「セキ・レイ・シロエが逃亡しました」
その声で我に返ったキース。
いつの間にやら消え失せていた、マザー・イライザが紡ぐ幻影。それに姿も。
「追いなさい」と命じる冷たい声。
いったいシロエは何処へ逃げたのか、此処から何処へ行けるというのか。
E-1077の周りは宇宙で、行ける場所など無いのだから。
それにシロエはまだ…、と考えたけれど。
「反逆者を逃がすわけにはいきません。…命令です」
マザー・イライザの声で気が付いた。
シロエが逃げ出した先は「宇宙」なのだと。
(……シロエ……)
そんな、とグッと握り締めた拳。
マザー・イライザが言う「反逆者」。
もうそれだけで決まったも同じな、シロエの運命。
反逆者という言葉が指すのは、「SD体制に逆らう者」。
そうなったならば、ただ「処分」されるだけ。
まして逃亡したとなったら、言い逃れる術は無いだろう。
…どんなに庇い立てしても。
メンバーズに決まった自分の将来、それを振りかざして庇おうとも。
(…マザー・イライザ…)
仰いでも、其処にあるのは彫像。さっきまでの幻影とは違う。
消えてしまったマザー・イライザ、「話を聞く気は無い」ということ。
ただ命令に従えとだけ、その彫像が無言で告げる。
それが使命だと、「行きなさい」と。
ならば、行くしかないのだろう。
心は「否」と拒否していても。…この身がそれを拒絶していても。
誰かが代わってくれればいい。誰でもいいから、と乱れる心。
マザー・イライザのいる部屋を出た後、格納庫へと向かう途中で。
(…反逆者を追うだけならば…)
なにも自分でなくともいい筈、もっと相応しい者たちが存在している筈。
シロエを逮捕し、連れ去って行った保安部隊の隊員たち。
彼らだったら迷うことなく、シロエを追ってゆけるだろう。
飛び去った船を見付け出したら、容赦なく処分出来るのだろう。一瞬の内に。
(…マザー・イライザは……)
あの場では何も言わなかったけれど、シロエを「処分」するつもり。
シロエが戻らなかったなら。
E-1077に戻ることを拒み、そのまま宇宙を飛び続けたら。
(……戻ってくれれば……)
あるいは道があるのだろうか、望みが残っているのだろうか。
皆の記憶から消されたシロエが、反逆者になったシロエが生き残れる道。
生涯、幽閉されようとも。
厳重に監視された部屋から、一歩も出ることは叶わなくても。
(…メンバーズなら…)
何か手立てがあるのだろうか、候補生の身では無理なことでも。
此処を卒業してメンバーズの道に足を踏み入れたら、打つ手が見付かるのだろうか…?
(…今のぼくには…)
まだ分からない、メンバーズのこと。
どれほどの権限が与えられるのか、マザー・イライザにも命令できるのか。
そうだと言うなら、全ての希望が潰えてはいない。
もしもシロエを連れ戻せたら。
…自分がメンバーズの道を歩み始めるまで、シロエが生きていてくれたら。
夢物語だ、と自分でも分かる。
マザー・イライザは、其処まで甘くはないだろうと。
たとえシロエが戻ってくれても、即座に奪われるだろう命。
保安部隊に引き渡したなら、その日の内に。
候補生たちの目には入らない何処か、其処で撃ち殺されてしまって。
(…今のぼくには、まだ止められない…)
いくら将来が決まっていたって、今の身分は候補生。
保安部隊の者たちの方が、遥かに力を持っているから。…このE-1077では。
(どうして、彼らが行ってくれない…!)
自分よりも力を持つというなら、彼らがシロエを追えばいい。
そして仕事をすればいいのに、どうして自分が選ばれるのか。
他に適任者が大勢いるのに、一介の候補生などが。
(…マザー・イライザ…!)
何故、と苛立ち、歩く間に、通路に倒れた者を見付けた。
明らかに保安部隊の所属だと分かる、その制服。
(さっきの精神攻撃で……)
そういえば皆、倒れたのだった。…自分以外は一人残らず。
過去の幻影に囚われたように、誰もが子供に返ってしまって。
目には見えないオモチャで遊んで、無邪気な笑顔で床へと座り込んだりして。
精神攻撃が遮断されたら、糸が切れたように倒れた彼ら。
今のE-1077には、自分の他には誰一人いない。
シロエを追ってゆける者は。
逃亡者を乗せて宇宙をゆく船、それを追い掛けて飛び立てる者は。
(…そういうことか…)
誰もいないのか、と噛んだ唇。
一人でも残っていたのだったら、捕まえて押し付けるのに。
「反逆者を追う」という自分の役目。
お前がすべき仕事だろうと、「直ぐに飛び立て」と、張り飛ばしてでも。
(…後で、コールで叱られても…)
その方が遥かにマシに思える、自らシロエの船を追うよりは。
シロエを連れて戻ってみたって、彼の命を救えはしない。
微かな望みに賭けるしかなくて、自分が正式にメンバーズになるまで彼が生きていたなら…。
(救い出せる道があるかもしれない、というだけで…)
その道も本当にあるかどうかは、メンバーズになってみないと何も分からない。
マザー・イライザのそれを越える権限、逆に命令できる力を得られるか否か。
(…連れて戻って、それでどうする…?)
