見放されていたら
(……この調子だと……)
近い間にコールだよね、とシロエが睨み付ける机の上。
Eー1077で与えられた個室、其処に、さっきまで憎い機械が居た。
故郷の母の姿に似せて、猫撫で声で「どうしました?」と現れたマザー・イライザ。
正確に言えば、本体ではなくて、その幻影。
(…畜生!)
あいつのせいだ、と頭に浮かぶ「キース・アニアン」。
マザー・イライザの申し子と呼ばれるくらいの、トップエリート。
彼を追い掛け、追い越すための成績争い、日夜、努力をしているのに…。
(追い越したと思ったら、抜き返されて…)
また努力して、の繰り返し。
なのに肝心のキースはと言えば、苦労しているようにも見えない。
(流石、機械の申し子だよ…)
勉強しか頭に無いんだろうさ、と腹立たしい限り。
自分の方は、いつか懐かしい故郷に戻って、会いたい人たちがいるから頑張るのに。
成人検査で奪い去られた、過去の記憶を取り戻したい一心で。
(だけど、キースは…)
そんなことなど、考えたことも無いのだろう。
何の疑いも無くシステムを信じ、マザー・イライザに従って。
機械に言われるままに素直に、勉強と訓練を続けるだけで。
(…腹が立つったら!)
どうして、そんな「キース」なんかと争うことになったのか。
いや、争うのはいいのだけれども、彼を蹴落としてしまえないのか。
(……ぼくの努力が足りないみたいで……)
日毎に募って増してゆくのが、どうしようもない厄介な感情。
苛立ちと焦燥、それが消せないから、マザー・イライザが現れる。
「どうしました?」と、母親気取りで。
「迷いがあるなら、導きましょう」と、それは優し気な笑みを湛えて。
マザー・イライザの幻影だけなら、さほど脅威ではないけれど。
消え去った後も、何が起こるわけでもないけれど…。
(…あれが来た後にも、ぼくの心が落ち着かないと…)
次に来るのは、コールサイン。
マザー・イライザ直々の呼び出し、「彼女」が鎮座する部屋に呼ばれる。
机の上でも足りるサイズの幻影ではなく、等身大の姿を取って現れる部屋へ。
(…コールされたら、眠らされて…)
深い眠りに落ちている間に、頭の中から消される記憶。
機械にとっては都合が悪いと思われるものを、「彼女」が探して、抜き取っていって。
(…そうやって、いろんなことを忘れてしまって、思い出せなくなることが増えて…)
懐かしい養父母の顔や、故郷や、子供時代の記憶が薄れてゆく。
コールされる度、確実に。
成人検査の後も残っていた、大事な「何か」を奪い去られて。
(……また、そうなるんだ……)
幻影が現れたことは、一種の警告。
「自分自身で解決しなさい」と、エリートらしく振る舞うように、と。
けれども、それは出来ない相談。
出来るのだったら、とうの昔にやっている。
同期のエリート候補生たちや、先輩たちがそうするように。
大人しく「マザー牧場の羊」になって、マザー・イライザが指示する通りに生きて。
(…出来るんだったら、キースなんかと争わないよ)
それに腹だって立てやしない、と握り締める拳。
「ぼくには、ぼくの生き方がある」と、「それは絶対、曲げないんだから」と。
何度、機械に呼ばれようとも、逆らい続けて生きてやる。
コールされても、残った記憶にしがみ付いて。
両親を、故郷を慕い続けて、エリートの道を進んでやる。
マザー・イライザの手を離れた後には、グランド・マザーが待っていたって。
地球に居るという「グランド・マザー」は、もっと手強い機械だとしても。
(…ぼくは絶対に忘れない…)
子供時代の記憶が大切なことも、機械が「それ」を消し去ったことも。
マザー・イライザにコールされても、グランド・マザーにコールされても。
機械が記憶をほじくり返して、不都合なことを消し続けても。
(絶対に、忘れないんだから…!)
ぼくは負けない、と机を叩いた所で、ふと気付いたこと。
「他の奴らは、どうなんだろう?」と。
マザー牧場の羊といえども、それなりに個性は持っているもの。
誰もが揃ってエリートではないし、年数を経れば優劣もハッキリして来る。
(……いつもキースとウロウロしている……)
気の好さそうな、サムという名の候補生。
彼はどう見てもエリートではなく、とうに其処から落ちこぼれている。
成人検査を受けた直後は、「資質あり」と判断されたのだろうに。
そうでなければ、Eー1077には来られない。
エリート候補生が集う最高学府は、そんなに甘く出来てはいない。
(…それに、スウェナも…)
結婚という道を選んで、コースを脱落していった。
一般人になるための教育を受けに、Eー1077を去り、別のステーションに移籍して。
(……ああいう、エリートになれない連中……)
彼らの場合も、マザー・イライザは、懸命に手を尽くしたろうか。
「どうしました?」と個室に現れ、それで解決しない場合は、コールして。
彼らの心の奥を探って、問題があるなら、その芽を消して。
(……もしも、そうなら……)
サムもスウェナも、落ちこぼれてはいないような気がする。
たとえ成績が劣っていようが、下級生の「シロエ」に鼻で嗤われたりはしないで。
「やっぱり、エリートの先輩は違う」と、尊敬せざるを得ない面を持って。
(…適材適所って言うんだものね…?)
