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彼方からの記憶

「取材なら、軍の広報を通してくれ」
 無関心にそう言い捨てたキース。
 久しぶりに見たスウェナだけれども、特に関心は無かったから。
 「この花、覚えてる?」と訊かれた花にも。
 「E-1077の中庭にも咲いていたわ」と言われた所で、もう昔のこと。
 サムでさえも何処かに行ってしまった。
 姿は昔と同じにサムでも、「キース」を覚えていたサムは。友達だったサムは。
 だからスウェナと話すことは無い。
 まして彼女が知りたい内容、ジルベスター星系の事故調査となれば任務だから。
 Mと関係があるかもしれない、国家機密を明かせはしない。
 無駄な話をするつもりも無い、つまらない思い出話など。
 けれど…。


「ピーターパン」
 スウェナがいきなり口にした言葉、それがキースの足を縫い止めた。
 遠い昔にシロエが語った、その本の中身そのままに。
 シロエが乗った練習艇を追っていた時、通信回線を通して聞こえて来た声。
 ピーターパンの本に書かれていること、それをシロエは語り続けていた。
 「影がくっつかないよ」と泣いたピーター、「私が影を縫ってあげる」という言葉。
 まるで時の彼方から戻ったかのように、影の代わりに足を縫われた。
 「ピーターパン」と聞いた途端に。
 縫い止められて立ったままの背中、振り返れないでいたらスウェナは続けた。
「あなた宛のメッセージが発見されたわ」
 …そう、セキ・レイ・シロエのものよ。サムの事故には、私の追っている…。
 白い宇宙鯨が関わっている、とスウェナが前へと回り込んだけれど、どうでも良かった。
 そんな話は。
 問題はシロエ、彼の名前とメッセージ。
 スウェナは「今度会えたら、そのメッセージを渡せるんだけど」と見詰めて来たから。
「戻ったら連絡しよう」
 迷うことなく、そう応えた。
 シロエが残したメッセージならば、どうしても見ておきたいから。
 そう思ったから、「その時は二人だけの同窓会でもしましょ」と言ったスウェナを見送った。


(…変わったのは君の方だ。…スウェナ)
 渡された花を手に持ったままで、心の中で呟いたけれど。
 強くなったと思ったけれども、それもどうでもかまわないこと。
 手の中の花も、今では何の意味も持たない。
 同じ花でも、この白い花は病院の花。
 違う所で咲いた花。
 花を頼りにE-1077に戻れはしないし、サムの心も昔に戻りはしないだろうから。
 見上げれば、病室から手を振るサム。
 「キース」だとは分かってくれないのに。
 サムは笑顔を向けるけれども、それは「関心を持ってくれた人間」だから。
(…何もかもが…)
 変わってしまったんだ、と地面に投げ捨てた花。
 持っていたって、何の役にも立たないから。
 車の運転の邪魔になるだけ、それだけの存在に過ぎないから。


 そうして走り出して間もなく、気付いたこと。
(…シロエ…!)
 その瞬間に踏んだブレーキ、後ろの車が憤るように鳴らしたクラクション。
 メンバーズ・エリートらしくもないミス、慌てて路肩に車を寄せた。
 こんな所で事故を起こすなど、軍に迷惑をかけるだけ。
 けれども今は運転出来ない、そう思ったから停めようと決めた。
 激しく脈を打つ心臓。
 E-1077に、それからシロエ。
(…誰も覚えていない筈なんだ…)
 あのステーションに、セキ・レイ・シロエがいたことを。
 ステーションの運営に関わる者ならともかく、生徒だった者は。
 シロエと同じ時期に其処に居た者、彼らの記憶は消されたから。
(…マザー・イライザ…)
 記憶を消させたマザー・イライザ、皆がシロエを忘れてしまった。
 サムも、シロエの同級生たちも。


 誰もが忘れてしまったシロエ。
 彼の船を撃った自分以外は、一人残らず。
 マザー・イライザの計算の下に奪われた記憶、それは戻りはしないだろう。
 サムのようにでもならない限り。
 今は子供に戻ったサム。
 あんな具合に、シロエのいた時代に心だけが戻れば、有り得るけれど。
(だが、それは…)
 精神状態が普通ではないということ。
 年相応の話はまるで出来ない、ただの子供になるということ。
 候補生時代を「子供」と呼ぶかどうかは、ともかくとして。
(……スウェナ……)
 けれど、スウェナは覚えていた。
 E-1077の中庭に咲いていた花を。
 ステーションにいたセキ・レイ・シロエを、あの頃のままに。
 そしてそのまま成長を遂げて、自分の前に戻って来た。
 「ピーターパン」と。
 シロエが残したメッセージを持って、普通に会話が出来る者として。


