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記憶が戻るなら

(……新入生……)
 また増えるんだ、とシロエが見下ろす手摺りの向こう。
 遥か下にある、E-1077のポートに着いた人々が出てくるフロア。
 新入生を乗せた船が着くと耳にしたから、こうして眺めにやって来た。
 此処に来た時の「自分の気持ち」を思い出すために。
(…今はキョロキョロしてるけど…)
 勝手が分からず、おどおどしている新入生たち。
 けれども、じきに彼らは「慣れる」。
 E-1077という場所にも、子供時代の記憶を失くしてしまったことにも。
(覚えていたって、戻れない過去は要らないってね)
 育ててくれた養父母のことも、馴染んだ故郷の風も光も、彼らは捨てる。
 マザー・イライザの導きのままに、ホームシックになることもなく。
 「家に帰りたい」とは考えもせずに、新しい生活に夢中になって。
(……ぼくは、そうなれなかったんだ……)
 別に悔しいとは思わないけど、と返した踵。
 機械に与えられた屈辱、それさえ忘れなければいい。
 自分が何を失くしたのかを、機械に何を奪われたかを。
(…テラズ・ナンバー・ファイブ…)
 アルテメシアで成人検査を行った機械。
 左右非対称の顔をしていた、忌まわしく呪わしい存在。
 あの機械の顔は忘れないのに、父と母の顔は薄れてしまって思い出せない。
 どんなに記憶を手繰り寄せようとして頑張ってみても、欠けた記憶を補おうとしても。
 「母に似た姿」でマザー・イライザが現れた時に、懸命に紙に描き付けても。
(…失くした記憶は、取り戻せなくて…)
 きっと努力を怠ったならば、見る間に消えてゆくのだろう。
 遠ざかる過去を繋ぎ止めようと、必死にしがみつかなかったら。
 「記憶を消されてしまった」事実を、忘れまいとして足掻かなかったら。
 今日も此処まで「見に来た」ように。
 此処へ来た日の自分の心境、それを決して手放すまいと。


 忘れるもんか、と戻った部屋。
 今日の講義は全て終わって、夕食もカフェテリアで済ませて来た。
 もうこの部屋から出ることは無いし、後の時間は「自分のもの」。
 さっき「見て来た」新入生たち、彼らと自分を重ねてみる。
 「此処に来た日」の自分はどうかと、彼らより少しはマシだったかと。
(…ピーターパンの本を持っていたから…)
 失くしてはいなかった「拠り所」。
 両親も故郷も忘れさせられても、ピーターパンの本は残ってくれた。
 幼い頃から宝物にして、成人検査の日にさえも「持って出掛けた」本。
 成人検査を受ける時には、荷物は持って行かないというのが決まりだったのに。
(そんな決まりを守る方が、どうかしてるってね)
 さっきの新入生たちにしたって、何も持ってはいなかった。
 自分と同じ宇宙船に乗って来た候補生たちも、「思い出の品」は持たないまま。
 その分だけでも「シロエ」には運があったのだろう。
 思い出のよすがを持って来られて、両親を、家を、故郷を懐かしめるのだから。
(…だけど、そんなの…)
 懐かしむ奴らもいやしないから、と分かってはいる。
 此処で暮らす生徒たちが考える「故郷」というのは、自分とは違うモノらしい、と。
 彼らは「幼馴染」や「故郷という場所」を懐かしく思い出しているだけ。
 どういう友達と共に育ったか、同郷の者が誰かいはしないかと。
 「今の自分」に繋がる現実、それしか彼らは求めてはいない。
 E-1077で生きてゆくのに、「とても役立つ」記憶だけしか。
 友を作るなら誰と気が合うとか、故郷での思い出話とか。
(…そういうのはスラスラ話すくせにね…)
 養父母のことや、故郷の風や光なんかは、彼らにとっては「どうでもいいこと」。
 機械が全てを消し去っていても、まるで疑問に思いはしない。
(……ぼくだって……)
 その「からくり」には、もう気付いている。
 「シロエ」の中にも、消えずに残った記憶が幾つもあるものだから。
 友の顔だの、エネルゲイアの学校だのは、今も忘れていないのだから。