サムにはサムにしか出来ない「何か」があって、それだけは抜きん出ているとか。
スウェナの場合も、一般人のコースに移籍しないよう、説得されていただろう。
機械には、それが出来るから。
都合の悪い記憶を消したり、問題のある部分を削ってしまえるのだから。
その筈なのに、サムもスウェナも、何事もなく「落ちこぼれた」。
マザー・イライザは二人を見放したのか、彼らに「かまう」ことを放棄したのか。
(……その可能性が……)
高いんだよね、と顎に当てる手。
「恐らく、途中で見捨てたんだ」と。
サムもスウェナも、機械に期待されるほどの資質が無かったから。
コールし、あれこれ手を尽くしたって、どうなるものでもなかったから。
(……だとしたら……)
自分の場合も、あるいは、その道があっただろうか。
「資質無し」と判断されたなら。
入学早々、落ちこぼれるのは、少々、情けないけれど…。
(…やっても出来ない生徒だったら、そうなっていた…?)
何度もコールされる代わりに、見放されて。
どんなに成績が落ちてゆこうが、導かれる代わりに放置されて。
(……そうなっていたら……)
マザー・イライザのコールは、殆ど無かっただろう。
此処へ着いた直後は、「なんとかしよう」とコールした筈だけれども、それ以降。
二回、三回と呼び続けても、一向に改善しない成績。
「セキ・レイ・シロエ」はエリートとして芽を出す代わりに、成績が落ちてゆく一方。
訓練の方もサッパリ駄目で、何をやっても冴えない存在。
(…「やりたい」と「やれる」は違うんだから…)
人間には適不適があるから、SD体制は其処を大切にする。
その人間に相応しい場所は何処になるのか、判断するのは機械の役目。
エリート候補生として連れて来たって、芽が出ないままで落ちこぼれれば…。
(…スウェナみたいに移籍するとか、サムみたいに冴えないままだとか…)
そういうコースを歩むしかなくて、そんな劣った人材は、機械も見捨ててしまう。
「この人間は、此処までだから」と。
伸ばしてやろうと努力するだけ時間の無駄で、エネルギーを浪費するだけのこと。
それくらいならば、他の人材に手間暇かけた方がマシ。
せっせとコールし、励ましもして。
もっと優れた者になるよう、充分に目を掛けてやって。
(……そうだとすると、ぼくが劣等生ならば……)
Eー1077に入学してから間も無い間に、落ちこぼれてしまっていたのなら。
エリート候補生に選ばれたのが、テラズ・ナンバー・ファイブの眼鏡違いというヤツならば…。
(…コールされたのは最初の頃だけで、それっきり…)
マザー・イライザに呼ばれることなど、とうに無かったかもしれない。
幻影が部屋に現れることも、「どうしました?」と訊かれることさえ無いままで。
(…見放されてたら、そうなるんだから…)
度重なるコールで消されてしまった、様々な記憶。
それらは今でも在っただろうか、消される機会が無いのだから。
マザー・イライザは「シロエ」を見捨てて、他の候補生たちに夢中だから。
(……そうだったのかも……?)
ううん、きっとそう、と確信に満ちた思いがある。
「落ちこぼれていたら、今も覚えてたんだ」と。
故郷に帰れないことは同じでも、今よりは多く持っていた記憶。
それが何かは、今となっては分からなくても。
どういう記憶を失ったのかは、全く思い出せなくても。
(…ぼくの人生、失敗だった…?)
劣等生の方が良かったのかも、と悔いても、どうにもならない今。
キースと争い、蹴落とす他に進むべき道は無さそうだから。
エリートコースに乗ったからには、今更、後へは戻れないから。
(……だけど……)
何もかも放り出せたなら、と零れる涙。
きっと、この先も失うから。
機械に見捨てられない限りは、「シロエ」の記憶は消されてゆく。
コールされ、深く眠らされる度に。
マザー・イライザの手を離れたって、グランド・マザーがいるのだから…。
見放されていたら・了
※マザー・イライザが干渉するのは、何処までだろう、と考えたわけで。劣等生は放置かも、と。
そうだとしたら、シロエが劣等生だった時は、記憶は多めに残っていた筈。有り得ないけど。
近い間にコールだよね、とシロエが睨み付ける机の上。
Eー1077で与えられた個室、其処に、さっきまで憎い機械が居た。
故郷の母の姿に似せて、猫撫で声で「どうしました?」と現れたマザー・イライザ。
正確に言えば、本体ではなくて、その幻影。
(…畜生!)
