(……パパ……)
ママ、とシロエが心に描く両親。
E-1077の夜の個室で、ベッドの上で膝を抱えて。
今では顔もぼやけてしまって、定かには思い出せない人たち。
どんなに記憶の糸を手繰っても、顔の辺りは、まるで焼け焦げた写真のよう。
瞳の色さえ、その有様では分からない。
辛うじて記憶に残っているのは、体格だとか、髪の色だとか。
(…会いたいよ……)
パパたちに会いに帰りたいよ、と思うけれども、家の住所も覚えてはいない。
「アルテメシアの、エネルゲイア」ということだけしか。
文字を覚えて直ぐの頃には、得意になって書いたのに。
何度も何度も、自分の名前と、エネルゲイアの家の住所を。
(……いくら調べても、分からなくて……)
未だに手掛かりさえも無い。
エネルゲイアに幾つも並んだ、高層ビルの「どれ」だったのか。
いったい何階に住んでいたのか、そんな基本の基本でさえも。
(…それに、パパの名前…)
もしかしたら、と検索した時、見付けた名前が「ミスター・セキ」。
エネルゲイアで「ミスター・セキ」なら、間違いなく父のことだと思う。
けれど、そこまで。
「ミスター・セキ」が何処にいるのか、住所も所属も分からなかった。
きっとプロテクトされた情報。
「セキ・レイ・シロエ」が、両親を見付け出せないように。
連絡を取ろうと試みるとか、密航してでも、故郷まで会いに行けないように。
今の世の中は「そういった風に」出来ているから。
十四歳を迎えた子供は、過去の記憶を消されてしまう。
二度と両親の許へは戻らず、大人の社会で生きてゆくよう。
機械が治める歪んだ世界で、そうとも知らずに大人しく暮らしてゆけるようにと。
どうすれば、両親に会えるのだろう。
懐かしい故郷に戻ったとしても、家の場所さえ分からないのに。
両親の面差しも覚えていなくて、「パパだ!」と気付けはしないだろうに。
(……ミスター・セキ……)
データベースにあった情報は、たったそれだけ。
顔写真などはついていなくて、手掛かりとさえも呼べない状態。
それ以上のことを知ろうとしたって、出るのはエラーメッセージばかり。
(…パパは、とっても偉かったのに…)
職業さえ思い出せないけれども、「偉い人物」だったのは確か。
子供心に「パパは凄い」と、誇らしかった記憶があるから。
そのことは今も忘れていなくて、「パパは偉い人」だと思っているから。
(……パパが、とっても偉い人なら……)
もしかしたら、と思い付いたこと。
いつか自分が偉くなったら、父に会うことが出来るだろうか。
父の職業が何にしたって、理由をつけて。
(…メンバーズ・エリートに選ばれたなら…)
軍人の道を歩むけれども、手に入るだろう様々な権限。
それを使えば、「あるいは」と思う。
「エネルゲイアのミスター・セキ」を、呼び出して、話すことだって。
もしも運良く、父の専門が軍事関連のことだったなら…。
(たった一回、会うだけじゃなくて、何回も…)
会議を重ねて、顔を合わせることだって出来る。
「ミスター・セキ?」と意見を求めて。
父の方でも、データと「シロエ」を見比べながら話すのだろう。
「その件については、私の意見は、こうなりますが」と。
会議が長引いてくれた時には、その後に、きっと、会食だって。
(……パパに会えたら……)
今では思い出せない姿も、また鮮やかに蘇る筈。
相応の年を重ねていたって、「父」には違いないのだから。
「そうだ、こういう顔だったんだ」と、幼かった頃の記憶と共に。
(…いくら機械が統治してても…)
メンバーズとして「会う」のだったら、止める権限は持たないだろう。
「それ」が必要なことならば。
「メンバーズのシロエ」が、「ミスター・セキ」の助けを要しているのなら。
(……パパの研究……)
本当に軍事関連だったら、事は簡単に運んでくれる。
メンバーズとして出世した後、「ミスター・セキ」を呼ばねばならなくなったなら。
(そうやって、パパを呼び出して…)
最初に会うのは執務室なのか、それとも会議室になるのか。
父は「シロエ」を分かってくれるか、懐かしそうに笑んでくれるのか。
(…パパたちの記憶は、消さないよね…?)
