「アニアン大佐、おはようございます」
朝のコーヒーをお持ちしました、とキースの部屋に入ったマツカ。…首都惑星、ノアで。
とうに起きていたキースの机にカップを置くと、壁の方をチラと横目で眺めて…。
(…今日もやっぱり…)
此処にいるんだ、と目だけで「そちらに」挨拶をした。「おはようございます」と。
応えてニコリと微笑む少年。声は聞こえて来ないけれども、「おはようございます」と、きっと言いたいのだろう。そういう顔をしているから。
(…うーん……)
誰なんだろう、とマツカには今も分からない。この少年が誰なのか。
黒い髪に紫の瞳の少年。気が強そうにも見えるかと思えば、幼い子供のようにも見える。
(第一、此処に子供なんかは…)
けして入っては来られない。国家騎士団が入る建物、一般人は立ち入り禁止だから。
けれど「少年」は「此処に」いるわけで、コソコソ隠れてもいない。キースが何処かへ移動する時は、この少年も「ついて来る」。デスクワークだろうが、任務だろうが。
(…おまけに、誰にも見えていなくて…)
誰一人として気が付かないし…、と尽きない疑問。この少年の正体は、と。
「…マツカ?」
まだ何か他に用があるのか、というキースの声に、マツカは慌てて敬礼した。
「い、いえ…! 失礼しました!」
「用がある時は、こちらから呼ぶ。…下がっていい」
今日も朝から忙しいのでな、とキースに叩き出された部屋。
去り際に後ろを振り向いてみたら、少年は「ご愁傷様」というような表情だった。肩を竦めて、軽く両手を広げたりして。
そんな具合に、「キースの部屋に残った」少年。
側近のマツカが叩き出されても、キースに放り出されはしないで。
(…きっと、今頃は…)
仕事中のキースを横から覗き込んでいるか、床に座って本でも読んでいるのだろう。今日までに何度も目にした光景。
(興味津々といった感じで…)
キースの手元を見詰める姿や、本を広げて「自分の世界に」夢中の姿。
あの少年は、キースにも「見えていない」のだと思う。見えていたなら、自分と同じにキースに放り出されるから。「出て行け!」と書類でも投げ付けられて。あるいは銃を向けられて。
(でも、書類とか…)
それに銃とかが効くんだろうか、とマツカは首を傾げる。なにしろ「見えない」少年だから。
誰に訊いても、キースの側には「マツカしかいない」。いつ訊いてみても。
(…誰かいます、と言った途端に…)
「侵入者か!」と何度も騒ぎになった。少年の姿は見事にスルーで、他の所を捜し回って。
キースの副官のセルジュもそうなら、パスカルも、他の部下たちも。
そうやって捜し回ってみたって、「誰も見付からない」ことが重なり、「このヘタレ野郎!」とセルジュに怒鳴られた。
(…ぼくが、ビクビクしているから…)
いもしない「敵」が「いるように思えて」しまうのだ、と食らった説教。「しっかりしろ!」と叱り飛ばされ、「軍人らしく、もっと度胸を持たないか!」などと。
(……そう言われても……)
あの少年は、確かに「いる」。
今日も向けられた、明るい笑顔。「おはようございます」と親しみをこめて。
部屋から叩き出された時には、同情してくれていた少年。「仕方ないですよ」という風な顔で、けれど「マツカに」向けていたポーズ。「お手上げですよね」と。
(…キースのことを、よく知っていて…)
なおかつ、平気で側にいられる少年。
いくら「見えない」少年とはいえ、普通は「キースの」側なんかには、誰も近付いたりしない。冷徹無比な破壊兵器と異名を取るほど、皆に恐れられているのだから。
けれど、少年は「キースを」怖がらない。
その仕事ぶりを眺めていたり、「ぼくには関係ない」とばかりに、寛いで本を読んでいたりと。
(……キースという人を、よく知っているから……)
ああいう風に、キースの側にいられるのだろう。他所へは行かずに、朝も早くから。
夜にマツカが下がる時にも、少年の姿は「其処にある」。キースの代わりに「お疲れ様」という笑みを湛えて、見送ってくれて。
(…生きた人間ではない…筈なんだし…)
あの少年が生きているなら、他の者にも見えるだろう。ならば、少年はとっくの昔に…。
(……死んでいる…わけで……)
マツカが見ているものは「幽霊」。
SD体制の時代になっても、幽霊という概念くらいはある。「出た」と噂になることも。
(…幽霊というのは…)
この際だから、とマツカは調べてみることにした。今日のキースは、デスクワークの予定だけ。急に呼ばれはしないだろうから、調べ物には丁度いい。
(…えーっと…?)
