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(……キース・アニアン……)
 この名、とキースが心で呟いた名前。
 国家騎士団総司令の部屋で、夜が更けた後に。
 マツカが淹れて行ったコーヒー、それがまだ湯気を立てている。
 コーヒーのカップを机に置いてから、マツカは控えめな声で尋ねた。
 「他に用事はありませんか?」と。
 ごくごく自然に、いつも通りに「キース」と呼んで。
(…確かに私は、キースなのだが…)
 部下のセルジュたちも「アニアン閣下」と呼ぶのだけれども、その名前。
 「キース・アニアン」と呼ばれる自分。
 間違いなく自分の名前とはいえ、そう言ってもいいものかどうか、と時々、思う。
 この名は、皆とは「違う」ものだから。
 普通の人間が持っている名前、それとは全く違うのだから。
(…今の時代に、実子は存在しないのだがな…)
 ミュウどもの世界は別として、とモビー・ディックで出会ったオレンジ色の瞳の子供を挙げた。
 トォニィという名を持つ子供は、自然出産で生まれたと聞く。
(他にも複数、ああいうタイプ・ブルーの子供が…)
 存在するから、彼らも自然出産児だろう。
 その子供たちを別にしたなら、今の世界には「実子」はいない。
 子供は全て、人工子宮から生まれて来るもの。
 けれど、彼らが「名前」を持つのは…。
(養父母に引き渡された後…)
 育ての親が、赤ん坊を見て「名前」をつける。
 実子ではない子供であっても、其処に何らかの「思い」をこめて。
(こういう人間になって欲しい、と…)
 祈りをこめてつける名もあれば、親の好みを反映したものもあるだろう。
 その時々の流行りや、有名人の名前を映した名前。
(…しかし、どういう名付け方でも…)
 必ず、ヒトの思いが働く。
 どういう子供になって欲しいか、どんな子供を望んでいるか、と。


 けれども、「キース」の名には無い「それ」。
 周りの者たちは疑いもせずに、「キース・アニアン」と呼んでいるけれど…。
(そもそも、いつから、この名前なのか…)
 それさえ分からないのだからな、と唇を歪める。
 「人間」だったら、親が名前をつけた時点で、そういう名前の者になるのに。
 モビー・ディックで目にした子供も、そうなのだろう。
 もっとも、ミュウの世界の事情は、知りようもないことだから…。
(…今では歴史の中にしか無い、名付け親というのが…)
 あるいは存在するかもしれない。
 彼らが「ソルジャー」と崇める人物、ソルジャー・ブルーやソルジャー・シンなら…。
(名付け親としては、充分だからな)
 そのどちらかが名付けただろうか、あの「トォニィ」という名前は。
 それとも実の親がつけたか、謎だけれども…。
(…どちらにしても、生まれて間もなく…)
 名前を貰って、その瞬間から「トォニィ」になったのが、あの子供。
 親も周りの人間たちも、揃って彼を「トォニィ」と呼んで、その中で育って…。
(あの子供自身も、トォニィになってゆくわけだ)
 それが自分の名前だからな、とコーヒーのカップに視線を落とす。
 「人類の場合も、それは同じだ」と。
 養父母が名付けて、周りの者たちが、そう呼び始める。
 乳児の間は、ごく限られた狭い範囲の人間だけが「呼ぶ」名前。
 引き渡されて名前を貰った直後は、多分、養父母だけだろう。
 家の外に出られるようになったら、隣近所の人間たちが…。
(こういう名前の子だ、と養父母に聞いて、その名前で…)
 同じように呼んで、次の段階では「友達」と「教師」。
 幼い子供が通う学校、其処でも「名前」を使うから。
 点呼もそうだし、子供同士で呼び合う時にも、「名前」だから。


 そんな具合に、名前と一緒に育ってゆく子。
 人間だったら誰でもそうだし、ミュウの世界でも同じこと。
(…サムが記憶を失っても…)
 彼が今でも「サム」であることは変わらない。
 成人検査を受ける前の世界に戻ってしまって、思い出の中で生きていようと、サムはサム。
 彼が待ち続ける養父母たちは、サムのことを「サム」と呼んだから。
 どうして「サム」と名付けたのかは、サム自身も知らないことであっても。
(…サムはサムとして育ったわけで…)
 幼馴染のミュウの長の名も、彼は未だに忘れていない。
 「ジョミー」と懐かしそうに呼ぶ名は、「ジョミー」が持っている名前。
 人類の世界から外れてミュウの長になっても、「ジョミー」は「ジョミー」。
(…ジョミー・マーキス・シン…)
 彼は最初から「ジョミー」だったし、ミュウになっても、名まで変わりはしない。
 彼が命を失う時まで、彼は「ジョミー」と呼ばれるだろうし、彼自身も、そう自覚している。
 自分の名前は「ジョミー」なのだ、と。
 人類だろうが、ミュウの長だろうが、「ぼくは、ジョミーだ」と。
(…だが、私には…)
 それが無いのだ、と忌まわしい記憶が蘇って来る。
 廃校となったEー1077で、初めて目にした自分の過去。
 遥か昔にシロエが見付けて、言い残した場所で。
(フロア001…)
 其処にズラリと並んでいたのは、大勢の「キース」たちだった。
 それと、モビー・ディックで出会った「ミュウの女」と。
 彼らはガラスのケースに入って、既に命を失っていた。
 ただのサンプル、人間の形をした「標本」。
 マザー・イライザが、事も無げに言い放った言葉は、「サンプル以外は、処分しました」。
 つまり「他にもいた」ということ。
 どの段階まで育ったのかは知らないけれども、「キース」たちが。
 フロア001で生まれて、水槽の中で育った者が。