(……システムの誤算……)
 それに違いない、マザー・イライザの手から離れたスウェナ。
 ステーションから出て行った時は、結婚という道を選んでいたから、記憶はそのまま。
 何も処理されずに旅立って行った、セキ・レイ・シロエを覚えたままで。
(本当だったら…)
 スウェナは子供の母親になって、それきり消えていただろう。
 シロエの記憶を持っていたって、単なる知り合い程度のこと。
 「昔、そういう人間がいた」と思い出しても、その時限りで消えてゆくもの。
 その後のシロエを追いはしなくて、無関心に記憶の淵に沈むもの。
(しかし、スウェナは…)
 ジャーナリストの道を選んで、離婚してまで今の世界を追っている。
 宇宙鯨を、モビー・ディックを。
 Mの母船がそれの正体だと、スウェナが知っているわけがない。
 ミュウの存在も、Mとは何を指すのかも。
 なのに、核心に迫りつつある、ジャーナリストの勘だけで。
 其処に何かが隠されていると、モビー・ディックが鍵なのだと。


 スウェナが此処まで辿り着いたなら、そしてシロエを覚えているなら。
 メッセージまで持っていると言うなら…。
(…神がシロエに…)
 味方したのか、忘れ去られてしまわぬように。
 どんな形かは分からないけれど、彼のメッセージが届くようにと。
 本当だったら、それは残りはしないのに。
 ステーションの中で処理されているか、何処かに廃棄されて終わりか。
(それが残ったのも…)
 残ってスウェナの手に渡ったのも、神の采配なのだろう。
 スウェナがモビー・ディックを追っていたから、全ての糸が繋がった。
 たった一人だけ、シロエを覚えていた人間。
 それがスウェナで、彼女は何故だか、モビー・ディックを追い始めたから。
 離婚してまで、ジャーナリストになったから。


(……こんなことが……)
 この世にあるのか、と心臓は今も激しく脈打ったまま。
 マザー・システムにもミスはあるのかと、その手を逃れる者もいるのかと。
 シロエは逃れ損なったのに。
 逃げ切れないまま、宇宙に散って行ったのに。
(……シロエ……)
 彼は自分に何を残したと言うのだろう。
 「ピーターパン」とスウェナが口にした言葉、それで思い出すのは古びた本だけ。
 シロエが大切に抱いていた本、子供時代からの持ち物だった本。
(あの時、保安部隊がシロエを…)
 ベッドに乗せて運び去った時、ピーターパンの本を持たせてやった。
 シロエの大事な本なのだからと、側に置いてやって。
(まさか、あの本が…)
 戻って来るとは思えないけれど、他には心当たりが無いから。
(……そうなのか?)
 あれが手元に来るのだろうか、次にスウェナに会ったなら。
 ジルベスターから戻ったなら。


 「ピーターパン」の本、シロエが大切に持っていた本。
 練習艇で宇宙へ逃げ出した時も、中身を語り続けていた本。
 「影がくっつかないよ」と、「縫うって何さ?」と。
 それがあるなら、もう間違いなくマザー・イライザの、マザー・システムのミス。
 シロエはシステムに消されたけれども、あの本は消えずに何処かに残った。
 きっとそうだという気がするから、まだ暫くは…。
(……動けないな……)
 メンバーズ・エリートが、自動車事故など起こせないから。
 運転ミスは出来ないから。
 揺り起こされてしまった感情、それが落ち着いて凪いでくれるまでは、このまま路肩に。
 早くなった鼓動が鎮まるまでは、車を走らせることは出来ない。
 E-1077に、シロエがいた日に、引き戻されてしまったから。
 シロエの船を撃ち落とした日に、あの瞬間へと、心だけが飛んでしまったから。
(…今、走ったなら…)
 前をゆく船が見えるのだろう。
 あの日、シロエが乗っていた船が。暗い宇宙を飛んでゆく船が。
 それを見たなら、また踏むのだろう急ブレーキ。
 今も後悔しているから。
 シロエを乗せた船を見たなら、今の自分は追えはしないで、止まる方をきっと選ぶのだから…。

 

         彼方からの記憶・了

※スウェナが「シロエを覚えている唯一の生徒」なんですよねえ、皮肉なことに。
 いくらマザー・システムでも、そこまでは計算していなかったと思うんですけど…?





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