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失われた記憶

(……この花って……)
 なんて名前だっけ、とシロエが眺めた花。
 E-1077の中庭、其処の花壇に咲いているもの。
 白い花やら、青い花やら、今が盛りと咲いているけれど…。
(えっと…?)
 この白い花が…、と頭に一つ浮かべば、他の花たちの名前も出て来た。
 「ぼくは知ってる」と、「エネルゲイアでも、よく見た花だ」と。
 そう気付いたら、懐かしい。
 側のベンチに腰を下ろして、花たちの姿に暫し見惚れる。
 まるで故郷に帰ったよう。
 花の姿は、何処で見たって変わらない。
 宇宙に浮かんだステーションだろうが、故郷のエネルゲイアだろうが。
(……懐かしいな……)
 此処でこうして座っていたなら、心だけが故郷へ飛んでゆくよう。
 幼かった頃に見ていた花壇へ、遠く離れた雲海の星、アルテメシアへと。
 故郷でもきっと、この花が咲いているだろう。
 もしかしたら、母が「この瞬間に」眺めているかもしれない。
 家から外へ出掛けたついでに、何処かの花壇の側で足を止めて。
 あるいは父も見ているだろうか、父が勤める研究所にも、中庭などがあるのなら。
(…パパやママだって…)
 見ているのかも、と思うと余計に懐かしくなる。
 「ぼくの故郷にも咲いてた花だ」と、「今だって、きっと咲いてるんだよ」と。
 この中庭には、他の候補生たちも来るけれど…。
(花なんて、誰も見ていなくて…)
 ベンチに座っての会話に夢中か、賑やかに笑いさざめいているか。
 此処から「故郷」に思いを馳せる生徒は、いないのだろう。
 誰もが「過去を捨てて来た」から。
 成人検査で捨ててしまって、それを後悔することさえも無いのだから。


 けれど、自分は「忘れはしない」。
 機械がいくら消し去ろうとも、こうして「消えない」記憶だってある。
 故郷で目にした花の名前を、自分は忘れていなかった。
 「なんて名前だっけ?」と眺めていたら、次々と頭に浮かんだ名前。
 白い花の名も、青い花の名も、他の花のも。
 「エネルゲイアでも見ていた花だ」と、「忘れ去ってはいなかった」記憶。
 両親の顔さえおぼろになっても、花の名前は忘れなかった。
 つまりは機械が「消さなかった」もの。
 故郷で同じ学校に通った者たち、彼らの顔や名前を「忘れていない」ことと同じに。
(…花の名前なんかを、覚えていたって…)
 さほど役には立たないだろうに、記憶は消されていなかった。
 E-1077に入ったからには、いずれはメンバーズになるのだろうに。
 軍人などには「花の名前」は要らないだろうに。
(学校で一緒だった奴らは…)
 いずれ何処かで出会った時に、「友」として再会できるようにと、「残された」記憶。
 彼らの顔も、名前も少しも忘れてはいない。
 そんなものより、「両親」を覚えていたかったのに。
 自分を育ててくれた養父母、彼らを「忘れたくなかった」のに。
(…でも、パパとママは……)
 機械からすれば「不要な」記憶で、「大人になるなら」要らないもの。
 覚えていたって戻れない故郷、「覚えているだけ無駄」ということ。
 だったら、「花」はどうなのだろう?
 E-1077で暮らす候補生たちが、ろくに見てさえいない花たち。
 彼らにはただの「中庭の彩り」、無ければ「殺風景」だというだけ。
 どんな花でも気にはしないし、木だって、きっと同じこと。
 「中庭にあればいい」だけのことで、故郷のことなど考えはしない。
 それが「正しい生き方」だったら、花の名だって、多分、「要らない」。
 何であろうと花は花だし、「花だ」と分かれば充分だろうに。


 なのに「忘れていなかった」花。
 どの花の名も思い出したから、懐かしく見ていたのだけれど。
 故郷に帰ったような気さえもしたのだけれども、何故、「花」なのか。
 花の名前を覚えているより、両親を覚えていたかったのに。
 「パパの顔だ」と、「ママの顔だ」と、鮮やかに思い出したいのに。
(…どうして、こんな花なんか…)
 ぼくは覚えているんだろう、と逆の方へと向く思考。
 「これが機械のやり口なんだ」と、負の方向へ。
 故郷を懐かしむ気持ちの代わりに、「こんな花たちの名前なんか」と。
 だから、乱暴に立ち上がったベンチ。
 足早に後にした中庭。
 「あんな花なんか、見ていたくない」と、自分の世界に逃れるために。
 ただ一人きりでいられる世界へ、誰も入っては来ない個室へ。
 逃げ込むように其処に入って、閉ざした扉。
 ベッドに腰掛け、広げたピーターパンの本。
 これだけが唯一の「故郷との絆」、両親がくれた宝物。
 成人検査の日にも家から「持って出掛けて」、このステーションまで共に来られた。
 この本に纏わる全ての記憶は、憎い機械にだって「消せない」。
(絶対に、忘れてやるもんか…)
 ぼくの本だ、と本のページを覗き込む。
 その向こうには、幼い頃から憧れていたネバーランドが広がるから。
 ピーターパンと飛んでゆこうと思った、夢の世界が。
(…パパとママを忘れさせられても……)
 ぼくは忘れていないんだから、と見詰めるページ。
 これを「見ていた」自分の姿も忘れてはいない。
 故郷の家で椅子に座って、ある時は床に寝そべって。
 ピーターパンの本を何度も読んでは、「いつか行くんだ」と夢見た世界。
 夜空を駆けてネバーランドへ、ネバーランドよりも素敵な地球へ。