 グランド・マザーの命令通りに破壊して来た、過去が眠る墓場。
 もうサンプルは存在しなくて、「キース」は一人になったけれども…。
(…私は、いつからキースなのだ?)
 誰が「キース」と名付けたのだ、と問い掛けてみても、答えが返るわけもない。
 マザー・イライザは、Eー1077ごと、惑星の大気圏に落とされ、燃え尽きて消えた。
 イライザに「キース」と「ミュウの女」を造らせた者は、沈黙を守ることだろう。
 「どうして私は、キース・アニアンなのですか?」と尋ねてみても。
 グランド・マザーが返す答えは、「そんなことなど、どうでもよろしい」。
(……尋ねたことは無いのだが……)
 そうしなくても想像はつく、と零れる溜息。
 機械が「キース」と名付けたのなら、其処に「思い」は何も無いから。
 人間の養父母たちと違って、こめたい思いなどは無いから。
(…恐らく、記憶バンクの中から、適当に…)
 選び出された名前が「キース」で、「アニアン」の姓も似たようなもの。
 「キース」の生まれを捏造するにあたって、機械が「良し」と判断した姓。
 何処の生まれか、何処から来たのか、誰も疑問を持たないように。
 「キース」と同じ姓を持つ者、それを探りはしないように。
(どちらも、SD体制が始まるよりも、遥か昔から…)
 人間が地球しか知らなかった頃から、存在していた平凡な名前。
(地域や人種で、つける名前は違ったようだが…)
 そういう垣根もいつしか崩れて、「つけたい名前」を名付ける時代が来たという。
 以前だったら、その子とは違う人種や国籍、それを持つ者しか使わなかった名前でも…。
(自分の子供に名付けることが、ごくごく普通になっていって…)
 名前だけでは、生まれも育ちも区別がつかない世界になった。
 それでも、姓を耳にしたなら、ある程度のことは分かったらしい。
 先祖が何処の人間だったか、何を職業としていたのか、など。
(…名前というのは、本来、そういったもので…)
 一人ずつ違った個性を持つこと、それを端的に表すもの。
 記号や数字には置き換えられない、とても大切な「ヒト」である証。
 なのに「キース」は、それを持たない。
 名前を持ってはいるのだけれども、数字や記号と変わらないから。


 自分は、いつから「キース」なのか。
 フロア001にあった水槽、其処から出された時だと言うなら…。
(…まだしも、救いがあるのだがな…)
 生きて出て来たのは「私」だけだ、と、冷めてしまったコーヒーを眺める。
 自分以外の「サンプル」や処分された者たち、彼らは「外の世界」を知らない。
 だから「水槽の外へ出て来てから」、この名を与えられたのだったら、「キース」は一人。
 他に何人の「キース」がいようが、彼らは名前を持たないから。
(…だが、水槽から出されて、直ぐに…)
 「お前の名前は、キース・アニアン」と言われて、理解出来るだろうか。
 名前の概念は知っていたって、しっくり馴染むものなのかどうか。
(水槽の中で、知識を与え続けていたのなら…)
 それも成人検査の年に至るまで、充分な量の、いや、膨大な知識を与えるならば…。
(…私という存在に、全く呼び掛けないままで…)
 教育することは可能なのか、と考えるほどに「分からない」。
 「ヒト」の頭脳で考える限り、「ただの一度も呼び掛けないまま」での教育は不可能。
 教官をやっていた経験からしても、無理なことだと思うけれども、機械だったら出来るのか。
(可能だとしたら、水槽の中では、私も他のサンプルたちと同じで…)
 名前は持たずに育ち続けて、世話をしていた研究者たちは、番号で呼んでいたのだろう。
 「キース」に直接、呼び掛けはせずに、研究者同士で使った、便宜上の「名前」。
 それまでに育てた大勢の「キース」、彼らと区別するために。
(…そうだとしたなら、実は、それこそが…)
 私の本当の名ではないのか、と考えて背中がゾクリと冷えた。
 「やはり私には、本当の名前などは無いのだ」と。
 研究者たちが使った番号、数字と記号を組み合わせたろう、「キース」を指すモノ。
 そういう名前で育て上げられて、後に「キース・アニアン」の名を与えられた。
 「キース・アニアン」は一人だとしても、名前を持たずに十四年間も育ったならば…。
(……人間ではない、ということか……)
 人間なら「名前」を持つのだからな、と虚しくなる。
 「私の場合は、番号なのだ」と。
 「キース・アニアンという名前の方にも、ヒトの思いは無いのだからな」と…。



            持っていない名前・了


※「キース・アニアン」の名は、誰がつけたんだろう、と考えた所から生まれたお話。
 いつから「キース」と呼んでいたのか、それさえも謎。キース本人だって怖いだろうな、と。








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(……ピーターパン……)
 今でも迎えに来てくれるのかな、とシロエが視線を落とす本。
 Eー1077の夜の個室で、ベッドの端に腰を下ろして。
 遠くなってしまった故郷の星から、一つだけ持って来られた宝物。
 幼い頃から大事にして来た、ピーターパンの物語。
(いい子の所には、ピーターパンが迎えに来てくれて…)
 ネバーランドに行けるけれども、自分は「大人」になってしまった。
 厳密に言えば、まだ大人ではないけれど。
 このステーションを卒業するまでは、大人への準備段階だけれど。
(…でも、ぼくの子供時代の記憶は…)
 成人検査で機械に奪い去られて、曖昧になってしまっている。
 大好きだった両親の顔も、故郷の家も、すっかりおぼろになって、ぼやけて。
(そんな風になってしまっているんじゃあ…)
 もう子供とは呼べないだろうし、大人の世界の仲間入りも近い。
 ピーターパンは、迎えに来てはくれないだろう。
 「助けてよ」という悲鳴が届けば、来てくれるかもしれないけれど。
 子供時代を忘れたことが辛くて、帰りたいと願って泣き叫ぶ声が。
(……だけど、本物の子供じゃないから……)
 きっと後回しになっちゃうんだ、と零れる溜息。
 ネバーランドに相応しい子は、他に大勢いるだろうから。
 その子供たちを迎えに行くのが、ピーターパンの役目だから。
(…この本の中に…)
 入ってしまえたらいいんだけどな、と本の表紙をじっと見詰めた。
 夜空を翔けるピーターパンと、子供たちの姿が描かれた表紙。
(この本の中で、生きていたなら…)
 成人検査などというものは無くて、ただ幸せに子供でいられた。
 ピーターパンが迎えに来るのを、毎晩、待っていられる子供。
(…ピーターパンが来てくれなくても…)
 此処よりは自由な世界なんだよ、と確信はある。
 本に描かれた世界の中には、機械の支配は無いのだから。


