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過去が無くても
(…子供時代の記憶か…)
 私には何もありはしないのだ、とキースは深い溜息をつく。
 首都惑星ノアの国家騎士団総司令の部屋で、夜が更けた後に。
 マツカが淹れていったコーヒー、それが机の上で微かな湯気を立てている。
(…コーヒーにしても、サムが見たなら…)
 目を輝かせて、「おじちゃん、コーヒー、大好きなの?」と訊くのだろうか。
 「ぼくの父さんも、よく飲んでるよ」だとか、「ママも飲むんだ」などと嬉しそうに。
(サムから直接、聞いたことは一度も無いのだが…)
 そもそも、サムの見舞いに行った時には、コーヒーを飲む機会は無い。
 サムと会うのは食堂ではなく、病室だったり、外の庭だったりすることが多い。
 病院の中の休憩スペース、其処で会うこともあるのだけれども、見舞客には飲み物は出ない。
 あくまで患者のための施設で、来客用ではない場所だから。
(だから私も、サムの前では…)
 コーヒーを飲んだことなどは無くて、サムの主治医と会う時に運ばれて来るだけだった。
 係の者がトレイに載せて持って来るそれは、マツカのコーヒーには敵わない。
 とはいえ、サムが目にしていたなら、コーヒーについての思い出話が聞けそうではある。
 サムにとっては思い出ではなく、「今、生きている世界」の話なのだけれども。
(…カップ一杯のコーヒーだけでも、サムならば、きっと…)
 豊かな記憶を持ち合わせていて、あれこれ語ってくれるのだろう。
 コーヒーが入ったカップを倒して叱られたとか、カップを落として割ったとか。
 あるいは「飲んでみたけど、苦いよね」と、子供時代のサムの味覚のままで顔を顰めるとか。
(Eー1077では、サムもコーヒーが好きで頼んでいたが…)
 子供時代も好きだったとは限らないことは、キース自身も知っている。
 機械が与えた膨大な知識、その中には「子供時代」に関するデータも充分、含まれていた。
 子供と大人では味覚が異なるとか、成長するにつれて好みが変わってゆくとか、様々なことが。
(…しかし私は、「知っている」だけで…)
 本物の「それ」を全く知りはしない、とフロア001で見た光景が頭の中に蘇って来る。
 「キース・アニアン」は、其処で育った。
 強化ガラスの水槽の中に浮かんで、外の世界には、ただの一度も触れてはいない。
 機械が無から作った生命、養父母さえもいなかった。
 そうすることが「キース」を育て上げるためには、最良だと機械が決めたから。
 養父母も教師も、幼馴染も、優秀な人材を育てる上では、不要なものだと切り捨てて。
(だから、私は…)
 全てを機械から学んで育って、子供時代を持ってはいない。
 「子供時代」と呼ばれる時代は、人工羊水の中に漂うだけで、何一つ、経験しなかったから。


 それが果たして正しかったか、どうなのか。
 外の世界に触れることなく、知識だけを得て育った生命、「それ」は本当に優れた者なのか。
(…マザー・イライザも、グランド・マザーも…)
 そうだと信じているのだけれども、沸々と疑問が湧き上がって来る。
 「私は本当に、正しい判断が出来るのか?」と。
 いずれ人類の指導者として立つべき人材、そのように作られ、生まれて来た。
 正確に言えば「作られ、外の世界に出された」。
 フロア001を目にして、自分自身の生まれを知るまで、キース自身も信じていた。
 自分は誰よりも優れていると、疑いもせずに思い込んでいた。
 「機械の申し子」と異名を取るほど、優秀な頭脳と能力を持った「人間」だと。
(…だが、本当の私自身は…)
 真の意味では「人間」と言えず、シロエが揶揄した言葉通りに「人形」でしかない。
 機械が作って、機械が育てた「まがいもの」の人間。
(その上、子供時代の記憶が全く無くて…)
 経験さえもしていないのだ、とサムに会う度、痛烈に思い知らされる。
 サムが懐かしそうに語る「故郷」は、キースには無い。
 水槽の中しか知らずに育って、景色も人も見てはいないし、故郷の星の空気も知らない。
 サムが今でも会いたい両親、それもキースには、いはしなかった。
 育ての親は機械だったし、全てを機械から学んで育って、誰一人、目にすることもなかった。
(…こんな私に、ヒトのことなど…)
 正しく理解出来るのか、と自問自答し、「否」と自分で答えたくなる。
 どう考えても、それは「無理だろう」としか思えない。
 「キース」には「ヒトの想い」は分からず、推測でしか推し量れない。
 機械が与えた知識に基づき、「こういう場合は、この人間の心の中は…」と答えを弾き出す。
 恐らく「キース」は、そうした「精巧な人形」なのだろう。
 お蔭で誰にも怪しまれずに、此処までは巧くやって来た。
 これから先も「そうあるべきだ」と、機械は考えているに違いない。
 自分たちが与えた知識を正しく使って、人類を導いてゆくのが「キース」の使命なのだ、と。
(グランド・マザーは、そう信じていて…)
 マザー・イライザも、最後まで「そのつもり」だったろう。
 自分が作った「キース」は道を誤らない、と。
 誰よりも正しく真実を見極め、人類の指導者として立派に歩んでゆくものだと。