(…何もかも、忘れていないんだから…)
 ぼくは覚えているんだから、と宝物の本を抱き締めてみる。
 「此処にあるよね」と、「いつまでも、ぼくと一緒なんだ」と。
 くだらない花の名前などより、この本の方がずっと大切。
 両親がくれた「大好きな本」で、ステーションにまで持って来たほど。
 この本のことを、自分は忘れはしない。
 忌まわしいテラズ・ナンバー・ファイブも、この記憶を消せはしなかった。
 「ぼくの勝ちだ」と、嬉しくなる。
 消し去る記憶と、残す記憶と、それを機械が振り分けた時も…。
(…ぼくが、この本を持っていたから…)
 記憶を消さずに、残すしか無かったのだろう。
 厄介なことにならないように。
 「この本は、何?」と、「セキ・レイ・シロエ」が「悩まない」ように。
 お蔭で「消されずに」残った記憶。
 花たちの名前も、きっと「その手の」記憶。
 軍人は花に縁が無くても、いつか悩むかもしれないから。
 「この花の名前は何だった?」と、花壇の側に立ち尽くして。
(…忘れてしまった、と其処で気付かれたなら…)
 機械には都合が悪いだろう。
 「いいように記憶を書き換える」のだと、皆に知られてしまったら。
 それで「残った」のが「花の名前」で、「シロエの場合」は「本の記憶」も残った。
 とても大切な本だったのだと、今も忘れはしないままで。
 こうして本を抱き締める日やら、ページをめくってみる日やら。
(…ぼくは、機械に…)
 勝てたのだろう、と誇らしい。
 ピーターパンの本に纏わる記憶を、機械は「消せなかった」から。
 それを「持っていた」セキ・レイ・シロエに、「勝ちを譲る」しか無かったから。
 機械が勝手に奪い去る記憶、その中に「本」を入れられないで。


 花の名前を「忘れていない」のと全く同じに、「忘れないままで」いられた本。
 幼かった日に両親がくれた、大切な宝物の本。
 これからも、けして忘れはしない。
 何処までもピーターパンの本と一緒で、「両親の記憶」とも一緒。
 この本を「ぼくに」くれた記憶は、絶対に消えはしないんだから、と思ったけれど。
 「忘れないんだ」と考えたけれど、ピーターパンの本を貰った、その日。
(…いつだったっけ?)
 確か誕生日のプレゼント、と思い出そうとして、其処で途切れていた記憶。
 本当に「誕生日」だったのか。
 誕生日だったら何歳だったか、それが自然に浮かんでは来ない。
 バースデーケーキも、その上にきっと灯っていただろう蝋燭の数も。
(……それは、要らない記憶だから……)
 消されたんだ、と溢れた涙。
 「機械は、それも消してしまった」と、「ぼくは覚えていやしない」と。
 大切な本を「いつ貰った」のか、「いつから持っていた」ものなのか。
 花の名前は思い出せたけれど、ピーターパンの本に纏わる記憶は「思い出せない」。
 それを貰った、とても大切な日の欠片でさえも。
(…ぼくは、やっぱり……)
 機械に負けてしまったんだ、と唇を噛んで復讐を誓う。
 花の名前を思い出すより、他のことを思い出したいのに。
 「思い出したいこと」が沢山あるのに、機械が「消してしまった」から。
(……いつか、機械を止めてやる……)
 マザー・システムなんか壊してやる、と抱き締めるピーターパンの本。
 この本を持って、ただ一人きりで機械と戦い、いつの日か、勝ちを収めるのみ。
 でないと、記憶は戻らないから。
 機械の時代が終わらない限り、「大切な記憶」を取り戻すことは出来ないのだから…。

 

          失われた記憶・了

※シロエが持ってる、ピーターパンの本。あれって、いつから持ってるんだ、と思っただけ。
 両親の顔も覚えていないんだったら、貰った日のことも忘れていそうなんですけど…。









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