(……キース・アニアン……)
ああいう仕組みだっただなんて…、とシロエが噛んだ唇。
フロア001で見たモノ、それがあまりにも意外過ぎたから。
(…機械仕掛けの人形なんだ、って…)
思い込んで、そう信じて来た。
感情すらも無い「機械の申し子」、彼も機械に違いないと。
一皮剥いたら、皮膚の下には、精巧な機械があるのだろうと。
けれど、答えは違っていた。
フロア001に居たのは、何人もの「キース・アニアン」たち。
胎児から、今のキースくらいの標本までが、幾つも並べられた部屋。
それとは別に、金髪の女性の標本も並んでいたけれど…。
(……キースは、あそこで……)
マザー・イライザに作り出されて、育て上げられた。
最初はクローンかと思ったけれども、覗き見たデータは、想像以上のもの。
キースも、金髪の女性の方も、「無から生まれた存在」だった。
機械によって合成された、三十億もの塩基対。
それを繋いで紡ぎ出された、DNAという名の鎖。
「キース」は、其処から生まれて来た。
全くの無から作り上げられ、胎児の形に成長して。
(…おまけに、人工子宮から出ずに…)
人工羊水の中に漂い、そのまま育っていったという。
マザー・イライザから、膨大な知識を流し込まれながら。
人類の理想の指導者たるべく、作られた時から、英才教育を施されて。
だからキースは「外」を知らない。
水槽の中だけが世界の全てで、何処にも行きはしなかったから。
そう知った時に、水槽を見詰めて考えた。
「ゆりかご」だよね、と。
赤ん坊を育てる時に使うのが、ゆらゆらと揺れる「ゆりかご」だけれど。
養父母が揺すってあやすのだけれど、キースに、そんな時代は無い。
ずっと機械が育てて来たから、養父母などは存在しない。
水槽の外にも出ないのだったら、まるで必要なかった「ゆりかご」。
(……だけど、あいつは……)
機械に育て上げられたのだし、あの水槽が「ゆりかご」だろう。
ゆらゆらと揺れることは無くても。
マザー・イライザが、「キース」をあやすことも無くても。
その「ゆりかご」を撮影した。
本当だったら、アンドロイドの製造現場を映すつもりで、持っていたカメラで。
並ぶ「キースたち」を端から映して、得意満面で語り掛けた。
「キース先輩、見てますか?」と。
それをキースに突き付けるために、「此処が何処だか、分かります?」とも。
「ゆりかごですよ」と、思ったままを口にもした。
キースが何を思うかはともかく、「それ」が真実なのだから。
「機械の申し子」は此処で生まれて、機械が世話をしたのだから。
充分に大きく成長した後、E-1077で「人間」の中に混ざれるように。
「本物のヒト」と何ら変わらず、エリート候補生として。
そのために「キース」は作られたから。
誰よりも優れた者になるべく、DNAさえも機械が紡いで。
(…其処までは上手く行ったのに…)
いったい何が拙かったろうか、どの段階でヘマをしたのか。
保安部隊の者に捕まり、それは酷い目に遭わされた。
拷問まがいの心理探査に、有無を言わさぬ様々なチェック。
動くことさえ辛いけれども、なんとか其処を逃げ出して来た。
フロア001を映したデータを、取り戻して。
恐らくは命がけの映像、それを失いたくなくて。
(……また、捕まったら……)
今度こそ「シロエ」は消されるのだろう。
知ってはならない秘密を覗いた、反逆者として。
最高機密を知ってしまった、「消さねばならない」存在となって。
けれど、黙って消されはしない。
何としてでも、機械に一矢報いるまでは。
機械が作り上げた「キース」に、真実の欠片を突き付けるまでは。
(…この映像さえ、キースの目に入ったら…)
きっと全ての糸が繋がることだろう。
キースが「ゆりかご」を目にしたならば。
フロア001に足を踏み入れ、何人もの「キース」に出会ったならば。
ただ、それだけを思い続けて、逃れて来た。
通風孔の中を懸命に辿り、自分のための個室まで。
(……データを隠しておくんなら……)
此処だ、と決めていた本の中。
ただ一つだけ、故郷から持って来られたもの。
