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(えーっと…?)
 こういう時には…、とジョミーが探ってゆく記憶。
 アルテメシアは陥落させたし、この先はどういう道を進んで戦うべきか、と。
 今は亡きブルーが「遺した」記憶装置は、実に頼りになるアイテム。三世紀以上にも及ぶ、長として生きた「ソルジャー・ブルー」の「全て」が詰まっているだけに。
(…地球の座標を手に入れたからには、一刻も早くアルテメシアを…)
 後にするのがベストだろうか、と「ブルー」の考え方を確認。「それでいいよね」と頷いた。
 もしもブルーが「生きていた」なら、そういう道を選ぶ筈だし、「ジョミー」は間違ってはいない。自信を持って仲間たちにも宣言できる、と自室で「明日の予定」を立ててゆくけれど…。
(…あれ?)
 ちょっと待って、と頭に引っ掛かったこと。
 今、迷わずに決めた方針。「ブルーがやっても、こうなるんだから」と自信に溢れて。
 ナスカがメギドに滅ぼされた後、「アルテメシアへ戻ろう」と、天体の間で大演説をぶった時にも、こうだった。「ぼくが正しい」と、「ブルーだって、同じことをする」と確固たる信念もあったのだけども…。
(その根拠って…)
 コレじゃないか、と思わず指差した、頭に装着している補聴器。
 元々はブルーの「補聴器」だったモノで、フィシスが託されていた「ジョミーへの形見」。
(ただの形見だと思ってたのに…)
 青の間でフィシスから受け取った時は、そう考えた。「ただの補聴器」と。
 けれどブルーが「遺して行った」のなら、一応、頭に着けてみるべき。聴力には何の問題もなくて、補聴器なんかは不要な身でも。
(そうするのが、ブルーへの礼儀だと思って…)
 装着したら、膨大な量の記憶が流れ込んで来た。ソルジャー・ブルーの「生き様」が全て。
 まるでブルーが「直接、語り掛けてくる」かのように。
 補聴器をフィシスに託す直前、ブルーが遺した「最後の思い」。
 『俯くな、仲間たち。…ぼくの死を乗り越え、生きて地球を目指せ』。
 そのメッセージを受け取ったから、「地球に行こう」と決心した。まずはアルテメシアを落として、其処を足掛かりに地球を目指す、と。


(……俯くな、仲間たち……)
 アルテメシア行きを宣言した時の、演説の出だしは「ソレ」だった。
 今から思えば「ブルーの遺言」そのまま、まるっとパクッたような「アレ」。
(…ブルーがそう言っていたんだから、って…)
 背中を押して貰ったキモチで、太鼓判を押して貰った気分でもあった。
 それ以来、「ミュウの未来」を考える時は、「記憶装置の中身」を探るのが習慣。「ブルーだったら、どうするんだろう?」と、「ぼくの考え方で、合っているのか?」と、今みたいに。
(それはいいんだけど…)
 とっても頼りになるんだけれど…、と思う一方、気になる「空白」。
(…すっぽりと抜けているんだよね…)
 十五年分、と溜息をつく。
 アルテメシアを追われるように脱出した後、ブルーは間もなく、深い眠りに就いてしまった。それきり一度も目覚めることなく、ナスカの惨劇の直前に「再び目覚めた」ブルー。
 その間の記憶は何一つなくて、ただの「空白」。
 ブルーが「深く眠っていた」なら、そうなるのも仕方ないとはいえ…。
(……誰も気付かなかったわけ!?)
 眠り続けるブルーの頭に「あった」補聴器、その正体は「記憶装置を兼ねた」ブツ。
 持ち主が「深く眠ったまま」なら、その記憶装置が「記録すべきこと」は全く無い。ブルーは眠っているだけなのだし、何も「考えてはいない」だけに。
(…だったら、ぼくに貸してくれれば…)
 良かったんじゃないか、と今頃になって気が付いた。
 あの時、「コレ」が「ジョミーの頭に」くっついていたら、どれほど頼りになったろう。ナスカを見付けて、降りるまでの長い年月に。
(…みんなの心が疲れ果てて、日に日に荒んでいっても、あの頃のぼくには…)
 どうすればいいのか、まるで分かりはしなかった。「どう導けばいい」のかも。
 それでは、ブリッジに顔を出すのも辛い。他の仲間たちの視線も痛い。
(…だから、ヒッキー……)
 ほぼ引きこもりの日々だったわけで、「ジョミー」の評価はダダ下がりだった。
 けれど、あの時、「記憶装置」があったなら…。
(絶対、引きこもっていなかったし!)
 とても頼もしい相談役がついているのだから、自信に溢れた「ソルジャー」になって、評価も上がっていたのだと思う。「流石は、ソルジャー!」と、皆に絶賛されて。


 そういうことじゃん、とジョミーが受けた衝撃。
 十五年もに及んだ「引きこもり」生活、それは「導き手がいなかった」せい。
 ブルーは眠り続けていたって、記憶装置さえ借りられたならば、何もかもが違っていただろう。ナスカに降りるまでの放浪、その期間だって短くなって。
(…ぼく一人だと、思い付きさえしないけど…)
 ブルーだったら、きっと気付いた。「今は、休息が必要だ」と、フィシスの占いに頼るまでもなく、「取るべき道」に。
 早くにナスカに着いていたなら、あの星はもっと、豊かになったに違いない。
(…初めての自然出産だって…)
 皆の気持ちに余裕があったら、当然、何処かから「そういう声」が上がっただろう。ミュウの子供が船に来ないのなら、「作ればいい」と前向きに。
(最初の間は、人工子宮を作れないか、とか、旧態依然とした考え方しか…)
 無かったとしても、いずれ誰かが思い付く。ミュウのパラダイスのようなナスカで、ゆったりと日々を送っていれば。
(満ち足りた生活、っていうヤツは…)
 いろんな発想を生み出すよね、と思うものだから、「あんまりなんじゃあ…?」と声も無い。
 ブルーの記憶装置さえ貸して貰えていたなら、ドツボにはまりはしなかった。ヒッキーなんかは「してもいなくて」、ナスカでも「良き指導者」として立っていただろう。
(キースが、ナスカに来た時だって…)
 後手後手に回ってしまった「あれこれ」。
 そちらも「ブルーの記憶」があったら、もう完璧に乗り越えられた。ブルー自身が「そうした」ように、「地球の男」の退路を断って、「逃がしはせずに」。
(それでも逃げて行ったとしたって…)
 ジョミーに「指導者としての」力があったら、「ナスカ脱出」は鶴の一声。
 「直ちに、ナスカを離れて逃げる!」と撤収命令を出しさえすれば、皆、粛々と従っただろう。
 「ソルジャーが逃げろと言うんだったら、本当に危ないに違いない」と納得して。
(…逃げていたなら、メギドが来たって…)
 ナスカは空っぽ、被害はゼロ。
 そしてブルーが「目覚めなくても」、「ジョミー」は「思い付いた」と思う。ナスカまで滅ぼそうとする人類を相手に、「何をすべきか」を。


