(…最後まで、私は一人か…)
其処で途絶えたキースの意識。崩れゆく地球の地の底深くで。
全ては終わって、最期を迎えた筈なのだけれど…。
(…何処だ?)
ノアか、と目覚めた青空の下。
地球に青空などある筈がないし、いつの間にノアに来たのだろう、と。
ついでに…。
(ずいぶん呑気に寝ていやがるな…)
生きてやがるし、と眺めた自分の隣。どう見ても生きて寝ているジョミーが転がっていた。
燦々と照り付ける太陽と青空、それにジリジリ焼ける砂浜。
どう考えてもノアだけれども、誰が此処まで運んだのか。それに運んだなら、砂浜なんぞに放置しなくても良さそうなのに。
(私もジョミーも、致命傷だったぞ?)
治療したなら、最後まで責任を持って欲しい、と頭の中で文句を垂れる間に、目の前をカサカサ通ってゆくカニ。なんとも和やか、小さなカニがハサミを振り振り…。
(ちょっと待て!)
カニ、とガバッと起き上がったキース。そのカニはノアにいない品種で、いる筈もなくて…。
何処なんだ、と見回してみたら、浜辺に干されている漁網。それに粗末な掘っ立て小屋と、木で出来た舟が幾つかあるから驚いた。浜に引き上げてある舟はどう見ても…。
(時代劇か!?)
此処でロケ中なのか、と思った舟のスタイル。それは和船で、SD体制よりも遥か昔の、日本と呼ばれた国に限定の小型船で…。
「おい、ジョミー!」
起きろ、と乱暴に相棒を叩き起こす間に、ガヤガヤと寄って来た野次馬。これまた立派に日本な衣装とヘアスタイルの団体だったから…。
てっきりロケだと考えたのに、あまりにも妙な野次馬の台詞。
「お奉行様を呼ばないと」だとか、「切支丹バテレン」がどうのとか。
(…お奉行様にキリシタンだと…?)
江戸時代だぞ、と速攻でキースが弾き出した答え。ダテにコンピューターの申し子ではないし、知識の量は半端ない。…本人が使っていなかっただけで。
「ヤバイぞ、ジョミー。…此処は天国ではないようだ」
「なんだって!?」
そういえば痛いか、とジョミーが抓った自分の頬。それから、まじっとこちらを眺めて…。
「でも、天国だろう? 君が若返っているんだから」
ナスカに来た頃がそんな感じ、と指摘されて顔を触ってみたら、違っているのが肌のハリ。
(…若返ったなら、天国はこういう仕様なのか…?)
死んだことが無いから知らなかった、とポカンと眺めた江戸時代な世界。確かチョンマゲ、そう呼ばれていたヘアスタイルがデフォらしいけれど…。
(私もジョミーも…)
チョンマゲになっていないんだが、と解せない間に、来てしまったのが岡っ引。
「貴様ら、切支丹バテレンだろう!」とお縄になって、しょっ引かれる羽目になったけれども。
「あっさりと無罪放免だったな?」
拷問は覚悟していたんだが、とジョミーに言ったら、「それはまあ…」と返ったウインク。
「これでも一応、ミュウの長だし…。その辺の所はプロってことで」
ひとつ、とニンマリ。
(…心理操作か…)
でなければ何か書き換えたんだな、と理解した。敵意丸出しだった奉行所の連中、その辺の心象などをまるっと。
「なるほどな…。そこまではいいが、これから、どうする?」
天国どころか江戸時代だぞ、とジョミーに解説してやった。しかも江戸の町にいるようだ、と。
E-1077で、マザー・イライザに一方的に流し込まれた知識。
それを総動員して分析の結果、自分とジョミーは「花のお江戸」に飛ばされたらしい。
「江戸って…。死んだと思ったら、次は江戸時代になると言うのか?」
「そのようだ。おまけに普通に…」
腹も減るらしいな、と情けない気分。
この世界では浮きまくりの衣装とヘアスタイルの方はともかく、食べて行こうにも無いのが金。
(…あそこで団子を売ってるんだが…)
団子の値段はいくらだったか、と思っても金は持っていないし、ジョミーのサイオンに期待するしかないのだろうか、と溜息だけれど。
「ちょいと、アンタら、異人さんかね?」
団子屋の女将に声を掛けられた。「異人さんなら、薬を持っていないかねえ?」と。
それが切っ掛け、馴染んでしまった江戸の町。粋に着物も着こなして。
「キース、風邪薬が切れそうだから…」
風邪薬の材料はどれだったっけ、とガサゴソとやっているジョミー。二人暮らしの長屋の中で。
「いい加減に覚えてくれ。風邪薬がそっちで、腹痛がだな…」
それと材料の調達の方も忘れるなよ、と返すキースは町医者。ジョミーは助手という立場。
なにしろマザー・イライザ仕込みの知識があるから、務まった医者。
(団子屋の女将に頼まれた時に…)