 この本の中の住人だったら、幸せに生きてゆけたと思う。
 ピーターパンが来てくれなくても、とても貧しい暮らしぶりでも。
 今の世界とは全く違って、不衛生で、貧富の差が激しくても。
(…ずっと昔はそうだった、って…)
 歴史の授業で教わるけれども、そうだった時代を不幸だとは、けして思いはしない。
 子供が子供でいられる世界で、人間らしく生きられた世界。
 其処へ自分も行けるのだったら、迷うことなく飛び込んでゆける。
 ピーターパンの本の世界へ。
 どうせ今では、両親も家も失くしてしまって、一人だから。
 同じ一人で生きてゆくなら、自由な世界の方がいいから。
(…本の中でも、ぼくは少しも…)
 かまわないんだ、と考える内に、頭を掠めていったこと。
 ごく他愛ないように思えたけれども、たちまち心に広がった「それ」。
(……ぼくの人生……)
 それも「物語」だったなら、と。
 何処かの誰かが書いている本で、「セキ・レイ・シロエ」の物語。
 こうして「考えている」瞬間だって、誰かがペンで綴ってゆくもの。
(…それを大勢の人間が読んで…)
 今も眺めているかもしれない。
 これからシロエはどうなってゆくか、どんな人生を生きてゆくのかと。
(…次のページをめくったら…)
 物語の舞台はガラリと変わって、此処を卒業した後なのだろうか。
 メンバーズ・エリートの一人に選ばれ、任務で宇宙を駆け回る「シロエ」。
 どんどんページを読み進めたなら、最後は機械が支配する世界を…。
(破壊しちゃって、失くした記憶を取り戻して…)
 意気揚々と故郷に帰る「シロエ」が、生き生きと描かれているかもしれない。
 家に帰って、「ただいま!」と両親に抱き付く姿が。
 子供時代と全く同じに、家族で食卓を囲むのも。
(…めでたし、めでたし、って…)
 ハッピーエンドの世界だよね、と大きく頷く。
 この人生が「物語」ならば、そんな具合に終わる筈だよ、と。


(…ホントに、ぼくの人生が…)
 誰かが綴る物語ならば、早く最後まで書き終えて欲しい。
 読んでいる人も、急いで最後のページまで。
 そうすれば、ハッピーエンドだから。
 苦痛でしかない今の人生、それを少しでも早く駆け抜け、結末を迎えられるよう。
(…そうだよね…)
 早く終わってくれればいいな、と心から思う。
 「めでたし、めでたし」で終わった後には、ただ幸せが待っているから。
 大好きな両親の許に戻って、いつまでも幸せに暮らせるのだから。
(……ホントにそうなら、うんと幸せなんだけど……)
 今の暮らしは見世物でもね、と考える。
 読者をハラハラさせるためにと、作者が仕掛けた色々な見せ場。
 それが成人検査だったり、記憶を消されて苦しむ今の日々だったり、と。
 誰もが「シロエ」に同情するよう、次から次へと襲い掛かって来る不幸。
 あの「キース」だって、登場人物なのだから…。
(…ぼくを不幸に陥れるために…)
 作者が作った、悪役の一人。
 そうだと思えば、「仕方ないや」と納得出来る。
 「キース」にイライラさせられるのも、機械の申し子のような人間なのも。
 主人公の「シロエ」を苦しめるために、作者が作り出したのだから。
(…あいつが嫌な奴だから…)
 「シロエ」の不幸が引き立つわけで、「いい奴」では全く話にならない。
 物語に出て来る悪役でライバル、だからこそ読者は手に汗を握る。
 「シロエ」と「キース」の熾烈な争い、その戦いの行方は、と。
 きっと「シロエ」が勝つのだけれども、そう簡単には勝てないだろう、と。
(…成人検査も、マザー・イライザも、SD体制も…)
 何もかも作者が作った虚構で、物語の中に描かれた出来事。
 それを読んでいる読者の世界は、SD体制などとは全く無縁で。
 もしかしたら、地球は滅びていなくて、青く美しいままかもしれない。
 遠い未来の世界を描いた、いわゆるSF小説で。
 遥か昔から、人間はそういう物語を書き、大勢の人が読んだのだから。


 そうかもしれない、と考えたら楽になった気がする。
 「これは物語の中なんだ」と。
 全ては本の中の世界で、「セキ・レイ・シロエ」は、その主人公。
 だから苦しみ、酷い目に遭う。
 そうでなければ、リアルに描き出せないから。
 機械に支配される苦痛を、読者に訴え掛けるためにと、作者が紡ぎ出す様々なこと。
 成人検査も、マザー・イライザも、忌まわしいSD体制だって。
(…何もかも全部、作り話で…)
 ドラマティックに展開するよう、競争相手の「キース」も登場させて。
 そうだというなら、我慢も出来る。
 主人公なら耐えるべきだし、耐えた御褒美は必ず貰える。
 ストーリーが完結した暁には、「めでたし、めでたし」な結末になって。
 「シロエ」は無事に故郷へ帰れて、過去の記憶も取り戻せて。
(…それでこそだよね…)
 こんな人生、作り話だからこそなんだ、と自分で自分を慰めてみる。
 誰かが書いたSF小説、その中で今は苦しいだけ。
 いつか、ハッピーエンドが来るまで。
 今を耐え抜いて、物語の最後まで生き抜くまでは。
(…そういうことなら、仕方ないかな)
 「シロエ」が不幸であればあるほど、ハッピーエンドなラストが生きる。
 どんな不幸も、今の苦痛も、物語を彩るスパイスの内。
 不幸のどん底に突き落とされても、それがスパイスなら構わない。
 作者が読者を楽しませようと、せっせと振りかけるスパイスならば。
(……スパイスを効かせ過ぎだ、って……)
 時には文句も出そうだけれども、そう言ってくれるような読者も必要。
 「シロエ」に肩入れしているからこそ、そんな言葉が出るのだから。
 身近に感じてくれているから、「シロエ」の不幸に我慢出来ない、熱烈な読者。
 きっと、そういう人だっている。
 これほど追い詰められてしまって、今も苦しくて堪らないから。
 「苦しむシロエが可哀想だ」と、同情してくれる読者だって、きっと。


