(私には、親というものが無い…)
記録の上ではいるのだがな、とキースの頭を掠めたこと。
初の軍人出身の元老となって、パルテノン近くに与えられた家で。
側近のマツカは下がらせた後で、もう夜も更けた。
警備している者はあっても、彼らが姿を見せることは無い。
部屋にはキース一人だけ。
マツカが淹れていったコーヒー、そのカップだけが「他の者」を感じさせるだけ。
つらつらと考え事をしていた間に、思い出したのがシロエとサム。
成人検査で消されてしまった記憶を追い掛け、暗い宇宙に散っていったシロエ。
ミュウと遭遇して精神を狂わせ、過去に戻ってしまったサム。
二人とも「過去」に囚われ続けて、シロエは逝って、サムの心は戻らない。
それほどに「過去」は良いものだろうか、成人検査よりも前の時代は。
失われた記憶を命を懸けて追ったり、自分自身を失ってまでも過去に留まりたいほどに。
(……シロエが戻りたかった所も、サムが留まったままの時代も……)
私には想像さえもつかん、と微かに湯気が立つカップを眺める。
このコーヒーを淹れたマツカにも、両親はいた。
此処の警備をしている者にも、部下の者にも、元老たちにも、存在する親。
もちろん、実の親ではない。
今の時代は、子供は全て管理出産、人工子宮から生まれて来るもの。
例外は存在しているけれども、あれは人間ではなくて…。
(化物の子供だ)
異分子から生まれた不純物だ、と断じたモビー・ディックで見た子供。
幼いくせに、メンバーズの自分を暗殺しようとした化物。
(化物どもだけに、あんな化物も生み出すとみえる)
だから秩序を乱すのだ、と改めて誓うミュウの殲滅。
そのために元老に就任したのだし、自分の任務はやり遂げるまで。
政治の世界に興味は無いから、ただ淡々と。
暗殺計画を立てる輩も、端から無視して。
それとは別に、気にかかる「親」。
普通ならば存在している両親。
自分の場合も、記録の上では「親がいる」ことになっている。
養父母として「キース・アニアン」を育てた、育英都市トロイナスの住人。
(父の名はフル、母の名はヘルマ……)
何度もデータで目にした名前。
全く記憶が伴わない親。
(成人検査のショックで、忘れたのだと……)
自分自身でも、そう思っていた。
E-1077で、「記憶が無い」現実に気付いた時は。
周囲の者たちもそう噂したし、そうだと信じて疑わなかった。
……シロエが調べて来るまでは。
フロア001と呼ばれる立ち入り禁止区域に入って、「何か」を掴んで来るまでは。
(…それでも、その後、長い年月…)
真実は謎のままだった。
フロア001には辿り着けずに、E-1077を卒業したから。
その上、シロエが「Mのキャリアだった」ことを理由に、E-1077は廃校。
政府の管理下に置かれてしまって、データは一切、見られなかった。
いくら自分がメンバーズでも、下りなかったデータ開示の許可。
(……私はアンドロイドなのかも、と……)
考えもしていた、その後の時代。
何故なら、シロエが「そう言った」から。
フロア001を見た後、囚われた場所から逃げ出して来て。
彼を匿ってやったというのに、嘲笑ったシロエ。
「お人形さんだ」と。
マザー・イライザが作った人形、だから成人検査も「知らない」。
そんな検査は受けていなくて、「幸福なキース」。
シロエの言葉から導き出せる答えは一つで、文字通り「マザー・イライザの人形」。
身体も頭脳も「作られたもの」で、とても精巧な機械なのだと。
自分でさえも気が付かないほど、よく出来たアンドロイドに違いない、と。
(……そうだと思っていたのだがな……)
覚悟も決めていたというのに、真実は、もっと酷かった。
「機械でさえもなかった」キース。
機械が神の領域を侵し、全くの無から作り出したモノ。
養父母どころか、真の意味での「親」も存在しなかった。
精子も卵子も関与していない、有機物から紡ぎ出された命。
三百億もの塩基対を作って、DNAという鎖を繋いで。
だから「キース」に親はいないし、養父母も存在していない。
機械に育てられたから。
成人検査の年に至るまで、人工羊水の中に留め置かれて。
(…何故、そうまでする必要があった?)