子供の方の記憶は消しても、養父母の記憶は消さないと思う。
それをしたなら、社会が歪んでしまうから。
育英都市とは、大勢の人が、家族が暮らしている場所。
其処で「養父母」の記憶を消したら、厄介なことになるだろう。
隣人などから「お子さんは?」と尋ねられても、答えることが出来ないから。
「子供なんかが、いましたっけ?」と言おうものなら、誰もが怪しむ。
「この社会は、何処かおかしくないか」と。
昨日まで「いた」筈の子供が消えても、「両親が」覚えていないだなんて。
(…そんなの、絶対、有り得ないから…)
父の方では「シロエ」を覚えていることだろう。
「あのシロエなのか?」と訝しみながら、呼び出しに応じて来てくれる筈。
そうして「シロエ」が待っていたなら、その瞬間に…。
(…ぼくだ、って分かってくれるよね…?)
ずっと昔に家を離れた「息子」だと。
「シロエ」がこんなに大きくなったと、「今はメンバーズ・エリートなのか」と。
父が「シロエ」を覚えていたなら、話は早い。
「もしかして、パパ?」と尋ねた時には、「ああ」と答えてくれるだろう。
今では思い出せない顔立ち、それを笑顔で一杯にして。
「ずいぶん立派になったなあ、シロエ」と、懐かしい声で。
(…ちゃんと地球にも行けたのか、って…)
父は問い掛けてくれるだろうか。
幼かった日に「ネバーランドよりも素敵な場所さ」と、父が話してくれた「地球」。
選ばれた人しか行けない地球まで、「シロエ」は行って来たのか、と。
(ぼくが地球まで行っていたなら…)
たちまち弾むだろう会話。
「地球はホントに素敵だったよ」と、地球で見て来たことを語って。
それから父に「ママは元気?」と、母の様子を質問して。
(元気だぞ、って…)
写真を見せてくれるだろうか、父が持ち歩いていたならば。
その日は持っていなかったとしても、会議で何度も会えるなら…。
(次に会う時に、持って来よう、って…)
父なら約束してくれる。
おぼろになった記憶の中でも、父は、いつでも優しいから。
「シロエの頼み」は、いつだって聞いてくれていたから。
(…パパが写真を見せてくれたら…)
母の記憶も、たちまち戻ってくれるのだろう。
過ぎた月日が、母の上にも重なっていても。
子供の頃に見ていた顔より、何年分も老けていたって。
(…ママの顔は、ママの顔なんだから…)
若かった頃の面差しだって、きっと心に蘇る。
エプロンを着けて、キッチンに立っていた時の顔。
「今日はシロエの大好物よ」と、微笑む顔が。
(……出世したなら……)
会えるかもしれない「ミスター・セキ」。
父に会えたら、見られるかもしれない、母の写真。
(…ぼくの記憶を取り戻すには…)
社会の仕組みを変えるしかなくて、それには長い時間がかかる。
メンバーズとして出世した後、頂点にまで昇り詰めないと…。
(…グランド・マザーを止める力は…)
手に入らないし、奪われた記憶も戻りはしない。
けれども、「父に会う」ことだったら、それよりも早く出来そうなこと。
父の職業が何だったのか、それによるとは思うけれども。
(…軍事じゃなくって、テラフォーミングとかの研究だったら…)
メンバーズの任務と重なるかどうか、自信が無い。
そうは思っても、可能性があるなら、それを見逃すつもりも無い。
(……何か、口実……)
上手く見付けて、「ミスター・セキ」を呼び出せばいい。
「シロエ」に会いに来るように。
会って、かつての「息子」と再会を遂げられるよう。
(…それが出来るなら、いいんだけどね…)
夢物語かな、と振り払う「想い」。
今の所は、曖昧な「夢」に過ぎないから。
メンバーズ・エリートとしての権限、それが何処まで及ぶものかも分からないから。
(……だけど、夢でも……)
この夢が叶ってくれればいい、と今は縋らずにはいられない。
遠い故郷を想う夜には、涙が溢れて止まらないから。
両親に会いに行きたい気持ちは、どうしても消えてくれないから。
いくら記憶を消されていても。
機械が忘れさせた両親、その顔立ちさえ、今では思い出せなくても…。
父に会えたら・了
※シロエが思い付いたこと。いつか出世して「ミスター・セキ」を呼び出すこと。
それが出来たら、両親の顔を思い出すことが出来るかも、と。夢物語でも、縋りたい夢。