(…ぼくの物語が完結するまで…)
 見守っていてくれる人が大勢、そう考えると生きる勇気も湧いて来る。
 どれほど辛くて苦しかろうとも、ラストまでの道が長くて険しい人生でも。
 「キース」が嫌いで堪らなくても、今の世界が大嫌いでも。
(……頑張らなくちゃね……)
 もしかしたら、と希望の光が見えてくるよう。
 この人生が本の中なら、作者の考え方次第。
 SD体制を破壊するために、生き抜くしかないと「シロエ」は思っているけれど…。
(…ピーターパンの本が大好きで、ネバーランドに行きたいのも、ぼくで…)
 作者は充分、承知なのだし、全てが一変するかもしれない。
 この牢獄から、一転してネバーランドへと。
 作者には、それが出来るから。
 幼い頃から「シロエ」が焦がれた、ネバーランドへ旅立たせること。
 たった一行、こう書くだけで。
 「その時、奇跡が起こりました」と。
 苦痛に満ちた今の世界に、一条の光が差し込んで。
 ピーターパンが軽やかに空を翔けて来て、「行こう」と「シロエ」に手を差し出して。
(…最後まで必死に頑張り続けて、パパやママとのハッピーエンドもいいけれど…)
 ネバーランドに行ってしまうのも、悪くないかも、とピーターパンの本の表紙を撫でる。
 「どうせ、一人になっちゃったしね」と。
 両親の所へ帰れるとしても、その日は、まだまだ先なのだから。
(ピーターパンが迎えに来るなら、大人の世界に行く前だろうし…)
 それなら、それほど待たなくてもいい。
 作者がそういう風に書くなら、そんなラストでも構わない。
 「シロエ」が幸せになれるなら。
 ネバーランドへと旅立てるのなら、それもハッピーエンドだから…。



           物語の中なら・了


※アニテラのシロエなら思い付きそうな、「ぼくの人生も、物語かも」という考え方。
 原作の方だと、有り得ませんけど。そして迎えた、ハッピーエンドな最期。中二病っぽい…。









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(…ついに私もパルテノン入りか…)
 その前に殺されていなければな、とキースが薄く浮かべた笑み。
 何処か自嘲めいた、およそ歓びとは無縁なもの。
 国家騎士団総司令の部屋で、夜が更けた後に、ただ一人きりで。
 側近のマツカが淹れていったコーヒー、まだ熱いカップが湯気を立てる中で。
 初の軍人出身の元老、それが未来の自分の肩書き。
 グランド・マザーが決めた以上は、間違いなく出来る筈の異例の昇進。
 ただし、就任するよりも前に、暗殺者に命を奪われなければ。
(…その上、元老になった後にも…)
 殺そうとする奴らが出て来るだろうさ、と承知している。
 就任までには、まだ何人もの血が流されることだろう。
 パルテノン入りを果たした後にも、増える一方だろう屍。
(……どいつもこいつも……)
 屑ばかりだ、と忌々し気に舌打ちをする。
 「真っ向から来ても勝てない奴ほど、殺したがる」と。
 しかも自分の手は汚さないで、腕の立つ暗殺者どもを選んで送り込んで来る。
 「キース・アニアン」を消すために。
 自分の出世を妨げる人間、「グランド・マザーのお気に入り」を。
(…どう頑張っても、無駄なのだがな)
 多分、マツカがいる限りは、と零れる溜息。
 マツカの能力をフルに使えば、暗殺から逃れることは容易い。
 銃も爆弾も、毒を盛ることも、キースの命を奪えはしない。
 全てマツカが、未然に防いでしまうから。
 暗殺者も、それを企てた者も、返り討ちにされてしまうのが常。
 そうやって、此処まで昇って来た。
 グランド・マザーに期待されている、唯一無二の人物として。
 屍の山を築き上げた上に、これからも屍を積み上げてゆく。
 冷徹な破壊兵器として。
 血も涙も無い人間なのだと、周囲の者から恐れられながら。
 恐れないのは、ほんの僅かな人間だけで。


 パルテノン入りすれば、敵はもっと増えることだろう。
 「キース・アニアン」を恐れる者も、今よりも更に増えてゆく筈。
 二百年も空位のままになっている、国家主席の座に近付いてゆくほどに。
 「キース」がその手に握る権力、それが大きくなる分だけ。
(…厄介なことだ…)
 望んだわけではないのだがな、と思うけれども、そのために「キース」は生まれて来た。
 正確に言えば「作り上げられた」者。
 Eー1077で、マザー・イライザが無から作った生命。
 人類を導く指導者として、優秀な人材を生み出す実験の成果が「キース」。
 マザー・イライザの最高傑作。
(……そのせいだろうな、屑ばかりなのは……)
 私と対等に競える者など、誰も現れて来ないのは、と情けない限り。
 メンバーズとして世に出て以来、本当の意味での「敵」など、一人もいなかった。
 ジルベスター・セブンに巣食っていたミュウ、ああいう異分子を除いては。
 「キース」と同じ人類の中では、お目に掛かったことさえ全く無い「敵」。
 いわゆるライバル、競い合い、蹴落とし合う相手。
(…Eー1077を卒業した時には…)
 この先は茨の道なのだろう、と覚悟していた。
 自分の「生まれ」など知らなかったから、ライバルとの争いが幕を開ける、と。
 Eー1077でこそ、トップで卒業したのだけれども、世の中は広い。
 先にメンバーズに選ばれた者も、これから選ばれるメンバーズたちも、全てが「敵」。
 彼らと戦い、蹴落とさなければ、昇進してゆくことは出来ない。
 いつかトップに昇り詰めるためには、日々、戦いが続くのだろう、と。
(…そう思ったのに…)
 何処からも現れなかった「敵」。
 「負ける」と恐怖を覚える者など、未だに一人も出会ってはいない。
 それほどに無能な者ばかりなのが「人類」ならば、「作られた」のも仕方ないだろう。
 「キース」を作り出さなかったら、指導者は生まれないのだから。
 メンバーズといえども、無能な者たちが揃っているだけ。
 一般人よりはマシだと言うだけ、ただそれだけのことなのだから。


