(船だ…)
初めて見た、とシロエが眺めた窓の向こう。
E-1077の食堂、其処のガラス窓の向こうは宇宙。瞬かない星が輝く空間。
此処に来てから、何度目の食事になるだろう。
ただ黙々と食べていた時、その船たちが戻って来た。
そう、「船たち」。
何機もの同じ形をした船、このステーションに所属している練習艇。
何年生かは知らないけれども、上級生たちが乗っているのだろう。
自分の年ではまだ乗れない船、宇宙を飛んでゆける船。
その瞬間に閃いたこと。
あれに乗ったら、飛び出せる宇宙。
このステーションから解き放たれて、ほんの束の間、飛んでゆける宇宙(そら)。
(…練習艇でも…)
船の仕組みは同じ筈。
遠い星へとワープしてゆく船、それらと何処も変わらない筈。
違う部分があるとしたなら、恐らくは…。
(搭載している燃料くらい…)
所詮は練習用の船だし、想定していないワープや恒星間の航行。
其処を除けば、何もかも多分、同じだろう。
この牢獄まで自分を乗せて来た船と。
懐かしい故郷から自分を連れ去り、無理やり運んで来た宇宙船と。
練習艇の存在は知っていたのだけれども、飛んでいる姿を見たのは初めて。
格納庫さえも縁遠い場所で、其処へ出掛ける用も無いから。
けれども、何の前触れも無しに、心の中に住み着いた船。
E-1077に何隻もある練習艇。
(あれに乗るには…)
どういう資格が要るのだろうか、自分の年では本当に乗れはしないのか。
必要な単位を取得したなら、上級生たちの中に混じって飛んでゆくことが出来るだろうか…?
(部屋に帰ったら、調べなきゃ…)
船に乗れたら、此処から逃れられるから。
忌まわしい機械が支配する場所、マザー・イライザの手の中から。
(通信回線は繋がってたって…)
物理的には、何の支配も受けない所が宇宙空間。
マザー・イライザは、E-1077を離れることは出来ないから。
万能の神を気取っていたって、その正体はコンピューター。
メモリーバンクが置かれた此処から、外へと自由に出られはしない。
出られたとしても、せいぜい幻影。
母の姿を真似てくる姿、あれを見せるのが限界だろう。
(…気持ちいいよね…)
マザー・イライザがいない宇宙へ飛び出せたなら。
憎い機械の目から逃れて、鳥のように自由に飛んでゆけたら。
(間違えました、ってふりをして…)
故郷の方へと舵を切ることも出来るだろう。
エネルゲイアがある星へ。
クリサリス星系のアルテメシアへ、懐かしい星が浮かぶ方へと。
乗ってみたい、と思った船。
マザー・イライザの目から逃れられるなら、束の間の自由が手に入るなら。
逸る心で、返しに出掛けた食事のトレイ。
走り出したいような気分で、戻った自分に与えられた部屋。
(…訓練飛行……)
それはいつから許されるだろう、何年経てば飛べるのだろう?