あいつのせいだ、と頭に浮かぶ「キース・アニアン」。
マザー・イライザの申し子と呼ばれるくらいの、トップエリート。
彼を追い掛け、追い越すための成績争い、日夜、努力をしているのに…。
(追い越したと思ったら、抜き返されて…)
また努力して、の繰り返し。
なのに肝心のキースはと言えば、苦労しているようにも見えない。
(流石、機械の申し子だよ…)
勉強しか頭に無いんだろうさ、と腹立たしい限り。
自分の方は、いつか懐かしい故郷に戻って、会いたい人たちがいるから頑張るのに。
成人検査で奪い去られた、過去の記憶を取り戻したい一心で。
(だけど、キースは…)
そんなことなど、考えたことも無いのだろう。
何の疑いも無くシステムを信じ、マザー・イライザに従って。
機械に言われるままに素直に、勉強と訓練を続けるだけで。
(…腹が立つったら!)
どうして、そんな「キース」なんかと争うことになったのか。
いや、争うのはいいのだけれども、彼を蹴落としてしまえないのか。
(……ぼくの努力が足りないみたいで……)
日毎に募って増してゆくのが、どうしようもない厄介な感情。
苛立ちと焦燥、それが消せないから、マザー・イライザが現れる。
「どうしました?」と、母親気取りで。
「迷いがあるなら、導きましょう」と、それは優し気な笑みを湛えて。
マザー・イライザの幻影だけなら、さほど脅威ではないけれど。
消え去った後も、何が起こるわけでもないけれど…。
(…あれが来た後にも、ぼくの心が落ち着かないと…)
次に来るのは、コールサイン。
マザー・イライザ直々の呼び出し、「彼女」が鎮座する部屋に呼ばれる。
机の上でも足りるサイズの幻影ではなく、等身大の姿を取って現れる部屋へ。
(…コールされたら、眠らされて…)
深い眠りに落ちている間に、頭の中から消される記憶。
機械にとっては都合が悪いと思われるものを、「彼女」が探して、抜き取っていって。
(…そうやって、いろんなことを忘れてしまって、思い出せなくなることが増えて…)
懐かしい養父母の顔や、故郷や、子供時代の記憶が薄れてゆく。
コールされる度、確実に。
成人検査の後も残っていた、大事な「何か」を奪い去られて。
(……また、そうなるんだ……)
幻影が現れたことは、一種の警告。
「自分自身で解決しなさい」と、エリートらしく振る舞うように、と。
けれども、それは出来ない相談。
出来るのだったら、とうの昔にやっている。
同期のエリート候補生たちや、先輩たちがそうするように。
大人しく「マザー牧場の羊」になって、マザー・イライザが指示する通りに生きて。
(…出来るんだったら、キースなんかと争わないよ)
それに腹だって立てやしない、と握り締める拳。
「ぼくには、ぼくの生き方がある」と、「それは絶対、曲げないんだから」と。
何度、機械に呼ばれようとも、逆らい続けて生きてやる。
コールされても、残った記憶にしがみ付いて。
両親を、故郷を慕い続けて、エリートの道を進んでやる。
マザー・イライザの手を離れた後には、グランド・マザーが待っていたって。
地球に居るという「グランド・マザー」は、もっと手強い機械だとしても。
(…ぼくは絶対に忘れない…)
子供時代の記憶が大切なことも、機械が「それ」を消し去ったことも。
マザー・イライザにコールされても、グランド・マザーにコールされても。
機械が記憶をほじくり返して、不都合なことを消し続けても。
(絶対に、忘れないんだから…!)
ぼくは負けない、と机を叩いた所で、ふと気付いたこと。
「他の奴らは、どうなんだろう?」と。
マザー牧場の羊といえども、それなりに個性は持っているもの。
誰もが揃ってエリートではないし、年数を経れば優劣もハッキリして来る。
(……いつもキースとウロウロしている……)
気の好さそうな、サムという名の候補生。
彼はどう見てもエリートではなく、とうに其処から落ちこぼれている。
成人検査を受けた直後は、「資質あり」と判断されたのだろうに。
そうでなければ、Eー1077には来られない。
エリート候補生が集う最高学府は、そんなに甘く出来てはいない。
(…それに、スウェナも…)
結婚という道を選んで、コースを脱落していった。
一般人になるための教育を受けに、Eー1077を去り、別のステーションに移籍して。
(……ああいう、エリートになれない連中……)
彼らの場合も、マザー・イライザは、懸命に手を尽くしたろうか。
「どうしました?」と個室に現れ、それで解決しない場合は、コールして。
彼らの心の奥を探って、問題があるなら、その芽を消して。
(……もしも、そうなら……)
サムもスウェナも、落ちこぼれてはいないような気がする。
たとえ成績が劣っていようが、下級生の「シロエ」に鼻で嗤われたりはしないで。
「やっぱり、エリートの先輩は違う」と、尊敬せざるを得ない面を持って。
(…適材適所って言うんだものね…?)
