(…これも、これも…)
これも違う、とシロエが机に叩き付ける拳。
E-1077の個室で、唇を噛んで。
モニター画面をきつく睨んで、その画面をも憎むかのように。
(畜生…!)
どうして見付からないんだろう、と悔しくて、ただ堪らない。
とても簡単そうに思えて、けれど決して出て来ない「それ」。
探し続けて、ひたすらに求め続ける情報。
(……記憶を繋ぎ止める方法……)
それが知りたい。
成人検査で子供時代の記憶を奪われ、このステーションに送り込まれた。
両親の顔さえおぼろにぼやけて、故郷の記憶も曖昧になって。
酷い衝撃を受けたけれども、まだそれだけでは終わらなかった。
(…マザー・イライザ…)
E-1077を統治している巨大コンピューター。
地球にいると聞くグランド・マザーの、多分、直属だろうと思う。
(……ママそっくりな格好をして……)
彼女が「シロエ」を呼び出す度に、記憶から「何か」が欠け落ちてゆく。
「コール」と呼ばれる心理療法、それを施される度に。
深い眠りの淵に落とされ、心を分析された末に。
(…目が覚めた時は、すっきりした気がするけれど…)
そう感じるのは「大切な何か」を失くしたからだ、と気付いたのは、いつだったろう。
自分の中から大事な記憶が、今も消されてゆく真実に。
成人検査だけでは終わらず、折を見ては記憶を消してゆく機械。
その目的は、もう分かっている。
システムに逆らう気を起こさぬよう、従順な「羊」を作り上げること。
マザー牧場で暮らす羊を。
大人しく草を食んで育って、大人の社会に出てゆく者を。
そんな「羊」になりたくはない。
過去を奪われ、歯車にされて、どうして幸せになれるだろうか。
いくら憧れの地球に行けても、「自分自身」を失くしたならば。
記憶を奪われ、根無し草になって、機械が与える暮らしに甘んじる人間。
「そうされたのだ」とは、気が付かないで。
自分でも「幸せなのだ」と信じて、何一つ疑わないままで。
(……それでいい奴らも、いるんだけどね……)
殆どの奴はそうじゃないか、と分かってはいても、馴染めはしない。
彼らの仲間になりたくはないし、「自分自身」を失くしたくない。
心からそう願っているのに、どうして忘れてゆくのだろう。
記憶力には自信があるのに、コールされる度に。
決して頭は悪くないのに、大切なことを忘れていって。
(…忘れない方法さえあれば…)
それがあれば、と向かう端末。
モニター画面を食い入るように見詰めて、検索ワードを打ち込んでゆく。
「忘れない方法」だとか、「しっかり記憶する方法」とか。
けれど、どうしても見付けられない。
求める情報は出てはこなくて、代わりに見付かる「記憶術」。
習った知識を忘れないよう、脳味噌に刻み付ける方法。
どう頑張っても、そればかり。
「これも違う」とキーを叩いて、別の情報を表示させても。
検索ワードの切り口を変えて、新しい角度から調べてみても。
(……此処が教育ステーションだから……)
そういう情報ばかり出るのか、他所でやっても「同じ」なのか。
何度も疑念が生じたけれども、恐らくは「何処でやっても」同じ。
機械は「それ」を望まないから。
システムにとっては不都合な記憶、それを「人間」が持ち続けては困るから。
(くそっ…!)
なんて世の中なんだろう、と反吐が出そうで、憎しみの炎が噴き上げる。
どうして世界は「こう」なのだろう、と。
マザー牧場の羊でなくても、皆、従順に「忘れてゆく」。
機械が記憶を操作する度、何の疑問も抱かずに。
忘れ、失くした過去のことなど、振り返ろうとさえもしないで。
(……一人残らず、そうなんだから……)
此処の奴らを見てれば分かる、と握り締める拳。
たまに聞こえてくる故郷の話や、養父母たちの話。
(…懐かしそうに話してるけど…)
話の最後を締めくくる言葉は、判で押したように「同じ」だった。
「もう、はっきりとは覚えていない」と、穏やかに笑んで。
そう言った者も、聞いていた者も、それを「変だ」とも思わないで。
(……子供時代の記憶は、消されて当たり前……)
機械が「そうだ」と教え込むから、大人しい羊たちは信じる。
それが正しい道だと思って、ただ真っ直ぐに歩んでゆくだけ。
コールされる度、更に記憶を奪われても。
「大切な何か」が消えていっても、それも「当然なのだ」と素直に納得して。
何故なら、過去は不要だから。
もう戻れない「過去」のことなど、覚えていたって意味などは無い。
機械は彼らに、こう教える。
「成長は過去を捨て去ること」だと。
過去の自分を捨ててゆくことで、人は成長してゆくのだと。
(……大嘘つき……!)
