「いたか、そっちは!?」
「捜せ、探せ!」
緊迫した男たちの声が聞こえる。
それに複数の荒々しい足音、あちこちの扉を開け放つ音。
バスルームやら、クローゼットやら。
(……どうして……)
どうしてこんなことになったのだろう、とシロエは息を潜める。
個室の床下にもぐり込んで。
たった一人で暗闇の中で、男たちが床下に気付かないよう、祈りながら。
(…ピーターパン……)
ぼくを助けて、と心で叫ぶけれども、ピーターパンに届くだろうか。
漆黒の宇宙にポツンと浮かんだ、ステーションなどで祈っても。
遠い故郷の星ならともかく、E-1077では。
(……此処で見付かったら……)
おしまいなのだ、と自分でも充分、承知している。
頭上で歩き回る足音の主は、全員がマザー・イライザの手下。
E-1077の保安部隊員で、武装していることは確実。
(このまま此処で撃ち殺されるか…)
連行されて処刑されるか、道は二つに一つしかない。
最高に運が良かったとしても、「シロエ」はいなくなるだろう。
記憶を全て消されてしまって、全く別の人間にされて。
「セキ・レイ・シロエ」の姿形は変わらなくても、中身はまるっきりの別人。
他の候補生たちが「シロエ!」と呼んだら、振り向いても。
笑顔で手を振り、応えたとしても。
(…そんなのはもう、ぼくじゃない…)
ただの「シロエ」という名のエリート候補生、そう、あのキースと競い合ったほどの。
E-1077始まって以来の秀才、彼とさえ肩を並べられるほどの。
そんな形で生き延びたとして、いったい何になるだろう。
自分が自分でなくなるのならば、それは「死んだ」も同然なのに。
(……キース・アニアン……)
そう、発端は、その「キース」だった。
過去の記憶を持たないエリート。
「マザー・イライザ」の申し子と呼ばれる、まるで感情を見せない男。
だから「アンドロイドなのだ」と思った。
マザー・イライザが作った機械仕掛けの人形、「人間のように思考する」だけの。
(あの皮膚の下は、冷たい機械で…)
赤い血などは流れていない、と確信したから、彼の秘密を暴きたくなった。
目の前に真相を突き付けられたら、彼は壊れると考えたから。
機械は所詮は機械なのだし、予測していない事象には弱い。
「真実を知れば」、暴走するだろう「キースの思考プログラム」。
狂ったように喚き散らして自滅するのか、瞬時に沈黙して「壊れる」か。
どちらにしても見物なのだし、それを「この目で」見届けたくなった。
憎い「機械」への仕返しとして。
成人検査で記憶を奪った、マザー・システムへの意趣返しに。
記憶を奪ったテラズ・ナンバー・ファイブと、マザー・イライザとは別物でも。
全く違う機械であっても、コンピューターには違いない。
(…どっちも、マザー・システムの手下…)
地球にあると聞くグランド・マザーが、統括しているコンピューターたち。
機械が統治するSD体制、そのシステムに異を唱えたいなら…。
(…イライザの申し子を、壊してやろうと…)
決心したのに、何処で計算が狂ったろうか。
こんな床下で息を潜めて、見付からないように祈るしかないなんて。
保安部隊に発見されたら、殺されるしかないなんて。
(……そんなのは、嫌だ……)
ピーターパンに会えもしないで、死んでゆくなど。
あの憎らしいマザー・イライザが命じるままに、処刑されるなど。
出来ることなら、ステーションから逃げ出したい。
E-1077を遠く離れて、故郷の星へと飛んでゆきたい。
此処で殺されてしまうよりかは、少しでも望みのある方へ。
(……地球の座標は分からないから……)
夢の星へは行けないけれども、アルテメシアになら行けるだろう。
ステーションでは、宇宙船の操縦も教わったから。
まだ実地では飛んでいないだけで、シミュレーションなら何度もやった。
宇宙船さえ手に入ったなら、アルテメシアへ飛ぶことは…。
(…絶対に、出来る筈なんだ…)
座標を打ち込んでやりさえすれば、オートパイロットで飛ぶことも出来る。
そこそこ優秀な宇宙船なら、ワープも自分一人で可能。
E-1077の宙港に行けば、飛んでゆける船は、きっとある筈。
民間船は立ち入れなくても、それに準ずる船は来るから。
(……新入生を乗せて来る船……)
それを奪えば、宇宙に出られる。
上手く立ち回れば、新入生たちが下船する前に…。
(船を制圧して、乗員を全員、人質に取って…)
新入生たちの命を盾に、アルテメシアへと漕ぎ出せるだろう。
マザー・イライザが如何に冷徹でも、候補生たちの命は失えない。
将来を嘱望されるエリートの卵、彼らの命を失ったなら…。
(グランド・マザーが、何と言うかな…?)
