(……ヒトというものは……)
不思議なものだ、とキースは心で独りごちる。
国家騎士団総司令にと、与えられたノアの広い個室で。
側近のマツカも、とうに下がらせた後の夜。
机の上には半ば冷めたコーヒー、半分は飲んであるのだけれど。
(…こんな夜に、一人きりの輩は…)
きっと少ないことだろうな、と想像はつく。
マツカはともかく、他の部下たちは外に出掛けたか、あるいは何処かに集まって…。
(……クリスマス・パーティーときたものだ……)
神の子の誕生を祝っているかは、謎なのだがな…、と可笑しくなる。
遠い昔に、地球で生まれた神の一人子。
ベツレヘムという名の街の厩で、貧しい大工の息子として。
(……血統としては、ダビデの末裔だったとはいえ……)
父のヨセフも、母のマリアも、けして王族などではなかった。
だから厩で生まれて来た上、ゆりかごも飼葉桶だったほど。
預言された「神の子」だったのに。
「ユダヤ人の王」となるべく、神が定めた子であったのに。
(…その誕生を星が知らせて、遥か東方から…)
三人の博士たちが、その赤ん坊を訪ねて来た。
贈り物を手にして、「ユダヤ人の王となられる御方は、何処におられますか」と。
王家に生まれた子ではないのに。
それを問われた王のヘロデは、「ユダヤ人の王」となる子を、抹殺しようと考えたほど。
博士たちには、大嘘をついて。
彼らが赤子を無事に見付けたら、「私も拝みに行くから、教えて欲しい」と。
もっとも、利口な博士たちの方は、教えないままで帰ったけれど。
厩で神の子にひれ伏した後は、ただ真っ直ぐに。
それがキリスト、神の子が、人の姿で生まれた時の出来事。
今の時代も、その誕生はクリスマスとして残っている。
クリスマスツリーや、パーティーなどや、心華やぐイベントとして。
子供が主役の育英都市でも、ノアのような大人社会にしても。
けれど、今の世に、どれほどの人が「神の子」の誕生を祝うのだろう。
心の底から「この日」を寿ぎ、「ハレルヤ」と神を讃えるだろう。
(……そういう職業に就いた者しか……)
本当の意味で、クリスマスを祝いはしないのだろう、と考えずとも分かること。
ヒトは今でも「神」に縋るけれど、神との距離が開いたから。
SD体制が敷かれた時代に、ヒトは「厩」で生まれはしない。
厩でなくとも、「ユダヤ人の王」となる子に、似合いの豪華な寝台だろうと。
(…人工子宮から生まれる上に…)
本当の父と母の顔さえ、「生まれて来た子」は、見ることが無い。
人工子宮から出された後には、養父母の許で育つだけ。
「自分」という生命が誕生するまでに、本当の父と母がいるのに。
機械が選んで組み合わせてはいても、精子と卵子の提供者が。
(……今の時代は、誰でもイエスと変わらないな……)
まるで変わらん、と浮かべた苦笑。
誰一人として、「母から生まれた子」はいないから。
強いて言うなら、異分子のミュウの船で目にした、幼子くらい。
(…アレは、母親から生まれた子だが…)
その父親もいるだろうから、イエスとは、全く事情が違う。
イエスの場合は、「処女(おとめ)」が母なのだから。
肉体の欲は絡んでいなくて、人工子宮から生まれて来る子と変わりはしない。
だから今の世は、どちらを向いても「清い子」ばかり。
ミュウの船で見た、子を除いては。
オレンジ色の髪と瞳の、暗殺者として牙を剥いて来た幼児以外は。
(……皆、清い子では、キリストという神の有難味もだ……)
自ずと薄れてゆくのだろうな、と思いもする。
いったい誰が、今日という日を祝うだろうか、と。
華やかなイベントに興じるだけで、きっと神など見てさえもいない。
ヒトは幸せの中にいたなら、「神」を求めはしないから。
彼らが「神」に縋る時といえば、切羽詰まっての、神頼みくらいなのだから。
それほどに、今は「忘れ去られた」神というもの。
神に仕える職業の者も、仕事だから仕えているというだけ。
ヒトの人生の節目などには、今でも神が顔を出すから。
結婚式を挙げるとなったら、神に仕える者たちの出番。
彼らが式を司らねば、絵にはならない「結婚式」。
どれほどの贅を尽くしていようと、肝心の式が疎かになって。
結婚する二人のための祝福、それも演出して貰えなくて。
(……神の出番は、その程度だがな……)
普段は全く無いのだがな、と思いはしても、祝われているクリスマス。
