もしも選ぶなら
(ネバーランドよりも、素敵な地球ね…)
でも本当にそうなのかな、とシロエは机の前で考え込む。
一日の授業と予習復習、全てを終わらせた後の、夜の個室で。
遠い昔に、父から聞いた「地球」という言葉と父の声とが、今でも耳に残っている。
「ネバーランドよりも素敵な場所さ」と、父は笑顔で話してくれた。
選ばれた人しか行けないけれども、「シロエなら行けるかもしれないな」とも。
そう聞かされた時から地球に憧れ始めて、選ばれるために努力を重ねた。
成績は常にトップだったし、運動だって頑張った。
(…結果としては、エリートコースに来られたけれど…)
引き換えに失ったものは多くて、記憶さえも機械に奪い去られた。
父の声はハッキリ覚えていたって、その顔を思い出すことは出来ない。
「笑顔だった」ことが分かるというだけ、どんな顔立ちで笑っていたのか見えては来ない。
(誰も教えてくれなかったよ…)
成長して大人の社会に行くには、「過去を捨てねばならない」なんて。
知っていたなら、もっと時間を大切にしたことだろう。
勉強のために注ぎこむ代わりに、両親と一緒に過ごす時間を「もっと長く」と。
食事が済んだら「直ぐに勉強を始める」などは、今にして思えば、愚の骨頂でしかない。
勉強なんかをやっていないで、父や母と話をするべきだった。
母が後片付けをしているのならば、それを手伝い、片付けの後は両親の側で…。
(コーヒーは苦くて好きじゃなくても、ホットミルクとか…)
それともココアか、ジュースでもいい。
子供の舌に合う飲み物を貰って、ゆっくり、のんびりすれば良かった。
そうしていたなら、機械に記憶を奪われた後も、「残った記憶」が多かったろうに。
両親の顔はぼやけていたって、三人で囲んだテーブルは忘れていない、とか。
(…失敗したよね…)
もう取り返しはつかない過ち。
幼かった日に戻れはしないし、幼い自分に真実を告げることも叶わない。
仕方なく「地球」を目指しているのだけれども、其処は本当に「素敵」だろうか。
(…あの時、パパは知ってたのかな…?)
地球という場所に、「子供たちの姿は無い」ことを。
選ばれたエリートだけが暮らす世界で、一般市民がいるかどうかも分からない。
(地球の社会の、優秀な構成員として…)
一般市民という役割を担う、普通人のコースのエリートならば、いる可能性もゼロではない。
けれど「子供」は確実に「いない」。
大人の社会と子供の社会は、明確に分かれているのだから。
子供が暮らせる場所と言ったら、今の世界では育英惑星だけしか無い。
一般人向けのコースで選ばれ、養父母としての教育を受けた大人が派遣される星。
(それ以外の星には、子供なんかはいやしない、って…)
Eー1077に来てから学んだ。
だから当然、首都惑星のノアにも「子供は一人もいない」のだ、とも。
(…首都惑星でも、子供は一人もいないなら…)
人類の聖地という名で呼ばれる「地球」には、なおのこと「子供はいない」だろう。
地球は育英惑星ではなく、首都惑星よりも格が上になる「最高の場所」と言えるのだから。
(そういう意味では、ネバーランドよりも素敵なのかもね…)
宇宙の中で最高だったら、地球を超える場所は何処にも無い。
「地球よりもいい場所は何処ですか?」と誰に訊いても、ただ笑われるだけだろう。
「そんな場所、ありやしませんよ」と。
「最高に素敵な場所と言ったら、地球の他に何処があるんです?」などと尋ね返されて。
(…それは分かっているんだけれど…)
子供が一人もいない場所など、本当に「素敵」と言えるだろうか。
その上、地球が「素敵」かどうかは、かなり怪しいという気もする。
本当に素敵な場所だと言うなら、どうして「首都惑星にしない」のか。
(人類は地球を駄目にする生き物だから、と言うにしたって…)
選び抜かれたエリートだけで「地球の社会」を構成するなら、何の問題も起こらない。
彼らは愚かなことなど「しない」し、機械の指示に素直に従い、環境の維持に努めるだろう。
(維持するどころか、良くするための努力を重ねて…)
美しかったと聞く地球の姿を、完璧に取り戻すために働き続ける。
今はエリートしか行けない場所でも、いつかは一般市民でも…。
(住むのは無理でも、ちょっと旅行に出掛けるくらいは許されるほどに…)
地球の環境を整え直して、「人類の聖地」が皆に門戸を開く時代を築けると思う。
現に「そのための整備」が続けられ、今も続行中だと習った。
成果は順調に上がっているから、それを無にしてしまわないよう、「近付くな」とも。
(…でも、本当にそうなのかな…?)