(うーん…)
 誰も教えてくれなかったし、と愕然とさせられる「補聴器」のこと。
 まさかブルーが「自作した」とも思えないから、その存在を「知っていた」者が、きっと、船にいる筈。メカには強いゼル機関長とか、シャングリラを纏めるキャプテンだとか。
(ぼくに、説教を垂れるより前に…!)
 コレを教えて欲しかった、と痛切に思う「補聴器の真実」。ソレに詰まった「ブルーの記憶」。
 今現在、こうして「使っていても」オッケーならば、あの頃だって同じこと。今よりもずっと「頼りなかった」、初心者マークの「ジョミー」が頼って、何故、悪いのか。
(教えてくれなかった、ハーレイたちも酷いけど…)
 ひょっとしたら、ブルーの許可が無いと、補聴器は「貸し出せなかった」ろうか?
 それなら「黙っていた」のも仕方ないことで、無理もない。そうなってくると、悪いのは…。
(…万一の時には、ジョミーに渡せ、って…)
 言っておかなかった「ブルー」が、諸悪の根源なのかもしれない。
 「ぼくはもうすぐ燃え尽きる」などと言っていたから、「ポックリ逝く」可能性は充分あった。
(死んだ時には、渡せって言っていたかもだけど…)
 それ以外の事態も、想定しておいて欲しかった…、と記憶装置を探っていったら、見付けた記憶。恐らくブルーが、繰り返し抱いていた「イメージ」。
(……はい、はい、はい……)
 ソレしか「考えていなかった」んですね、とジョミーは地味にブチ切れた。
 記憶装置にあったイメージ、其処でブルーは「青の間のベッドで」大往生を遂げていた。大勢の仲間や長老たちに見守られながら、赤い瞳を静かに閉ざして。
 その直前に「ジョミーに補聴器を渡して」、これで全ては終わったとばかりに。
(……こんな夢ばかり、何度も見ていなくっていいから……!)
 もっと現実を見て欲しかった、と心の中で絶叫したって、後の祭りというヤツでしかない。
 ブルーにとっては、「大往生」以外の「最期」なるものは、「想定外」だっただけに。
(…昏睡状態になったまま、十五年間というシナリオは…)
 この人の中には無かったわけね、とジョミーがギリギリと噛み締める奥歯。
 「やってられっか!」と、「この人のドリームのせいで、ぼくは十五年間もヒッキーで…!」と怒り心頭、何もかも全部、「ブルーが悪い」。
 ヒッキー人生を送らされたのも、ナスカの惨劇も、無駄に遠回りさせられた地球への道も。


 なんてこったい、とジョミーは怒って、「そういうことなら…」と、考え直した「今後」。
 ブルーのような「酷すぎる」独りよがりな発想、ソレが「通る」のなら、ぼくだって、と。
 なにも「理想の指導者」、「良きソルジャー」などでなくたっていい。地球まで、最短で行けるのだったら、「独裁者だって、いいじゃない!」と握り締めた拳。
(繊細なミュウを、導きながら地球に行くなら、まだまだ先は長いけど…)
 人類並みにタフな神経の「ジョミー様」が「好きにしていい」のだったら、劇的に短縮できるだろう時間。「繊細なミュウ」の心情などは、サラッと無視して、ただガンガンと進んでゆけば。
(……よーし……)
 やってやる! と固く心に誓ったジョミー。
 その翌日から、彼は「変わった」。血も涙もない「ソルジャー」に。
 仲間たちの泣き言には、一切耳を貸さないばかりか、降伏して来た人類軍の救命艇さえ、「やれ」と爆破を命じるような、冷血漢。「鬼軍曹」と皆が恐れる、ソルジャー・シンに。
(…ブルーの記憶がどうなっていても、結局は「地球に行け」ってことだし…)
 結果が出せればそれでいいんだ、と「すっかり人が変わった」ジョミーは、地球への道をひた走ってゆく。「地球まで行ければ、誰にも文句は言わせない!」と、ただ一直線に。
(ぼくが変わった原因ってヤツには、誰も気付いてないみたいだけど…)
 知ったら文句も言えなくなるさ、と「鬼のジョミー」は進み続ける。
 「十五年も無駄にさせられたんだ」と、「補聴器のことさえ知っていたら…!」と、個人的な恨み全開、ブルーへの怒りMAXで。
 そうやって、辿り着いた地球。
 グランド・マザーとの戦いの末に、負ってしまった致命傷。
(……畜生……!)
 このジョミー様の「苦悩の生涯」は、誰にも分かって貰えないままで、この地の底で終わるのだろうか…、とジョミーが、半ば覚悟をしていた所へ、トォニィが来たものだから…。
「トォニィ。…お前が次のソルジャーだ」
 ミュウを、人類を導け…! とジョミーは「補聴器」をトォニィに託し、ただ満足の笑みを浮かべた。トォニィが、いつか「ジョミーの記憶」を見てくれたなら…。
(……全てが分かるし、お前は、ぼくの轍を踏むんじゃない……!)
 ついでに、ぼくの名誉も回復して貰えたら…、と夢もちょっぴり見たりする。
 どうして「ジョミー」が「鬼になったか」、それをシャングリラの仲間たちにも、遅まきながら、分かって貰えたならね、と…。

 

             補聴器の盲点・了

※いや、ブルーが昏睡状態だった間は、あの補聴器の記憶を「使えた」んじゃあ、と…。
 わざとなのか、ナチュラルに忘れられていたか。補聴器の記憶さえ「使えていたなら」ね…。









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(……新入生……)
 また増えるんだ、とシロエが見下ろす手摺りの向こう。
 遥か下にある、E-1077のポートに着いた人々が出てくるフロア。
 新入生を乗せた船が着くと耳にしたから、こうして眺めにやって来た。
 此処に来た時の「自分の気持ち」を思い出すために。
(…今はキョロキョロしてるけど…)
 勝手が分からず、おどおどしている新入生たち。
 けれども、じきに彼らは「慣れる」。
 E-1077という場所にも、子供時代の記憶を失くしてしまったことにも。
(覚えていたって、戻れない過去は要らないってね)
 育ててくれた養父母のことも、馴染んだ故郷の風も光も、彼らは捨てる。
 マザー・イライザの導きのままに、ホームシックになることもなく。
 「家に帰りたい」とは考えもせずに、新しい生活に夢中になって。
(……ぼくは、そうなれなかったんだ……)
 別に悔しいとは思わないけど、と返した踵。
 機械に与えられた屈辱、それさえ忘れなければいい。
 自分が何を失くしたのかを、機械に何を奪われたかを。
(…テラズ・ナンバー・ファイブ…)
 アルテメシアで成人検査を行った機械。
 左右非対称の顔をしていた、忌まわしく呪わしい存在。
 あの機械の顔は忘れないのに、父と母の顔は薄れてしまって思い出せない。
 どんなに記憶を手繰り寄せようとして頑張ってみても、欠けた記憶を補おうとしても。
 「母に似た姿」でマザー・イライザが現れた時に、懸命に紙に描き付けても。
(…失くした記憶は、取り戻せなくて…)
 きっと努力を怠ったならば、見る間に消えてゆくのだろう。
 遠ざかる過去を繋ぎ止めようと、必死にしがみつかなかったら。
 「記憶を消されてしまった」事実を、忘れまいとして足掻かなかったら。
 今日も此処まで「見に来た」ように。
 此処へ来た日の自分の心境、それを決して手放すまいと。


