「え…? コーヒーがお好きなんですか?」
その時、自覚は無かったけれども、きっと輝いていたのだろう。
キースと共に向かった宙港、其処で出会った老人に向けたマツカの瞳は。
「少し外す」と出て行ったキースは、まだ戻らない。
何か急用でも出来たというのか、あるいは誰かに呼び出されたか。
一人ポツンと待っていた自分は、所在なげに見えていたのだろうか。
それとも心細そうだったか、声を掛けて来てくれた老人が一人。
国家騎士団の退役軍人、今は悠々自適の日々を送っているという。
あちこちの星へ、ふらりと旅して。
「君もコーヒーが好きなのかね?」
そう問われたから、頷いた。
この老人は、どうやら無類のコーヒー好きのようだから。
誰かにそれを話したいような、そんな気配がしてくるから。
彼の心を読まずとも。
「コーヒー」と口にする時の瞳、それに表情。
きっとコーヒーをこよなく愛して、あれこれと飲んで来ただろうから。
コーヒーと言えば、直ぐに頭に浮かぶのがキース。
何度聞いただろう、「コーヒーを頼む」という彼の言葉を。
その度に用意するのだけれども、感想を聞いたことなどは無い。
「美味い」とも、「これは不味い」とも。
淹れ直して来いとも、「これでいい」とも。
けれども、分かるものだから。
コーヒーを好んで飲んでいることも、それを傾ける時が好きだとも分かるから。
いつしか心を砕くようになった、「もっと美味しいコーヒーを」と。
それを飲む時のキースの表情、ほんの少しだけ和らぐ空気。
心を澄ましていたならば分かる、どの一杯が美味しかったのか。
キースが好む味はどれかと、好む熱さはどのくらいかと。
気付けば、すっかりコーヒーの虜。
自分はさほど好きでもないのに、より美味しくと重ねた努力。
キースが美味しく飲めるようにと、この一杯が役に立つのなら、と。
彼がその背に負っているもの、その荷を下ろすほんの一瞬。
直ぐにキースは背負い直すけれど、憩いのための僅かな時間。
それを作るのがコーヒーならばと、これで休んで貰えるなら、と。
だから、老人の話に輝いた瞳。
耳寄りな話が聞けるのではと、この老人はコーヒーが自慢のようだから。
「コーヒーはね…。美味しく淹れるにはネルドリップが一番だね、うん」
知っているかい、と訊かれて「はい」と答えたら。
「どのくらいの量を淹れるのかね」という問いが返った。
何人分を用意するのかと、一度に淹れるのはどのくらいかと。
「えっと…。ぼくが淹れるのは一人分ですから…」
そんなに沢山は淹れませんけど、とキースが出掛けた方へと自然に向いた目。
冷めたコーヒーなどは美味しくないから、いつもキースが飲む分だけ。
「なるほどねえ…。それも悪くはないのだけどね」
美味しく淹れるには、十人分は淹れないとね、と笑った老人。
贅沢だけれど、それに限ると。
「十人分…ですか?」
「そうだよ。さっきの彼が君の上官だね」
キース・アニアン上級大佐。知っているよ。
もちろん、彼を知らないようでは、今どき話にならないんだが…。
一人分を淹れていると言うなら、彼のために淹れているんだろう?
覚えておくといいよ、十人分だ。
余ったコーヒーは、他の部下にでもくれてやるといい。
大佐からだ、と勿体をつけて淹れてやったら、冷めたヤツでも喜ぶだろうさ。
そして老人は教えてくれた。
十人分を淹れるだけでは、まだ足りないと。
秘訣は、ネルドリップに使う生地。
十人分だから生地もたっぷり必要だけれど、一度目に淹れたコーヒーは捨てる。
生地の匂いがしみているから、勿体ないなどと思わずに。
勿体ないと思うのだったら、それこそ部下に飲ませるといい、と。
「それからね…。その生地を直ぐに使っては駄目だ」
お湯で煮るんだよ、二十分ほど。
ぐらぐらと煮立てて、お湯がすっかりコーヒーの色になるくらいまで。
生地にしみていた分のコーヒーだからね、それほど濃くはならないんだが…。
コーヒーの色だな、と思う筈だよ。やってみたなら。
その生地をしっかり絞って、乾かす。
これで出来上がりだ、ネルドリップのための用意はね。
そういう生地を準備したなら、今度こそ本当に十人分のコーヒーだ。
惜しみなく淹れて、最高の一杯を彼に運んで行くといい。
きっと美味しい筈だから。
…とはいえ、相手が彼ではねえ…。
多分、感想は聞けないだろうと思うがね。
試してみたまえ、と教えて貰ったコーヒー。
老人の名前を尋ねたけれども、「名乗るほどでもないよ」と微笑んだ彼。
「キース・アニアンに、私のコーヒーを飲んで貰えるだけでも嬉しいね」と。
光栄だよと、コーヒー党の軍人冥利に尽きるねと。
そうして、彼は「それじゃ」と悠然と歩き去って行った。
自分の乗る便が出るようだから、と。
入れ替わるように戻って来たキース。
「待たせた」とも何も言わないけれども、もう慣れている。
こういう時には、どうすればいいか。
「まだ、少し時間があるようです。…コーヒーを取って来ましょうか」
「そうだな、頼む」
ただ、それだけしか言われないけれど。
こんな宙港で出て来るコーヒー、そんなものでも、キースは何も言わないけれど。
(…美味しいコーヒーの方がいいですよね?)
きっと、と思うものだから。
この旅が済んで戻った時には、あのコーヒーを淹れてみようか。
さっきの老人に教わったコーヒー、ネルドリップで十人分だというものを。
それだけ淹れるのがコツだというのを。
(…セルジュやパスカルが困るでしょうけど…)
大佐からのコーヒーですから、冷めていたっていいですよね、とクスリと笑う。
キースが背負っている重荷。
それは誰にも背負えないから、代われる者などいはしないから。
せめて荷を下ろす間のほんのひと時、それを作れるコーヒーを淹れてみたいと思う。
感想などは聞けなくても。
「美味いな」と言って貰えなくても。
きっとキースが纏う空気で、ほんの微かな息だけで分かるだろうから。
「美味い」と思って貰えたのなら、もうそれだけで充分だから。
ネルドリップで十人分、と頭の中でコツを繰り返す。
秘訣は生地を煮ることだったと、二十分ほど煮て乾かして…、と。
最初のコーヒーは捨てるのだったと、勿体ないなら部下に飲ませろと言っていたな、と。
(…すみません、セルジュ…)
皆さんで手伝って下さいね、と思い浮かべるキースの部下たち。
美味しいコーヒーを淹れるためですからと、それにキースからのコーヒーですよ、と…。
習ったコーヒー・了
※マツカが退役軍人の老人に習ったコーヒー。実は管理人が習ったんです、つい先日。
この話じゃないけど、名前も聞けなかったご老人に。…ネタにしちゃってスミマセン…。