端末の前に座って、データベースから引き出した情報。「幽霊」について。
一口に「幽霊」と言ってみたって、色々な種類があるらしい。それに「姿を現す」理由の方も。
(この世に未練が残ってしまって、死んだ場所から動けないのが…)
地縛霊というブツ。あの少年は「自由に動ける」のだから、地縛霊ではないだろう。その反対の「浮遊霊」の方で、何処にでもフラリと現れるヤツ。
(…こっちらしいけど…)
そう思いながら「姿を現す理由」を読んで、マツカの顔が青ざめた。
(……誰かを恨んでいた時は……)
幽霊は、その人間に「取り憑く」もの。何処へ行こうと、何処へ逃げようと、逃がしはしない。追って追い続けて、いつか恨みを晴らすまで…。
(子々孫々まで祟り続けて、一族郎党、皆殺しだとか…)
そんな例まであったという。
SD体制の今は、血の繋がった親子などはいないし、其処まで祟りはしないとしても…。
(……あの少年は、まさかキースを……)
取り殺そうとしているのだろうか、とゾクリと冷えたマツカの背筋。
恨む相手は「キース」だけだし、無関係な「マツカ」の方には、とても愛想がいいだけで…。
(…ぼくがいない時は、キースを取り殺す機会を狙って…)
鬼のような形相なのかもしれない。それは冷たい表情になって、紫の瞳を凍らせて。
ただ、幽霊は「強いエネルギーを持った人間」には「弱い」という。生きた人間の方が、死んだ人間よりも「エネルギー」を多めに持っているもの。
(だから、意志の強い人間だったら…)
幽霊などに負けはしなくて、逆に跳ね返してしまうほど。…キースも、そっちのタイプの筈。
それなら「安心」なのだろうか、とホッと息をつき、其処で気付いた。
あの少年がキースに「憑いて」いるのなら、何故「キース」なのか。「冷徹無比な破壊兵器」の異名を取るのがキースだけれども、それはあくまで「軍人として」。
(反乱の鎮圧とか、そういった任務で人を殺しても…)
子供まで殺しはしないだろう。…ジルベスター・セブンにいた「ミュウ」の場合は、女子供でも殺したのかもしれないけれど。
(……ミュウなのかな……?)
ジルベスターで殺された恨みを晴らしに来たのだろうか、と考えてみれば辻褄が合う。ミュウの少年なら、「同じミュウ」のマツカに愛想がいいのも当たり前。「お仲間」なのだし、挨拶だってしてくれる筈。「おはようございます」と笑んで。
(…でも…)
そっちだと時期が合わないな、とマツカは首を捻った。
ジルベスターから戻って来た時、あの少年は「いなかった」。船の中でも見てはいないし、このノアに帰還した後も「一度も出会ってはいない」。
初めて姿を見掛けたのは…、と記憶を手繰らなくても分かる。「あの時だ」と。
キースが「レクイエムを捧げに行く」と言って出掛けた、廃校のE-1077を処分した時。
あそこから帰って来る船の中で、キースの後ろを歩くのを見た。子供のような人影が。
(…船に子供はいなかったから…)
気のせいなのだと考えたけれど、それから間もなく「あの少年」が住み付いた。首都惑星ノアの「キースの」部屋に、キースが出掛けてゆく先々に。
そういうことなら、あの少年は「E-1077から」来たのだろう。
E-1077はキースが処分したから、地縛霊が行き場を失ったろうか…?
(地縛霊は、誰かが浄化するまで…)
その場所を離れられないという。あの少年が「E-1077の地縛霊」なら、E-1077さえ消えてしまえば、もう「其処にいる」理由は無くなる。つまりは自由。
(…キースが、彼を自由にしたから…)
恩を感じて、キースに「ついて来た」かもしれない。何か恩返しでもしたくなって。
それなら、あの少年がキースを恐れないのも…。
(ぼくと同じで、キースの人柄を知っているからで…)
幽霊だけに「命の恩人」とは言えないけれども、似たようなもの。
キースに「自由を貰った」わけだし、「悪い人ではない」のだと分かる。それでキースの人柄に惚れて、ああやって「側にいる」のだろう。いつか「恩返し」をするために。
(E-1077…)
何かデータは…、と探してみたら、其処の制服の資料が出て来た。候補生たちが纏う制服。
(…あの子の服だ…)
入学したばかりの候補生の服。それが「あの少年」がいつも着ている服だった。
やはりE-1077から来た地縛霊だ、とマツカは納得したのだけれど。
「え…?」
今、なんて…、とマツカは目を丸くした。それから数日経った後に。
たまたま食堂で出会った、セルジュとパスカル。「一緒に食おう」と手招きされて、二人がいるテーブルに着く羽目になった。…あまり有難くはないのだけれど。
何故かと言ったら、大抵は「ヘタレ野郎」なマツカへの説教、それが話題になるものだから。
それは嫌だし、と思ったはずみに思い出したのが「あの少年」。E-1077から来た地縛霊。