 忘れるもんか、と戻った部屋。
 今日の講義は全て終わって、夕食もカフェテリアで済ませて来た。
 もうこの部屋から出ることは無いし、後の時間は「自分のもの」。
 さっき「見て来た」新入生たち、彼らと自分を重ねてみる。
 「此処に来た日」の自分はどうかと、彼らより少しはマシだったかと。
(…ピーターパンの本を持っていたから…)
 失くしてはいなかった「拠り所」。
 両親も故郷も忘れさせられても、ピーターパンの本は残ってくれた。
 幼い頃から宝物にして、成人検査の日にさえも「持って出掛けた」本。
 成人検査を受ける時には、荷物は持って行かないというのが決まりだったのに。
(そんな決まりを守る方が、どうかしてるってね)
 さっきの新入生たちにしたって、何も持ってはいなかった。
 自分と同じ宇宙船に乗って来た候補生たちも、「思い出の品」は持たないまま。
 その分だけでも「シロエ」には運があったのだろう。
 思い出のよすがを持って来られて、両親を、家を、故郷を懐かしめるのだから。
(…だけど、そんなの…)
 懐かしむ奴らもいやしないから、と分かってはいる。
 此処で暮らす生徒たちが考える「故郷」というのは、自分とは違うモノらしい、と。
 彼らは「幼馴染」や「故郷という場所」を懐かしく思い出しているだけ。
 どういう友達と共に育ったか、同郷の者が誰かいはしないかと。
 「今の自分」に繋がる現実、それしか彼らは求めてはいない。
 E-1077で生きてゆくのに、「とても役立つ」記憶だけしか。
 友を作るなら誰と気が合うとか、故郷での思い出話とか。
(…そういうのはスラスラ話すくせにね…)
 養父母のことや、故郷の風や光なんかは、彼らにとっては「どうでもいいこと」。
 機械が全てを消し去っていても、まるで疑問に思いはしない。
(……ぼくだって……)
 その「からくり」には、もう気付いている。
 「シロエ」の中にも、消えずに残った記憶が幾つもあるものだから。
 友の顔だの、エネルゲイアの学校だのは、今も忘れていないのだから。


 記憶を「選んで」消していった機械。
 憎らしいテラズ・ナンバー・ファイブ。
 消された記憶を「取り戻す」には、気の遠くなるような時がかかるのだろう。
 いつの日か、地球のトップに立てる時まで。
 国家主席の座に昇り詰めて、機械にそれを命じる日まで。
 「奪った、ぼくの記憶を返せ」と、国家主席の命令として。
 その日まで、記憶は戻りはしない。
 何度、ポートに通い詰めても、新入生たちの姿を目で追ってみても。
 「ぼくも最初は、あんな風だった」と、「此処での記憶」が蘇るだけで。
(…それよりも前に消された記憶は…)
 戻りやしない、と唇を噛む。
 機械が無理やり奪った記憶を戻す術など、何処にもありはしないのだから。
 「それを戻せ」と命じない限り、機械は「返してくれない」から。
(……自分の力で取り戻すなんて……)
 出来やしない、と悲しくて辛い。
 それが出来るだけの力を得るまで、いったい何年かかるだろうかと。
(…今すぐにでも返して欲しいのに…)
 取り戻せるなら、何としてでも取り戻したいと思うのに。
 そのためだったら、惜しいものなど何一つありはしないのに…。
(…機械が奪ってしまった記憶は…)
 けして返って来てはくれない。
 どんなに捜し求めようとも、何処かに消えてしまったままで。
 脳の奥深く沈められたか、跡形もなく処理されて無いというのか。
(……どっちなんだろう?)
 失くした記憶は「何処にも無い」のか、あるいは「押し込められた」のか。
 思い出せないだけで「持っている」ものか、「持ってはいない」ものなのか。
(…成人検査の時のショックで…)
 記憶が消えてしまう例が、たまにあるのだと聞いた。
 機械は其処まで求めていないのに、一部が欠落してしまうことが。


(……意図してないのに、消えるんだとしたら……)
 機械は「脳」を弄ってはいない。
 外部から与えたショックか暗示か、そういった形で消したのだろう。
 成人検査の時に受けた思念波、あれを使って。
 脳に大きな負荷をかけたか、何らかの方法で「押し込めた」記憶。
(押し込める時に失敗したなら…)
 予期しないことまで「消える」というなら、その逆もまた可能だろうか。
 「消えた筈」の記憶を「元に戻す」こと、それが出来ると言うのだろうか。
(…記憶喪失っていうのがあるよね?)
 大きなショックを受けた時などに、記憶がストンと抜け落ちること。
 抜け落ちた記憶は、何かのはずみに「自然に」戻ることがある、とも。
 消えた記憶の鍵になるもの、それを目にした時に戻って来るだとか。
(頭を打ったら、よく起こるって…)
 その手の記憶障害などは。
 抜け落ちた記憶が戻る時にも、再び頭を打ったりする。
 正真正銘、外部からの衝撃が左右する記憶。
(…そういうことが、あるんだったら…)
 自分の記憶も同じだろうか。
 E-1077で「暮らす」だけでは戻らなくても、突然の事故に遭ったりすれば。
(無重力訓練の時なんかだと…)
 命の危険が伴うのだから、高いかもしれない可能性。
 重力がある場所に戻った途端に、姿勢を、バランスを崩したならば。
(床や壁に頭をぶつけてしまって…)
 その時のショックで、失くした記憶が戻るだろうか。
 故郷で暮らしていた頃の「シロエ」、子供時代の「自分」に戻れるだろうか。
(戻れるんなら…)
 それもいい。
 「子供に戻ってしまったシロエ」は、候補生としては失格でも。
 地球のトップを目指す道など、閉ざされて病院暮らしでも。


 それもいいかも、と思わないでもない「戻る道」。
 自分が自分に戻れるのならば、メンバーズなどになれなくてもいい。
 両親を、故郷を、全て「思い出して」、幸せに生きてゆけるなら。
 たとえ病院の中であろうと、「全てを」もう一度、手に出来るなら。
(…それで記憶が戻るんならね…)
 エリートの「シロエ」は、いなくなってもかまわない。
 子供時代に戻れるのならば、自分から進んで事故に遭ってもいいとさえ思う。
 新入生の姿を見に行ったポート、あそこの手摺りを乗り越えても。
 夢中になって覗き込むふりをしながら、手摺りを放して身を投げても。
(あそこから真っ直ぐ落ちて行ったら…)
 習った受け身も取らなかったら、自分は子供に戻れるだろうか。
 本物の両親は「其処に」いなくても、いてくれるようなつもりになって。
 ピーターパンの本を手にして、「パパ、ママ!」と開いて見せたりもして。
(いい子の所には、ピーターパンが迎えに来るんだよ、って…)
 いつも笑顔で、無邪気な「シロエ」。
 そういうシロエに戻れるのなら、その確証があるのなら…。
(…あの手摺りを越えて、飛ぶんだけどね…)
 飛びたいとさえ思うけれども、百パーセントではない「結果」。
 単に命を落とすだけとか、身体の自由を失くしてしまっておしまいだとか。
 その可能性も充分あるから、「宙に飛び出す」ことは出来ない。
 それが一番の早道でも。
 地球のトップに昇り詰めるより、早く記憶が戻りそうでも。
(…やっぱり、まだまだ何十年も…)
 記憶は戻ってくれないんだ、と零れる涙。
 本当に記憶が戻るのだったら、手摺りを越えて宙に舞うのに。
 百パーセントの結果が出るなら、病院暮らしの「子供のシロエ」でかまわないのに…。

 

        記憶が戻るなら・了

※サムが「子供に戻っていた」なら、機械が消した記憶は「戻せる可能性がある」わけで…。
 シロエだったら憧れるかも、という話。百パーセントの結果でなければ駄目ですけどね。