お咎め無しでは済まないだろうし、歯噛みしながら見送ることしか出来ないだろう。
ステーションから離れてゆく船、それに「シロエ」が乗っていたって。
そうして、アルテメシアの方でも、着陸を拒否することは出来ない。
海賊船にも等しい船でも、人質を大勢乗せているから。
もしも自爆でもされようものなら、グランド・マザーに叱責される。
誰も責任を取りたくないなら、着陸許可は下りるだろう。
下船した「シロエ」は殺すにしたって、乗員は生かさねばならないから。
(……そうすれば、帰れる……)
アルテメシアに、故郷のエネルゲイアに。
もう顔さえも思い出せない両親、けれど片時も忘れてはいない。
こんな時でも「帰りたい」のが故郷の星で、「会いたい」人が両親だから。
人質を取って帰った「シロエ」は、両親に再会出来るだろうか。
下船したなら、即座に殺されそうだけれども…。
(…まだ人質を取っていたなら…)
アルテメシアの上層部だって、考えざるを得ないだろう。
「セキ・レイ・シロエ」の要求通りに、かつての養父母を連れて来ることを。
彼らを船に乗船させるか、ただ宙港へ呼んで「顔を見せる」だけかは謎だけれども。
(……運が良ければ、パパとママを……)
人質と交換に出来るだろうか。
全員を解放してしまわずに、一部の者だけ船から出せば…。
(代わりに、ぼくのパパとママを乗せて…)
残りの人質は確保したまま、更に要求を突き付けられる。
船にエネルギーを補給しろとか、「地球の座標を教えろ」だとか。
候補生たちの命が惜しい上層部は、その要求を飲むしかない。
「シロエが逃げる」と分かっていても。
まんまと再会を遂げた両親、彼らを連れて地球に向かうと、承知していても。
(…撃墜しようにも、人質がいるしね…)
手も足も出ない筈なんだ、と考えるけれど。
ステーションの宙港に行きさえすれば、その選択肢があるのだけれど…。
(……キース・アニアン……)
その前に、あいつの歪んだ顔を、と思ってしまう。
いつも取り澄ましたトップエリート、彼が醜く取り乱すのを。
ピーターパンの本に隠した真実、それを目の前に突き付けてやって。
フロア001で撮影して来た、キースの「ゆりかご」。
胎児や「キース」の標本を見せて、あのエリートを追い詰めたい、と。
それは破滅だと分かっている。
その道を行けば、もう故郷には戻れはしない。
キースに会う方を選んだならば、確実に保安部隊に捕まる。
なにしろ個室は監視されていて、この床下のようにはいかない。
どの個室にもある「マザー・イライザ」の端末、それが「いつでも見ている」から。
個室でキースを捕まえなくても、それ以外の場所も、条件は同じ。
「キース・アニアン」がいるような場所は、何処だって「見られている」だろう。
完璧な「機械の申し子」の彼は、日の当たらない場所に行くことはない。
こんな床下に入りはしないし、通気口を伝ってゆくこともない。
だから「キースに会ったら」終わり。
其処でマザー・イライザの瞳に捕まり、保安部隊が追って来る。
「セキ・レイ・シロエ」を処分するために。
キースの前では撃たないにしても、引き摺ってゆかれて殺されるだけ。
それが嫌なら、故郷に帰りたいのなら…。
(…通気口を伝って、宙港に行って…)
新入生を乗せた船が無くても、めぼしい船を奪えばいい。
そのための手段は、いくらでもある。
武器が無くても、頭を使いさえすれば。
(……でも、ぼくは……)
キースを追い詰めてやりたいんだ、と握り締める拳。
それで命を失おうとも、それもまた自分の選んだ道には違いないから。
「機械の申し子」を嘲笑うことで、機械に復讐してやりたいから。
(……キース・アニアン……)
今に見てろ、と息を潜めて、笑みを浮かべるシロエは知らない。
そう「考える」思考そのものが、マザー・イライザの狙いなことを。
そのためにシロエが「選ばれた」ことも、破滅までがイライザの目的なことも。
自由なのだと信じているから。
彼が「自由」を忘れないことも、全ては機械の手の中なのに…。
仕組まれた自由・了
※キースの正体を知ったシロエは、捕まってサイオンチェックされたわけですが…。
脱出した後、どうしてステーションから逃げなかったか、それが気になって書いたお話。