キースはE-1077の出身だから、そっちに話を振ることにした。
「よく知らないので教えて下さい」と、E-1077時代のキースの逸話を知りたい、と。
もちろん、セルジュやパスカルたちに「否」などは無い。彼らはキースを尊敬しているだけに、話したいことなら「山のように」ある。
「機械の申し子」と呼ばれたくらいの成績だとか、入学直後の宇宙船の事故とか、次から次へと聞かせてくれて、締めが「卒業間際の」事件。
「Mのキャリアがいたと言ったろ。…そいつを処分したんだよ」
「卒業間際だった、大佐が一人で追い掛けてな。保安部隊の奴らも倒れていたそうだから」
逃亡したMのキャリアの船を撃墜したのだ、とセルジュとパスカルは「キース」の武勲を称えているけれど…。
「そのキャリアというのは、どんな人だったんです…?」
「国家機密だぞ。Mのキャリアとしか分からん」
名前も年も全く知らない、と二人は口を揃えた。分かっているのは「キースの手柄」だけだと。
(…それじゃ、あの子は…)
その「Mのキャリア」だったのでは…、とマツカが「怖い考え」に陥ったのは言うまでもない。
やはり「キースのことを」恨んで、E-1077から「憑いて来た」のかと。
「おい、どうした?」
また気分でも悪いのか、とセルジュとパスカルにどやしつけられ、話はおしまい。
マツカは一人、キースの所へ「ご用はありませんか?」と戻って行ったのだけれど、その部屋にいた「あの少年」。いつものように床に座って、本を広げて。
(……キースが処分した、Mの少年……)
気を付けねば、とマツカは気を引き締めた。ミュウの自分には愛想が良くても、キースには害になるかもしれない。この少年が、「Mのキャリア」で合っていたなら。
マツカは警戒しまくったけれど、時は流れて、キースが国家騎士団総司令の任に就いた後。
(…あっちに、何が…?)
例の「誰にも見えない」少年、その子が何度も指差す方向。キースが外に出掛けた時に。
もしや、とマツカが澄ました「サイオンの耳」と、凝らした「瞳」。
『いけません、キース…!』
そっちに行っては、とキースを思念で引き止め、「暗殺です」とそのまま続けた。思念の声で。
キースは頷き、セルジュに命じた。「あの方向を調べて来い!」と。
たちまち捕まった狙撃手と、解除された時限爆弾と。
暗殺計画は未遂に終わって、文字通り「命を拾った」キース。手柄はセルジュたちのものでも、陰の功労者はマツカ。…その陰には、例の「見えない少年」。
(…あの子は、キースを恨んでいるんじゃなくて…)
逆に命を助けたのか、とマツカは驚いたわけで、そうなると、やはり…。
(E-1077にいた、地縛霊なだけで…)
キースに恩返ししたいんだろうな、と結論付けたマツカ。
それ以降は「少年」と無敵のタッグで、何度もキースの命を救った。少年が知らせて、マツカがキースやセルジュたちに「変です」と知らせたりして。
最強のタッグはキースを守り続けたけれども、旗艦ゼウスを襲ったミュウには敵わなかった。
オレンジ色の髪と瞳のトォニィ、彼はあまりに強すぎたから。
そうしてマツカは、少年と同じ世界の住人になって…。
「…セキ・レイ・シロエ…?」
そういう名前だったんですか、と知らされた例の少年の名前。
ついでに少年は、思った通りに「キースが処分した」Mのキャリアでもあったのだけれど。
「ちょっとした、恩返しなんですよ。…本を返して貰いましたから」
「…本?」
「この本です。ぼくの大切な宝物の本で、失くしてしまって、ずっと悲しくて…」
それをキース先輩が、ちゃんと返しに来てくれたので…、と少年が手にするピーターパンの本。
そういえば、いつも読んでいたな、とマツカはようやく合点がいった。
この少年が読んでいた本は、いつでも同じだったから。いつ見掛けても、ピーターパンで。
「…その本を、キースが…?」
「ええ。E-1077の、ぼくの部屋まで届けに来てくれたんです」
だから御礼に頑張りました、とシロエは微笑む。「死んでいたって、出来ることを」と。
「そうだったんですか…。ぼくもキースの役に立てるといいんですけど…」
「役に立ったじゃないですか。キース先輩を生き返らせたでしょう?」
あれだけでも本当に凄いですよ、とシロエが褒める。「ぼくには出来ませんでした」と。
こうして二人は「死後の世界」で再びタッグを組んだけれども、残念なことに「見える人間」が誰もいなかったせいで、活躍の機会は二度と無かった。
キースの部下たちは、悉く「霊感ゼロ」だったから。
後に地球までやって来たミュウも、もれなく「霊感ゼロ」の集団だったから…。
少年は守護霊・了
※いったい何処から降って来たのか、自分でもサッパリ分からないネタ。いや、本当に。
「マツカで書こう」とも、「シロエで書こう」とも思っていなかった筈なのに…。何故だ。