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機械の思惑

(パパ、ママ…)
 どうして忘れてしまったんだろう、とシロエがギリッと噛んだ唇。
 ピーターパンの本を抱えて、ベッドの上で。
 この本だけしか残らなかった、と強く抱き締める宝物。
 子供時代の持ち物の中で、残ったものは一つだけ。
 両親がくれた大切な本。
 幼かった自分に夢を与えてくれた本。
 いつかはネバーランドに行こうと、広い広い空を飛んでゆこうと。
 ピーターパンと一緒に旅に出るのだと、子供のための国にゆくのだと。
(…もっと素敵な所にだって…)
 行けると父が教えてくれた。
 ネバーランドよりも素敵な地球へ、「シロエだったら行けそうだぞ」と。
 頭がいい子は、いつの日か行けるらしい地球。
 そう聞かされて、素直に夢見た。
 地球に行けるなら、ネバーランドにも必ず行けるだろうから。
 きちんと準備を整えておけば、いつでも旅に出られるから。
 ピーターパンが迎えに来たなら、高い空へと舞い上がって。
 ぐんぐんと飛んで、エネルゲイアを後にして。


 きっと行けると夢見た国。
 ネバーランドにも、もっと素敵な地球にだって。
(…ぼくは行けると思ってたのに…)
 成人検査を好成績で通過したなら。
 頭がいいと認められたら、其処への切符が手に入るのだと。
 けれども、高すぎた代償。
 地球への切符を貰える場所には、どうやら辿り着けたのだけれど。
 皆の憧れの最高学府、E-1077。
 此処で四年を過ごした後に、選出されるメンバーズ。
 それになれたら、開けるらしい地球へ行く道。
 ただ、このE-1077に来るためには…。
(……成人検査……)
 あんなものだとは思わなかった、と後悔したって、もう遅すぎる。
 何もかも奪い取られたから。
 機械がすっかり消してしまって、何一つ残らなかったから。
 ピーターパンの本だけしか。
 両親の記憶も、懐かしい家も、何もかも失くしてしまったから。


 こんな目に遭うくらいだったら、地球には行けないままで良かった。
 ネバーランドがあれば良かった。
 両親と暮らす家の窓から、いつか行けるかもしれない国。
 其処を夢見て暮らしてゆければ、それだけでもう充分だった。
 メンバーズにはなれなくても。
 地球への道が開かなくても、両親と一緒にいられたならば。
 エネルゲイアを離れずに済んで、何も失わなかったなら。
(……どうして、成人検査なんか……)
 あんなシステムが存在するのか、考えるほどに苛立つばかり。
 憎しみが増してゆくばかり。
 他の候補生たちは、まるで気にしていないのに。
 やっと大人の仲間入りだと、むしろ喜んでいるようなのに。
(あれも、機械が…)
 そういう風に仕向けるのだろうか、記憶を消してゆくついでに?
 子供時代の記憶を消し去り、代わりに叩き込むのだろうか。
 このシステムに馴染むべきだと、それが正しい生き方だと。
 社会の仕組みに従うがいいと、そうすれば地球へ行けるのだから、と。
 もしもそうなら、自分にとっては余計なお世話。
 地球など要らない、両親と、故郷と引き換えならば。
 何もかも捨てねば行けない場所なら、行けないままでいいのだから。


 どうして選べないのだろう。
 地球へ行きたいか、地球へは行かずに生きる道がいいか。
 大人になる道を歩き始めるか、子供の世界を離れずにいるか。
(それさえ、自分で選べるんなら…)
 きっと此処には来ていない。
 今も故郷を離れてはいない、両親の家で暮らしている筈。
 メンバーズになるより、地球へ行くより、両親の側にいたかったから。
 故郷の家の窓の向こうに、いつも夢見たネバーランド。
 それだけがあれば、きっと満たされていた。
 こんな空虚な心を抱えて、ベッドに座っているよりも。
 穴だらけになってしまった記憶を、取り戻そうとして苦しむよりも。
(……ピーターパンが来てくれなくたって……)
 ネバーランドは、けして消え失せない。
 夢まで消えてしまいはしない。
 本を開けば、夢の国は其処にあるのだから。
 ピーターパンの本の向こうに、いつも、いつだって見えているから。
 自分の記憶が曖昧になった、今さえも。
 両親の顔さえ忘れ果てても、ネバーランドは消えずに今も在るのだから。


(成人検査を考えたヤツは…)
 いったいどうして、こんなシステムを作ろうなどと考えたのか。
 誰も拒否など出来ない検査を、記憶を消してしまう仕組みを。
 子供時代の全てを否定し、握り潰してしまうなら…。
(……最初から、そんな過去なんか……)
 与えないでいて欲しかった。
 両親も故郷も無かったのなら、何も失くしはしないのだから。
 最初からステーションで育っていたなら、両親も家も無かったならば。
(そういう風に育てられたら、そっちが普通なんだから…)
 アンドロイドに育てられても、何の個性も無い暮らしでも。
 右だと言われれば右を眺めて、左だと聞けば左を見る。
 個性の欠片も育たないように教育されたら、成人検査がどんなものでも気にしない。
 過去を失くしても、それに価値など無いのだから。
 自分を育てたアンドロイドが、その後は何処へ行こうとも。
 ステーションでの暮らしがガラリと変わってしまったとしても、それだけのこと。
 「今日からは、こう生きてゆくのだ」と思うだけ。
 過去を失くして悲しむ代わりに、消えた記憶を嘆く代わりに。
 新しい生活パターンに馴染んで、それに相応しく暮らしてゆくだけ。
 懐かしむ過去など、何も持ってはいないから。
 両親も家も、最初から無かったのだから。


