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イライザの羊

(…しつこいんだから…)
 なんて機械だ、とシロエが叩いた机。
 E-1077の個室で、マザー・イライザが消え失せた後に。
 感情の乱れを感じ取ったら、「どうしましたか?」と現れる幻影。
 機械に監視されている証拠で、心まで盗み見ているそれ。
 怒りを口にしてはいないし、何かに記したわけでもない。
 けれど、何処からか読み取られる。心を乱してしまった時は。
(…機械なんかに…)
 何が分かる、と言いたいけれども、同期生たちは挙って褒め称える。
 このステーションのメイン・コンピューター、マザー・イライザの素晴らしさを。
 「あんなに優れた母親はいない」と、「何でも理解してくれている」と。
 成人検査で彼らが別れた、故郷の養母。十四年間、彼らを育てた母親。
 その母よりも「ずっと素晴らしい」と、「必要なものは全て与えてくれるから」と。
 慰めに励まし、時には叱って、皆を導くマザー・イライザ。
 名前の通りに「母」に相応しいと、彼女こそが「母親の鑑」だとも。
 所詮、機械だと思うのに。
 膨大なデータを持っているなら、何にでも答えを出せて当然だと思うのに。
(計算も出来ないコンピューターなんか…)
 出来損ないだよ、と嘲笑いたくもなるけれど。
 実際、笑ってやるのだけれども、そのイライザに悩まされる。
 何かあったら、母親面して現れるから。
 故郷の母に似せた面差し、それを持っている機械の幻影。
(…人が親しみを覚える姿で…)
 現れるように出来ているから、マザー・イライザは母に似ている。
 もう顔さえもおぼろにぼやけた、懐かしい母に。
 夢の中でしか、その顔立ちを見ることが出来ない、優しかった母に。


 マザー・イライザが現れた時に、心に幾らか余裕があったら、描き留める姿。
 母の姿に似ているのならば、絵を描く間に本当の母を思い出せるかもしれないから。
 ある日突然、「これがママだ」と思う姿を、描ける日が来るかもしれないから。
(でも、あれは…)
 母の姿を真似てみせるだけの、忌まわしい機械。
 幻影が現れるのはまだマシな方で、コールを受けてしまった時には…。
(…呼び出される度に、何か失う…)
 そう確信している、イライザのコール。
 マザー・イライザが姿を現す、ガランとした部屋。女性の彫像が置かれた場所。
 大理石のように見える室内、其処が一面の草原のようになったなら…。
(ベッドが出て来て、其処に寝かされて…)
 眠りなさい、と命じる言葉に逆らえない。
 どう頑張っても、歯を食いしばって抗ってみても、引き摺り込まれる眠りの淵。
 歌うように響く、マザー・イライザの声。
 「導きましょう」と。
 より良い道へ進めるようにと、「それが私の役目ですから」と。
 コールを受けて呼ばれた者たち、彼らは誰でも口を揃えてこう言うもの。
 「コールの後では心が晴れる」と、叱られた時でも晴れやかな顔で。
(…そりゃあ、軽くもなるだろうね)
 マザー・イライザは、「悩みの種」を心から消してしまうのだから。
 時には悩みがあったことさえ、分からなくなるほどだから。
(呼ばれて喜ぶ奴らはいいけど、ぼくの場合は…)
 失うものが多すぎるんだ、と噛んだ唇。
 コールの度に薄れて消えてゆく記憶、辛うじて心に残っていたもの。
 成人検査を受けるよりも前に、自分が心に刻んだもの。
 それが少しずつ消えてゆくのは、マザー・イライザが端から消してゆくからなのだ、と。


 なんとも忌々しい機械。
 心を盗み見、記憶まで奪ってゆくコンピューター。
 どうして此処の候補生たちは、あんな機械に従えるのか。
 従うどころか、「母親のように」慕えるのか。
 けれど、そう思うのは、どうやら自分一人だけ。怒り、苛立つのも自分だけ。
 そんな自分を従わせようと、あの手この手のマザー・イライザ。…そう、今日のように。
 「どうしましたか?」と親切そうに現れてみては、心に入り込もうとして。
(…ぼくは、機械に隙なんか…)
 見せるもんか、と握り締める拳。
 心の弱さを見せたら負けると、大切なものを失うだけだと。
 成人検査で、テラズ・ナンバー・ファイブに記憶を奪われたように、きっと此処でも。
 ある日、気付いたら、両親や故郷を懐かしむ心も、すっかり失くしているだとか。


