を舐めるようになったら、じきに尻尾が二つに分かれて、猫又に…)
 猫又になった猫は、人間の姿に化けもしたという。それと同じで、「ソルジャー・ブルー」も、年を経すぎて、それゆえに「若い姿」を保てるのだ、とシャングリラ中に流布する「ソルジャー、猫又説」。青の間のベッド周りの照明、それの光源が実は油で、「行灯だ」などと。
(…何処から、そういう話になるのだ…!)
 行灯の油を舐めているとか、ソルジャーは猫又でいらっしゃるとか…、とキャプテンは情けないキモチだけれども、ミュウも人間。
 「意志の力で年を止める」などという、「雲を掴むような」話よりかは、「猫又」の方が分かりやすい。「自分たちには無理な芸当で、ソルジャーだけだ」と考える方が。
(……好きにしやがれ!)
 後で後悔しても知らんぞ、とハーレイは思って、ブラウとエラは「自己責任だ」と言い捨てた。せっかく「若さを保つ秘訣」を説いているのに、まるで話を聞かないのだから。


 そういった具合で時は流れて、「ソルジャーは、夜な夜な、行灯の油を舐めている」と、誰もが信じている内に…。
「おい、ハーレイ。気になるんじゃが、お前も行灯の油を舐めておるのか?」
 ワシも行灯が欲しいんじゃが…、と「すっかり禿げてしまった」ゼルが、キャプテンの私室を訪ねて来た。「ヒルマンも欲しいと言っておってな」と、部屋の備品に「行灯、希望」で。
「………。この部屋に行灯があると思うのか?」
「見当たらんのう…。ソルジャーに頼んで、青の間で舐めればいいんじゃろうか…?」
「何故、気付かない! 老けていないのは、俺とブラウとエラなんだ!」
 その三人の共通点と、行灯の話をよく考えろ! と、ハーレイはゼルを詰りまくって、その次の日から、「若さの秘訣」が、ようやく皆に伝わった。「こうだったらしい」と、「ソルジャー、猫又説」の代わりに、マッハの速さで。
(…だが、時すでに遅し、と言った所か…)
 アルタミラ時代からの古参は、とっくに船じゃ「年寄り」なんだ、とキャプテン・ハーレイは嘆くしかない。若い世代との間の「年の差」、それがキッチリ外見に出ているのだから。
(……なまじ、ヒルマンが博識なだけに、猫又だの、行灯の油だのと…)
 そういった方向に流れたのだな、と今更ながらに深い溜息。「なんてことだ」と。
 かくして「長老」と呼ばれる四人とキャプテン、彼らの間にも「年の差」が出来た。ハーレイとブラウとエラの三人、彼らは「中年」。他の二人は「老人」の姿。
 元の年齢は、似たり寄ったりの五人だったのに。
 船で一番の老人のブルー、彼は今でも「若く、美しい」カリスマなのに…。

 

           若さの秘訣・了

※長老たちとブルーの外見の年の差。ハレブルの方では、きちんと理由があるんですけど…。
 ネタにするなら、こういう感じ。つか、「猫又」なんか、何処から降って来たネタ?









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