実は騙されているんじゃあ…、と疑いたくなる日だってある。
機械は「嘘をつく」ものだから。
平気で人を騙し続けて、偽りの世界を作り上げもする。
現に自分は「騙されていた」。
大人になるには「記憶を奪われ、忘れる」ことが必須と知らずに、懸命に勉強し続けて。
本当の地球がどんな場所かは、行ってみるまで分からない。
「行ける資格」を手に入れたって、まだ「騙されている」かもしれない。
地球に行けるほどのエリートだったら、その使い道は幾らでもある。
「地球」という餌で釣り、優秀な人材を大勢育てて、地球の土を踏ませる代わりに…。
(全く違う場所に派遣して、色々な任務を任せるだとか…)
如何にもありそう、と顎に手を当て、大きく頷く。
そうやって「上手く騙す」ためなら、機械はいくらでも嘘をつくことだろう。
本当の地球は、美しい星ではなかったとしても「美しい」と。
今も人間が住めない場所でも、「選ばれた人たちが暮らしています」と、虚言を吐いて。
(…もし、そうだったら…?)
地球の「本当の姿」がそうだとしたなら、ネバーランドよりも素敵な場所とは言えない。
子供たちの姿が無いだけではなく、選ばれた優秀な人間でさえも「住めない」のなら。
(…そんな星でも、素敵だなんて…)
絶対に認められはしないし、子供の姿が無いというのも、充分にマイナスの要素ではある。
果たして「自分」は、本当に「地球に行きたい」のか。
地球に在るという巨大コンピューター、グランド・マザーは「停止させたい」けれども…。
(…ネバーランドか、地球か、どちらかを選べと言われたら…)
自分はどちらを選ぶだろうか、と胸の奥がズシリと重たくなった。
もしも天使が此処に現れ、「選びなさい」と告げて来たなら、どうするだろう。
選んだ結果が、どう転ぶのかは、天使は教えてくれなどはしない。
神の使いで来るのが天使で、「シロエの答え」を神に伝えに行くのも天使。
(…地球を選ぶべきか、ネバーランドを選ぶべきなのか…)
決めるのはあくまで自分自身で、神は結果を「与える」だけ。
「地球に行きたい」と答えたならば、「機械を止めるために行く」のを評価されて…。
(御褒美に、ネバーランドに繋がる扉を…)
神が開いてくれるかもしれない。
「少しくらいなら、息抜きをしてもいいでしょう」と。
あるいは「任務が重くて疲れた時には、此処から飛んで行きなさい」だとか。
逆に「ネバーランドがいい」と答えたのなら、そちらはそちらで…。
(子供の心を忘れていない、って評価してくれて…)
ネバーランドへの扉が開くかもしれないけれども、選べる道は一つだけ。
選んだ答えが「神の意に沿わなかった」場合は、地獄に落とされるかもしれない。
「地球」と答えたら、「子供の心を大事にしていない」と評されて。
「ネバーランド」と答えた瞬間、「自分の使命を投げ出すのか」と神が怒って。
どちらが「正しい答え」なのかは、神と天使しか知らないこと。
けれど「選べ」と言われたからには、シロエに出来るのは「選ぶ」ことだけ。
選んで答えを返すのだけれど、その時に、嘘をついたなら…。
(それはそれで、「正直に選ばなかった」と…)
地獄の底へと突き落とされて、ネバーランドへの扉は開かないだろう。
ならば、自分は、どう答えるのか。
嘘を言わずに「正直に」選んで、神が下した裁きと結果を受け入れるなら…。
(……地球なんかより……)
ネバーランドを選ぶんだから、とシロエは拳を固く握り締める。
父から「地球」と聞くよりも前から、ネバーランドに焦がれていた。
今も行きたくてたまらない場所で、選べるのなら「地球」など、どうでもいい。
「子供が子供でいられる世界」を作れなくても、機械に奪われた記憶が戻らなくても…。
(…正直に選んで、逃げていいなら…)
パパとママが好きだったことを忘れない内に、それを選ぶよ、と心から思う。
選んで答えを告げた途端に、神の怒りに触れようとも。
ネバーランドへの扉が開く代わりに、永劫の煉獄に落ちてゆこうとも。
(…だって、今のぼくは、どうしても…)
両親がいた家と、その思い出と、ネバーランドへの憧れを忘れられないから。
それを隠して「地球に行きたい」と嘘をつくことは出来ないから。
正直に選んでそうなるのならば、その選択に後悔は無い。
「嘘をつく」のは、機械の得意技だから。
機械を憎み続ける以上は、神に向かって嘘をつくなど、自分の誇りが許さないから…。
もしも選ぶなら・了
※ネバーランドと地球。シロエは本当はどちらに行きたかったのかな、と考えたわけで。
キースに撃墜される直前、朦朧としながらも夢見た先は、地球という名のネバーランド…?