 そうだったならば、どんなにいいか。
 どれほどに楽で、幸福だったか。
 失くす過去など持たなかったら、最初から過去が無かったら。
 そういう風に育てられたら、両親も故郷も無かったら。
(…ネバーランドも無いけれど…)
 其処を夢見る自分もいないし、不都合なことは何も無い。
 こうして苦しむシロエはいなくて、優等生のシロエが一人。
 今日は普通に昨日の続きで、明日は今日から続いてゆくだけ。
 成人検査で途切れたことさえ、きっと知らないままの人生。
 何も失くしはしなかったから。
 成人検査の前と後とで、何も変わりはしないのだから。
(どうせ機械が決めるんなら…)
 何もかも機械がやればいい。
 養父母が子供を育てる代わりに、アンドロイドが育てればいい。
 夢も希望も何も与えずに、教育だけを施して。
 故郷の光も風も無い場所、無個性な教育ステーションに住ませて。


 そうすればいいと、何故そうしないと、ただ悔しくて唇を噛む。
 どうして両親を与えたのかと、自分に故郷を持たせたのかと。
 全部失くしてしまうのに。
 どうせ持ってはいられないのに、与えられた甘い砂糖菓子。
 まるで童話のお菓子の家で、食べたばかりに苦しむ自分。
 両親も故郷も知らなかったら、苦しみさえもしないのに。
 成人検査を受けた所で、何も失くしはしないのに。
(いったい、どうして…)
 後で必ず取り上げるくせに、幸せな過去を寄越すのか。
 幸福に満ちた子供時代を、温かな家を、優しい両親に守られる日々を。
 ずっと持たせてくれないのならば、与えなければ良さそうなのに。
 その方がこちらも楽でいいのに、何故、与えてから取り上げるのか。
(…理不尽すぎるし、非効率的…)
 機械が統治してゆくのならば、機械のような人間でいい。
 個性などは無くていい筈なのに、と考えていて気付いたこと。
 もしかしたら、これが狙いだろうかと。
 機械の意図は此処にあるかと、そのための養父母と故郷だろうかと。


(……夢が無ければ……)
 誰も夢など抱かない。
 自分も、きっとそうなった筈。
 ネバーランドを夢見もしないし、地球へ行こうとも思わない。
 ただ淡々と生きてゆくだけ、昨日の続きの今日という日を。
 明日も同じに今日の続きで、其処からは何も生まれては来ない。
 言われた通りに生きてゆくだけで、工夫もしないし、自分で考えることだって。
 けれど、それでは機械が困る。
 優秀な人間が出ては来ないし、これから先も進歩はしない。
 進歩が無いなら、いずれは退化してゆくだけ。
 誰も工夫を凝らさないなら、考えようともしないのなら。
(…退化されたら、機械の世話をする人間も…)
 いつしか消えてしまうのだろう。
 膨大な数の精密機械を相手に、メンテナンスをする人材。
 そうなれば機械は壊れてしまって、誰も修理をしてくれはしない。
(……機械の世話をするためだけに……)
 人間は生かされているのだろう。
 奪い去られる夢の生活、子供時代を与えられて。
 誰もが大きな夢を描いて、考える力や工夫することを覚えるように。
 そうやって培った力を生かして、機械に仕えてゆくように。
 何の疑いも抱くことなく、成人検査で押さえつけられて。
 いいように飼いならされてしまって、機械の言いなりになる人生。


 きっとそうだ、と気付いた成人検査の理由。
 機械が人間を使いこなして、意のままにするために行うもの。
 個性は充分に与えてやったと、夢を持つことも覚えただろうと、消し去る記憶。
 子供時代はもう不要だと、これからは機械のために生きろと。
(…機械にはパパも、ママだって…)
 いるわけがないし、故郷も無い。
 だから機械には分からない苦痛、過去を失うということの意味。
 機械にとっては、過去はデータに過ぎないから。
 別のデータで補えるのなら、何も問題無いのだから。
(……何もかも、全部……)
 機械が与えて奪い去った。
 大好きだった両親も家も、故郷にあった風も光も。
 ピーターパンの本だけが残って、他は何一つ残らなかった。
 最初から機械が仕組んだ人生、それを生きるしかないのだろうか?
 此処まで生きてしまったからには、このまま行くしかないのだろうか…?
(…そんなの、嫌だ…)
 たとえ取り残されることになっても、出来るなら此処に留まりたい。
 機械の手から逃れて生きたい、そうすれば破滅するのだとしても。
 他の者たちと同じようにはなれないから。
 世界が機械のためにあっても、そんな機械に従える心は持たないから…。

 

         機械の思惑・了

※成人検査は何のためにあるのか、シロエが考えなかった筈はないよな、と。
 シロエが出しそうな結論がコレで、実際の所はどうなんだか…。アニテラだと真面目に謎。





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