(……こんなトコかな)
今日の所は、とシロエが閉じた勉強用のノートと端末。
E-1077の夜の個室で、キリのいい辺りで。
机を離れてベッドに向かうと、腰を下ろして本を手に取った。
いつも決まった場所に置いてある、大切な本を。
たった一つだけ、故郷の星から持って来たもの。
(……ピーターパン……)
ぼくは頑張っているからね、と本の表紙に語り掛ける。
心の中で語る言葉は、ピーターパンにも届くだろうと思うから。
声に出すより、その方がいいと思えるから。
(…まだまだだけど……)
まだまだ時間はかかりそうだけれど、着実に前進している自分。
次の試験でもきっとトップで、その後も、ぐんぐん昇ってゆく。
周りのエリート候補生たち、彼らを端から置き去りにして。
単独でトップを走り続けて、メンバーズ・エリートに選ばれる日まで。
(……待っていてね……)
ぼくは必ずメンバーズになって見せるから、とピーターパンに何度誓っただろう。
幼い頃から憧れ続けた、ネバーランドに住む少年に。
永遠に年を取らない子供に、「ぼくは頑張る」と。
このステーションから選び出される、何人かのメンバーズ・エリートたち。
選抜されれば、能力次第でいくらでも上に昇ってゆける。
そうして、いつかは頂点に立てることだろう。
けして努力を怠らなければ。
自分自身を磨き続けて、グランド・マザーに気に入られれば。
(…システムを批判してたって…)
その能力さえ優れていたなら、機械は「シロエ」を抜擢する筈。
今の社会を統治する者は、他にいないと。
二百年間も空席のままの、国家元首の座にだって就ける。
他に適した者がいないなら、「シロエ」にするしかないのだから。
その日を目指して、ステーションでも続ける勉強。
候補生なら当たり前のことだけれども、「それ以上」のものを。
課された課題や、するべき勉強、それらだけでは終わらせない日々。
地球のトップに立とうと言うなら、覚えるべきことは山のようにある。
今から先取りしておいたって、得にはなっても損にはならない。
(ぼくは、そうして来たんだから…)
エネルゲイアにいた頃から、と子供時代の記憶を手繰る。
成人検査で消され、薄れた記憶とはいえ、そういったことは「忘れていない」。
学校の場所さえ曖昧になっても、「頑張って勉強した」ことは。
懐かしい家すら霞んだ今でも、その家で「努力していた」頃の記憶は。
(……きっと、都合がいいからなんだ……)
勉強好きの努力家だったことが、「機械にとっては」。
その事実を忘れさせるよりかは、覚えておかせた方がいい。
そうすれば「シロエ」は、努力するから。
「あの頃のぼくも、頑張ってたよ」と、励みに思って上を目指すから。
(…いいんだけどね…)
別にそれでも、と浮かべる皮肉な笑み。
努力は裏目に出たのだけれども、「勉強好き」は今後の役に立つ。
機械に選ばれ、国家元首になりたいのなら。
トップエリートの階段を上り、出世街道を駆け抜けたいなら。
(……本当は、ネバーランドよりも素敵な地球へ……)
行こうと思って、故郷で努力を続けていた。
優しかった父が、こう言ったから。
「シロエなら行けるかもしれないな」と。
ネバーランドも悪くないけれど、それよりも素晴らしいという所が「地球」。
其処へ行けたら、と夢を抱いて、ひたすらに励み続けた自分。
「頑張った先」に待っているものも、知らないで。
子供時代の記憶を消されて、ステーションに行くとも気が付かないで。
ネバーランドよりも素敵な地球へ、と頑張ったことは失敗だった。
こうして過去を奪い去られて、ステーションに連れて来られたから。
「地球に行くこと」は、「子供時代の全てを捨て去ること」だったから。
(……でも、どうせ……)
成人検査は必ず受けるものだし、どんな子供でも逃れられない。
それなら、これでも「いい」のだろう。
E-1077に来られた自分は、いつか力を持てるから。
国家主席の座に就いたならば、機械に向かって命令出来る。
「奪った、ぼくの記憶を返せ」と。
大切な記憶を奪い返したら、次は「止まれ」と下す命令。
自分のような子供を作り出し続ける歪んだ世界は、滅ぶべきだから。
「ヒトが、ヒトらしく」生きるためには、機械が治める世界は要らない。
だから「止まれ」と機械に命じて、SD体制を終わらせる。
「子供が子供でいられる世界」を、取り戻すために。
ピーターパンの本が書かれた時代に、地球で、人間が「そう生きた」ように。
(…もちろん、滅びを繰り返さないように…)