薬も金も持っていないが、と乗ってやった相談。女将が自分で手に入れられる材料、それを元に薬を作ってやった。ジョミーのサイオンも借りたりして。
(サイオンを使えば、成分の抽出が可能だからな…)
出来てしまった抗生物質、劇的に治った団子屋の女将の幼い息子。
お蔭で、女将が今の長屋を世話してくれた。「腕のいい医者だ」と評判も立って、気付けば今や江戸の住人。
(その辺の医者に負けはしないぞ)
華岡青洲がなんぼのもんだ、と全身麻酔もドンと来い。
相棒はミュウの長だからして、薬が無くても全身麻酔をかけられる。サイオンだけで。
もう評判は江戸中に広がり、上様からお呼びがかかる日だって近そうだけれど…。
ある夜、すっかり夜も更けた頃に、ドンドンと扉を叩く音がした。
「先生、キース先生!」と。
「…なんだ?」
ジョミーと二人で起きて行ったら、みすぼらしい身なりの男が一人。腕に抱えた大根一本、他に持ち物は見当たらなくて。
「すみません、こんな夜の夜中に…。それに金も無くて…」
この大根がもう唯一の財産で、と男はガバッと頭を下げた。
男が言うには、一人息子の具合が悪い。金も無いから寝かせておいたら、今や高熱で命の危機。けれど財産は大根一本、この大根が前払い金で…。
「後は死ぬまで働きますんで! 先生のトコで!」
下働きでも何でもします、と泣き付かなくても、子供くらいは救ってやれる。
「いや、大根はどうでもいいから…。息子さんが治ったら煮てやるといい」
行くぞ、とジョミーに持たせた薬箱。
男に連れられて行った長屋では、幼い子供が苦しんでいた。どうやら肺炎、今なら間に合う。
まずは薬で、熱が下がるまでジョミーと二人で世話してやって…。
「もう大丈夫だ。後はこっちの薬をだな…」
一日に三回飲ませてやって…、と渡して「礼はいいから」と後にした家。「お大事に」と。
さて…、と長屋の方へと歩き出したら…。
「…なんだ!?」
いきなりストンと抜けた足元、気付けば雲の上にいた。…ジョミーとセットで。
ついでにすっかり江戸に馴染んだ、着物スタイルも消滅で…。
「キース先輩!」
お疲れ様でした、と向こうから駆けて来るシロエ。その向こうにはサムだって。
「おーい、キース! ジョミーも、久しぶりだよなー!」
マジでお疲れ、とサムに肩を叩かれ、ジョミーの方にもミュウな連中。
遥か昔にメギドでガチンコ勝負をしていた、ちょっと恐ろしいソルジャー・ブルーとか。
「…天国か?」
此処は、と訊いたら、それで正解。だったら、どうして江戸時代などにいたのだろう…?
天国に来るには、あそこを必ず通って来ないといけないだとか、と考えていたら。
「君が医者ねえ…。美味しい所を、地球の男に持って行かれるとは…」
残念だよ、と嫌味ったらしいソルジャー・ブルー。「ぼくの後継者を差し置いて」と。
「…美味しい所だと? どういう意味だ?」
「君が助けた、あの子供だよ。…大根は要らない、とタダで治した、あの子供がね…」
実は世界を変える子供だ、という説明。
助けた子供は普通に生きて、後には江戸の町火消し。…けれども、彼の遥か後の子孫が…。
「ミュウ因子の根絶を防ぐだと!?」
そういうオチか、と仰天した。
グランド・マザーに与えられていた、絶対命令。それはミュウを殲滅することだけれど、もっと容易にミュウを滅ぼす方法はあった。ミュウ因子そのものを排除すること。
それが出来ないよう、グランド・マザーに組み込まれなかったプログラム。
最後まで揉めたミュウ因子の扱い、「それを残せ」と決めた人間が、あの子供の子孫。
「…じゃあ、あの子が…。ぼくたちミュウの大恩人の…」
御先祖様か、とジョミーも丸くしている目。
それを助けに、ぼくとキースが江戸時代まで行ったのか、と。
「…そのようだ。私は人生を懸けて、ミュウと戦い続けていたが…」
その切っ掛けを自分が作ったのか、と泣き笑い。
死んだ後まで江戸で町医者、ジョミーと二人で救った何人もの患者。何故、町医者かと、何度も不思議に思ったけれども、このためかと。
評判と腕を上げに上げまくって、一人の子供とミュウの未来を救ったか、と。
(…人生、最後まで分からんものだな…)
ミュウの連中も「お疲れ様」と大歓迎だし、これからパーティーらしいけれども、やっと天国。
なんとも長い道のりだった、とフウと溜息。
死んだ後まで長かったよなと、まさかジョミーと江戸の長屋で町医者なんて、と…。
江戸の町医者・了
※キースとジョミーの珍道中。…花のお江戸で長屋の住人、町医者なキースなんですけど。
それでもキッチリ、アニテラとリンク。これも一種のタイムスリップ…?