処分されると承知の上で、保安部隊にシロエを引き渡すのか。
それとも彼らとやり合った末に、自分の部屋へと匿うのか。
(…二人くらいなら…)
多分、一人で倒せるだろう。
けれど束になって来られたならば、武器を持たない自分は勝てない。
候補生の身では持てない武器。
使い方は何度も教わったけれど、腕は彼らより上なのだけれど。
(……くそっ……!)
駄目だ、と通路の壁へと叩き付けた拳。
どう考えても、シロエを生かす術など持っていないから。
連れて戻れても、シロエ自身の運に賭けるしかなさそうだから。
それでも幾らかは残った望み。
シロエが此処に戻ってくれたら、微かな希望があるかもしれない。
即座に殺されなかったら。…幽閉される道であろうと、生きてくれたら。
(…だが、シロエが…)
素直に戻ってくれるとは、とても思えない。
「機械の言いなりになって生きる人生」、そんなものに意味は無いとシロエは言ったから。
命など惜しくないとばかりに、言い捨てたのがシロエだから。
(……戻らないなら……)
どうなると言うのか、自分がシロエを追って行ったら。
保安部隊の者たちの代わりに、武装した船で飛び立ったなら。
(……ぼくが、シロエを……)
殺すしかないと言うのだろうか、シロエの船を撃ち落として…?
訓練では何度も使ったレーザー砲でロックオンして、発射ボタンを押し込んで。
(…それだけは…)
嫌だ、と叫び出したくなる。
そのくらいなら連れて戻ると、なんとしてでもシロエの船を、と。
シロエは船には慣れていない筈で、拙いだろう操船技術。
まだ訓練飛行が出来る年ではないから、どうやって宇宙へ飛び立てたのかも不思議なほど。
ただ、「やりかねない」と思うだけ。
E-1077を、マザー・イライザを嫌い続けた彼ならば、と。
自分の年では乗れない船でも、夢見て一人で重ねた訓練。
公式なシミュレーターさえも使わず、恐らくは個人練習用の…。
(シミュレーションゲーム…)
それで習得したのだろう。
航路設定も、発進準備も、何もかもを。
今日が初めての宇宙なのだろう、自分の力で飛んでゆくのは。
(…停船してくれ…!)
そう呼び掛けたら、シロエは応じてくれるだろうか。
闇雲に先へと飛んでゆかずに、船は停まってくれるだろうか…?
(…撃ち落とすよりは…)
船を連行して戻れたら、と願いながら着けてゆく宇宙服。
シロエもこれを着けただろうか、操縦するなら必須とされている宇宙服を。
それとも着けずに飛び出したろうか、此処から逃げることに夢中で。
(…とにかく、シロエを連れ戻せたら…)
答えは出る、と無理やり思考を前へと向ける。
でないと、とても追えないから。
最悪のケースばかりが浮かんで、発進準備も出来ないから。
(…頼む、停まってくれ…!)
シロエ、と船に乗り込んでゆく。
武装している物騒な船に。
その気になったらシロエの船を、一瞬で落とすことが可能な保安部隊の船に。
微かな望みに賭けるしかない、今の自分。
シロエの船を連れて戻れて、シロエが直ぐに処分されずに生き延びること。
それにメンバーズが得られる権限、自分の力がマザー・イライザを超えること。
全ては夢物語だけれども、そうでもしないとシロエを追えない。
(…いくら未来のメンバーズでも…)
こんなケースは習っていない、と整えてゆく発進準備。
シロエが停まってくれたらいい。…最悪のケースを免れたなら、と。
戻る時には、船が二隻に増えていたならいい。
微かな望みをそれに繋ぐから、シロエの船を連れて此処へと戻りたいから…。
追いたくない船・了
※シロエの船を追う前のキース。「追いなさい」の時点で既に拳が震えていたわけで…。
追ったらどうなるか分かっていた筈、と思ったら書きたくなったお話。若き日のキース。