何日も前から、街やオフィスが美しく飾り付けられて。
子供たちが暮らす育英都市なら、サンタクロースなども登場して。
ヒトが皆、「神の子」であるイエスと、さほど変わらない生まれになっても。
母の胎内から生まれて来ないで、人工子宮から取り出されても。
(…神の子よりも、清らかな生まれなのかもしれんな…)
血の穢れさえも受けてはおらん、と顎に当てた手。
遠い昔には、出産は「穢れ」とされていた。
ヒトが生まれるには必須のことでも、出産には「血」が付き物だから。
子を産む母さえ、産屋に閉じ込め、外に「穢れ」を持ち出さないようにされたほど。
出産の後も、「穢れている」と思われたもの。
しかるべき時を経た後にしか、「神の家」たる神殿などには出入り禁止で。
(……聖母の清めの日というのも……)
昔から定められていた。
神の一人子、キリストを産んで「穢れた」マリア。
彼女の穢れが拭い去られて、神殿に供物を捧げることが許された日。
後の世界では、幾つもの蝋燭を皆が灯して、その日を祝っていたという。
本当の意味での「クリスマスの終わり」は、聖母の清めの日だった、とも。
(…今の時代は、そういう穢れも…)
ありはしない、と歪めた唇。
人工子宮から生まれて来る子は、キリスト以上に「清い」者だ、と。
(……そして、私は……)
どんな者だというのだろう。
人工子宮の外に出されず、水槽の中で、成人検査の年までを育てられた者。
そうして生まれる前の時点でも、精子も卵子も使われていない。
全くの無から作られた者で、本当の父も、母もいない者。
機械が「キース」を作ったから。
マザー・イライザが、今はもう無い、あのE-1077で。
(…三十億もの塩基対を合成して…)
繋ぎ合わせて、DNAという鎖を紡いだ、と語ったイライザ。
それは誇らしげに、「神」を恐れることさえもせずに。
マザー・イライザも、プロジェクトを進めたグランド・マザーも、神の領域を侵したのに。
(……あの機械どもが目指したものは……)
「神の子を創る」ことだったろうか。
今の時代の人間が全て、神の子よりも「清い」存在ならば。
イエスが生まれた時には在った、血の穢れさえも「無しに」生まれて来る世界なら。
(…全くの無から、作り出したならば…)
並みの人間よりも一層、「神」に近付くことだろう。
精霊によって、聖母の胎内に宿った「イエス・キリスト」よりも。
何故なら、「マリア」も要らないから。
「母」の胎内など、まるで必要とはしないのだから。
(……まさかな……)
そこまで傲慢なこともあるまい、と首を横に振る。
どう作ろうとも、「キース」は神にはなれないから。
神の子のように死んで復活しもしなければ、天に昇りもしないのだから。
そのくらいのことは、きっと機械にも分かると思う。
「キース」が「神」になれないことは。
どれほど「神」に似せて作ろうとも、「神」さえも超える生まれの者を作り上げようとも。
(…いくら機械が、神というものを目指そうが…)
神は作れん、という気がする。
ヒトが「神」などを忘れていようと、それでも「神」はいるのだから。
クリスマスが「ただのイベント」だろうと、人生の節目にしか「神の出番」が無くとも。
(……どう転がっても、私が神になれる日などは……)
来はしないのだ、と分かっているから、ただ虚しい。
機械が「神を創り出すこと」を目指したのなら、彼らの目論見は外れたから。
「キース」に出来ることといったら、「人類の指導者」程度だから。
(…それが限界だと思うのだがな……)
それ以上を求められても困る、と傾けた冷めたコーヒーのカップ。
「キース」は天には昇れないから。
どれほどに忘れ去られた「神」でも、「キース」よりかは人の心に生きているから。
気が遠くなるほどの時が流れた後にも、その誕生日を祝われて。
ただのイベントと化した今でも、クリスマスを皆に待ち望まれて。
その日が持っている本当の意味は、忘れられていても。
街が華やぐだけになっても、パーティーを開く日になっていても。
何故なら、「神の子」は「本物」だから。
機械が無から作りはしなくて、神が下した一人子だから…。
神の一人子・了
※いや、キースって、いろんな意味で「神の子」を超えているんだよな、と思ったわけで…。
季節外れも甚だしい話になっちゃいましたが、あえてクリスマスが舞台です、はい~。