今はまだ、宇宙に出てゆけるだけ。
船外活動と称した授業で、無重力での訓練を受けているというだけ。
どうすれば宇宙を飛べるのだろう、とデータベースにアクセスしてみたけれど。
自分でも飛べる術は無いかと、様々な手段を探すのだけれど。
(……どう転がっても……)
今の年では下りない許可。
トップエリートの成績を取っても、実年齢が邪魔をする。
目覚めの日を過ぎて間も無い場合は、不安定とされるその感情。
常に冷静さが要求される宇宙空間、其処での操縦には不向き。
出来るのは船外活動くらいで、練習艇に乗れる資格は無い。
(パイロットは駄目でも、通信士くらい…)
そう思うけれど、そちらも不可。
万一の時には、パイロットに代わって飛べる技術が必要だから。
このステーションでは成績不良の劣等生でも、他のステーションから見ればエリートばかり。
通信士といえども、鮮やかに船を操れるもの。
並みのパイロットよりも巧みに、初の操船でも経験を積んだ人間並みに。
どうやら乗れはしない船。
マザー・イライザの手から逃れたくても、束の間の自由が欲しくても。
「どうして…!」
何故、駄目なんだ、と机に叩き付けた拳。
途端に気が付く、「この感情が駄目なんだ」と。
練習艇に乗れないだけで、いらつき、怒りを覚える自分。
ついさっきまでは、「このステーションから自由になれる」と、とても気分が良かったのに。
やっと方法を見付け出したと、それは機嫌が良かったのに。
(…目覚めの日を過ぎてから、間も無い場合は…)
不安定だとされる感情、今の自分はまさにそれ。
この時期を過ぎたとされる年までは、練習艇には乗り込めない。
いい成績を収めても。
最高の点数で必要な単位を取得したって、けして乗せては貰えない船。
あれに乗れたら、自分は自由になれるのに。
訓練飛行の間だけでも、ステーションから出られるのに。
(……マザー・イライザ……)
あの機械め、と思うけれども、マザー・イライザが決めた規則ではないだろう。
何処のステーションでも規則は同じで、自分の年では乗れない船。
今、あの船に乗りたいのに。
あれで宇宙へ出てゆきたいのに、自由に飛んでみたいのに。
自由に見えても、それは決められたコースでも。
「間違えました」とミスをしない限りは、故郷に機首を向けられなくても。
(このステーションから出られるだけで…)
一歩、故郷に近付くのに。
記憶もおぼろになった故郷に、両親が住んでいる星に。
一度生まれた夢は消えなくて、どうしても消すことは出来なくて。
けれど、自分の今の年では、シミュレーターさえも、まだ使わせては貰えない。
それは必要ないものだから。
どんなに腕を上げたとしたって、練習艇に乗れる年ではないのだから。
(畜生……!)
直ぐ其処に自由が見えたのに。
このステーションから逃れる方法、マザー・イライザから離れる術が見付かったのに。
なのに開かれない扉。
固く閉ざされ、まだ開いてはくれない扉。
(…そういうことなら…)
気分だけでも飛んでやるさ、とデータベースを探してゆく。
シミュレーターは使えなくても、似たようなものがある筈だから。
自主練習のためとも言えるシステム、自分の部屋でも訓練を積んでゆけるもの。
(航路設定とかだったら…)
きっと何かが見付かる筈、と探す間に出会ったもの。
(ふうん…?)
それは一種のゲームだけれども、明らかに訓練用だと分かる。
シミュレーターに向かうようになったら、自分の部屋からアクセスして重ねる仮想訓練。
(丁度いいってね)
今の間に腕を上げれば、最初の訓練飛行では、きっと…。
(ぼくがリーダーになれる筈…)
航路設定を間違えました、と故郷に舵を切ろうとも。
教官に酷く叱られようとも、その選択が出来る権利が手に入る。
(…最初にするのは、航路設定…)
だったらこう、と入れてゆく座標。
いきなりワープになるのだけれども、故郷のクリサリス星系のもの。
いつか飛ぼうと、自由になれたら最初に機首を向けようと。
そうして何度も重ねた練習。
自由自在に操れるようになった船。
シミュレーターさえ使えないのに、まだ使わせては貰えないのに。
(ぼくは自由になってやる…!)
練習艇に乗せて貰える時が来たら、と挑み続けて、その時はついにやって来た。
マザー・イライザの手から逃れて飛んでゆく時が、自由な宇宙(そら)へ飛び立つ時が。
ただ一人きりの船だけれども、目指す先は自由。
チームメイトは誰もいなくて、代わりにピーターパンの本でも。
行き先は座標も知らない地球でも、きっと其処まで飛んでゆける筈。
ピーターパンの声が聞こえたから。
船で宇宙に滑り出したら、いつの間にやら、両親も一緒に乗っていたから。
だから行ける、と飛んでゆくシロエ。
この日が来るのを待っていたから、やっと自由な宇宙(そら)へ飛び立てたのだから…。
乗れない練習艇・了
※原作はともかく、アニテラのシロエは訓練飛行はしていないんじゃあ…、と思っただけ。
逃亡する時も自分で操船してるというより、サイオンだったし…。そういう捏造。
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