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「やはり、今月も無理だったか…」
 ブルーはフウと溜息をついた。青の間に集った長老たちを前にして。
「はい。…こればかりは、どうにもなりませんようで…」
 皆、努力しておりますが…、とキャプテンが代表で詫びを言うのも、とうの昔にお約束。
 なにしろ問題は「船のこと」だし、ミュウたちの母船、シャングリラはキャプテンが纏め上げるもの。それこそ船の隅から隅まで、ありとあらゆる事象も、喧嘩の仲裁なども。
(……この船では、やはり駄目なのか……?)
 困ったことだ、とブルーが眺める報告書。長老たちが持って来たソレ。
 其処には「全く発見出来ず」と書かれていた。シャングリラ全体の見取り図を添えて、フロアや区域ごとに分かれた詳細な「目撃情報」について。
「ハーレイ。…今月は、どのくらいの数を放した?」
「三千ほどです。成体を五百は放ちましたし、他にも様々な成長段階のものを」
 卵も二百は置いたのですが…、とハーレイの顔色はまるで冴えない。船全体で取り組み始めて、もう何年になることか。なのに成果は全く出なくて、「全く発見出来ず」なだけに。
「三千か…。それに卵を二百も置いても、全て死滅するというのが現状なんだな?」
「そのようです。しかも一ヶ月も持たないくらいに、致命的に環境が合わないらしく…」
 ハーレイが眉間に寄せている皺。そうなるのも無理は無いだろう、とブルーも思う。
 シャングリラ中に三千も放った、「それ」は非常に生命力が強い。水さえ摂取していない状態のものでも、三十日から四十日は「生存する」というデータもある。
 けれど、「シャングリラ」という船は「例外」らしい。
 三千もの数を放ってみても、目撃情報は何処からも出ない。ブリッジだろうが、厨房だろうが、大勢が暮らす居住区だろうが。
 ブリッジはともかく、厨房や居住区は「ソレ」に好まれそうなのに。
 データベースから引き出した情報によれば、お誂え向きと言ってもいいほどの場所。栄養源には事欠かないし、室温などもピッタリだろう。「ソレ」が繁殖できる所も幾つもあって。
 なのに、一向に「増えない」ソレ。
 増えるどころか端から死亡で、見付かるものは死骸だけ。「生きた状態」での目撃情報などは、今日までの日々に一度も無かった。
 「生きている姿」を最後に見た者、それがイコール「放した者」だという勢いで。


(このシャングリラの、何処がいけないというのだろう…?)
 アレさえも生きていられないとは…、とソルジャーであるブルーの悩みは尽きない。
 これが人類の船だったならば、「アレ」はいくらでも生きられる筈。輸送船などの民間船でも、人類軍の戦艦や駆逐艦でも。
(人間が全て死滅した後も、アレは生き残ると、遠い昔から言われたほどで…)
 実際、地球が「滅びた」時に、それは証明されたと伝わる。
 青く輝く水の星、地球。全ての生命の母なる星。
 愚かしい人類たちのせいで汚染され、何も棲めなくなってしまった。有毒の大気に、魚影さえも見えなくなった海。地下には分解不可能な毒素。
 人類は地球を離れるしかなく、SD体制が敷かれた宇宙。
 最後の「人類たち」が乗り込んだ船が地球を去る時、誰もいなくなる寂れた宙港、其処を走ってゆく「ソレ」の姿を見た者たちが何人もいた、と。
 これが最後の別れになる、と見回した人影の消えたロビーや、ラウンジなどで。
 もはや滅びてゆくしかない地球、それでも「ソレ」は「生き残っていた」。いったい何を食べていたのか、何で命を繋いでいたか。宇宙へと去ってゆく人類は「彼ら」で最後だったのに。
(…最後に地球を撤収して行った者は、研究者たちで…)
 民間人とは違っていたから、地球を「去ってゆく」時が来るまで、宙港などに用は無い。
 つまり「宙港を維持する」ライフラインさえ生きていたなら、中の設備は「どうでもいい」。
 広いターミナルなどを掃除しなくても、かつて賑わったレストランなどが廃墟と化してしまっていても。…研究者たちは「地球を離れる日」まで、其処には「行かない」のだから。
(彼らの仕事は、地球再生機構の整備と、グランド・マザーの最終調整などで…)
 それは多忙な日々だった筈で、「彼らだけでの、地球での生活」は一年以上だったとも言われている。彼らを除いた人類が全て、母なる星を離れた後に。
 一年以上も、誰一人として足を踏み入れないまま、放置されていた地球の宙港。
 ライフラインが生きていただけに、夜は自動で明かりが灯って、空調なども効いていた可能性はある。けれど「人間がいない」のだから、水や食料は「無かった」だろう。
(その状態でも、アレは食べられる何かを見付けて…)
 宙港で生きて繁殖を続け、「地球を去ってゆく」者たちの前を走って行った。
 滅びゆく地球などには「我、関せず」と言わんばかりに、カサカサカサと。一目で「アレだ」と誰もが気付く姿を、黒く艶やかに光らせながら。


 地球に残った「最後の生命」、その正体はゴキブリだった。
 恐竜よりも古い時代から地球で暮らして、滅びゆく地球の宙港でさえも「目撃された」しぶとい生き物。生命力が強すぎるあまり、遥か昔から人間たちに「激しく忌み嫌われていた」ほどに。
(今もやっぱり、嫌われているとは聞くんだが…)
 何処にでも棲んでいるのがゴキブリ、人類たちも手を焼いている。
 シャングリラが潜む雲海の星、アルテメシアでも、嫌われまくっているのが実情。目覚めの日を迎えていない子供を育てる養父母たちも嫌うし、ユニバーサルの職員たちもゴキブリを嫌う。
(駆除用のアイテムも、山ほど開発されているのに…)
 まるで歯が立たない相手がゴキブリ、どんな場所でも馴染んで増える。
 けれど、シャングリラは「駄目だった」。
 三千ものゴキブリを船に放って、卵を二百個も持ち込んでみても、「全く発見出来ず」な船。
 見付かるものは死骸ばかりで、生きたゴキブリは「目撃されない」。
 この現象が意味する所は、悲しいことに、たった一つだけ。
 「ゴキブリさえも生きてゆけない」船がミュウの母船で、ゴキブリが生きる価値もない。此処で命を繋いでゆくだけ無駄だ、と「神が思っている」ということ。
 いずれ船ごと殲滅されて滅びてゆくのか、ミュウそのものが先細りで消えてゆく種族なのか。
 どちらにしたって、「この船にいても」未来は無い。
 だからゴキブリを放しまくっても、彼らは端から死滅してゆく。繁殖する前に、ひっそりと。
(こんな船では、もう本当に…)
 ミュウには未来が無いのでは、とブルーの憂いは増すばかり。
 遠い昔は、「沈む船からはネズミが消える」と船乗りたちが言っていたらしい。船が出港しない内から、ネズミたちは船を見捨てて逃げた。野生の勘で「滅び」を知って。
(…ネズミの姿が消え失せた船は、必ず沈むという言い伝えで…)
 縁起でもない、と船乗りたちは恐れて、乗船拒否をしたとも言う。
 そのネズミよりも「逞しい」のがゴキブリなのに、シャングリラには「ゴキブリさえいない」。
 これでは「いつか、必ず沈む」と神が予言をしたようなもの。
 そうならないよう、なんとしてでも「ゴキブリが欲しい」。
 誰もが思って、懸命に取り組むプロジェクト。「このシャングリラに、ゴキブリを!」と。