 他の候補生たちがどうであろうと、ぼくは機械に懐きはしない、と誓った心。
 友達の一人もいないままでも、かまわないから、と思って生きて。
(…迷える子羊…)
 とある講義で、耳慣れない言葉を聞かされた。
 エリート候補生を育てるためには必須の科目の、宗教学概論。
 機械が治める時代とはいえ、人には「神」が必要なもの。
 その「神」について教える講義で、教官が話した聖書の一節。
(百匹の羊を飼っている人がいて、その中の一匹が迷子になって…)
 行方不明になってしまったなら、残りの九十九匹を置いて、探しに行くのが神だという。
 何処に行ったか分からない羊、それを探しに。
 あちこち探して見付け出したら、その一匹のために「とても喜ぶ」ものだとも。
 それほどに神は慈悲深いもの、というのが講義のポイント。
 人間は誰もが神の羊で、神は「心優しき牧者」だとも。
(……神様ね……)
 本当に神がいると言うなら、救って欲しいと心から思う。
 機械の言いなりになって生きる人生、こんな地獄から一刻も早く。
 自分以外の九十九匹、それが安穏と暮らしているなら、彼らのことは放っておいて。
 今も荒野を彷徨い続ける、迷ってしまった「セキ・レイ・シロエ」という羊を。



(だけど、神様は助けになんか…)
 来やしない、と部屋に帰っても波立つ心。
 神様よりかは、きっと頼りになると思えるのがピーターパン。
 夜空を飛んで来てくれる彼は、神よりもずっと頼もしい。
(ピーターパンは子供の味方で、ネバーランドに連れてってくれて…)
 羊を飼ってる神様よりも、本当に頼りになるんだから、と思った所で気が付いた。
 百匹の羊を飼っている神と、其処から迷い出た一匹の羊。
(…マザー・イライザと、ぼくみたいだ…)
 九十九匹の羊は大人しく群れているのに、行方不明の羊が一匹。
 好奇心旺盛な羊だったか、はたまた何かに驚いたのか。
 いずれにしても群れを離れて、放っておいたら狼の餌食かもしれないけれど…。
(羊には羊の都合ってヤツが…)
 存在しないとどうして言える、という気分。
 マザー・イライザが羊飼いなら、自分だったら全力で逃げる。
 逃げ出した先が荒野であろうと、狼の遠吠えが響こうとも。
(…食べる草なんかは何処にも無くって、飢えて死んでも…)
 このまま飼われて、記憶を全て失うよりかは、ずっといい。
 狼の餌食になったとしたって、懐かしい故郷を、両親の記憶を失くさないままで死ねるなら。
(飼われたままだと、いつか何もかも…)
 失くしそうだ、と恐れる自分。
 だから抗い、逆らうけれど。
 マザー・イライザを嫌うけれども、追って来るのが憎らしい機械。
 何処へ逃げようとも、「どうしましたか?」と。
 幻影を見せて追って来る日や、コールサインで呼び出される日や。


 本当に恩着せがましい機械。
 迷い出た羊は放っておいてくれればいいのに、しつこく探しに来る機械。
(…そんな機械に懐いてる奴は…)
 羊なんだ、と掠めた思い。
 「此処にいるのは、みんな羊だ」と、「マザー牧場の羊なんだ」と。
 神に飼われた羊だったら、まだしもマシな気がするけれど。
 人間は誰でも神の羊ならば、それに異論は無いけれど。
(…神様ならいいけど、機械に飼われている羊なんか…)
 ただの屑だ、と思えてくる。
 機械の言いなりに生きている羊、自分自身の考えさえも無さそうな「群れた羊」たち。
 マザー・イライザが導くままに、右へ左へと歩いてゆく。
 九十九匹で群れを作って、行方不明の一匹のことは考えもせずに。
(…羊だよね…)
 此処にいる候補生たちは、と唇に浮かべた皮肉な笑み。
 マザー・イライザが連れ歩く羊、「マザー牧場の羊」たちが暮らすステーション。
 連れて来られて間もない間は、群れから離れてゆきそうな羊もいるけれど…。
(じきにイライザに飼い慣らされて…)
 マザー牧場の羊になるんだ、とクックッと笑う。
 「そんな道は、ぼくは御免だね」と。
 神が羊を飼っているなら、その羊でもいいけれど。
 機械仕掛けの羊飼いには、けして自分は懐きはしない。
 一匹だけ群れをはぐれた挙句に、荒野で飢え死にしようとも。
 狼の牙に喉を裂かれて、血染めの最期を遂げようとも…。

 

        イライザの羊・了

※シロエと言えば「マザー牧場の羊」発言ですけど、羊なんか何処で見たんだろう、と。
 エネルゲイアに羊の群れはいそうにないし、と思った所から出来たお話。羊ならば聖書。







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