(……此処から、逃げて行けたらいい……)
そして帰って行けたなら、とシロエの胸を占めてゆく思い。
E-1077の個室で、一人きりの夜を迎える度に。
成人検査で消された記憶。
奪い去られた子供時代と、子供時代を過ごした故郷。
其処へと帰ってゆきたいと思う。
もう、おぼろげになってしまった過去へ。
懐かしい過去があった故郷へ、今も両親が住んでいる場所へ。
(…でも、帰るには…)
乗らなくてはならない、アルテメシア行きの宇宙船。
故郷のエネルゲイアがあった雲海の星へ、飛んでゆくのだろう船が必要。
E-1077にも、宇宙船が発着するポートはある。
人類統合軍の宇宙船さえも出入りするなら、アルテメシア行きの船だって…。
(直行便ではないとしたって…)
一隻くらいは、きっと入港して、また飛び去って行くのだと思う。
此処で誰かを降ろしてゆくのか、誰かを乗せて旅立つものか。
そのチケットを買えさえしたなら、アルテメシアに行けるのだけれど。
アルテメシアの宙港に降りたら、エネルゲイアへの便だって飛んでいそうだけれど。
(……ぼくは、買えない……)
故郷に帰るための、船のチケットは。
候補生の身では買えはしないし、ハッキングなどで不正に入手したって…。
(…マザー・イライザに知られて、取り上げられて…)
その後にコールされて叱られるか、保安部隊に取っ捕まるか。
「ステーション、E-1077を脱走しようとした」罪で。
謹慎を食らうか、成績を減点されるのか。
ろくな結果になりはしないから、船のチケットは手に入れられない。
それがあったら、故郷へと飛んでゆけるのに。
「子供時代」があっただろう町、其処に「もう一度」立てるのに。
けれど、叶いはしない夢。
どう転がっても、手に入る筈もないチケット。
ポートに出掛けて、行き先などを入力してみても。
表示された金額に見合うだけの金を、「これだけ」と支払う意志を見せても。
(…ぼくの名前や、個人情報を入れないと…)
けして発券されないチケット。
漆黒の宇宙を飛んでゆく船は、ゲームセンターにあるような遊具の類とは違う。
「人の命」を預かることになるから、「誰を乗せたか」は重要なこと。
万一、事故が起こった時には、どのレベルまで対応するか。
近隣にある惑星からの救助船さえ向かえばいいのか、宇宙海軍が出動するか。
(…任務の途中のメンバーズとか…)
休暇中でも、パルテノンの元老のような「お偉方」が乗っていたなら、大変なこと。
長距離ワープを繰り返してでも、最新鋭の船が最短距離で救助活動に向かう。
宇宙海軍でも最大とされる、アルテミス級の戦艦だって。
(そういう判断に必要だから…)
宇宙船のチケットを買うとなったら、名前とIDは必要不可欠。
所属や、住所といった代物も。
「セキ・レイ・シロエ」の「それ」を入れたら、発券は拒絶されるだろう。
教育課程の候補生には、ステーションを離れる自由など無い。
訓練飛行や、無重力訓練で「出る」のが限界。
そんな人間のデータを入れた途端に、エラーになるのは目に見えている。
保安部隊員が走って来るのか、ポートの係に取り押さえられるか。
(それを避けるのなら、ハッキングして…)
偽の情報を入力してやれば、チケット自体は手に入る。
「セキ・レイ・シロエ」とは違う名前や、IDなどを「偽造して」やれば。
(だけど、それを持ってポートに行けば…)
その場でバレて、船には乗れない。
マザー・イライザの監視が行き届いているか、厳重なチェックシステムがあるか。
「脱走する者」が出ないようにと、ポート全体に目を光らせて。
だから「乗れない」と分かっている船。
此処から逃げてゆくことは無理で、逃げ出す手段さえも無い。
(…ぼくが、この手で作れたら…)
宇宙船を、と思いはしても、其処までの技術を持ってはいない。
エネルゲイアで学んだ範囲に、「宇宙船の設計」は含まれていなかった。
建造技術も、学んではいない。
(独学で、それを身に付けたって…)
きっと材料が手に入らなくて、諦めざるを得ないのだろう。
船体に使う特殊鋼材、それが欲しくても「与えて貰える」ことなどは無くて。
エネルギー伝導用のコイルも、何処からも入手出来なくて。
(…学ぶだけ無駄で、役に立たなくて…)
でも…、と心は故郷へと飛ぶ。
もう顔さえもぼやけて思い出せない両親、実感を伴わない風や光や。