(…まったく、手応えの無い輩ばかりだ…)
 この世の中はな、と虚しい気持ちで一杯になる。
 セルジュやパスカルといった部下たち、彼らは優秀なのだけれども…。
(……私と勝負出来るのか、という観点から見たならば…)
 やはり私の敵ではない、と考えなくとも即答出来る。
 彼らは「有能な部下」ではあっても、「キース」の立場は務まりはしない。
 国家騎士団総司令の地位さえ、きっと持て余すことだろう。
 どう戦ってゆけばいいのか、いちいち悩んでいるばかりで。
 即断即決、それが出来ると言うにしたって、結果は決して芳しくなくて。
(…Eー1077で過ごした頃から、私の周りは…)
 本当に屑で、どうしようもない者ばかりだった、と思ったけれど。
 「グレイブにしても、年上だったというだけのことだ」と、先輩の顔が浮かんだけれど…。
(……いや、待てよ?)
 あそこには一人だけ、いたのだった、と気付いたライバル。
 「キース・アニアン」と競い合うことが出来た「敵」。
(……セキ・レイ・シロエ……)
 彼だ、と鮮やかに蘇った記憶。
 遠い昔に、鎬を削って戦った相手。
 まさに好敵手と言えたライバル、それが「シロエ」だ、と。
(…シロエは、私を成長させるために選び出されて…)
 Eー1077に来たのだけれども、彼の才能は「本物」だった。
 「キース・アニアン」と競い、戦える人物を選んだのだから、当然だろう。
 条件としては、それに加えて「ミュウ因子を持っている」ということ。
 そうでなければ、「キース」の成長を促す糧にはならないから。
 シロエが人類だった場合は、「キースに処分させる」ことは不可能。
 だからこそ、シロエはEー1077に連れて来られて、「キース」に消された。
 シロエ自身は、自らの意志と生き方を貫き通して、宇宙に散ったつもりでも。
 撃墜されて死ぬ瞬間まで、一片の悔いも無かったとしても。


 けれど、そうなる以前の「シロエ」。
 「キース」と繰り広げていたトップ争い、其処にはミュウの因子など…。
(…関係してはいなかった筈だ)
 何故なら、シロエは「サイオンに目覚めていなかった」から。
 ミュウの力が覚醒する前、それがシロエがトップ争いをしていた時期。
(……つまり、シロエの才能は……)
 「本物」だったということになる。
 キースと互角に戦えたほどの、好敵手。
 今日までの人生で、ただ一度だけ、出会えた「ライバル」。
 それなら、シロエが「キース」の糧にされることなく、無事に成長していたなら。
 「マツカ」が今でも生きているように、成人検査をすり抜け、巧みに生きていたなら…。
(…めきめきと頭角を現して…)
 メンバーズ・エリートとして機械に選ばれ、順調に昇進出来ただろう。
 「シロエ」に、その気があったなら。
 マツカのように「隠れてやり過ごす」よりも、「打って出る」道を選んでいたら。
(…そうだな、シロエだったなら…)
 あの強い意志を持った彼なら、出世する道を選んだと思う。
 上手く生き延び、機械の裏をかくために。
 地位が上がれば上がってゆくほど、機械は「シロエ」を消せなくなる。
 もしも「シロエ」を処分したなら、貴重な人材を失うから。
 「ミュウかもしれない」と疑ったとしても、実際には手を出せないだろう。
 シロエが優秀なメンバーズならば、彼を慕う有能な部下たちも増える。
 得難い人材になればなるほど、機械には、もう手も足も出ない。
 どれほど「シロエ」が怪しくても。
 「ミュウではないか」と疑うくらいに、体制批判をしていたとしても。
(…そして、そういうシロエだったら…)
 その抜きん出た才能でもって、「キース」のライバルになっていた筈。
 どちらが優れたポストに就くのか、争い合って。
 戦果を、能力を常に競い合い、何かと言えば蹴落とし合って。
 「キース」の地位が先に上がれば、じきに「シロエ」が追い抜いてゆく。
 目覚ましい戦果や成果を叩き出しては、「それじゃ、お先に」と。


 シロエが「糧」にされなかったら、そうなったろう。
 ただ一人きりの「キース」のライバル、国家主席の座を争う相手。
 きっと手応えがあっただろうし、いい人生になっていた筈。
 無味乾燥な「今」と違って、「ライバルのシロエ」がいたならば。
(…普段は互いに、憎まれ口を叩き合っていても…)
 ふとしたはずみに、意気投合することもあったのだろう。
 シロエがしていた「体制批判」は、まるで頷けないこともないから。
 「確かにそうだ」と思わされる面も、あの頃から「キース」の内に存在していたから。
(……シロエ……)
 お前が私の「糧」でなければ、と、ただ、悔しい。
 「一方的に選び出されて」殺されはせずに、生きていてくれたなら。
 ミュウであることを上手く隠して、ライバルになっていてくれたなら、と。
(…そうすれば、もっと…)
 私の人生も違ったものに、と思うけれども、もういない「シロエ」。
 彼一人だけが、「本物」の才能を持っていたのに。
 「キース」の能力に匹敵する力は、彼しか秘めていなかったのに。
(…そして、お前はミュウなのだから…)
 私よりも「向いていた」のかもな、と冷めてしまったコーヒーを喉へと流し込んだ。
 歴史がミュウに味方している、「今」だから。
 「ミュウ因子を持ったシロエ」がトップの地位にいたなら、処し方があったかもしれない。
 人類が無駄な犠牲を払わず、生き延びる道が。
 ミュウとの共存は不可能としても、「キース」には思いもよらない「何か」。
 それを「シロエ」なら打ち得ただろう、と分かるからこそ、悲しくて、惜しい。
 「シロエ」が宇宙の何処を探しても、見付かるわけがないことが。
 自分がこの手で、殺したことが。
 「シロエ」が今も生きていたなら、全ては違っていただろうから。
 人類には希望があっただろうし、「キース」がトップに立っていようと、その点は同じ。
 ライバルとして競い合えるシロエは、「良き友」でもあった筈だから。
 的確な助言をすることが出来る、優秀な人物だったろうから…。



            競えただろう者・了


※アニテラも原作も、ライバル皆無で優秀なキース。けれどシロエなら、ライバルになれた筈。
 もしもシロエが、キースのために選ばれた「糧」でなければ、全ては違っていたかも…。









拍手[1回]