 記憶を「選んで」消していった機械。
 憎らしいテラズ・ナンバー・ファイブ。
 消された記憶を「取り戻す」には、気の遠くなるような時がかかるのだろう。
 いつの日か、地球のトップに立てる時まで。
 国家主席の座に昇り詰めて、機械にそれを命じる日まで。
 「奪った、ぼくの記憶を返せ」と、国家主席の命令として。
 その日まで、記憶は戻りはしない。
 何度、ポートに通い詰めても、新入生たちの姿を目で追ってみても。
 「ぼくも最初は、あんな風だった」と、「此処での記憶」が蘇るだけで。
(…それよりも前に消された記憶は…)
 戻りやしない、と唇を噛む。
 機械が無理やり奪った記憶を戻す術など、何処にもありはしないのだから。
 「それを戻せ」と命じない限り、機械は「返してくれない」から。
(……自分の力で取り戻すなんて……)
 出来やしない、と悲しくて辛い。
 それが出来るだけの力を得るまで、いったい何年かかるだろうかと。
(…今すぐにでも返して欲しいのに…)
 取り戻せるなら、何としてでも取り戻したいと思うのに。
 そのためだったら、惜しいものなど何一つありはしないのに…。
(…機械が奪ってしまった記憶は…)
 けして返って来てはくれない。
 どんなに捜し求めようとも、何処かに消えてしまったままで。
 脳の奥深く沈められたか、跡形もなく処理されて無いというのか。
(……どっちなんだろう?)
 失くした記憶は「何処にも無い」のか、あるいは「押し込められた」のか。
 思い出せないだけで「持っている」ものか、「持ってはいない」ものなのか。
(…成人検査の時のショックで…)
 記憶が消えてしまう例が、たまにあるのだと聞いた。
 機械は其処まで求めていないのに、一部が欠落してしまうことが。


(……意図してないのに、消えるんだとしたら……)
 機械は「脳」を弄ってはいない。
 外部から与えたショックか暗示か、そういった形で消したのだろう。
 成人検査の時に受けた思念波、あれを使って。
 脳に大きな負荷をかけたか、何らかの方法で「押し込めた」記憶。
(押し込める時に失敗したなら…)
 予期しないことまで「消える」というなら、その逆もまた可能だろうか。
 「消えた筈」の記憶を「元に戻す」こと、それが出来ると言うのだろうか。
(…記憶喪失っていうのがあるよね?)
 大きなショックを受けた時などに、記憶がストンと抜け落ちること。
 抜け落ちた記憶は、何かのはずみに「自然に」戻ることがある、とも。
 消えた記憶の鍵になるもの、それを目にした時に戻って来るだとか。
(頭を打ったら、よく起こるって…)
 その手の記憶障害などは。
 抜け落ちた記憶が戻る時にも、再び頭を打ったりする。
 正真正銘、外部からの衝撃が左右する記憶。
(…そういうことが、あるんだったら…)
 自分の記憶も同じだろうか。
 E-1077で「暮らす」だけでは戻らなくても、突然の事故に遭ったりすれば。
(無重力訓練の時なんかだと…)
 命の危険が伴うのだから、高いかもしれない可能性。
 重力がある場所に戻った途端に、姿勢を、バランスを崩したならば。
(床や壁に頭をぶつけてしまって…)
 その時のショックで、失くした記憶が戻るだろうか。
 故郷で暮らしていた頃の「シロエ」、子供時代の「自分」に戻れるだろうか。
(戻れるんなら…)
 それもいい。
 「子供に戻ってしまったシロエ」は、候補生としては失格でも。
 地球のトップを目指す道など、閉ざされて病院暮らしでも。


 それもいいかも、と思わないでもない「戻る道」。
 自分が自分に戻れるのならば、メンバーズなどになれなくてもいい。
 両親を、故郷を、全て「思い出して」、幸せに生きてゆけるなら。
 たとえ病院の中であろうと、「全てを」もう一度、手に出来るなら。
(…それで記憶が戻るんならね…)
 エリートの「シロエ」は、いなくなってもかまわない。
 子供時代に戻れるのならば、自分から進んで事故に遭ってもいいとさえ思う。
 新入生の姿を見に行ったポート、あそこの手摺りを乗り越えても。
 夢中になって覗き込むふりをしながら、手摺りを放して身を投げても。
(あそこから真っ直ぐ落ちて行ったら…)
 習った受け身も取らなかったら、自分は子供に戻れるだろうか。
 本物の両親は「其処に」いなくても、いてくれるようなつもりになって。
 ピーターパンの本を手にして、「パパ、ママ!」と開いて見せたりもして。
(いい子の所には、ピーターパンが迎えに来るんだよ、って…)
 いつも笑顔で、無邪気な「シロエ」。
 そういうシロエに戻れるのなら、その確証があるのなら…。
(…あの手摺りを越えて、飛ぶんだけどね…)
 飛びたいとさえ思うけれども、百パーセントではない「結果」。
 単に命を落とすだけとか、身体の自由を失くしてしまっておしまいだとか。
 その可能性も充分あるから、「宙に飛び出す」ことは出来ない。
 それが一番の早道でも。
 地球のトップに昇り詰めるより、早く記憶が戻りそうでも。
(…やっぱり、まだまだ何十年も…)
 記憶は戻ってくれないんだ、と零れる涙。
 本当に記憶が戻るのだったら、手摺りを越えて宙に舞うのに。
 百パーセントの結果が出るなら、病院暮らしの「子供のシロエ」でかまわないのに…。

 

        記憶が戻るなら・了

※サムが「子供に戻っていた」なら、機械が消した記憶は「戻せる可能性がある」わけで…。
 シロエだったら憧れるかも、という話。百パーセントの結果でなければ駄目ですけどね。









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