でも本当にそうなのかな、とシロエは机の前で考え込む。
一日の授業と予習復習、全てを終わらせた後の、夜の個室で。
遠い昔に、父から聞いた「地球」という言葉と父の声とが、今でも耳に残っている。
「ネバーランドよりも素敵な場所さ」と、父は笑顔で話してくれた。
選ばれた人しか行けないけれども、「シロエなら行けるかもしれないな」とも。
そう聞かされた時から地球に憧れ始めて、選ばれるために努力を重ねた。
成績は常にトップだったし、運動だって頑張った。
(…結果としては、エリートコースに来られたけれど…)
引き換えに失ったものは多くて、記憶さえも機械に奪い去られた。
父の声はハッキリ覚えていたって、その顔を思い出すことは出来ない。
「笑顔だった」ことが分かるというだけ、どんな顔立ちで笑っていたのか見えては来ない。
(誰も教えてくれなかったよ…)
成長して大人の社会に行くには、「過去を捨てねばならない」なんて。
知っていたなら、もっと時間を大切にしたことだろう。
勉強のために注ぎこむ代わりに、両親と一緒に過ごす時間を「もっと長く」と。
食事が済んだら「直ぐに勉強を始める」などは、今にして思えば、愚の骨頂でしかない。
勉強なんかをやっていないで、父や母と話をするべきだった。
母が後片付けをしているのならば、それを手伝い、片付けの後は両親の側で…。
(コーヒーは苦くて好きじゃなくても、ホットミルクとか…)
それともココアか、ジュースでもいい。
子供の舌に合う飲み物を貰って、ゆっくり、のんびりすれば良かった。
そうしていたなら、機械に記憶を奪われた後も、「残った記憶」が多かったろうに。
両親の顔はぼやけていたって、三人で囲んだテーブルは忘れていない、とか。
(…失敗したよね…)
もう取り返しはつかない過ち。
幼かった日に戻れはしないし、幼い自分に真実を告げることも叶わない。
仕方なく「地球」を目指しているのだけれども、其処は本当に「素敵」だろうか。
(…あの時、パパは知ってたのかな…?)
地球という場所に、「子供たちの姿は無い」ことを。
選ばれたエリートだけが暮らす世界で、一般市民がいるかどうかも分からない。
(地球の社会の、優秀な構成員として…)
一般市民という役割を担う、普通人のコースのエリートならば、いる可能性もゼロではない。
けれど「子供」は確実に「いない」。
大人の社会と子供の社会は、明確に分かれているのだから。
子供が暮らせる場所と言ったら、今の世界では育英惑星だけしか無い。
一般人向けのコースで選ばれ、養父母としての教育を受けた大人が派遣される星。
(それ以外の星には、子供なんかはいやしない、って…)
Eー1077に来てから学んだ。
だから当然、首都惑星のノアにも「子供は一人もいない」のだ、とも。
(…首都惑星でも、子供は一人もいないなら…)
人類の聖地という名で呼ばれる「地球」には、なおのこと「子供はいない」だろう。
地球は育英惑星ではなく、首都惑星よりも格が上になる「最高の場所」と言えるのだから。
(そういう意味では、ネバーランドよりも素敵なのかもね…)
宇宙の中で最高だったら、地球を超える場所は何処にも無い。
「地球よりもいい場所は何処ですか?」と誰に訊いても、ただ笑われるだけだろう。
「そんな場所、ありやしませんよ」と。
「最高に素敵な場所と言ったら、地球の他に何処があるんです?」などと尋ね返されて。
(…それは分かっているんだけれど…)
子供が一人もいない場所など、本当に「素敵」と言えるだろうか。
その上、地球が「素敵」かどうかは、かなり怪しいという気もする。
本当に素敵な場所だと言うなら、どうして「首都惑星にしない」のか。
(人類は地球を駄目にする生き物だから、と言うにしたって…)
選び抜かれたエリートだけで「地球の社会」を構成するなら、何の問題も起こらない。
彼らは愚かなことなど「しない」し、機械の指示に素直に従い、環境の維持に努めるだろう。
(維持するどころか、良くするための努力を重ねて…)
美しかったと聞く地球の姿を、完璧に取り戻すために働き続ける。
今はエリートしか行けない場所でも、いつかは一般市民でも…。
(住むのは無理でも、ちょっと旅行に出掛けるくらいは許されるほどに…)
地球の環境を整え直して、「人類の聖地」が皆に門戸を開く時代を築けると思う。
現に「そのための整備」が続けられ、今も続行中だと習った。
成果は順調に上がっているから、それを無にしてしまわないよう、「近付くな」とも。
(…でも、本当にそうなのかな…?)