養父母に育てさせなかった、という疑問の答えは既に得ている。
「キース」を育てた、マザー・イライザから聞いて。
(…養父母や教師に影響されずに…)
育て上げられた「無垢なる者」が、「キース・アニアン」。
誰の影響も受けることなく、真っ直ぐ、純粋に育って成人した「人間」。
(……しかし……)
そのことに意味はあるのだろうか、とコーヒーのカップを傾けた。
シロエが、サムが囚われた過去。
それを一切持たない自分は、果たして「傑作」なのだろうか、と。
(普通の者でも、成人検査で過去の記憶を消すのなら…)
機械がそれを行う時点で、軌道修正は可能に思える。
害になりそうな記憶は消し去り、より良い記憶に書き換えればいい。
実際、機械はそれを「している」。
成人検査をとうに通過し、社会に出ている者にまで。
E-1077で受けたミュウの思念波攻撃、あの事件の時に確かに見た。
影響された者は漏れなく、記憶を処理され、書き換えられた。
候補生ばかりか、職員たちも。
保安部隊の隊員さえも、事件を忘れてしまっていた。
攻撃のことは覚えていたって、「自分の身に何が起きたのか」は。
記憶は、いくらでも書き換えが出来る。
大人にさえも可能なのだし、成人検査を受ける年齢の子供たちなら…。
(もっと容易に、それこそ丸ごと置き換えることも…)
機械にとっては、不可能なことではないだろう。
ならば「キース」を養父母の手に委ねたとしても、修正可能だった「過去」。
好ましくない記憶があったら、成人検査で消去するだけ。
(…そうすれば済む話だがな?)
もっと極端に考えるならば、普通の子供を「逆に」育てても良いだろう。
わざわざ無から作り出さずとも、優秀な卵子と精子を選んで、掛け合わせて。
そしてキースに「そうした」ように、人工子宮の外に出さずに…。
(成人検査を迎える年まで、人工羊水の中に置いたなら…)
その子は養父母も教師も知らずに、ただ真っ直ぐに育ってゆく。
「キース」と同じに、膨大な知識を流し込まれて、指導者に相応しい人材へと。
効率から言うと、その方が「遥かにマシ」な気がする。
フロア001で目にした、幾つもの「キース」のサンプルたち。
「キース」を作る以前に機械が手掛けた、「ミュウの女」のサンプルもあった。
(…あのサンプルは全て、失敗作で…)
マザー・イライザは「サンプル以外は処分しました」と言っていた。
つまりは、もっと多かった筈の「失敗作」。
なんとも非効率な話で、それよりは、いっそ…。
(優秀な子供を、キースと同じ方法で育ててゆく方が…)
良いものが沢山出来そうだがな、と首を捻った。
無から作って失敗するより、優秀な子供を何パターンも育ててやれば良い。
きっと、どれかは「傑作」だろうし、その「傑作」が出来たなら…。
(クローンで増やして、定期的に世に出してやったら…)
二百年以上も空位のままの国家主席も、何人も出たことだろう。
「同じ顔をした人間」ばかりが国家主席でも、この社会では、誰も気にしない。
機械が、それを「良し」としたなら。
「SD体制の時代は、こうあるべきだ」と、規定し、それを示したならば。
(……それなのに、何故……)
私という者を作ったのだ、と考える内に、不意にゾクリと凍えた背中。
(…サムも、シロエも…)
成人検査で過去を消されたけれども、「そうではない」者が存在している。
モビー・ディックで見た子供ではなく、「モビー・ディックを導く者」。
自然出産で生まれた子供を、「生み出すことを思い付いた」者。
(……ジョミー・マーキス・シン……!)
彼は「成人検査を終えることなく」逃亡し、今に至っている。
過去の記憶を持ち続けたまま、サムやキースと同い年な分だけ、年を重ねて。
(…養父母や教師が、悪い影響を与えるのなら…)
ジョミーは「救いようのない劣等人種」で、かてて加えて、異分子のミュウ。
優秀であろう筈が無いのに、ミュウはジョミーの指導の下に、着実に版図を拡大して…。
(このままでは、いずれ、このノアにまで…)
来るだろうから、それに備えて、自分が元老に就任した。
ミュウどもを、来させないために。
今度こそ完全に息の根を止め、悉く殲滅するために。
(…そのミュウどもを指導するのが、過去を持ったままのジョミーなら…)
人類の中から「優秀な者」を選び出しても、異分子のミュウには「敵わない」のか。
「キースと同じに」育て上げても、「ミュウには決して勝てない」のならば…。
(……私というモノを、作ったのも……)
無理はないか、と零れる溜息。
そうであったら、人類に未来は無いだろうから。
どんなに「キース」が努力しようとも、人類はミュウに劣るのだから…。
作られた理由・了
※子供時代の記憶を消してしまうのが、成人検査ですけれど。そうしなくてもいいような…。
「記憶処理すればいいのでは?」と思った辺りから、出来たお話。ミュウの方が優秀…。