 たかがゴキブリ、されどゴキブリ。
 ソルジャー・ブルーが指示を下しては、毎月、船に放たれまくるゴキブリたち。それでも彼らは一向に増えず、ただ「死んでゆく」だけだった。
 そうする間に、終わりが見えて来た「ブルーの寿命」。まだゴキブリは「船にいない」のに。
(…この船は、やはり沈むのだろうか…)
 ぼくの命が燃え尽きたら…、とブルーは諦めかけていた。其処へ現れた、新しい命。皆が求めるゴキブリではなくて、タイプ・ブルーのサイオンを持った健康な子供。
(…ジョミー・マーキス・シン…)
 この船の未来を彼に託そう、とブルーは決めた。ゴキブリもいない船だけれども。
 ジョミーの成長を見守り続けて、ゴキブリを増やすプロジェクトの方も、せっせと続けて、何年もの時が流れて行って…。
 ようやく船に迎えたジョミー。やはりゴキブリは「いないまま」の船。
 ジョミーは船に馴染もうとせずに、「家に帰せ!」と叫んだ挙句に、それはとんでもない騒ぎになった。ユニバーサルの保安部隊に捕まり、心理探査を受けた末にサイオンを爆発させて。
 衛星軌道上まで「逃げた」ジョミーを、ブルーは残った力をかき集めて追い、尽きるかとさえも思った寿命。なんとか生きて戻れたものの、もうシャングリラの指揮は出来そうもない。
『…ジョミー・マーキス・シン…。彼に私の心を託す』
 船の仲間たちにそう告げた後は、もはやゴキブリどころではなく、ただ横たわるだけだった。
 ソルジャー候補にされたジョミーは、ブルーを継ぐ羽目になったのだけれど…。
「……ゴキブリ?」
 なんで、とジョミーが見開いた瞳。長老たちを前にして。
「この船には一匹もいないからだ。ゴキブリも棲めないような船には、未来など無い」
 ソルジャー・ブルーも以前からそう仰っている、と説いたキャプテン。このままでは、ミュウは滅びてゆくだけ。それを防ぐには、ゴキブリが棲める船にしないと駄目だ、と。
「えっと…。ゴキブリって、黒いヤツだよね?」
 それなら昨日、叩き潰した、とジョミーは困り顔で答えた。
 曰く、風呂上がりに部屋で寛いでいたら、出たものだから、スリッパを脱いで「叩き潰した」。ティッシュで包んで捨てたけれども、「アレは殺しちゃ駄目だったわけ?」などと。
「なんじゃと!?」
 それは本当にゴキブリなのか、とゼルが慌てて、直ぐに調査が始まった。ジョミーがゴキブリを「捨てた」ゴミ箱、そいつが会議室へと運ばれ、中身が引っくり返されて。
 果たしてジョミーが言った通りに、「潰されて死んでいた」のがゴキブリ。ティッシュの中で。
 ジョミーは「ほらね」とゴキブリを指差し、こう続けた。
 「ゴキブリだったら、何度も見てる」と、「連れて来られて直ぐの頃から、いたけれど?」と。


 この「事件」から後、ゴキブリは「目撃され始めた」。最初は厨房、次は居住区、という具合。
 長い年月、あれほど苦労を重ねて来たのに、死んでゆくだけだったのがゴキブリなるもの。
 けれど今では、「出会った」者がチラホラといる。
 ヒルマンは一つの仮説を立てた。「ジョミーのせいではないのかね?」と。
 船の何処にいても「感じ取れる」ほどのジョミーの思念と、その生命力。健康そのものの身体のジョミーは、ゴキブリにも「生きるパワー」を与えているのだろう、というのがヒルマンの説。
 ミュウは虚弱で「何処かが欠けている」ほどだから、ゴキブリも敏感に感じ取る。「こんな人間しかいない船では、生きるだけ無駄」と死んだりもした。
 其処へジョミーがやって来たわけで、船に溢れた生命力。「この船だったら生きてゆける」と、ゴキブリたちは「生きる」ことを決め、シャングリラに定着し始めたのだ、と。
「…ぼくは、ゴキブリにとっても希望なわけ?」
 それって、あんまりだと思う、とジョミーはショックを受けたけれども、ゴキブリは船の希望の虫だし、嘆きは華麗にスルーされた。ブルーもスルーを決め込んだ。
 やがてシャングリラはアルテメシアを追われて、宇宙を彷徨い始めたけれど…。
「ジョミー。信じることから道は開ける」
 このシャングリラは沈みはしない、とブルーはジョミーに伝えた。
 「ゴキブリたちを信じてやりたまえ」と、ゴキブリが棲むようになった船を「信じろ」と。
 ジョミーは半信半疑ながらも、その言葉に縋るしか無かった。ブルーは深い眠りに就いて、もう頼ることは出来なかったから。
 そうして辿り着いた赤い星、ナスカ。…ゴキブリが「時々」現れる船で。
 其処で生まれた、SD体制始まって以来の、初めての自然出産児。オレンジ色の瞳のトォニィ。
 幼いトォニィが「お披露目」でシャングリラを訪れて間もなく、増えたゴキブリ。それまでとは全く違うペースで急増してゆく目撃情報。
(…トォニィが生まれたせいなのか…?)
 あの子は強いし…、とジョミーも、ついに認めた。船の未来とゴキブリたちとの関係を。
 今やゴキブリは「当たり前のように」船にいるもので、所構わずカサカサ走ってゆくだけに。


 そうこうする内、物騒なメンバーズがナスカにやって来た。地球の男、キース。
 上を下への大騒ぎの中、長い眠りから覚めたブルーが見付けたゴキブリ。
 「ナスカに残った仲間たちの説得に行く」と大嘘をついて、船を出ようとしていた時に。
 記憶装置を兼ねた補聴器、それをフィシスに渡した後。
 ジョミーに続いてギブリのタラップを上がる途中で、視界の端をカサカサと掠めて行ったモノ。
(……こんな所にまで、ゴキブリが……)
 普通に出る船になったのか、とブルーは胸を熱くし、「もう大丈夫だ」と未来を信じた。
 だからメギドの炎を一緒に防いだジョミーに、こう語ってから飛び去って行った。
 「この素晴らしい子供たちや、ゴキブリがいる船を見られて良かった。ありがとう」と。
 ブルーは命と引き換えにメギドを沈めて、それから始まった人類軍との全面戦争。その最中も、船のゴキブリは消えることなく、カサカサカサと走り続けて…。
「…トォニィ。お前が次のソルジャーだ」
 ミュウを、人類を導け…、とジョミーがトォニィに託した未来。崩れゆく地球の地の底深くで。
 涙ながらにソルジャーを継いだトォニィの時代に、もうゴキブリは「当たり前すぎた」。
 船の何処でもカサカサ走って、出ようものなら悲鳴を上げる若い女性も多い船。
(……なんだって、ゴキブリなんかが船に出るんだよ……!)
 アレを撲滅できないものか、と「ゴキブリ対策」に頭を悩ますトォニィは、知りもしなかった。そのゴキブリが「いない時代」があった事実も、ブルーたちが重ねていた苦労も。
 なんと言っても「ゴキブリ」なだけに、記憶装置に「情報は入っていなかった」から。
 ブルーの指揮でゴキブリを「増やそうとしていた世代」も、今はすっかり隠居組。
 こうしてトォニィは、今日も「スタージョン大尉」に連絡を取る。
 「ゴキブリ駆除用の新しいアイテムが、出ているなら是非、教えて欲しい」と。
 船のあちこちでカサカサ走ってゆく「黒い虫」は、今では、「ただのゴキブリ」そのもの。
 有難がる者は一人もいなくて、「ゴキブリが出た!」と嫌われるだけの虫に成り果てたから…。

 

           継がれゆく虫・了

※疑ってしまった「自分の正気」。このネタが降って来た途端に。…「ゴキブリかよ!」と。
 ゴキブリとはいえ、何処かシリアスにも見える内容。よってタイトルもシリアスっぽく。駄目?