大好きだった両親がくれた、宝物の『ピーターパン』の本。
(…パパ、ママ…。ピーターパン…)
これを守って、とデータを収めたチップを隠した。
「セキ・レイ・シロエ」と名が書いてある、その下に。
本を広げないと見えない場所に。
(……薄いチップだから……)
この本をパタンと閉じてしまえば、もう分からない。
不自然に表紙が開きはしないし、見た目には隙間も出来てはいない。
名前の上を指でなぞれば、「何かある」と指が感じるだけで。
「セキ・レイ・シロエ」の文字をじっくり追って初めて、僅かな段差が分かる程度で。
(…これで大丈夫…)
それに、何処までも、ぼくと一緒、とピーターパンの本を抱き締めた。
もう、この個室にさえ、追手が迫っていることだろう。
保安部隊が、銃を手にして。
逃げた「シロエ」を射殺する気か、取り押さえる気かは知らないけれど。
(でも、ぼくは…)
此処で捕まるわけにはいかない。
命を終えるつもりもない。
「キース」にデータを突き付けるまでは。
彼を立派に育てた「ゆりかご」、それの秘密を手渡すまでは。
(ぼくの命が終わる時まで…)
この本と一緒にいたいと思う。
キースにデータを手渡した後も、もう秘密の無い本を抱えて。
両親に貰った宝物の本を、何よりも大切に思い続けて。
(……来た……!)
鍵をかけておいた扉を、乱暴に開けようとしている音。
保安部隊がやって来たのに違いない。
(…こんな所は、覗かない筈…)
此処に隠れてやり過ごそう、と床の下へと潜り込んだ。
通風孔へは、其処から入ってゆけるけれども…。
(下手に動いたら、感付かれて…)
引っ張り出されるに決まっているから、息を潜めた。
ピーターパンの本を抱き締め、まだ乱れている呼吸を抑えながら。
肩は激しく上下するけれど、口からは音が漏れないように。
「いたか!?」
「いや、こっちにはいない」
「そっちはどうだ!?」
バタバタと歩き回る音。
荒々しい足音が、右へ左へと頭上で動く。
「セキ・レイ・シロエ」を捜し出すために。
その場で殺してしまうためにか、また引き立てて行くためにか。
まだ、捕まる気は無いけれど。
「キース」の秘密が隠された本を、憎いキースの所に持って行くまでは。
(……パパ、ママ……)
ピーターパンも、ぼくを守って、と大切な本を抱き締めていて。
宝物を抱えて息を潜めて、乱暴な足音が去ってくれるよう祈り続けて…。
(…キースって…)
あいつには、何も無いんじゃないか、と気が付いた。
過去の記憶を持たないキースは、「本当に持っていなかった」。
この世に生まれた人間ならば、誰もが持っているものを。
成人検査で奪われた後も、微かに残る筈の記憶を。
(……ずっと、水槽で育ったから……)
キースには育ての親もいなければ、故郷も、幼馴染も無い。
そんなものなど持ったことも無くて、知識を得て成長したというだけ。
(…過去なんか、何も持ってないなら…)
機械が奪う必要は無くて、あった筈もない成人検査。
キースは成人検査の代わりに、初めて「外の世界」を得た。
機械が与え続けた酸素を、卒業して。
自分自身の肺で呼吸して、二本の足で初めて立って。
(……あいつ、そうやって生まれて来たんだ……)
過去を奪い取る、あの残酷な成人検査を受けもしないで。
どんなものかも知りもしないで、訳知り顔で。
(……幸福な奴……)
なんて奴だ、と募る憎しみ。
今、苦しいのは、成人検査で過去を奪われたせいなのに。
保安部隊に追われることより、その方がずっと辛くて悲しいことなのに。
(…幸福なキース…)
そう言ってやる、と噴き上げる怒り。
無事に此処から逃れられたら、あの幸福な生命に。
機械が作り出したキースに、嘲りをこめて。
彼だけが「それ」を知らないから。
成人検査を知らない命は、過去を奪われる悲しみさえも、覚えずに生きているのだから…。
過去が無い幸福・了
※シロエが言っていた「幸福なキース」という言葉。アレをいつ思い付いたんだろう、と。
「ゆりかご」を見付けて捕まった時は、まだだった筈。この頃かな、というお話。