策を講じねばならないけれども、SD体制なんかは「要らない」。
世界は「ヒト」のものであるべきで、機械のものではないのだから。
誰もが幸福になれる世界は、「ヒトが治める」べきだろうから。
(……頑張らなくちゃ……)
そのために、ぼくは選ばれたんだ、と今は誇りに思っている。
ピーターパンの本を失くさず、ステーションに持って来られた自分。
成人検査を受けた子供は、「何も持っては来られない」のに。
子供時代の記憶はもちろん、故郷で大切にしていた物も。
成人検査を受ける時には、荷物を持っては行けない決まり。
けれど自分はそれに従わず、宝物の本を持って出掛けた。
お蔭で今でも失くしてはいない、大切な本。
それこそが「選ばれた者」の証で、ピーターパンにも、きっと期待をされているから。
(……今よりも、もっと……)
もっともっと努力を重ねないと、と「やるべきこと」に思いを馳せる。
メンバーズ・エリートに選ばれた先に、国家元首の座に就いた先に。
そうやって頑張り続けていたなら、ピーターパンにも会えることだろう。
「迎えに来たよ」と、永遠の少年が空を翔けて来て。
その頃には「シロエ」は年老いていても、この命を終える時であっても。
(…ネバーランドに行けるなら…)
それでいいや、と緩んだ頬。
懸命に生きた生の終わりに、そんな御褒美が待っているなら。
ピーターパンと一緒に空に舞い上がり、ネバーランドへ飛んでゆけるのならば。
(……だけど、ホントは……)
もっと早くに行きたかったな、と微かにチリリと痛む胸。
「ネバーランドよりも素敵な地球へ」と思わなかったら、あるいは行けていたのだろうか。
子供の味方のピーターパンは、「シロエの夢」を尊重したから、迎えに来ないで…。
(…こういう人生になってしまったとか?)
まさかね、と急に冷たくなった背。
あれだけ待って待ち続けたのに、ピーターパンは「来なかった」。
もしかしたら、それは「自分が選んだ」道だったろうか。
「ピーターパンと一緒に行くより、地球に行こう」と。
そう出来るだけの素質と能力、それが「シロエ」にはあったから。
努力と勉強を怠らなければ、「地球への道」が開くのだから。
(……ぼくが、こういう道に来たなら……)
SD体制を破壊するために、更なる努力を続けてゆく。
「ぼくは選ばれた子供なんだ」と、誇りを持って。
ピーターパンなら忌み嫌うだろう、機械の世界を滅ぼすために、と。
だから自分は「今、ステーションにいる」のだろうか、ネバーランドには行けないで。
ピーターパンは迎えに来ないで、大人への道を歩み始めて。
(……そんなことって……)
あるだろうか、と思うけれども、否定するには決め手に欠ける。
ピーターパンが「ずっと、探していた」のが、「シロエのような子供」だったら…。
(…迎えに行くより、SD体制を破壊して貰おう、って思うよね?)
きっとそうだ、と容易に想像がつく。
ネバーランドを、ピーターパンを忘れない子で、優秀な子供が、どれほどいるか。
こんな「機械の言うなり」な世界に、マザー牧場の羊ばかりが増える世界に。
(……ぼくの他には、誰もいなくて……)
そのせいで、ぼくが「選ばれた」なら…、とゾクリとする。
もっと成績が悪かったならば、「違っていたかもしれない」と。
成人検査を受けるより前に、ピーターパンが迎えに来て。
今では住所も思い出せない、エネルゲイアの高層ビルにあった家。
あそこの窓から、夜の間に高い空へと舞い上がって。
ピーターパンやティンカーベルと、夜空を翔けてネバーランドへ。
(……二つ目の角を右に曲がって、後は朝までずうっと真っ直ぐ……)
謎かけのような、ネバーランドへ行ける道。
それはすっかり無視してしまって、真っ直ぐに飛んで。
子供が子供でいられる世界へ、幼い自分が焦がれた場所へ。
(……ぼくが劣等生だったなら……)
そっちの道へ行けただろうか、と零れ落ちる涙。
もしもそうなら、「選ばれた子供」でなくても良かった、と。
世界を救った英雄になるより、ただの名も無い子供で良かった。
先の見えない長い長い道、其処を懸命に歩くよりかは。
SD体制を破壊する日まで、がむしゃらに努力の人生よりは。
たとえ「負け犬」と呼ばれようとも、そちらの道なら後悔は無い。
ピーターパンが迎えに来るのだったら、ネバーランドへ行けたのならば…。
劣等生なら・了
※ステーションで努力するシロエですけど、もしも劣等生だったら、どうなったのか。
成人検査で一般コースに送られるのが普通とはいえ、ネバーランドに行けていたのかも…。