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(ミュウは排除すべき生き物なのだ…)
 この宇宙からな、とキースが改めて思うこと。
 ミュウの版図は拡大の一途を辿るけれども、それを防ぐのが「キース」の務め。
 数々の暗殺計画にさえも屈することなく、此処まで歩み続けて来た。
 何もかも、全ては「人類」のために。そして「地球」のために。
(…ミュウの侵入を許したら…)
 宇宙の秩序は全て崩れる、と一人、傾けるコーヒーのカップ。
 少し冷めた「それ」を淹れて来たのは、ミュウなのだけれど。
(……マツカは、役に立つからな……)
 今の所は「人類のために」役立っている、と夜の自室で言い訳をする。
 とうの昔に「入り込んでいる」ミュウ、それが「マツカ」。
 人類どころか、国家騎士団の内部にまでも。
 国家騎士団総司令の側近、そういう立場に「いる」者がミュウ。
 けれど、あくまでマツカは「例外」。
 役に立つから側近なのだし、その辺にいるミュウとは違う。
 今日も実験する所を見て来た、開発中のAPD。アンチ・サイオン・デバイススーツ。
 それを着ければ、対サイオンの訓練を受けていない者でも…。
(ミュウを相手に戦えるわけで…)
 もうそれだけで、即戦力が増すことだろう。
 対サイオンの訓練で鍛え上げられるのは、素質を持ったエリートのみ。
 彼らの数は限られるだけに、とてもミュウには対抗できない。
 それを補うのがAPDスーツで、全軍きってのゴロツキだろうが、立派な兵士に変身する。
 今は開発中だけれども、見事、完成した暁には。
(あれの開発に欠かせないのがミュウどもだが…)
 捕獲され、処分される運命のミュウ。
 彼らを待つのは元から「死」だから、ただ死に場所が変わるだけ。
 処分用の施設で殺されてゆくか、開発中のAPDを着けた兵士に撃ち殺されるか。
 そういった「ミュウ」なら、いくら死んでも惜しくはない。
 彼らは排除すべき存在、端から殺していった所で、痛くも痒くもないのだから。


 宇宙の秩序を乱すのが「ミュウ」。
 SD体制の中から生まれる異分子、「人類」とは違う異質なモノ。
 彼らは悉く処分すべきで、排除すべきだと信じている。
 人の心を盗み見るような輩は生かしておけないから。
(…その点、マツカは何も問題ないからな…)
 きちんと躾けてあるのだから、と唇に浮かべた薄い笑み。
 マツカに心を読まれたことは、ただ一度だけ。
 ジルベスターへと向かう途中で、ソレイドの基地で出会った時。
(あれは私が、わざと読ませて…)
 ミュウかどうかを確かめたのだし、「読まれた」内には数えられない。
 承知していて「読ませる」ことと、意識しないで「読まれる」こととは、明らかに別。
 マツカを生かしておいた理由は、幾つもあると思うけれども…。
(要は、役に立つミュウだからで…)
 その辺のミュウとは全く違う、と自信を持って言うことが出来る。
 「自分」は、けして「裏切ってはいない」と。
 ミュウの排除を唱えながらも、ミュウを側近にしていることで。
(役に立つ者は、使わねばな…)
 使いこなせれば、それでいいのだ、と自分自身にも、ある自信。
 ミュウの「マツカ」を使いこなして「役に立てられる」のは、自分だから。
 もしも、あのままソレイド軍事基地にいたなら…。
(…グレイブにとっては、何の役にも立たない部下で…)
 きっと基地では、使い走りでしかなかっただろう。
 「ミュウの存在」さえ知らなかったマツカは、ただの劣等生の軍人。
 ろくに「使えはしない」部下だし、グレイブがノアへ転属になった段階で…。
(置いてゆかれて、それきりだな)
 次にソレイドに赴任した者の部下になるだけ。
 グレイブからの申し送りには、とても低い評価がつけられていて。
 引き継いだ者が「マツカ」を見たって、真価は見抜けなかったろう。
 「使えない奴だ」と思うばかりで、つまらない仕事しか与えはせずに。


 要は資質の問題なのだ、と可笑しくなる。
 「ミュウのマツカ」を上手く使うのも、価値に気付かず、「役立たない」と思うのも。
 巧みに使いこなせさえすれば、マツカは役立つ部下なのに。
 並みの軍人よりも優れた面さえ、幾つも持っているというのに。
(…暗殺者の弾を、素手で受け止めるなどは…)
 セルジュでさえも無理だからな、と宙港での出来事を考えてみる。
 あれはゴフェルの暴動鎮圧、その任務から戻った時だったか。
 船を降りるなり、整列していた兵士の中から、飛び出して来た暗殺者。
 まさか軍の中から、出てくるとは思わないものだから…。
(当然、武装していたわけで…)
 銃には実弾がこめられていた。
 本当だったら、あそこで「キース」の命は終わっていたのだろう。
 防弾服など着けていないし、避ける暇さえ無かっただけに。
 けれど、「マツカ」が役立った。
 他の者には、その動きさえも見切ることは出来ない「ミュウの能力」。
 誰にも知られず飛び出して行って、実弾を全て、手で受け止めた。
 「そうした」ことを、知る者さえも無いままで。
 同じように側にいたセルジュからは、「役立たずだ」と思われたままで。
(…あの能力は、人類には持ち得ないものだ…)
 ついでに「その辺のミュウ」も同じだ、とフンと鼻を鳴らす。
 SD体制の異分子だというだけの「ミュウ」など、たかが知れている。
 彼らは「人の心を読む」だけ、「サイオンを持っている」だけの者。
 その能力を「どう使うか」など、彼らの頭に入ってはいない。
 追い詰められれば、サイオンを爆発させるけれども…。
(意識して使いこなすことなど、出来ない奴らだ)
 それが出来るなら、とうに逃亡しているだろう。
 APDスーツの実験台として、あの場に引き出される前に。
 押し込められた「檻」から出された途端に、警備の兵を全て倒して。
 並みのミュウでも、それだけの力は、充分に持っているのだから。


 「使える」ミュウと、「使えない」ミュウ。
 その差は何処から生まれるものか、それを考えるつもりは無い。
 じきに滅ぼす種族のことなど、深く突き詰めても無意味なこと。
 「キース」は、「人類」を守りさえすればいいのだから。
(…私だから、マツカも使いこなせる…)
 本来は「処分される」筈のミュウ、その能力さえ「役立てている」。
 ミュウを滅ぼすことが使命の、「キース・アニアン」の側近として。
 マツカは大いに役に立つから、これから先も使ってゆかねば。
 宇宙から「ミュウ」がいなくなるまで、ミュウの艦隊を沈め、殲滅する日まで。
(…ミュウを宇宙に広げないためには…)
 いずれミュウ因子のチェックも必要になるだろう。
 ミュウが制圧した惑星から、このノアにも移民船が来ている。
 彼らと共存したくない者、そういう人類が逃げ出して来て。
(……だが、その中にミュウがいないとは……)
 言い切れないのが「現実」なのだし、いつか提案せねばならない。
 それを言える立場に立った時には、「すぐに実行するように」と。
 ミュウが宇宙にはびこらないよう、彼らを水際で食い止めるために。
(…入国審査を厳重にして…)
 宙港でサイオンの有無をチェックさせること。
 ミュウ因子が陽性反応の者は、その場で捕らえてしまえばいい。
 彼らがサイオンを爆発させても、対抗できる「警備兵」が完成したならば。
(育成するのは、とても無理だが…)
 APDスーツさえ出来上がったら、ただの警備兵でも可能になる。
 陽性反応を示した者たち、彼らを排除することが。
 いきなりサイオンが爆発しようと、それに対抗することが。
(自由に動けさえしたら…)
 撃ち殺すことは簡単だからな、とAPDへの期待が高まる。
 あれさえ出来たら、「それ」を進言すべき時。
 入国審査を厳重にしろと、「ミュウは水際で防ぐべきだ」と。