実は騙されているんじゃあ…、と疑いたくなる日だってある。
機械は「嘘をつく」ものだから。
平気で人を騙し続けて、偽りの世界を作り上げもする。
現に自分は「騙されていた」。
大人になるには「記憶を奪われ、忘れる」ことが必須と知らずに、懸命に勉強し続けて。
本当の地球がどんな場所かは、行ってみるまで分からない。
「行ける資格」を手に入れたって、まだ「騙されている」かもしれない。
地球に行けるほどのエリートだったら、その使い道は幾らでもある。
「地球」という餌で釣り、優秀な人材を大勢育てて、地球の土を踏ませる代わりに…。
(全く違う場所に派遣して、色々な任務を任せるだとか…)
如何にもありそう、と顎に手を当て、大きく頷く。
そうやって「上手く騙す」ためなら、機械はいくらでも嘘をつくことだろう。
本当の地球は、美しい星ではなかったとしても「美しい」と。
今も人間が住めない場所でも、「選ばれた人たちが暮らしています」と、虚言を吐いて。
(…もし、そうだったら…?)
地球の「本当の姿」がそうだとしたなら、ネバーランドよりも素敵な場所とは言えない。
子供たちの姿が無いだけではなく、選ばれた優秀な人間でさえも「住めない」のなら。
(…そんな星でも、素敵だなんて…)
絶対に認められはしないし、子供の姿が無いというのも、充分にマイナスの要素ではある。
果たして「自分」は、本当に「地球に行きたい」のか。
地球に在るという巨大コンピューター、グランド・マザーは「停止させたい」けれども…。
(…ネバーランドか、地球か、どちらかを選べと言われたら…)
自分はどちらを選ぶだろうか、と胸の奥がズシリと重たくなった。
もしも天使が此処に現れ、「選びなさい」と告げて来たなら、どうするだろう。
選んだ結果が、どう転ぶのかは、天使は教えてくれなどはしない。
神の使いで来るのが天使で、「シロエの答え」を神に伝えに行くのも天使。
(…地球を選ぶべきか、ネバーランドを選ぶべきなのか…)
決めるのはあくまで自分自身で、神は結果を「与える」だけ。
「地球に行きたい」と答えたならば、「機械を止めるために行く」のを評価されて…。
(御褒美に、ネバーランドに繋がる扉を…)
神が開いてくれるかもしれない。
「少しくらいなら、息抜きをしてもいいでしょう」と。
あるいは「任務が重くて疲れた時には、此処から飛んで行きなさい」だとか。
逆に「ネバーランドがいい」と答えたのなら、そちらはそちらで…。
(子供の心を忘れていない、って評価してくれて…)
ネバーランドへの扉が開くかもしれないけれども、選べる道は一つだけ。
選んだ答えが「神の意に沿わなかった」場合は、地獄に落とされるかもしれない。
「地球」と答えたら、「子供の心を大事にしていない」と評されて。
「ネバーランド」と答えた瞬間、「自分の使命を投げ出すのか」と神が怒って。
どちらが「正しい答え」なのかは、神と天使しか知らないこと。
けれど「選べ」と言われたからには、シロエに出来るのは「選ぶ」ことだけ。
選んで答えを返すのだけれど、その時に、嘘をついたなら…。
(それはそれで、「正直に選ばなかった」と…)
地獄の底へと突き落とされて、ネバーランドへの扉は開かないだろう。
ならば、自分は、どう答えるのか。
嘘を言わずに「正直に」選んで、神が下した裁きと結果を受け入れるなら…。
(……地球なんかより……)
ネバーランドを選ぶんだから、とシロエは拳を固く握り締める。
父から「地球」と聞くよりも前から、ネバーランドに焦がれていた。
今も行きたくてたまらない場所で、選べるのなら「地球」など、どうでもいい。
「子供が子供でいられる世界」を作れなくても、機械に奪われた記憶が戻らなくても…。
(…正直に選んで、逃げていいなら…)
パパとママが好きだったことを忘れない内に、それを選ぶよ、と心から思う。
選んで答えを告げた途端に、神の怒りに触れようとも。
ネバーランドへの扉が開く代わりに、永劫の煉獄に落ちてゆこうとも。
(…だって、今のぼくは、どうしても…)
両親がいた家と、その思い出と、ネバーランドへの憧れを忘れられないから。
それを隠して「地球に行きたい」と嘘をつくことは出来ないから。
正直に選んでそうなるのならば、その選択に後悔は無い。
「嘘をつく」のは、機械の得意技だから。
機械を憎み続ける以上は、神に向かって嘘をつくなど、自分の誇りが許さないから…。
もしも選ぶなら・了
※ネバーランドと地球。シロエは本当はどちらに行きたかったのかな、と考えたわけで。
キースに撃墜される直前、朦朧としながらも夢見た先は、地球という名のネバーランド…?
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