(…なのに、私は…)
 とうの昔に、道を外れつつあるのでは…、とキース自身も自覚している。
 子供時代の記憶を持たないことが「正しいかどうか」自問するのが、既におかしい。
 本当に機械に忠実ならば、そんな疑問は持たないだろう。
 過去の記憶が全く無くても、それを不思議に思いもしない。
(ついでに言うなら、自分の生まれを目にしたところで…)
 そういうものか、と思う程度で、驚きさえもしない気がする。
 「私は此処で育ったのか」と納得するだけ、「知識が一つ増える」だけで。
(…マザー・イライザも、グランド・マザーも…)
 実際の「キース」が「どう思ったか」は、気にしていないに違いない。
 現に探りを入れられもせずに、「前と変わりなく」生きている。
 フロア001を見た後、グランド・マザーに「呼ばれてはいない」。
 何度も「会ってはいる」のだけれども、それは報告や任務のための機会に過ぎない。
(マザー・イライザのコールのように…)
 心を探られることなどは無くて、「キース」の心や記憶を弄られてはいない。
 ならば、機械は「疑ってさえもいない」のだろう。
 キースが「与えられた」道を外れて、外へ踏み出しつつあることを。
 踏み外した先で「ミュウのマツカ」を救って、側近として側に置いていることも。
(…私がマツカを救ったのは…)
 シロエの面影を見たからだけれど、シロエも「過去」にこだわっていた。
 サムと違って、シロエの場合は「忘れさせられた」過去だったけれど、中身は似ている。
 シロエは故郷を、両親のことを忘れ難くて、機械に抗い、宇宙に散った。
 最後までピーターパンの本を抱き締め、自由を求めて飛び立って行って。
(…シロエは最後に、両親を思い出せたのだろうか…?)
 サムのように心が壊れていたなら、きっとシロエも「会えた」のだろう。
 飛んで行った先には、「いる筈もない」両親に。
 遠い日にシロエを育てた養父母、懐かしい父と母とに出会って、幸せの中で逝ったと思う。
 傍目には不幸な最期のように見えても、シロエにとっては最高のハッピーエンド。
 「パパ、ママ、ぼくだよ!」と、両手を広げて。
 「会いたかったよ、帰って来たよ!」と、懸命に駆けて、両親と固く抱き合って。
(…きっとそうだな…)
 会えたのだろう、と心の何処かに確信に満ちた思いがある。
 シロエは幸せの中で旅立ち、両親の許へ帰ったのだ、と。
 サムが「今でも」両親がいる世界で生きているように、シロエも同じ世界へと飛んで。


 見舞いで病院を訪れた時に、サムがよく言う「ママのオムレツ」。
 サムの母が作るオムレツ、それは美味しいものらしい。
 シロエの母はどうだったろうか、やはりオムレツが得意だったのだろうか。
(それとも、他に得意料理があって…)
 飛び去ったシロエは、母が作る「それ」を再び口にし、「美味しい!」と喜んだだろうか。
 「また、これが食べたかったんだ」と。
 「やっぱりママのが最高だよね」と、「ステーションのとは大違いだよ」などと。
(ヒトの想いは、きっとそういうものなのだろうな…)
 私には「それ」が全く無いが、と悔しく、虚しく、寂しくもある。
 この感情も、機械が与えた知識の中には「無かった」だろう。
 過去の記憶を持たないことを、「寂しい」と思う感情など。
 ましてや「悔しい」、「虚しい」だとかは、多分、「あってはならない」感情。
 知識として持ち、駆使することは必要だけれど、こういう場面で用いることは許されない。
 「自分の生まれ」に、疑問や不満を持つことなどは。
 子供時代を持たない「自分」を、欠陥品のように考えることも。
(…そうだな、私は、とうの昔に…)
 道を外れてしまっているな、と自嘲めいた笑みが浮かんで来る。
 今の「キース」は「余計な感情」だらけで、その感情を懸命に隠しているのだけれど…。
(…マツカを側に置いているのも、シロエの面影を見ている他に…)
 「ヒトの想い」に触れるためかもしれないな、と可笑しくなる。
 実際の「キース」は、当のマツカに接する時には、人間扱いしていないのに。
 「化け物」と呼び、道具のように使うばかりで、話すことさえしないのに。
(…それでもマツカは、ただ懸命に…)
 側に仕えて、一途に「キース」を守り続けるから、その「想い」が心地よいのだろう。
 「キース」を人間扱いしていて、同じ「ヒト」として慕い、接してくれるから。
(…私自身は、機械が作った人形なのにな…)
 過去も持たない人形なのだ、と思うけれども、その「過去」を学びつつあるのだと思う。
 もういなくなった「シロエ」から。
 会いに行く度、昔語りを熱心に聞かせてくれるサムから。
(…そしてマツカも、直接、語りはしなくても…)
 どういう風に育って来たのか、何故、あそこまで健気なのか、と気に掛かる「過去」。
 あえて調べるつもりなど無いし、知ろうと思いもしないけれども、マツカにも子供時代はある。
 それがどういうものだったのかと、たまに気になることもあるから、彼からも「学ぶ」。
 こうして「学んで」、「ヒトの想い」を知ったキースは、いつの日か、飛んでゆくのだろうか。
 シロエが飛び去って行った彼方へ、自由という名の翼を広げて。
 行きつく先は死であろうとも、きっと後悔などはしないで…。



             過去が無くても・了


※キースには過去の記憶が無いどころか、子供時代そのものを経験していないわけですが。
 そんなキースは、人類の指導者として相応しいのか、と思った所から生まれたお話。







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