 そうして入国審査で始めて、徐々に範囲を広げてゆく。
 「既に入り込んでいる」かもしれない、「人類に混じったミュウ」を排除しに。
 彼らを端から処分するために、一人たりとも見落とさないために。
(…ノアの一般人はもちろん、軍の内部にも…)
 ミュウは「いる」かもしれないのだから、探し出しては処分してゆく。
 たとえ「軍人」であろうとも。
 国家騎士団員の中から、直属の部下から「ミュウ」が出ようとも。
(…だが、マツカだけは…)
 検査から除外しておかねばな、と「正当な理由」を考えてある。
 マツカが検査を受けさせられたら、「ミュウ」だと発覚してしまうから。
 そうなった時は、「貴重な部下」を失うから。
(…役に立つミュウは、使いこなせる者が使ってこそだ)
 そして用済みになった時には…、と進めた思考を其処で打ち切る。
 「まだ、その時は来ていないからな」と、強引に。
 その時が来れば「考えればいい」。
 とても役立つ、忠実な部下の「マツカ」のことは。
 ミュウは処分すべきだと考えていても、マツカは役に立つのだから。
 役に立つ者は、有能な者が十二分に使いこなしてこそ。
 次の任務ではどう使うべきか、その能力をどう生かすべきかと…。

 

          役に立つ部下・了

※キースがマツカを「生かしている」理由。本当は「役に立つから」だけではない筈で…。
 けれど普段に考える時は「こう」だろうな、というお話。あくまで「役に立つ」というだけ。









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「おい、セルジュ。…アニアン大佐のピアスなんだが」
 どう思う、とパスカルがセルジュに投げ掛けた問い。首都惑星ノアの、国家騎士団専用施設の一角で。下士官のための休憩室とでもいった所で。
「どう思うって…。アレには意味があるんだろう。忌々しいが…」
 右耳ピアスはゲイのアピールらしいからな、とセルジュは顔を顰めた。キースの副官を拝命したのに、側近の座を「マツカ」に持って行かれて久しい。ポッと出の、辺境星域出身の奴に。
 そうなったのも、全てキースの隠れた嗜好が原因らしい。実はアニアン大佐は「ゲイ」で、ジルベスター星域へ飛ぶ前に「マツカ」を見付けた模様。多分、下調べの最中に。
(アニアン大佐ほどの方なら、行く先々で使えそうな人材を調べておくというのも…)
 必須だろうと分かってはいる。任務の実行に適した人材、それを選んで使うというのも成功の秘訣。ましてや単身赴任となったら、「使いやすい部下」を選び出さないと…。
(ロクでもないのを与えられてしまって、思うように動けないことも…)
 起こり得るだけに、キースの事前調査は正しい。
 ただ問題は、其処に「マツカ」がいたことだった。キース好みの美青年と言うか、きっと直球ド真ん中。ひ弱な所がツボだったのか、ルックスも含めて何もかもが…。
(…モロに、アニアン大佐の好みで…)
 もう、行く前から目を付けた「マツカ」。ソレイド軍事基地に着いたら、「アレを貰おう」と。ソレイドの指揮官、マードック大佐は、マツカを冷遇していただけに。
(値打ちが分かっていない上官の下にいるなら、貰えて当然…)
 マードック大佐からすれば「使えない部下」が消えるわけだし、止める理由は何処にも無い。ゆえに「貰える」と踏んでいたのが、マツカを欲しいと考えたらしい、アニアン大佐。当時の階級は、少佐だけれど。
(マツカを、貰って帰るとなったら…)
 同じ趣味の輩に奪われないよう、「私のモノだ」とアピールが必要。
 だからキースは、ジルベスター星域へと出発する前、両耳に赤いピアスをつけた。右耳のピアスはゲイの証で、左耳だとノーマルだとか。
(要するに、大佐はバイというわけで…)
 男も女も、どっちもイケる。そういう主張の両耳ピアスで、セルジュには、これが嬉しくない。側近の座をマツカに奪い去られて、自分には「お呼びも掛からない」のが。


(…マツカの野郎…!)
 よくもアニアン大佐の側近なんかに…、と収まらないのがセルジュの怒り。ゲイの趣味などナッシングでも、惚れ込んでいるのが「アニアン大佐」。
 もしも「お声」が掛かったならば、喜んでお側で仕えるまで。…マツカの代わりに、アニアン大佐の夜のお相手を務めまくって。
(…これでも、勉強しているのにだな…!)
 大佐はマツカにしか興味が無くて…、と口惜しい限り。
 「初めて」はキースに捧げるつもりでいるのだからして、現場なんぞは踏んでいなくても、勉強の方は抜かりない。ゲイな「アダルトもの」を鑑賞、その手の雑誌にも目を通す日々。
 なんどき「お呼び」があったとしても、心の準備は出来ている。それに大佐を「悦ばせる」自信もあるというのに、肝心のキースは、そんなセルジュを「スルー」一択。
(……そうなるのも、仕方ないんだが……)
 俺に魅力があったとしたなら、教官時代にお声掛かりがあった筈、と突き付けられるイヤンな現実。キースが教官をやっていた頃、教え子のセルジュに惹かれるものがあったなら…。
(もう間違いなく、部屋に呼ばれて…)
 今のマツカが立っているポジション、それは「セルジュのもの」だったろう。キースの数ある教え子の中でも、一番に目をかけられて。卒業後には、部下にと望まれて。
(ジルベスターにも、もう直々に…)
 ついて行けたに決まっているから、「魅力が無いのだ」と落ち込むばかり。どんなに優れた仕事が出来ても、キースは其処しか評価をしない。セルジュという人材は、それでおしまい。
 これが「マツカ」なら、コーヒーを淹れるしか能の無いヘタレ野郎でも…。
(何処へ行くにも大佐のお供で、俺なんかよりも信頼されていて…!)
 ゲイは身を助けるというヤツだよな、と沸々と煮えくり返るハラワタ。「ゲイ」ではなくて「芸」だけれども、実際にマツカは、ソレで立身出世なだけに。
(クソッタレが…!)
 ジルベスター星域へと向かうキースに、「ピアスをつけさせた」ほどの人材がマツカ。それまでのキースは「ゲイのアピール」をしていなかったし、きっと必要なかったのだろう。
 「コレだ」と思う相手が無いなら、横から誰かが奪い去ろうと、キースは痛くも痒くもない。ところがマツカは「盗られると困る」。そうならないよう、ピアスでアピール。
 「私のモノに手を出した奴は、端から殺す」と言わんばかりに。


 其処までキースに愛される部下が、ヘタレなマツカ。もはやセルジュの天敵なわけで、キースのピアスも「見たくない」ほど。「アニアン大佐のピアス」すなわち、マツカへの「愛」に見えるくらいで、ムカつくことしかない毎日。
 そんなピアスの話題を振ってきたパスカル。「こいつも大概、無神経だ」と苛立つけれども、あまり露骨に知らないふりも出来ないから…。
「大佐のピアスが、どうだと言うんだ。お前、あのピアスを、外させることが出来るのか?」
 そういうことなら、話を聞いてやらないでもない、と睨み付けた。パスカルは、こう見えて頭が切れる。アニアン大佐の「ゲイのアピール」、あの忌々しいピアスを見ずに済むなら、パスカルの話も聞くだけの価値があるだろう。そう思ったのに…。
「いや、逆だ。…あのピアスには、とてつもない価値がありそうだからな」
「はあ? お前まで、マツカの肩を持つのか?」
 奴に惚れたか、とセルジュは呆れ果てたのだけれど、パスカルは「違う」と首を左右に振り、「俺にその趣味は無い」と言い切った。
「俺は、あくまでノーマルだ。価値があるのは、マツカではなくてピアスの方だ」
「ピアスだと?」
「ああ。…お前、あのピアスが何で出来ているかを知ってるか?」
 赤い石の素材を知っているか、という質問。大真面目な顔で、「赤い石だが」と。
「知らないが…。大佐は何も仰らないからな。…それが、どうかしたか?」
「やはりか…。俺たち軍人は、宝石とは縁がない人種だし…。だが…」
 俺は、興味を持った対象はトコトン調べるわけで、とパスカルは眼鏡を押し上げた。「赤い石についても調べたんだ」と、如何にも聞いて欲しそうに。
「赤い石か…。赤い石は高いものなのか?」
「俺が思った以上にな。あの色合いからして、赤サンゴの線が濃いんだが…」
「サンゴだと!?」
 聞くなり、セルジュは目を剥いた。サンゴと言ったらサンゴ礁だけれど、宝石サンゴとサンゴ礁とが「違う」ことくらい、とても有名な話ではある。ついでに今は「どちらも貴重」で、採集禁止が「お約束」。テラフォーミングされた星の上でも、海は少ない。
「分かったか? アレがサンゴなら、値打ちの方は天井知らずというヤツだ」
 俺たちの一生分の給料を出しても買えないだろう、というのが赤いサンゴのピアス。片方だけでも凄い値段で、一生分の給料くらいでは手も足も出ない、破格のブツ。