それらが「今も」あるだろう場所、どうすれば其処へ行けるだろうか、と。
(宇宙船に乗ったら、じきにワープで…)
何十光年、何百光年といった距離を飛び越えて「其処」に向かう筈。
此処からは遠いアルテメシアへ、エネルゲイアがある星へ。
そうやって「ワープ」で飛んでゆくなら、欠かせないものは何なのか。
(……ワープドライブ……)
それだ、と直ぐに出て来る答え。
どんな小さな宇宙船でも、ワープドライブさえ積んであったら、故郷へと飛べる。
逆に言うなら、ワープドライブさえあれば…。
(宇宙船なんかに…)
頼らなくても飛べるのかもね、と思いもする。
この手で「それ」を作れたならば。
亜空間ジャンプが出来るシステム、小型のワープドライブを。
(…ぼく一人だけが、ワープ出来たら…)
それでいいのに、と抱く考え。
「シロエ」だけを運ぶワープドライブ、そういったものを作れたなら、と。
(…無理なんだけどね……)
人間だけが「生身で」ワープするなんて、と理屈の上では分かっている。
亜空間理論を学んだ今では、「絶対に無理」だと教えられもした。
けれども、夢を描くのは自由。
今の理論では「無理」であろうが、「遠い未来」には「違うかも」と。
遥かな昔は、ワープさえもが「夢」だった。
小説などに出て来るだけの、架空の航法。
それが今では「常識」なのだし、いつか「人間が」ワープしたって不思議ではない。
(…そういう機械を作れたら…)
いいんだけどな、と考える内に、出てくる欲。
ワープは「時空間を越える」航法、それなら「時」を越えたっていい。
どうせ未来のシステムだったら、其処までのことが出来ればいい。
遠い昔から、人が夢見た「タイムマシン」。
未だに実現しないけれども、同じ「作る」のなら、そっちがいいに決まっている。
故郷に向かって「シロエだけ」が飛んでゆくのなら。
とても小さなワープドライブ、それで「目指そう」と思うなら。
(……タイムマシンなら、ぼくが子供の頃にだって……)
飛んでゆけるし、それが出来たら「変えられる」未来。
成人検査を受けないように、過去の時間に干渉して。
そのせいで「歴史」がどう変わろうとも、かまいはしない。
「此処」から「シロエ」が消えたって。
宇宙そのものが変わってしまって、「シロエ」がいなくなったって。
(…こんな風に、記憶を消されてしまって…)
苦痛に満ちた人生を送らされるよりかは、最初から「無かった」方がいい。
「成人検査を受けなかったシロエ」が、どうなろうとも。
そういう「シロエ」を作ったせいで、「今のシロエ」も消え去ろうとも。
それで充分だと思う。
タイムマシンを「作った結果」が、自分自身の「消滅」でも。
そんな結末を招くのだとしても、「全てを忘れて」しまわないなら。
あればいいのに、と思うタイムマシン。
とても小さなワープドライブ、「シロエだけを」故郷へ運べるもの。
作れはしないと分かっていても。
今の時代の技術や理論で、「それ」は不可能だと知ってはいても。
(……夢を見るのは、ぼくの自由で……)
だったら、それを「形」にしたっていいだろう。
いつかは「載せたい」ワープドライブ、「可能にしたい」タイムマシン。
その夢を乗せて「走る」何かを作っても。
E-1077でも「手に入る」もので、「夢の乗り物」を形にしても。
(……今は、それしか出来ないけれど……)
やってみようか、と心に描く設計図。
見た目は「ただのバイク」だけれども、夢の世界では「タイムマシン」になるバイク。
ワープドライブだって搭載していて、故郷までも駆けてゆける「それ」。
そういうバイクを「作って」乗ったら、束の間の夢が見られるだろうか。
走ってゆける場所はE-1077の「中」だけでも。
宇宙にさえも出られなくても。
(…ぼくの中では、タイムマシンで…)
故郷へも走ってゆけるモノ。
誰にも分かって貰えなくても、ただの「バイク」に過ぎなくても。
夢を見るのは自由なのだから、「それ」を作ってみるのもいい。
ほんの一瞬、心だけが「過去」へ飛べるなら。
懐かしい故郷へ飛んでゆけるのなら、きっと「飛べた」気がするだろうから…。
飛び越えたい時・了
※いや、シロエ、楽しそうにバイクに乗っていたよね、と思ったわけで…。何故、バイクかと。
其処から浮かんで来たお話。シロエなだけに、こういう理由でも通りそうな気が…。