(……この調子だと……)
 近い間にコールだよね、とシロエが睨み付ける机の上。
 Eー1077で与えられた個室、其処に、さっきまで憎い機械が居た。
 故郷の母の姿に似せて、猫撫で声で「どうしました?」と現れたマザー・イライザ。
 正確に言えば、本体ではなくて、その幻影。
(…畜生!)
 あいつのせいだ、と頭に浮かぶ「キース・アニアン」。
 マザー・イライザの申し子と呼ばれるくらいの、トップエリート。
 彼を追い掛け、追い越すための成績争い、日夜、努力をしているのに…。
(追い越したと思ったら、抜き返されて…)
 また努力して、の繰り返し。
 なのに肝心のキースはと言えば、苦労しているようにも見えない。
(流石、機械の申し子だよ…)
 勉強しか頭に無いんだろうさ、と腹立たしい限り。
 自分の方は、いつか懐かしい故郷に戻って、会いたい人たちがいるから頑張るのに。
 成人検査で奪い去られた、過去の記憶を取り戻したい一心で。
(だけど、キースは…)
 そんなことなど、考えたことも無いのだろう。
 何の疑いも無くシステムを信じ、マザー・イライザに従って。
 機械に言われるままに素直に、勉強と訓練を続けるだけで。
(…腹が立つったら!)
 どうして、そんな「キース」なんかと争うことになったのか。
 いや、争うのはいいのだけれども、彼を蹴落としてしまえないのか。
(……ぼくの努力が足りないみたいで……)
 日毎に募って増してゆくのが、どうしようもない厄介な感情。
 苛立ちと焦燥、それが消せないから、マザー・イライザが現れる。
 「どうしました?」と、母親気取りで。
 「迷いがあるなら、導きましょう」と、それは優し気な笑みを湛えて。


 マザー・イライザの幻影だけなら、さほど脅威ではないけれど。
 消え去った後も、何が起こるわけでもないけれど…。
(…あれが来た後にも、ぼくの心が落ち着かないと…)
 次に来るのは、コールサイン。
 マザー・イライザ直々の呼び出し、「彼女」が鎮座する部屋に呼ばれる。
 机の上でも足りるサイズの幻影ではなく、等身大の姿を取って現れる部屋へ。
(…コールされたら、眠らされて…)
 深い眠りに落ちている間に、頭の中から消される記憶。
 機械にとっては都合が悪いと思われるものを、「彼女」が探して、抜き取っていって。
(…そうやって、いろんなことを忘れてしまって、思い出せなくなることが増えて…)
 懐かしい養父母の顔や、故郷や、子供時代の記憶が薄れてゆく。
 コールされる度、確実に。
 成人検査の後も残っていた、大事な「何か」を奪い去られて。
(……また、そうなるんだ……)
 幻影が現れたことは、一種の警告。
 「自分自身で解決しなさい」と、エリートらしく振る舞うように、と。
 けれども、それは出来ない相談。
 出来るのだったら、とうの昔にやっている。
 同期のエリート候補生たちや、先輩たちがそうするように。
 大人しく「マザー牧場の羊」になって、マザー・イライザが指示する通りに生きて。
(…出来るんだったら、キースなんかと争わないよ)
 それに腹だって立てやしない、と握り締める拳。
 「ぼくには、ぼくの生き方がある」と、「それは絶対、曲げないんだから」と。
 何度、機械に呼ばれようとも、逆らい続けて生きてやる。
 コールされても、残った記憶にしがみ付いて。
 両親を、故郷を慕い続けて、エリートの道を進んでやる。
 マザー・イライザの手を離れた後には、グランド・マザーが待っていたって。
 地球に居るという「グランド・マザー」は、もっと手強い機械だとしても。


(…ぼくは絶対に忘れない…)
 子供時代の記憶が大切なことも、機械が「それ」を消し去ったことも。
 マザー・イライザにコールされても、グランド・マザーにコールされても。
 機械が記憶をほじくり返して、不都合なことを消し続けても。
(絶対に、忘れないんだから…!)
 ぼくは負けない、と机を叩いた所で、ふと気付いたこと。
 「他の奴らは、どうなんだろう?」と。
 マザー牧場の羊といえども、それなりに個性は持っているもの。
 誰もが揃ってエリートではないし、年数を経れば優劣もハッキリして来る。
(……いつもキースとウロウロしている……)
 気の好さそうな、サムという名の候補生。
 彼はどう見てもエリートではなく、とうに其処から落ちこぼれている。
 成人検査を受けた直後は、「資質あり」と判断されたのだろうに。
 そうでなければ、Eー1077には来られない。
 エリート候補生が集う最高学府は、そんなに甘く出来てはいない。
(…それに、スウェナも…)
 結婚という道を選んで、コースを脱落していった。
 一般人になるための教育を受けに、Eー1077を去り、別のステーションに移籍して。
(……ああいう、エリートになれない連中……)
 彼らの場合も、マザー・イライザは、懸命に手を尽くしたろうか。
 「どうしました?」と個室に現れ、それで解決しない場合は、コールして。
 彼らの心の奥を探って、問題があるなら、その芽を消して。
(……もしも、そうなら……)
 サムもスウェナも、落ちこぼれてはいないような気がする。
 たとえ成績が劣っていようが、下級生の「シロエ」に鼻で嗤われたりはしないで。
 「やっぱり、エリートの先輩は違う」と、尊敬せざるを得ない面を持って。
(…適材適所って言うんだものね…?)
 サムにはサムにしか出来ない「何か」があって、それだけは抜きん出ているとか。
 スウェナの場合も、一般人のコースに移籍しないよう、説得されていただろう。
 機械には、それが出来るから。
 都合の悪い記憶を消したり、問題のある部分を削ってしまえるのだから。


 その筈なのに、サムもスウェナも、何事もなく「落ちこぼれた」。
 マザー・イライザは二人を見放したのか、彼らに「かまう」ことを放棄したのか。
(……その可能性が……)
 高いんだよね、と顎に当てる手。
 「恐らく、途中で見捨てたんだ」と。
 サムもスウェナも、機械に期待されるほどの資質が無かったから。
 コールし、あれこれ手を尽くしたって、どうなるものでもなかったから。
(……だとしたら……)
 自分の場合も、あるいは、その道があっただろうか。
 「資質無し」と判断されたなら。
 入学早々、落ちこぼれるのは、少々、情けないけれど…。
(…やっても出来ない生徒だったら、そうなっていた…?)
 何度もコールされる代わりに、見放されて。
 どんなに成績が落ちてゆこうが、導かれる代わりに放置されて。
(……そうなっていたら……)
 マザー・イライザのコールは、殆ど無かっただろう。
 此処へ着いた直後は、「なんとかしよう」とコールした筈だけれども、それ以降。
 二回、三回と呼び続けても、一向に改善しない成績。
 「セキ・レイ・シロエ」はエリートとして芽を出す代わりに、成績が落ちてゆく一方。
 訓練の方もサッパリ駄目で、何をやっても冴えない存在。
(…「やりたい」と「やれる」は違うんだから…)
 人間には適不適があるから、SD体制は其処を大切にする。
 その人間に相応しい場所は何処になるのか、判断するのは機械の役目。
 エリート候補生として連れて来たって、芽が出ないままで落ちこぼれれば…。
(…スウェナみたいに移籍するとか、サムみたいに冴えないままだとか…)
 そういうコースを歩むしかなくて、そんな劣った人材は、機械も見捨ててしまう。
 「この人間は、此処までだから」と。
 伸ばしてやろうと努力するだけ時間の無駄で、エネルギーを浪費するだけのこと。
 それくらいならば、他の人材に手間暇かけた方がマシ。
 せっせとコールし、励ましもして。
 もっと優れた者になるよう、充分に目を掛けてやって。