(……アニアン大佐……)
 そんなとんでもない金を何処から…、と愕然としたセルジュだけれども、其処までしたのが、キース・アニアンという人物。自分に似合うピアスはコレだ、と凄い値段の赤サンゴ。
「そ、そうだったのか…。大佐のピアスに、そんな値打ちが…」
「うむ。赤サンゴだった場合はそうなる。もう一つの線でも、半端ないんだが」
 そっちも凄い代物だった、とパスカルは思わせぶりな顔。赤い石について調べた結果は、それほどに強烈だったのだろうか。
「…赤い石というのは、高いのか? ルビーくらいしか思い付かないが…」
「そのルビーだ! そっちも、大佐のピアスほどになると凄くてだな…」
 まず色合いがポイントだぞ、とパスカルは指を一本立てた。「あの赤色は血の色だ」と。
「確かにそうだな。その辺が大佐らしいとは思う。…冷徹無比な破壊兵器と評判だから」
 血の色の赤が相応しいだろう、とセルジュも頷くしかないチョイス。癪だけれども、赤い血の色のピアスは「キース」に似合っていた。瞳の色はアイスブルーなのに、青い石よりも赤い石の方が、見ていてゾクリとするほどに。
「血の色のルビー、そいつが高い。俺も調べるまで知らなかったが、最高級品だそうだ」
 ピジョン・ブラッドという名前まである、とパスカルが披露した知識。ピジョン・ブラッドとは「鳩の血の色」、そういう色合いのルビーを指す言葉。
 これがルビーの色では最高、他の色合いとは比較にならない。値段からして桁違いなのが、血の色の赤をしたルビー。
「なるほど…。しかし、ルビーはサンゴよりも安いだろう? 鉱物だからな」
 何処の惑星でも採れるのでは…、とセルジュは訊いた。惑星の性質によるものとはいえ、海が無いと無理なサンゴとは違う。その分、希少価値も下がってくると思うのだが、と。
「甘いぞ、セルジュ。…鉱物の場合、産地が分かるらしくてな…」
「産地?」
「何処の惑星の何処で採れたか、分析可能だという話だ。そしてルビーという石は…」
 三カラットを超えるとレア物になる、とパスカルは言った。キースのピアスは三カラット超えはガチなサイズで、ピジョン・ブラッド。その上、産地が分析可能な代物だけに…。
「地球産のルビーだと、物凄いのか!?」
「物凄いどころの話じゃない。同じ大きさの赤サンゴなどは、まず足元にも及ばんぞ」
 参考価格すらも分からなかった、とパスカルがついた大きな溜息。地球産の血の赤のルビーなんぞは、オークションにさえも出て来ないほどのレア物だから、と。


「…オークションにも出ないだと!? ならば大佐は、アレを何処から…」
「分からん。だが、大佐なら、そういったルートも御存知だろうと思わんか?」
 目的のためなら手段を選ばない人だからな、とパスカルの読みは鋭かった。軍人は宝石と無縁だけれども、「キース・アニアン」がつけるとなったら、自分に似合いの宝石をチョイス。
 どれほど凄い値段だろうが、どんなに入手困難だろうが、そんなことなど些細なこと。なんとしてでも「ソレ」をゲットで、さりげなく身につけるだろう、と言われてみれば…。
「大佐なら、それも有り得るな…。すると支払いは、出世払いか?」
「恐らく、他には無いだろう。出世なさる自信はおありだろうし、売る方もだ…」
 大佐となったら、未払いになることは無い、と踏むだろうな、というのがパスカルの推理。たとえ「べらぼうな値段」であろうと、アニアン大佐が相手だったら「掛け売りオッケー」と、宝石商の方でも考える。一括払いは無理だとしても、出世払いでかまわない、とさえ。
「……アニアン大佐……。マツカのために、それだけの出費を……」
「間違えるな、セルジュ。あれは大佐のアピール用で、マツカの価値とは違うものだぞ」
「馬鹿野郎! マツカをお側に置くための物なら、其処は同じだ!」
 マツカの値打ちは、俺たちの一生分の給料よりも上だったのか…、とセルジュが受けた更なる衝撃。いくらキースのファッションとはいえ、「マツカのために」払った値段が半端ないだけに。
(……それが俺だと、そんな値打ちは全く無くて……)
 お呼びも掛からず、マツカばかりが可愛がられて…、と落ち込むセルジュに、パスカルは気の毒そうな表情で「仕方ないだろう」と言ってくれただけ。
「お前や俺は、アニアン大佐の好みのタイプじゃないんだからな。どうしようもない」
「くっそぉ…! マツカの野郎は、半端ない値打ち物なのに…!」
 赤い石の値段を超える価格を支払わないと、「ちょっと味見」も出来ないんだろう、とセルジュは愚痴ることしか出来ない。
 キースよりも立場が上の上官、それにパルテノンに集う元老たち。彼らが「マツカを貸せ」と言ったら、キースは薄い笑みを浮かべて値段を提示するのだろう。「これだけ支払って頂けるのなら、一晩、お貸し致しますが」と。
「…そうかもしれんな。それもあって、あの石のチョイスかもしれん」
「言わないでくれ…。自分で言ってて、落ち込んで来た…」
 なんでマツカに、そんな値打ちがあると言うんだ、とセルジュの嘆きは深かった。パスカルが余計な好奇心さえ出さなかったら、こんな情けない思いはせずに済んだのに。


 ドツボにはまったセルジュを他所に、他の面子は、パスカルからの話を聞いて「流石は大佐」と手放しで褒めた。ドえらい値段の赤い石のピアス。そいつを「出世払い」でポンと買えてしまう人が、自分たちの上官なんて、と大感激で。
「マツカの野郎の値打ちはともかく、太っ腹なトコが凄いよな!」
「ゲイのアピールをするためだけに、国家予算も真っ青な値段のピアスかよ…!」
 素晴らしい、と褒めて褒めまくるキースの部下たち。それまで以上にキースに心酔、もう何処までもついて行こうという勢い。
 ピアスの正体、それが「サムの血」とは知らないで。
 「ゲイのアピール」ならぬ「友情の証」、其処の所も気付かないままで。
 片方だけでも、国家予算を上回る値段の赤い石のピアス。そいつをサラッとつけこなす男、デキる男が上官だから。たとえゲイでも、デキる男は素晴らしい。
(((アニアン大佐…!)))
 今日もピアスがお似合いです、と最敬礼のキースの部下たち。
 仏頂面のセルジュを除いて、ピシッと、シャキッと。片耳だけでも国家予算を上回るピアス、それをつけている粋な男に。出世払いで買い物が出来る、デキる男のアニアン大佐に…。

 

          ピアスの値打ち・了

※キースのピアスは「サムの血」なんだと知られてないなら、どう思われていたんだろう、と。
 赤い石にも色々あるし、と考えていたら、このネタに。べらぼうに高いらしいです。









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