そんな筈などあるものか、と信じる気には、とてもなれない。
本当に「それ」が正しいとしたら、SD体制が始まる前の時代には…。
(偉い人間など、いやしないさ)
遠い昔には、成人検査も、コールも無かった。
誰もが記憶を失くすことなく、「過去」を糧にして育った筈。
英雄と呼ばれて今の時代まで名が残る者も、学者も、それに哲学者だって。
「過去」は大事なものだと思う。
それが「個人」を作り上げる核で、けして忘れてはならないもの。
「自分自身」を持っていたいのなら、「羊」になりたくないのなら。
だから懸命に探し続ける。
薄れてゆく記憶を繋ぎ止める術を、なんとかして見付けられないかと。
なのに出るのは記憶術ばかり、「教わった知識」を頭に刻む方法ばかり。
(……こうする間にも、またコールされて……)
きっと何かを失うのだろう、「失った」ことを知ったら愕然とするものを。
失くして直ぐには気が付かなくて、後でショックを受ける「何か」を。
(…ぼくはこんなに、忘れたくないのに…)
マザー牧場の羊たちは皆、幸せそうな顔。
子供時代の記憶が薄れて、故郷や養父母たちのことさえ、霞んでいても。
そうなったことを嘆きもしないで、ただ従順に受け入れている。
成長を遂げて「社会」に出るには、それが正しい道だから。
機械が彼らに教える通りに、丸ごと鵜呑みにしてしまって。
(……忘れたくない……)
忘れたくないよ、と叩いたキー。
「ぼくの記憶を消させないで」と、何かに縋るような気持ちで。
この世に神がいると言うなら、どうか祈りが届くようにと。
そうして表示された結果に、瞳を大きく見開いた。
「信じられないもの」が出たから。
本当だとはとても思えず、食い入るように見入った「それ」。
(……忘却は、神が与えた恩恵……)
モニター画面には、そういう文字列があった。
「忘れたくない」と神に祈ったのに、まるで全く逆の言葉が。
忘却が神の恩恵だなどと、機械に都合の良さそうなことが。
(……これも、機械が……!)
何か操作をしているんだよ、と眉を吊り上げ、文字を追ってゆく。
きっと見出しは「そう」であっても、中身の方は違うだろうと。
詳しく読んだら答えは逆で、神は「忘却」など、人に与えはしなかったろうと。
何度も何度も、読み返した「それ」。
他に引っ掛かって来た「似たようなもの」も、端から読んだ。
背筋が冷えてゆく中で。
「嘘だ」と何度も心で叫んで、「機械が弄った情報なんだ」と否定しながら。
けれども、残酷すぎた結末。
機械は「操作していなかった」。
何故なら、遥か昔の文献、それを引き出して確認したって「同じ」だったから。
「忘却は神が与えた恩恵」、その考え方に間違いは無い。
人間が地球しか知らなかった頃から、「そのように」考えられて来た。
辛くて苦しいだけの過去やら、心を責める罪の意識やら。
「そういったもの」を抱えたままでは、人の心は壊れてしまう。
だからこそ、神は「忘却」というものを与えた。
抱え込み過ぎて壊れないよう、過去を忘れてゆけるようにと。
どんなに辛いことがあっても、再び「未来」を描けるように、と。
(……成長は過去を捨て去ること……)
機械が言うのと同じじゃないか、と氷の手で心臓を掴まれたよう。
神は「忘れろ」と言うのだろうか、「忘れたくない」大切な過去を。
繋ぎ止めたいと願う記憶を、いつまでも持っていたいものを。
(…確かに、此処で生きてゆくなら…)
過去などは、不要なのだろう。
抵抗しないで忘れた方が、きっと生き易くはあるだろうけれど…。
(……忘れてしまったら、「ぼく」はいなくなる……)
別のシロエになってしまう、と分かっているから、その「恩恵」は欲しくない。
神が与えたものであろうと、逆らう者には神の恵みが無くなろうとも。
(…ぼくにとっては、忘却なんかは…)
神じゃなくて悪魔の贈り物さ、と心で吐き捨て、端末に向かう。
「記憶を繋ぎ止める方法」、それを知ろうと。
そうすることが神に逆らうことでも、悪魔が用意した道であろうと…。
忘却の意味・了
※「忘却は神の恩恵」という考え方は、本当にあるんですけれど…。SD体制でもないのに。
シロエが聞いたら怒るだろうな、と思った所から生まれたお話。シロエが可哀想ですが。