(……そうだとすると、ぼくが劣等生ならば……)
 Eー1077に入学してから間も無い間に、落ちこぼれてしまっていたのなら。
 エリート候補生に選ばれたのが、テラズ・ナンバー・ファイブの眼鏡違いというヤツならば…。
(…コールされたのは最初の頃だけで、それっきり…)
 マザー・イライザに呼ばれることなど、とうに無かったかもしれない。
 幻影が部屋に現れることも、「どうしました?」と訊かれることさえ無いままで。
(…見放されてたら、そうなるんだから…)
 度重なるコールで消されてしまった、様々な記憶。
 それらは今でも在っただろうか、消される機会が無いのだから。
 マザー・イライザは「シロエ」を見捨てて、他の候補生たちに夢中だから。
(……そうだったのかも……?)
 ううん、きっとそう、と確信に満ちた思いがある。
 「落ちこぼれていたら、今も覚えてたんだ」と。
 故郷に帰れないことは同じでも、今よりは多く持っていた記憶。
 それが何かは、今となっては分からなくても。
 どういう記憶を失ったのかは、全く思い出せなくても。
(…ぼくの人生、失敗だった…?)
 劣等生の方が良かったのかも、と悔いても、どうにもならない今。
 キースと争い、蹴落とす他に進むべき道は無さそうだから。
 エリートコースに乗ったからには、今更、後へは戻れないから。
(……だけど……)
 何もかも放り出せたなら、と零れる涙。
 きっと、この先も失うから。
 機械に見捨てられない限りは、「シロエ」の記憶は消されてゆく。
 コールされ、深く眠らされる度に。
 マザー・イライザの手を離れたって、グランド・マザーがいるのだから…。



           見放されていたら・了


※マザー・イライザが干渉するのは、何処までだろう、と考えたわけで。劣等生は放置かも、と。
 そうだとしたら、シロエが劣等生だった時は、記憶は多めに残っていた筈。有り得ないけど。







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(グランド・マザーは…)
果たして気付いているのだろうか、とキースの頭を過ったこと。
初の軍人出身の元老として、パルテノンに入って移り住んだ部屋で。
馴染んだ国家騎士団総司令の部屋とは違うけれども、そう悪くはない。
セルジュやパスカルといった部下たち、彼らも共に移って来た。
実に役立つ者たちだけれど、その中に、たった一人だけ…。
(…人類の敵がいるのだがな?)
それも私の側近として、と机に置かれたカップに目を遣る。
とうに夜は更け、マツカも自室に下がった後。
「何かあったら呼んで下さい」と、去る前に熱いコーヒーを淹れて。
(…もしも、マツカがいなかったなら…)
私は此処まで来られていない、と自分でも良く分かっている。
マツカのお蔭で拾った命は、両手だけでは数えられない。
(その上、暗殺計画を立てられるような地位を得るよりも前に…)
ジルベスター・セブンで死んでいただろうさ、と自嘲の笑みが昇って来る。
あの時、マツカがいなかったならば、「キース・アニアン」は生きてはいない、と。
ソレイド軍事基地で、「キース」の命を狙った青年。
何の気まぐれか、見逃してやった、ひ弱なミュウ。
それだけの出会いだった「マツカ」が、ただ一人きりで救いに来た。
誰も救助に来なかった中を、単独で、ミュウの巣窟まで。
(…あれが最初で、それからずっと…)
マツカは「キース」を陰で守って、命を救い続けている。
誰にも知られず、役に立たない部下だと思い込まれたままで。
「コーヒーを淹れることしか出来ない、能無し野郎」と、周囲に嘲り笑われながら。
(…セルジュたちが気付かないのは、当然なのだが…)
グランド・マザーはどうなのだろうか、と顎に当てた手。
「マツカがミュウだと、本当に気付いていないのか?」と。
その可能性もあるのだけれども、逆の可能性だって大いにある。
自分が「役に立つから」マツカを生かしているのと同じで、グランド、マザーも同意見。
「キース・アニアンの役に立つなら」と、見逃している可能性もゼロではない、と。


どちらなのかは、「キース・アニアン」にも分かりはしない。
グランド・マザーに問い掛けてみても、答えは返って来ないだろう。
(それに万一、本当に気付いていないのならば…)
迂闊な質問を投げ掛けたばかりに、貴重な部下を失いかねない。
「ミュウのマツカ」は、直ちに処分されてしまって、代わりの人材がいなくなって。
どれほどマツカの功を叫んでも、グランド・マザーは聞き入れなくて。
(そうなったならば、私の命も…)
長くは続かないだろうしな、と唇を歪める。
今も絶えない暗殺計画、それに命を奪われるだろう、と。
(それを防ぐために、あえてマツカを…)
ミュウと知りつつ見逃しているか、あるいは気付いていないのか。
グランド・マザーの真意は謎で、この先も、きっと掴めはしない。
(…ミュウどもとの戦いに、決着がつけば…)
その時は答えが出そうだけれども、「キース」の命があるのかどうか。
「実はミュウだった」マツカの場合は、裏切り者だと言われようとも…。
(…生き延びるために、やむを得ない選択をしていただけで…)
人類軍の真っ只中では仕方なかろう、と思うミュウの方が多いだろう。
逆に同情され、労われることもあるかもしれない。
しかし、「キース」は、そうはいかない。
ジルベスター・セブンを焼き滅ぼした張本人で、明らかにミュウの敵だから。
ソルジャー・ブルーを撃ち殺そうとしていたことも、間違いなく知れてしまうだろう。
(…処刑されるか、最後の戦いで戦死するか…)
どちらにしても命は無いな、という気がするから、グランド・マザーの考え方は分からない。
あえてマツカを生かしていたのか、最後まで気付かなかったのかは。
(…とはいえ、今の時点では…)
知らないふりか、気付いていないか、謎だとはいえ、マツカは「無事」。
パルテノンまで付いて来た上、側近として仕え続けている。
本当は、人類の敵なのに。
処分されるべき異分子のミュウで、生きることを許されていないのに。