サムにはサムにしか出来ない「何か」があって、それだけは抜きん出ているとか。
スウェナの場合も、一般人のコースに移籍しないよう、説得されていただろう。
機械には、それが出来るから。
都合の悪い記憶を消したり、問題のある部分を削ってしまえるのだから。
その筈なのに、サムもスウェナも、何事もなく「落ちこぼれた」。
マザー・イライザは二人を見放したのか、彼らに「かまう」ことを放棄したのか。
(……その可能性が……)
高いんだよね、と顎に当てる手。
「恐らく、途中で見捨てたんだ」と。
サムもスウェナも、機械に期待されるほどの資質が無かったから。
コールし、あれこれ手を尽くしたって、どうなるものでもなかったから。
(……だとしたら……)
自分の場合も、あるいは、その道があっただろうか。
「資質無し」と判断されたなら。
入学早々、落ちこぼれるのは、少々、情けないけれど…。
(…やっても出来ない生徒だったら、そうなっていた…?)
何度もコールされる代わりに、見放されて。
どんなに成績が落ちてゆこうが、導かれる代わりに放置されて。
(……そうなっていたら……)
マザー・イライザのコールは、殆ど無かっただろう。
此処へ着いた直後は、「なんとかしよう」とコールした筈だけれども、それ以降。
二回、三回と呼び続けても、一向に改善しない成績。
「セキ・レイ・シロエ」はエリートとして芽を出す代わりに、成績が落ちてゆく一方。
訓練の方もサッパリ駄目で、何をやっても冴えない存在。
(…「やりたい」と「やれる」は違うんだから…)
人間には適不適があるから、SD体制は其処を大切にする。
その人間に相応しい場所は何処になるのか、判断するのは機械の役目。
エリート候補生として連れて来たって、芽が出ないままで落ちこぼれれば…。
(…スウェナみたいに移籍するとか、サムみたいに冴えないままだとか…)
そういうコースを歩むしかなくて、そんな劣った人材は、機械も見捨ててしまう。
「この人間は、此処までだから」と。
伸ばしてやろうと努力するだけ時間の無駄で、エネルギーを浪費するだけのこと。
それくらいならば、他の人材に手間暇かけた方がマシ。
せっせとコールし、励ましもして。
もっと優れた者になるよう、充分に目を掛けてやって。
(……そうだとすると、ぼくが劣等生ならば……)
Eー1077に入学してから間も無い間に、落ちこぼれてしまっていたのなら。
エリート候補生に選ばれたのが、テラズ・ナンバー・ファイブの眼鏡違いというヤツならば…。
(…コールされたのは最初の頃だけで、それっきり…)
マザー・イライザに呼ばれることなど、とうに無かったかもしれない。
幻影が部屋に現れることも、「どうしました?」と訊かれることさえ無いままで。
(…見放されてたら、そうなるんだから…)
度重なるコールで消されてしまった、様々な記憶。
それらは今でも在っただろうか、消される機会が無いのだから。
マザー・イライザは「シロエ」を見捨てて、他の候補生たちに夢中だから。
(……そうだったのかも……?)
ううん、きっとそう、と確信に満ちた思いがある。
「落ちこぼれていたら、今も覚えてたんだ」と。
故郷に帰れないことは同じでも、今よりは多く持っていた記憶。
それが何かは、今となっては分からなくても。
どういう記憶を失ったのかは、全く思い出せなくても。
(…ぼくの人生、失敗だった…?)
劣等生の方が良かったのかも、と悔いても、どうにもならない今。
キースと争い、蹴落とす他に進むべき道は無さそうだから。
エリートコースに乗ったからには、今更、後へは戻れないから。
(……だけど……)
何もかも放り出せたなら、と零れる涙。
きっと、この先も失うから。
機械に見捨てられない限りは、「シロエ」の記憶は消されてゆく。
コールされ、深く眠らされる度に。
マザー・イライザの手を離れたって、グランド・マザーがいるのだから…。
見放されていたら・了
※マザー・イライザが干渉するのは、何処までだろう、と考えたわけで。劣等生は放置かも、と。
そうだとしたら、シロエが劣等生だった時は、記憶は多めに残っていた筈。有り得ないけど。
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