(…最初は、気まぐれだったのだがな…)
まさか「マツカ」が役に立つとは、夢にも思っていなかった。
ソレイド軍事基地で出会った時点で、本来なら処分するべき存在。
けれども、脳裏を掠めた面影。
マツカに「シロエ」が重なったから、彼を助けてやろうと思った。
「一人くらい」と。
ひ弱なマツカを生かしておいても、人類の脅威になりはしない、と。
(…そう考えただけなのに…)
マツカは命の恩人となった「キース」を、けして忘れはしなかった。
ただの気まぐれの礼と呼ぶには、あまりにも多すぎるマツカの「恩返し」。
「キース」は何度も命を拾って、とうとう此処まで昇進した。
初の軍人出身の元老、国家主席にも手の届きそうな高い地位まで。
(…そしてマツカも、命を脅かされることなく…)
誰にもミュウだと知られもせずに、人類の社会の中枢に近い所にいる。
気まぐれで命を助けただけの、ひ弱だったミュウが。
(……こういうことになるのなら……)
もしも、と「シロエ」の面差しを思う。
遠い昔に、この手で初めて「殺した」人間。
その正体はミュウだったけれど、シロエは確かに「ヒト」でもあった。
マザー・イライザがミュウと知りながら、「キース」のために送り込んだ少年。
人類のエリート候補生として、Eー1077で「キース」と競わせようと。
その果てに「キース」の秘密に気付いて、それを探りに行くように、と。
(…シロエ自身も、マツカと同じで…)
自分がミュウだなどとは思わず、人類のつもりで暮らしていた。
ミュウだった彼には、Eー1077での日々は、辛かったろうに。
最後は宇宙に脱走するほど、追い詰められた挙句に散って行ったシロエ。
(……私は、シロエを……)
言われるままに処分したのだけれども、逆らっていたら、どうなったろう。
マザー・イライザの指示を無視して、シロエを「わざと」見失ったら。
彼が乗った船を撃墜しないで、手ぶらで戻って行ったならば。


あの時、自分は知らなかったけれど、モビー・ディックが近くに来ていたという。
シロエを「あのまま」行かせていたなら、彼は仲間に拾われただろう。
たとえ意識を失くしていようと、同じミュウなら、「仲間の船だ」と気付く筈。
モビー・ディックがシロエを拾えば、歴史は変わっていたかもしれない。
なにしろシロエは、優秀なエリート候補生。
国家機密には手が届かなくても、かなりの知識を持っていた。
マザー・システムやSD体制、人類軍に国家騎士団、それに数々の軍事基地など。
(…ミュウどもが、シロエと出会っていたら…)
恐らく、全てが変わっていた。
ジルベスター・セブンを拠点に選んでいても、自然出産を始めたとしても…。
(…優秀なブレーンがいるわけなのだし…)
やって来た「キース」をどう扱うかも、まるで違っていただろうと思う。
シロエは、キースをよく知っている。
それに、遠い日、「キース」が「シロエ」を見逃したことも。
(…恐らく、捕虜にした後は…)
交渉しようと乗り出したろうし、条件付きで「キース」を逃がしたかもしれない。
「向こう何年間かは、ジルベスター・セブンに誰も近付けるな」と。
「何も無かったと報告しろ」と、「でないと、ミュウは攻撃を開始する」と。
シロエというブレーンを得ていたならば、ミュウには戦う術があるから。
どういう具合に戦ってゆけば、ミュウ側が勝利するかも分かる。
(…そして私は、そう脅されて…)
言われた通りに報告するしか無かっただろう。
 救い来たマツカに「何も無かった」と、大嘘をついて。
「帰るぞ」と、ソレイド軍事基地に戻って、グレイブには「事故に遭っただけだ」と告げて。
(…グランド・マザーが、どう出るかは…)
謎だけれども、どう考えても、今のようにはなってはいない。
ジルベスター・セブンでの「圧倒的な勝利」を、人類は得てはいないから。
ミュウを殲滅させるどころか、きっと、まんまと逃げられたろう。
(…その後に来るのは、総力戦で…)
もっと早くに人類軍は敗北続きで、ミュウの版図は拡大する一方。
止める術など、グランド・マザーにもありはしなくて。


(…どうして、あの時…)
私はシロエを逃がさなかった、と胸の奥に苦い痛みが広がる。
後に「マツカ」を見逃したように、あの日、シロエを逃がしていれば、と。
そうしていたら歴史は変わって、犠牲者も減っていたかもしれない。
人類軍も、それにミュウの方でも。
(…ソルジャー・ブルーも、メギドで死なずに…)
交渉のテーブルに着いただろうか、人類が負けを認めた時に。
それとも、そうなるもっと前から、彼も交渉に出て来たろうか。
(…いずれにしても、全ては大きく変わっていって…)
今よりもずっと、好ましい方へ行っただろうに、と思えてならない。
「あの時、シロエを逃がしていれば」と。
(……あの日、私に、足りなかったのは……)
きっと自信というものなのだ、と噛んだ唇。
グランド・マザーよりも遥かに小者の、マザー・イライザに「従った」など。
ソレイドで「マツカ」を助けた時には、「気まぐれ」で済ませられたのに。
(…あの時の私は、まだ若すぎて……)
自信も勇気も無かったのだ、と、ただ悔しくてたまらない。
「あの時、それがあったら」と。
シロエを「わざと逃がす」勇気と、それから自信。
それを自分が持っていればと、「そうすれば歴史が変わったろうに」と…。



          足りなかったもの・了


※マツカの正体に、グランド・マザーが気付いているのか、いないのか。それは謎ですが…。
 キースが「気まぐれ」で助けたマツカ。だったら、あの日、シロエを助けていれば…?







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